日日の自惚れ

10月13日をもって更新・公開終了。
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…なる番組を、某映像サイトで発見。

 投稿されていたシーンは、番組のオープニングだろうか、出演者居並んでの“口上”であるが、この顔ぶれの豪華さに思わず垂涎である。司会には桂三枝。挨拶は順番に三遊亭楽太郎(現・三遊亭円楽)桂朝丸(現・桂ざこば)三代目古今亭志ん朝二代目桂春蝶五代目立川談志三代目桂小文枝(後・五代目桂小文枝)!!…どうだ〜!といわんばかり、東西の名人どころからズラリ(あとは、当時だと、東からは春風亭柳昇師あたりの『落語芸術協会』の新作派に、西は笑福亭一門のそれこそ六代目笑福亭松鶴師でもお出ましとなれば、東の各協会に西の四大一門がすべて揃い、完璧の顔付けになるところ)。

 満員のABCホール(大淀・当時から、おそらく祝日恒例の「ホリデーワイド」の企画であろうが、それにしてもこれだけの顔ぶれで、落語ばかりぶっ通しで昼下がりの4時間生放送(だと思う)。今では到底考えられない。

 それにしてもこの口上。寄席などで行われる正式なものとは違い、特番の企画物だけあって和気藹々の雰囲気。司会者としては随一の三枝師の仕切りで、まず楽太郎師(当時)が「円楽党」を代表しまして…と、関西の観客に初々しく開口一番の挨拶を済ませば、続く朝丸師、楽太郎師に則って流暢な雰囲気を醸し出そうとすると、三枝師から「いつものように」と促されたら、エンジン全開、「野球やったら東京でやる場合は巨人・阪神(戦)、大阪では阪神・巨人(戦)や。ほな『東西』かて大阪でやる場合は『西東』(サイトウ)やないとおかしいのと違うんかい、ええ!?」と今にも観客に飛び出さんばかりの勢い。まさに「ウィークエンダー」そのままの朝丸節である。

 続いて三枝師、「では、東京からお越しのシンチョウさん、どうぞ」と志ん朝師を紹介したのに、カメラマンとスイッチャーはこれを聴き間違えたか、画面には、桂春蝶師。シンチョウとシュンチョウである。思わず春蝶師のあわわを目の前のモニターで確認した三枝師、「いや、コレはカメラさんが間違えたのです。私はちゃんと、志ん朝さんと紹介いたしました」とやれば、横から朝丸師が、「もうどっちが先挨拶するか、ジャンケンで決めぃな」…もう無茶苦茶である(笑)。

 仕切り直しで志ん朝師。サラブレッドの色男。「歌舞伎役者に間違われることがよくあるのですが、大阪に参りまして、声かけられてまして、『またか…』と思いましたが、『頑張ってくださいね…山田吾一さん!』…もう、ガクッと来てしまいました」(爆笑)。
 確かに、志ん朝師、一時は山田吾一ネタでよく売ったりもしていたが、コレにも朝丸師横から、
「そういえば、アノ人昔、捕まりはったね」とやって、皆から「余計なこと言いなはんな!」

 志ん朝師に続いて春蝶師はお馴染みタイガースネタでもう爆笑。この年の成績はもう最悪で食欲がない、とやって観客は大喜び。例の細身がさらにもうガックリ気味なのが笑えてしまう。若いのに枯れた味の引き芸は、あの松本人志さんも愛したと言われている。

 志ん朝、春蝶と来て、三枝師に紹介されるのは、五代目立川談志師!。落語立川流を興した当初。ヒゲ面でひたすらカメラをにらみ続けてニヤニヤと凄む圧倒的な存在感。三枝師から、「あのぉ、何か少し挨拶の方を…」と促されると、
 「こうやって(無言で)カメラのアップが耐えられるのは俺だけなんだ…何ならここでチンポコでも出してみようか?

 談志師らしいこのやんちゃ発言を遮るような大声で三枝師が「続きまして〜!」と最後に紹介したのが、自身の師匠にあたる三代目小文枝、後の五代目文枝師である。
 「落語には気候の良い季節になってまいりました〜」
と、懐かしいあの声、あの表情を伺うたびに涙が出そうになる…。

 投稿映像はこの口上までであるが、おそらくこの続きの、各演、落語も投稿されている…はず。暇な時にでもじっくり探してみようと思う。

 朝日放送はこのように「ホリデーワイド」では、随分と長時間の落語大型企画を何本も制作してくれた。しかし当時は子供だったのでいかんせんそっぽを向いてしまっていた。同枠で落語ものが放送されたのは確か「激突!!米朝一門VS小文枝一門」(1992年放送)ではなかったか(その後、同局人気であった『ざこば・鶴瓶らくごのご』のスペシャル版は放送されたが、オリジナル企画という意味ではこれが最後だと思う)。一門対抗のクイズや大喜利合戦に、桂米朝二代目桂枝雀、そして小文枝、三枝の各師の落語もたっぷり放送してくれた。これはビデオにしっかり収めた。その他同局は他局に比べて圧倒的に落語番組も多く、よく公開番組にも通ったものだ。

 テレビに不似合いとなった分、同局のラジオは開局直後より発足した「上方落語をきく会」の伝統を軸に、今や伝説と言われる、「1080分落語会」(1971年)など記憶に残る企画も随分と…。そして来年早々には一週間連続で上方落語オールスターによる「創立60周年記念上方落語をきく会」の大型公演も控えているという。こちらの公演は通常の公開録音ではなく、現・ABCホール(最終日は『シアタードラマシティ』)においての有料公演であるというが、その模様は連日ラジオで生中継され、ライブで電波でお楽しみ、という寸法である。

 落語に強い朝日放送。かつては小文枝・談志・志ん朝・三枝らをテレビ番組で4時間たっぷり見せてくれたのに、今度は創立60周年記念なのにラジオの同時生中継が行われるとはいえ有料公演…か。何を言わんやか、である。しかしまぁそれはそれとして、けれども、ラジオの聴取者層と落語の観客年齢層…いずれも若い、例えば20代、30代、もうひとこえ言って40代の割合って、どのぐらいのものなのだろうか。関東はさておいても関西は正直、高齢化の釘煮状態ではないのかと心配してしまう。

 両方ともどこかで若返りだとか、次世代を意識しないと、せっかく積み上げてきたものが、どこかで滅び行く文化となってしまうような気がしてならない。
 NHK総合、関西ローカル日曜深夜の演芸番組。これまでの「上方演芸ホール」がこの春より、「西方笑土」という番組にリニューアルされ、漫才は若手とベテランにと。さらにはコント、落語とそれぞれ分割された。そんななか落語は従来のNHK大阪ホールからの模様は「西方笑土・上方落語の会」へ。そして新たなに創作落語専門が設立され、タイトルも「〜落語∞創 新しい口」。昨夜、その初回が放送されたのである。

 「落語∞創 新しい口」。前半の読みを「らくご・つくる」。後はそのままであるが、『噺』という文字を分解してのもの。それにても凝ったタイトルである。演芸番組史上初の、創作落語専門番組という意気込みなのだろう。しかも司会に、大家である桂三枝師を据えてとありより一層だ。

 初回の出演には、

●「ライフ・イズ・ワンダフル」/桂三若

●「アーバン紙芝居」/桂小春団治

 のそれぞれご両師自作二題。前者は、ペットショップでワンダフルな『ペット生活』を夢見るゴールデン・レトリバーが飼われていった先の新婚夫婦に翻弄されてしまう話。後者は、都会の片隅…最近すっかり見られなくなった「紙芝居屋」と今どきの子供たちのおもしろおかしい交流の風景…。

 生の高座やラジオなどで何度か拝聴させてもらった両師の自信作である。

 創作落語専門番組という意気込みもあってか、出囃子も従来の三味線に太鼓にあらず、生のDJスタイルと凝っており、さもありなんと拝見させていただいた…が、

 あまりに"多彩なカメラワーク"に驚かされた!。4〜5台を駆使していただろうか。まるで往年の「夜のヒットスタジオ」かといわんばかりに、スタジオの、ほかのカメラが映りこんでもお構いなし。画面の「構図」が完全にぶっ飛んでおり、一瞬ながらも天井カメラからのショットにはさすがに閉口してしまった…。

  固定観念といわれればそれまでであるが、落語というのは上半身の芸なので、それこそ、上半身のバストショットさえじっくり捉えてくれていれば、ほとんどの所作(演者…登場人物の動きであり、心理描写の表現など)が、バッチリこちらにも伝わるものなのである。また、普段の公開番組にカメラが3台なら、落語の場合は変な話、1台でも事が足りるのだ。演者さんが左右を向いて登場人物を演じ分けるのを、わざわざ3台のカメラが、それぞれ演者の正面の表情を追いかけなくても良いのである。下手にカメラで正面を追いかけると、「誰が誰に話かけているのか」、視聴者は混乱を来たしてしまいかねないからだ。もちろん、声色などによって大体は理解出来るとしても…。

 このように、とにかく演者とテレビカメラは台数、操作共に最小限で事足るのである。

 …と、これは落語ファンや従来の落語番組関係者の間でも常識なのだ。しかし悲しいかな、この最小限なカメラワークが、一般のテレビファンからすれば、あまりに"退屈"に感じられてしまうところあって、「落語はテレビ番組に不向きである」というそれこそ固定観念を生んでしまったのである。落語とテレビの関係は、芸とカメラワークのせめぎ合いにある。

 これは落語に限らず漫才番組でもそうである。もっといえば、背景のセットにしても、話芸の邪魔になり兼ねない電飾や動く装置はなるべく控えるものとして、従来の寄席中継はほんとうに簡素なものであった。しかし、1980(昭和55)年スタートの「THE MANZAI」(フジテレビ)を境をもって、漫才に限ってはセットはもちろん出囃子もディスコミュージックを多様するなど状況は一変してしまう。ここに手をこまねいてる落語界も、漫才何するものぞとばかりに桂三枝師を中心に立ち上がったのが「創作落語の会」。やはり出囃子はディスコミュージックとなり、会場も演芸場からライブハウスへ移すなど新機軸の実験的要素を続々と取り入れていったのである。

 …生のDJ出囃子が物語るように、おそらく、このときの夢よ再びと、今回の番組もスタートしたのではないか。現に当時からすれば第二世代、第三世代ともいうべき創作落語の旗手は続々である。番組の長寿化も大いに期待される。が、カメラワークの問題は演者の世代を越えて(特にベテランの演者にとっては)今後の課題とされていくはずだ。
 個人的にトークコーナーもあることだし、本芸の部分はカメラワークに凝ることなくじっくり捉えておいて欲しいとも願うのだが。

 その前に…。

 何故にこんなに正直言って、この番組…ダサかったのだろうか!。ある意味、NHK的でほっとしたけれど(笑)。それにしても会場の雰囲気というか、まず原色いびつなセットといい、オープニングといい…。番組タイトルから感じる意気込みから遠いのは何なのだろうか。天井カメラではないが、もし傍若無人に無茶で斬新さをアピールするのなら番組として、もっと他にも手があるはずだ。

 せっかくのテレビ番組であるならば、せっせこせっせこスタッフの皆さんは街角に出てでももっと若いお客さんを引っ張ってきて欲しいと思う。それが無理なら各大学、ひいては団体なりに「こんな落語番組見に来ませんか?」と、『協力をあおいでも』良いと思う。観覧希望者を募るだけの「受け身」だけでは“新しい”観客層であり落語ファンはもう開拓出来ないと思う。NHKの力をもってして是非ともそのあたりにも尽力を注いで欲しい。申し訳ないが、今回の客席の雰囲気は旧来の演芸番組でしかなかった…。オープニングのナレーションとのギャップこそが、ダサい印象、その元凶であったといえよう。

 個人的には演者さんが「テレビ(マスコミ)の仕事として奮起してもらえるような」雰囲気を、やはりそこも少しは「演出」されても良い。

 以前聴いた、笑福亭仁鶴師の1970年代「ヤンリク落語会」の音源には、とにかく会場の熱気たるや凄まじいもので、落語だけで客席の、しかも若者弾ける笑い声は収まっている。この若者によって、落語の"寿命"は30年は延びたといえる。

 創作であろうが、古典であろうが何であろうが、色んな方面へ落語の面白さ素晴らしさをアピールしてくれるような番組を。とにかく願うのである。
 やっとこさ、ビデオで見られた。日曜朝6時30分放送。絶対起きて、第1回ぐらいは生で見ようと決めていたが、やはり夜型人間にとっては未開の時間帯…、みんな夢のなか〜…である。

 番組全体の構成、総じて記せば、30分のうち、コマーシャルを抜けば約25分。オープニングで司会の桂南光月亭八光のご両人による、上方落語に関する軽いトークがあって、残り20分超がメインの落語、次回の予告…となる。そういう意味では良心的な姿勢で落語を見せてくれていた。

 南光、八光ご両人、初回のトークは、「上方落語家、お稽古のいろは」。歌舞伎や踊りなどほかの伝承芸事とは違って、落語の場合は無料で有難い。自身の師匠のみならず、あちらこちらの師匠にも然りで、そんなお稽古に伺ったときのエピソードなど。ベテラン・南光師は今やもう稽古に伺うことは少なくなったが、若き日には、師匠であった二代目桂枝雀師をはじめ、六代目笑福亭松鶴桂米朝桂春團治、それに笑福亭松之助といった師匠連に足繁く通ったとかで、そのなかで、唯一通えなかった五代目桂文枝師には、「落語ちゅうもんは、ビューっとやって、キュ〜ッと締めて…」などなど、感覚での教えを乞うたという。一方で八光さんは、実父であり師匠でもある月亭八方師に稽古を懇願したところ、「これを聴いたら十分や」と、『桂米朝落語全集』のCDを渡された…と有名なエピソードを披露。親子ゆえ複雑微妙な空気をもたらず、お稽古現場。どんなものか覗いてもみたい(笑)。そうそう、現場といえば、南光師、かつて春團治師に師が十八番の「お玉牛」の稽古に乞うた際、ネタ後半にある、暗闇に横たわる牛の身体をなでる所作の段で、どうしても「牛の形」が表現が難しいです、と感想を述べたら、三代目師匠、

「よっしゃ、ワシは『牛』になったるさかいに…」

とおもむろに横たわったのだという。また、これは番組では流れなかったが、師匠である枝雀師は、一人何役もこなす落語の、上下の視線が定まらない弟子(後輩)を見ると、「ワシが相手役になったるから」と、弟子の視線先役となっていちいち移動してまわったらしい。そこまでして後世のためにとたゆまぬ尽力を注いでくれた、しかも無料の師匠方。演者さんのみならず、観客からもその恩恵を被っているのかと思えば、誠に頭の下がる思いである。

 今回の桂吉弥さんの、「ちりとてちん」。おそらく、この辺りの世代は、桂南光師が十八番として演じていたのを見ていた世代なので、きっと、南光師ゆずりの高座であったことと思う。現に、南光師が広めた、「銀杏てどんなん思たら、こんなん!」というフレーズもしっかり飛び出した。独自の演出といえば、台詞回りはもちろん、お酒を飲んだり、魚を突ついたりする仕草、所作は、何ともオーバーである。オーバーといっても、決して悪い意味ではなく、さすが人気者であるがゆえ、おそらく地方などでの公演も増えたと思うし、また、初心者といえる観客層を掘り起こしているという熱意の賜物ではないだろうか。そういう意味で、第1回登板へと起用されたのもよく分かる。

 第1回といえば、MBSラジオがナイターオフにスタートさせる「MBS1179寄席」の第1回も桂吉弥さんの予定だと、ある風の噂で。旬に加えて実力の登板である。

 さて、「扇町寄席」。第2回は笑福亭三喬師、第3回は笑福亭仁智師…とラインナップは決まっている。落語の本編は寄席形式に収録して、別にオープニングの司会部分をまとめて収録しているのだろう…って、別にそんな裏をさぐる必要はないのだが(笑)。

 ただ、気になったのはスタジオのお客さん、相変わらず年輩層が多い。別に悪いことではないが、少しは無理してでも、例えば各大学の落語研究会などに声をかけてみるとかで、若いお客さんも集めて欲しい。そうしないと、早朝の番組、言葉は悪いが何ともくすんだ番組に見えてしまう。おまけにセットも、忠実に「寄席」を再現しているようで、地味である。せめて「痛快!エブリデイ」(関西テレビ)『夏休みエブリ寄席』のような、明るいセットを組んで欲しかった。でないと、関テレ24年ぶりの落語番組、24年前の映像かと見間違えてしまいそう。

 そういえば子供のころ、まだテレビでもやっていた、早朝の「浪曲番組」を見た印象を思い出す。

 「何か、年寄りくさいなぁ」

…たった、テレビで見た一瞬の、この一発で若者、つまり次世代のお客さんは一気に離れてしまう。
健気に地道に続けていく方法も分かるが、所詮テレビの、ある種の「やけっぱち感」、潔く弾ける落語番組であっても良いのでは。実験枠でもあるのだろうから、色々こねくりまわしても構わないとさえ思う。
 続きましては、上方落語協会・前副会長であられた林家染丸師。前名・染二からの襲名を果たされた17年前の番組より採録。本拠地・なんばグランド花月での披露口上は、笑いの殿堂にふさわしく、上方落語はもちろん、東京からの大看板に、上方漫才の神様とよばれた名ご両人が揃い踏みという、バラエティかつ超豪華版。では、さっそくビデオテープ、再生と致しましょう。

「スペシャルホリデー おめでとう!染丸誕生」(毎日放送/1991年11月3日放送)

出演…舞台上手より、
      笑福亭松之助
      三代目古今亭志ん朝
      三代目桂小文枝
      林家染二改メ四代目林家染丸
      夢路いとし
      喜味こいし
      笑福亭仁鶴(司会兼務)

 〜『四代目林家染丸襲名披露興行』(大阪・千日前 なんばグランド花月/1991年9月14日)にて収録。

   仁鶴 林家染二改メ四代目林家染丸襲名
       披露公演にかくも賑々しくお運び頂きまして、
       誠に有難く御礼を申し上げます。

       四代目林家染丸が
       先代のおっ師匠はんの所に入門致しました
       年齢が16歳であったと聞いております。
       その師匠との縁が
       1年と10ヵ月ぐらいしかありませんでした。
       ま、そういうような事情で、
       一時は心細くもあり、寂しくもありといった
       時期もございましたが、
       それを乗り越えて現在のような、
       大きな名跡を継げるぐらいの
       立派な噺家に成長致しました。 
        
       今後とも四代目林家染丸を
       皆様方のご贔屓とご声援で
       励ましてやっていただきたいと思います。
       どうぞよろしくお願いを致します。

  志ん朝 ええ、東京からお祝いに駆け付けました、
       古今亭志ん朝でございます。

       ええ、このたび、新しい染丸が
       誕生するという噂が
       東京に流れました時に
       東京の噺家がみんな、「結構だ」
       という喜びでございました。

       染二という名前も大変結構な、
       良い名前なんです。
       若さがあって、ねぇ。
       何か大変華やかで良い名前ですが、
       やっぱり若い人の名前です。
       いつまでも染二じゃいけないんです。
       もう、六十歳近くになって染二じゃダメです…。

   染丸 (まだそんな歳やおまへん…と無言のツッコミ 笑)

  志ん朝 (苦笑いしながら)ええ、そこまではいってませんけれども(笑)、
       ある程度の大人でございますから、
       染丸という名前を継ぐには、
       ちょうど良い時期でございましょう。
       こんな目出度いことはございません。
       これからますます、この新しい染丸が
       大きな看板になれますよう、
       お客様方のご贔屓お引き立ての程を、
       高座ではございますが
       単(ひとえ)にお願いする次第にございます。

  いとし・こいし え〜〜!

  こいし !

  いとし・こいし え〜!

  こいし (兄貴が先に言え、と指図)

  いとし ええ、四代目林家染丸師匠、
       お誕生、おめでとうございます!
       (と顔をクシャクシャさせていたら)

  こいし 顔芸はエエから、スグやれ!(笑)

  いとし 先日、披露パーテーに出席させていただきまして、
       染丸師匠の顔の大きなポスターを頂いて、
       家に帰りまして早速玄関に貼っておきましたら、
       ご近所の奥さんが来られて、
       「あっ!、(坂東)玉三郎のポスターや!」
       …私言うたんです。
       「玉三郎と違います。四代目の林家染丸師匠です」
       と言いましたら、
       「へぇ!玉三郎さんが、林家染丸を襲名したんですか!?」
       …ウチの近所ではソレで通っております!

  こいし えらいベンチャラや(笑)

  いとし 今日のお客様はそういうことの
       間違いのないように、
       この林家染丸さん、
       姿も優しく心も優しいこの方を
       力強く、大きく羽ばたかせていただきますように、
       ご贔屓ご鞭撻の程を、
       漫才界を勝手に代表致しまして!
       お願い申し上げます。

  こいし 俺やな?

  いとし そうや。

  こいし ええ、誠に襲名というのは
       目出度いことであります。
       しかしながら襲名というのは字で書きますと、
       「名を襲う」と書きます。
       つまり襲名というのは、
       「名を襲い盗る」ことであります。

  いとし !

  こいし この「襲い盗る」ということは
       これ犯罪に適します!

  いとし オイオイ!

  こいし ええ、ましてや、染丸という
       偉大な名前を襲い盗ったという、
       重罪を犯した以上、この被告人(染丸)としては…

  いとし 被告人!?

  こいし ますます身上努力しまして、
       その染丸の名を、
       なお一層高めてほしいと思います。
       本日、ええ、傍聴席へお越しの、陪審員の皆様方!

  いとし !?

  こいし これからも四代目染丸によろしく
       ご声援賜わることをお願い致しまして、

       本弁護人の、最終弁論と致します!

  松之助 ええ…(明石家)さんまの師匠の
       松之助でございます(笑)。

       四代目林家染丸の誕生を
       心から喜んでおる者の一人でございます。

       先ほどからも話に出ましたが、
       新染丸さんは落語だけでなく、
       踊りも、また三味線も達者でございます。
       それに自分の独演会でやります、
       この「爆笑歌舞伎」は、
       (本物の歌舞伎を)テレビで見まして、
       それをすっかり覚えて…
       ま、私らも一緒に出ますんですが、
       それをこの私らに教えて、
       つまり演出をするわけでなんですが、
       その私には特に厳しくやるんです(笑)。

       何か、あいだ(日頃)からこう私を
       憎んでおるとこがあるのか知りませんが(笑)、

       大先輩ですのにから、
       遠慮会釈なくバーッと!…。

       あれ、こないだなんかの時には、
       竹の棒でドツかれたりしまして。
       まぁ、けどこれも、演出者の責任ですから
       私も従うておりますが、
       まぁそれでも、稽古が済みまして、
       本番の日は楽しく芝居を演らせて頂きまして、
       で、終わったらジュースをよばれて
       非常に機嫌良く過ごさせてもろたり致しております。

       ま、私もただ古いだけでございまして、
       それにも関わらず、
       染丸さんには大事にしてくれますのんで、
       噺家をしておって良かったなぁと思ております。
       これが普通の社会でしたら、

       生ゴミの如く扱われてるところございます(笑)

       そういう、和やかな人格者でもございます。

       先代の染丸さんも私どもには、
       「人というのは和やで。松ちゃん、和が大事やで、
        皆仲良うやってや」
       といっつも言うてはりましたんです。
       ま、そういうこともございますので、
       新しい、四代目の染丸さんも、皆と仲良く、
       ますます名前を大きくされるよう、
       皆様方のご贔屓の程を
      よろしくお願い申し上げます。

 小文枝 ええ、桂小文枝でございます。
       四代目林家染丸の誕生。
       噺家の先輩としまして、
       非常に喜んでる次第で御座います。

       昭和43年に、三代目…先代の染丸師が他界致しまして、
       それからは、(先代)小染(四代目林家小染)が一門を率いて
       頑張ってたんですが、これも不幸に亡くなりました。
       その後、今回襲名致しました染丸が、
       林家一門を率いて
       頑張ってきたわけでございます。

       ええ、三代目は非常に「えびす顔」と言われまして、
       高座もどっちかというと、
       コクのある高座で御座いました。
       ええ。このたび誕生致しました、
       染丸は、見ての通り非常に
       男前で御座います。

   染丸 (まんざらでもない笑顔)

  小文枝 若かりしころの私に、よく似ております…(笑)。

       ええ、この男が染丸を継ぐと言うことは、
       これは非常に、
       嬉しい事で御座います(と右隣の染丸に愛想を送る)。

       ええまぁ、何にしましても、噺家が現在150名ほど、
       上方には、おります(当時)。
       ひとつ、染丸同様、これからほかの噺家も
       ご支援頂きます様、よろしくお願い致します。

   仁鶴 ええ、大変、格調高い口上であるとか、
       皆目何や分からんのやとか
       色々御座いましたが、
       まぁ、ご祝儀でございますので(笑)。
       さぁそれでは、皆様方のお手を拝借致しまして、
       この目出度い席を手締めで
       納めたいと思います。

       一本〆めということで、お願い致します。

  小文枝 ええ、それでは、お手を拝借、よぉ〜!
      
     チョチョチョン、チョチョチョン、
     チョチョチョンチョン!

   仁鶴 どうも有難う御座いました。

 口上席並び。最両脇には、「林家」の源流である「笑福亭」の両先輩を携え、内側両脇には、漫才界から江戸落語界からと、上方落語的にもまた吉本興業側としても、「ゲスト」待遇にあるそれぞれを揃えて。また、新染丸師の左隣には、桂小文枝師が、先代染丸師没後の、後見人的先輩という意味で配されており、この席並びは改めて見ても、大変バランスの良い配置具合で端正な染丸師の芸風を彷彿とさせるものがあります。さらに席並びの色合いが、そのまま、各師匠のお祝いの挨拶にも如実に表れています。

 当時40代の若き主役の染丸師。そして、勢力としてもまだまだ乏しかった当時の林家一門。そんな今後を託すべく、縁薄くして亡くなってしまった先代師匠の分までもと先輩陣がこぞってその門出を、支えるかのように祝ってくれています。これらの恩に報いるがために走り出した染丸師。また報いた分の現在、林家一門は、結束力も含め今や磐石の上方落語一大勢力に。ここまで発展させたことは、華やかでバラエティ豊かな落語界へともたらした意味でも、ファンとしても嬉しい限り、誠に頭が下がる思いが致します。

平成紅梅亭 特選落語会 上方落語の神髄 大御所の会平成紅梅亭 特選落語会 上方落語の神髄 大御所の会
(2004/11/17)
林家染丸、

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 番組はさらに、吉本らしい賑やかさ。新染丸を祝う、同世代から後輩の芸人さん一挙登場。記録として列挙しておくと、

 司会・月亭八方、
 桂きん枝、西川のりお、チャンバラトリオ、今いくよ・くるよ、中田カウス・ボタン、
 笑福亭鶴瓶
(NGK初出演)、坂田利夫、ぼんちおさむ、宮川大助・花子、
 オール阪神・巨人(敬称略)、以上の皆さん。

 さらに染丸師十八番「寝床」を演じて、お祝い興行、お開きとなります。
 襲名にまつわる口上特集。第二回目は今からちょうど20年前の桂朝丸改メ桂ざこば襲名記念の特別番組より。寄席やホールの披露口上とは異なりスタジオ収録でこじんまりとしたテレビサイズではございますが、それでも、当時の新ざこばの左右には、桂米朝三代目桂小文枝(後、五代目桂文枝)の両巨頭、さらに兄弟子であった二代目桂枝雀師による司会と絢爛豪華。新ざこばの門出を賑々しくお祝いしております。では、ビデオテープ、再生!

「BK芸能スペシャル 襲名!桂ざこば」(NHK大阪/1988年4月放送)

出演…舞台上手より
    桂米朝
    桂朝丸改メ二代目桂ざこば
    三代目桂小文枝
    二代目桂枝雀(司会)

〜大阪・馬場町 NHK大阪放送局テレビスタジオにて収録

 枝雀 さて一座高うございますが、お許しを頂きまして、
     これより、桂朝丸改メ二代目桂ざこば襲名。
     このご挨拶を申し上げるのでございます。

     まずは、上方落語協会会長(当時)、桂小文枝より
     ご挨拶を申し上げます。

小文枝 ええ、一言、ご挨拶を申し上げます。
     我々この、噺家にとりまして、襲名披露というのは、
     誠に噺家冥利に尽きるものがございまして、
     今回の桂ざこば。この「ざこば」という名前は
     非常に大きな物でございまして、特に大阪には
     所縁のある名前でございます。
     勢いがありまして、威勢があって、活気がある。
     まぁ彼には打って付けの、性格的にも合う名前でございます。
     ええ、50年の空白を、彼が継ぎまして、
     後、初代よりもなお一層大きな名前にします様に。
     それには皆様方のご声援が大きいもんと思います。
     ひとつ今後ともよろしく、ざこばをお願い申し上げます。

 枝雀 へっ。ま、そんなようなことでございまして〜(笑)

     まぁ案外堅う考えてもらわんでも結構でございまして…
     まぁ堅いところもあるのでございますけれども(笑)。

     まぁおかげさんで私も、考えて見ますれば
     15年ほど前になりますが、
     「小米」という名前から「枝雀」という名前に変えさせて頂きまして
     襲名させていただいたんでございますけども、
     まぁ、あの、名前が変わるということは、なんでもない、
     「名前が変わったさかいどうやねん」で、人間が変わるわけじゃない
     という面と、
     それから「名前が変わると、ああ、何か変わるなぁ」という面の
     両面があると思いますねんね。私らもそうでした。
     なんでもないと思う一面と、
     それからウチのべかこ(現・桂南光)なんかに
     「どや?オレ、『枝雀』らしいか」言うたら
     「師匠、もう、どう見ても『枝雀』です!」
     …まぁアノ男も調子のエエようなことも言うてもろたりね、
     それとウチの嫁さんなんかにも
     「お父さん!」言うて帰って参りましてね。

     「お父さん、今日、地下鉄乗ってたら、地下鉄のなかでも
      『シジャクや、シジャクや!』言うてたで!
      もう既に皆さん、知ってまっせ〜!言うてウチ喜んで…」
     「良かったな、それホンマか!」
      て尋ねたら、(地下鉄に乗ってた)小学生が、
      教科書を広げてね、
     「ジシャクや、磁石や!」て言うてたんやと(笑)。
     けどそんなんでも「枝雀や」と聞こえる、そんな嬉しいような
     恥かしいような、おいどこそばゆいようなところが
     あるもんでございます。
     きっと彼も、似たとこがあるのではないかと思います。

     では、続きまして、師匠にあたります、桂米朝より、
     ご挨拶を申し上げるのでございます。

 米朝 朝丸は、私のところに参りまして、25年になります。

     25年間「朝丸」という名前でずっと馴染んでまいりまして、
     まだちょっと、どっちで呼んでもろたら嬉しいのか、
     返事…は、ま、どっちでも返事しまっしゃろけどな(笑)、
     
     ま、この「ざこば」というのは大阪の、昔の「魚市場(雑魚場)
     今は無くなりましたが、米相場があった時分の堂島と、
     それからこの「雑魚場」と、それに天満の青物市…
     この三つは威張ったものでございまして、
     東京から(市川)團十郎やとか(尾上)菊五郎という役者が来ても
     この三つの、どこから先に挨拶に行こかと迷うたほどの、
     これらを怒らせたらエライことになるというような
     権威があったんです。

     で、まぁ50年ぶりにこの名前が復活。
     谷町のお寺で(それまで不明とされていた)先代のお墓が
     見つかったり、何か因縁みたいなもんを感じます。

     ええ、朝丸は、感情の起伏が激しい男でございますが、
     これをキッカケに一段と飛躍してくれる事を願うとおりますが、
     やはりここは、皆様のお引き立てが肝心でございますので、
     二代目ざこばがもう一回り、大きいなれますように、
     隅から隅までず〜っと!、お願い申し上げます。


 両巨頭の口上も然る事ながら、枝雀師独特の弟弟子を思いやるかのような司会。貴重なものでございます。
 
 番組はこのあと、入門当時の若き日の写真を紹介しながら、座談コーナー「一期一会〜かくて ざこば あり〜」へと続きます。米朝、枝雀、小文枝の口上に居並んだ各師に加えて、笑福亭松之助師、米朝一門とも縁の深い女優の三林京子(後に、入門、現・桂すずめ)さんを迎えて。これらの詳細はまたいずれの機会にて。また、落語はテレビではおそらく、新ざこばとしては初演で「阿弥陀池」を披露されています。

 以上を記しまして、「口上ウィーク」次回をお楽しみに、と致しましょう。
     
 今年の秋から再来年にかけて上方落語界は襲名ラッシュ。そこで今週は過去の、特にテレビ番組として収録された、ビデオより採録で、様々な「口上」あれこれを書き起こし、お楽しみいただきたいと思います。

 当方のビデオラックから思いつくまま選んだ番組の数々…。年代等は決して時系列ではありません。そんななかでまず見付けたのがこちらの番組。当時の桂べかこ改め三代目・現在の桂南光襲名を豪華なお歴々勢揃いでお祝い口上。さっそく、ビデオテープを再生してみましょう。

「特選!!落語全集 桂南光襲名披露スペシャル」(毎日放送/1993年12月23日放送)

出演…舞台上手から
      笑福亭仁鶴桂春團治
      桂べかこ改メ三代目桂南光
      桂米朝桂枝雀
      桂雀松(司会)

〜大阪・北浜 コスモ証券ホールにて収録

 雀松 只今より、べかこ改メ三代目桂南光襲名披露口上を始めさせて頂きます。
     本日司会を仰せつかりました、三代目南光の弟弟子、桂雀松でございます。
     どうぞよろしくお願いを致します。
   
     ええまず最初に、三代目南光の師匠でございます、桂枝雀、
     ご挨拶申し上げます。
 
 枝雀 もうすでにお聴き及びだとも思うんですが、11月の23日に、
     サンケイホールにおきまして、仲間のべかこが、三代目桂南光という名跡を
     継がせて頂きました。
     そのあと…29日やったかな?(雀松に確認)、
     東京の芸術座でも、東京での披露を行わせて頂いての今日でございます。
     ええ、これが流れます(放送される)ときには、既に中日劇場
     名古屋での披露も終わってるはずでございます。
    
     ま、関係各位のお勧めによりまして…という風に言うみたいですが(笑)、
     じゃ、本当に、関係各位てどなたとだなたじゃと言われても、
     ま、あんまり定かではないんでございますが(笑)…まぁ何にしても、
     有難い事でございます。
     ま、私とこの旧・べかこ…新・南光は、世に言う、「師弟」というようなものじゃ
     ございません。米朝一門の一員として共々今までやらせていただいたところで
     ございます。
     
     「桂南光」と決まりますまでに、「桂萬光」という、萬に光と書く名跡も
     あるんだそうでございます。ですから、それに決まり…かけたんですけども、
     ちょっとそれでは、東京…いや大阪はイイんですけれども、ちょっと東京では、
     仕事がしにくいんじゃないかという意見も出まして、
     南光に落ち着いたわけでございます…

     いやアハハやのうて(笑)、ま、そんなこんなでございます。共々、
     落語と言う芸が好きでございます。
     これからも共に精進して参りたいと思いますので何分共によろしく
     お願い申し上げます。

 雀松 続きまして、上方落語協会相談役・桂春團治、ご挨拶で申し上げます。

春團治 ええ、今回、桂べかこ君が三代目桂南光を襲名致します事は、
      私にとりましても、これ以上の喜びはございません。
      上方落語界の、偉大なる先輩たちの名跡がこのところ、
      次々に復活しておりますが、南光も、その一つでございます。
      過去の名声を、きっと立派に継承してくれることであろうと、
      私は期待をしております。

      私も本年度の前半、体調を崩しまして、ま、お蔭様で夏ごろからまた、
      こうして舞台に立たせて頂いております。
      ま、それもこれも、何とか新・南光君の晴れの口上に連なりたいの
      一心で、養生した、成果でございます。

      やっぱり私の身体にとしましては…薬(軟膏)のような(笑)、
      存在の南光君。
      どうぞ末永くご贔屓賜わります様、私、春團治からも、
      よろしくお願いを申し上げる次第でございます。

 雀松 続きまして、上方落語協会副会長・笑福亭仁鶴、ご挨拶申し上げます。

 仁鶴 まぁ襲名と申しますと周りから見てたら「誠にめでたい」という事で済みますが
     本人のその、まぁ色んなところへのご挨拶であるとか、
     つまりこの、順番を色々と踏んでいかんならんことが
     非常に多い、らしいですわ。
     襲名という経験をしたことないのんで、分かりませんけれども。
     そのときに、まぁ、先輩や後輩なんかを見てますと、神経をね使いまして、
     体重が落ちたりですな、顔がちょっと痩せたりするもんですけれども、
     まぁ、べかこ君に限っては、そういうことが・・・(笑)

     段々肥えてきたとか言うてますけど、その神経なら、

     どんな名前でも大丈夫やろう言うて(笑)。

     で、まぁ、こないだもわざわざ、私の家へ、貴重な時間を割いて…
     まぁこれは、ひとつの儀式ですけども…挨拶に来てくれました。
     普段見なれんような、誠に緊張した、清々しい、凛々しい感じで
     来てくれまして。まぁこれからの決意などを聞かせてくれました。
     
     今までは少しお酒もやりすぎたし、まぁコレ(小指を立てる)…
     大体やりすぎましたけども(笑)、
     これからは、今までの三倍ぐらいを今度は落語道へ精神を傾けて、
     精進をして、まぁ、嫁はんも大切にし、今まで少し疎かにしてた分…

 南光 (笑)

 仁鶴 ほんでまぁ、愛する妻とまぁ、週にいっぺんぐらいは色んな所へ
     出掛けるというような生活をする…
     てなこと言わんと帰りました(笑)

     そやからまぁ、今まで通りやと思いますが(笑)…

     何しかよろしくお願いします。
     
 雀松 続きまして、三代目南光の大師匠でございます、桂米朝
     ご挨拶申し上げます。

 米朝 新・南光は千早赤阪村の出身でございまして、年配の方はまぁ、
     よくご存知でございましょうが、ここは楠木正成という、大楠公と
     言われた人の出生地でございます。
     そういう縁がありまして、「一生べかこでもいかれへんやないか」
     とまぁ、枝雀も言いますし、まぁ何かいうたらその縁で、
     「南光」という名前の縁の人が絶えてしもておりますのでね、
     これを復活させたらどうやろうと。
     また、住んでます所が四条畷にずっと居りまして。
     ここはまた、息子の楠木正行、小楠公が討ち死にした所で
     ございまして、親子揃うて縁があるわけでございます(笑)。

     ま、そんなんで「南光」がエエねやないかと。

     初代桂南光は、「二代目桂文枝」、後に「桂文左衛門」となりました。
     コレはもう桂派の頭領と言うような存在で。
     それから二代目桂南光という人も、大きな存在でございまして、
     お弟子に先々代の「二代目桂三木助」とか、東京へ行ってエライ
     人気を博しました「初代桂小南」とか、色んな方がおりまして。
     最後のお弟子でありました桂南天さんという方は、
     私も大変心安くしていただきまして、色々と根多をもろたりした
     関係もございます。で、この「南光」が良かろうと言うので、
     このたびこういう運びとなりました。
     
     彼は色んなことをやっております。もう八面六臂といいますかな。
     ラジオ番組もやり、テレビ番組やトーク番組やとか何やかや
     色んなことをやるのでございますが、
     しかしまぁ、本芸の落語というものを,疎かにせずに
     ずっと精進して来ております。
     ええ、先代南光の得意としておりました、「ざこ八」とか 
     「三十石」とかいうような根多をドンドン手掛けていくと、
     こう申しております。ええ、そんなんで私も大期待をしております。
     ま、やはりお客様のお引き立てがないといけません、我々はね。
     
     今後、三代目南光がもう一回り大きい噺家となりますように、
     お引き立てのほど私のほうからも単にお願い申し上げる次第で
     ございます。

   (このあと、米朝師の音頭による『大阪〆め』で口上、お開き)

 なお、同番組収録の落語は以下の通り。

  ●「かぜうどん」桂枝雀
   
  ●「代々木裁き」桂米朝

  ●「ざこ八」桂べかこ改メ三代目桂南光


 さらに、同日収録と思われる、口上にも参加の春團治、仁鶴ご両師の落語は
  
  ●「池田の猪買い」笑福亭仁鶴

  ●「お玉牛」桂春團治


 として、後日放送(「特選!!落語全集」毎日放送/1994年2月27日放送)されました。
 初めてじっくり、今話題の爆笑王・昔昔亭桃太郎師匠。畳みかける地噺、地口(ダジャレ)オチ連発の漫談調新作は、師匠であった春風亭柳昇師の秘話を綴ったその名もズバリ「柳昇物語」。

 飄々とした語り口は師匠譲り、噂通りのいやぁ、良いもんを見せてもらいました。

 あの笑福亭鶴瓶師が噂を嗅ぎつけ、東京に出向いた際は桃太郎詣でとばかりにあちこちの寄席を駆け巡ったほど。結局、寄席出演での対面はタイミングもあって実現せず。そんな噂をまたまた聞き付けたのが、関東演芸界をまんまる目玉のお目付け役でお馴染みの高田文夫先生。先生の音頭で落語会、見事競演相成った模様。しかし…

 初めての高座、競演。出番が早かったのが桃太郎師。噂通りの語り口、地口が決まってドカンドカンと大爆笑。対して闘志が余計に燃え盛る鶴瓶師は地噺(漫談)には本格的古典でと、かねてより取り組んでいた、夫婦の機微を描いた人情話「厩火事」で勝負。待ってろ桃太郎、意気揚揚と高座に上がり、順調に演じていたら、この「厩火事」、話の途中で地口を連発する箇所が出て来て、「ハッ!」

 つまりは笑いどころが先の出番の、桃太郎師とカブってしまったわけで、途中で気付いた鶴瓶師、後には引けず、ダジャレ連発のやりとりにとうとう、
「お前は昔昔亭桃太郎か!」…当然コレには客席は大爆笑。しかし当の鶴瓶師にとっては、芸人として、そして落語家人生おいても屈辱的な高座として刻まれたそうです。

 ますます、鬼退治…いや桃太郎退治に火がついた、鬼の鶴瓶師。

「エエ加減にしなはれや!兄さん!!」と思わず桃太郎師に食って掛かるも、当の本人、「あっ、そうなの?」。そのまま趣味のマンガ喫茶に出掛けられたとか(笑)。

 そんな噂を聞いていたので、是非とも一度聴いてみたかったところ、たまたま変えたチャンネルに、おぉ〜、桃太郎師匠〜!。

 途中からなのでビデオ録画もままならず「日本の話芸」、本日早朝の再放送に合わせて、しっかり録画。

 「柳昇物語」。勉強熱心だった柳昇師匠。あのビートルズ1966(昭和41)年、その来日公演にも観に行かれたそうで…

 桃太郎「師匠、ビートルズを見たんですって?」
  柳昇「ああ、見た〜ネッ!」 
 桃太郎「誰と観に行ったんです?」
  柳昇「(三遊亭)金馬さんと!」
 桃太郎「どちらまで観に行ったんです?」

  柳昇「アレは確か…国立演芸場!

 桃太郎「そんな狭いとこでビートルズがコンサートやらないでしょ!
      武道館でしょ?」
  柳昇「そうだっけ?」
 桃太郎「で、どうでした?」
  柳昇「何が?」
 桃太郎「何がって、ビートルズですよ!」

  柳昇「ああ、ビートルズ…やかましかったネ!

 桃太郎「やかましかったって…」
  柳昇「それとね…」
 桃太郎「何です?」
  柳昇「ビートルズはね…」
 桃太郎「ビートルズは?」

  柳昇「玉川カルテットとは違うんだネッ!」

 桃太郎「全然違いますよ!合ってるのは人数だけですよ!!

 爆笑師弟のこれでもかこれでもか、エピソード連発。CD化されていないか探してみたいと思います(笑)。
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