毎週日曜朝7時から放送、各界で活躍する3人の異色の、もしくは仲良しトリオの顔合わせによる人気トーク番組。30分番組ながらこざっぱりと構成もまとまっており意外な本音や横顔が覗けて毎回のお気に入りであるが、昨日の放送は、おぉぉ〜!、小堺一機&関根勤コンビによる黄金ユニット「コサキン」に加え、ベテラン俳優、宇津井健さんを迎えてとあって、思わず7時前にはテレビの前で、スーパージャイアントのコスプレ、股間のモッコリはマントで何とか覆い隠したと思ったら、その分、水野晴郎ちゃんばりの桃尻がプリン!…思わずいや〜ん、と高橋英樹風に頬を赤らめシナを作りながら女座りで番組開始の時を待った(ウソ)。
まさしく、「コサキンDEワァオ!」(TBSラジオ)に宇津井さんをゲストで迎えた格好にも似た組み合わせであるが、考えてみれば今回は3人とも番組ではいわばゲスト。どのようなトークテーマでお互いを際立たせつつ探りつつ、その人柄を引き出すのか。これは一応の構成を考えるところのスタッフの知恵ではあるが、収録が始まってしまえば3人3様の出たとこ勝負。コサキンのご両人はトークの名手である。宇津井さんを際立たせるのならラジオの「コサキン」、ゲストコーナーと同じになってしまう。小堺さんは関根さんの、関根さんは小堺さんの、時には宇津井さんがコサキンのそれぞれを引き出し役に回ることにもなろう。一方で、「コサキン」コンビが揃ったからにはお馴染みの無茶ぶり合戦、見せ場もファンは期待してしまう。とにかく、今回は何かと枷(かせ)の多い、「ボクらの〜」…いつも以上に見ものなのだ。
3人での顔合わせとなれば久々となる宇津井さん、
「いやぁ、(コサキンの)お二人に会うと清々しい気持ちになるというか、まるで墓参りした後のようですよ〜」
…開口一番よりピンと背筋を伸ばし胸筋張りつめ、まるでゴクラクチョウの求愛のポーズにも似た御年79歳には見えぬ永遠のザ・ガードマン、宇津井節、紳士ぶりである。それにしても「墓参り」とは恐れ入った(笑)。さすがに恐縮したか小堺さんも「(僕ら後輩までそこまで気を使っていただいて)ストレスたまらないですか?」と尋ねると」
「俳優がベテランになって偉そうぶるのがいやなんですよ。僕もね、仕事場に嫌な奴が二人いましたよ。でも、二人とも死んでしまいましたけどね。アハハ…!」
これぞ人生の深みと含蓄、そして、現実である(笑)。
続いて、関根さんは宇津井さんの物真似のレパートリーとなったキッカケの出会いを語り、直後にはドラマ「赤い激突」(TBS)で共演となる。片や主役。片や若手のゲストコメディアン。雲泥の格差であった「ラビット関根」時代、撮影現場に絶対遅れてはいけないと1時間半前に到着したら、向こうから大きくを手をふり、
「いやぁ〜、どうも〜!関根く〜ん!」
…主役の宇津井さんはさらにいち早く現場に到着していたという(確か、近所の喫茶店で悠々とコーヒーを飲みながら待機していた…はず、というこれらの一連のエピソードは関根さんがラジオで何度もラジオなど語っていた)。
そんな宇津井さんの姿に感銘を受けた若き日の関根さんは常に「テレビの関根勤」であろうと心に決めたが、さすがにある日、早朝の出かけ際、不意に「(ジャイアント)馬場〜!」と声掛けられたときは、眠気眼もあってか思わずその声を無視してしまい、
「あのときのファンを、一人無くしてしまいました…」と反省の日々にあったという。
一方の宇津井さんも、映画からテレビの世界へ活躍の場を移し、ドラマ「ザ・ガードマン」(TBS/1965〜1971年)で人気となったころ、銀座でスポンサー関係者と歓待の帰り道、女性連れで歩いているところをファンから思わぬ揶揄を受けてしまい、「あ、テレビのお客さん(ファン)は自分を『ガードマン』として見ている限りは、日ごろもそう生きなければならない」と節制を心がけたのだという。
…確かに、銀幕世代の役者さんではあるが、所属した「新東宝」→「大映」がことごとく時代の斜陽の憂き目に翻弄されたなかで、テレビにその場を以降されてきた、いわば第一世代の役者さんでもある。この時のファンの揶揄があって、時代時代にドラマでの当たり役、長らくの第一線へと連なるのだ。
小堺さん、関根さん、そして宇津井さん共、世代は違えど常に第一線の裏には奥さんを初め家族の言動があった。
例えば小堺さんでいえば、中学から高校時代、実は絵描きに憧れて美術系の高校受験を試みながらも、思わぬ「色弱」が発覚し、なくなくそれらを諦めなくてはならなかったという。一瞬塞ぎこんだ小堺さんにそっと言葉を投げかけたのは、寿司職人であった父君の
「色弱で良かったじゃねえか。(普通の人とは)違う色が見られるんだろ?」
…この一言で、小堺さんの未来は開けたのだという。色弱も一種の個性なのだと。けれども後に、父君によれば、「実はその一言は、オレにとっては賭けだったんだよ。ひょっとしてお前がそのままグレちゃうんじゃないかって…」。
江戸っ子父ちゃん・元祖小堺くんのおすましでSHOWは、結果的には大オーライであったのだ。
一方、愛妻家としても有名な関根さん。37年来の内助の功を出会った当時、一気に受けていたら今頃は世界進出は無理でもアジア進出ぐらいは出来ていただろう、と妄想する(笑)。けれども、じわりじわりの37年で良かったのだと。なぜなら、アジア進出出来たら出来たで、今頃は相当なプレッシャーで潰れてしまっているに違いない…と(笑)。何しろ、デビュー当時は同世代のライバルがまったく少なく、もし今のようなお笑いブームのなかに若手として放り出されたら絶対「出てこられない」…。
これに宇津井さんも、自身の時代とは違って、確かに若手芸人も俳優さんも、いわゆるハードが完璧な状況のもとに育っている分うらやましい、としながらも、だからこそ目先にこだわりすぎではないのか、とも。つまりは自らは役者人生を、壮大なマラソンに例えていたのに、今は短距離走に思えて仕方が無いと。それは役者の問題というよりも、自身が映画会社の専属として一応大事に育てられてきた時代とは違って、今はプロダクションが「こいつがダメなら、次はこいつだ」と、使い捨て状態にあるのではないか…そういう意味では可哀想だ、と。
そんな宇津井さんも、一時は役者よりも、「歌手はいいなぁ、一曲当てれば、その曲だけ覚えればいいんだもんね。その点我々は、この台詞を覚えたと思ったらもう次の(週の)台詞…たまんないよ〜!」(笑)
そんなこんなの繰り返しで50年以上の一線級…驚異的である。が、その出処進退も肝に銘じており、一応、ご子息などが、もう「無理だ」と肩を叩かれたときには…と、心に決めているという。
「定年のない役者は舞台で死ねれば本望なんて、よく言いますが、あんなの、ほかの役者さんが迷惑ですよ、ねぇ!」とも、宇津井さん…アハハ、妙にドライである(笑)。それだけ気持ちも若いのだろう。まだまだまだまだ現役バリバリなのだ。それが証拠にいつも滑舌や、他人の行動ウォッチング、その研究に余念がない。
話は前後するが、
関根さんが宇津井健さんの物真似に挑戦したのは、「徹子の部屋」(テレビ朝日/1977年〜)放送開始当初、トークの後に『フラッシュクイズ』というコーナーの司会を担当されていて、冒頭ではトークゲストの物真似を披露するのが恒例となっていた。そこへ宇津井さんがゲストへやって来たときに、「いやぁ〜、宇津井健ですぅ〜」とやったのが最初。その後はコーナーは自然消滅してしまうも、物真似はご本人の気に入られることとなり、「赤い激突」への共演へと繋がるのだが、一方でデビュー当時の勢いがやや失速してしまった関根さんは、数年後、温存していたこのネタを、ラジオ「コサキン」で、宇津井さん主演のドラマ「玄さん」(日本テレビ)のワンシーン再現という形で披露。これがリスナーの間で密かなブームとして開花し、ついでに宇津井さんが過去に演じた映画「スーパージャイアント」シリーズ(新東宝)、そのレオタード状のコスチュームから放たれる、それはそれは大層ご立派な宇津井さんのジャイアントぶり(!!)が番組のなかでも話題となった。やがて番組には何とご本人をお招きすることになり、互いの距離感を計りつつも、「お墓参り後の清々しさ」とさえ言わしめるほどの親交ぶりは上記の通り。
個人的には、めまぐるしく世代交替してしまったテレビドラマ界において、すでに「百恵ちゃんのお父さん役」も随分昔の話。もはや一昔前の二枚目という印象が強かった、宇津井健さんが、再びドラマ界にカムバックされたキッカケはラジオの「コサキン」出演から、というイメージがある。若い世代にある種の殻を破ったフランクで新たなイメージと、なおかつ以前にも増して頼もしい存在感が、後の「ごくせん」(日本テレビ)などのドラマなど立て続けに、また、バラエティ番組にも幅広く出演され始めることになった、と思う。
そんな宇津井さんが、もし、「お腹が空いてハンバーガーショップへ行ったらどうなるの?」、と、ここで出た、コサキンワールド、小堺さんのムチャ振り!。これに即座に応える長年の相棒、関根さん…ご本人を前にして、「(店員に)すみませ〜ん、ダブル(バーガー)でお願いしますぅ〜〜!」
宇津井さんも懐ジャイアントで大笑いである。が、しかし、
「そんなに滑舌悪い?」
これに思わず関根さん、
「いや、滑舌良く、堂々と、宇津井ィ〜健ですゥ〜!」
…関根さんは(ご本人も日ごろから曰く)若干、声がこもるので、宇津井さんにはそう聞こえたのだろうが、もちろん、お腹のそこから声量ハッキリに決まっている。
「年取ると、段々滑舌悪くなるからなるべく口の中で舌をハッキリ動かして喋るようにするんだよ。だから、『ダブルでお願いしますゥ〜!』」
と、自分の物真似の物真似で返した、宇津井さん(爆笑)。これには、まさに一本とられたコサキンのお二人。
小堺さんのムチャ振りに関して関根さんは、
「こうやって小堺くんがいつも色んなネタを振ってくるんですよ。でも振られたネタに『えっ?何?』って聴いたらダメだって、昔からよく萩本欽一さんに教わったんですよ」
…というのは、お笑い界では今や有名な慣わしである、「欽ちゃんの教え」…『訊いたらお仕舞い!』。
宇津井さんに“一本とられた”、物真似の物真似についても、
「そういえばさ、(俳優の)今泉成さんも、段々、『物真似やっている人の、物真似』に本人が似てきちゃったよね」
と関根さん。なるほど、さすが関根さんだ。今度は自身の「宇津井さんネタ」に続いて小堺さん得意の「今泉さんネタ」に話題を振って、徐々に「コサキン」ワールドへ繋げてくれるのかとテレビの前で期待していたら、ここで、予想だにしない光景が繰り広げられたのである!
「今泉さんも最近みんなよく物真似するけど、僕も最近さ…」
といきなり、宇津井さんが割り込んでくるではないか。
コサキンのお二人はもちろん、テレビの前の当方も思わず、前のめりに、えっ?
「僕も最近さ、『リーブ21の社長』の物真似が出来るようになったんだ…」
ええ、何、そのチョイス!?(爆笑)
「『当社で開発の育毛は…』」
などと宇津井さん、社長の立て続けに物真似を演じ始めたのではないか!。あまりに突飛なレパートリーに腹がよじれるかと思うほど笑ってしまった!テレビでこんなに笑ったのは、今年一番ではないか!?。関根さんは「腹痛ぇ〜」と言ったかどうか。小堺さんなどはラジオのときのように椅子から転げまわっていた!。
「よく(リーブ21の)CMを見るんだよねぇ、どういう、発声なんだろうと思ってさ」
発声研究の割には嬉々として社長の物真似を演じ続ける、宇津井さん。
「なるほどそうか!、僕らは物真似だけ終わっちゃうけど、宇津井さんの場合は、発声や役柄の研究になるんだ!」と感心する小堺さん。すると関根さんが、
「じゃあ宇津井さん、例えばドラマの監督なんかに『宇津井さん、もう少し滑舌の悪い喋り方でお願いします』って頼まれた場合なんかは…?」
「(社長の物真似で)ハイ、ワカリマシタ!」(爆)
「コサキン」リスナーなら誰しも、良い意味で思わず絶叫したであろう…「酷っでぇ〜!」(笑)79歳にしてまさかの、「コメディアン道場」破りである。
それにしても、いずれ誰かが着手するであろうと思っていた「リーブ21」社長の物真似。まさかその第一号的存在が宇津井健さんになろうとは…。今はもちろん流れていないが一時何故、島田紳助さんがあれほどまで熱弁を振るっていたのか何となく謎の漂う同社のCMであったが、宇津井さんの物真似は、その紳助さんの突如引退を上回る、ある種の衝撃である。チョイスにギャップ、それにクオリティのこれが高さも抜群で、早くも今年屈指の名場面であった。
関係ないけど、この物真似シーン…清水ミチコさんはご覧になってないのかなぁ…?と、何故か気になった。
続いて10時から放送された「ヒューマンドキュメンタリー・永六輔 戦いの夏」(NHK/2011年9月30日放送)の再放送。ひところの病に打ち克ち、再びの怪気炎ぶりに圧倒。そんな永六輔氏が来週「ボクらの時代」に登場。楽しみ。
まさしく、「コサキンDEワァオ!」(TBSラジオ)に宇津井さんをゲストで迎えた格好にも似た組み合わせであるが、考えてみれば今回は3人とも番組ではいわばゲスト。どのようなトークテーマでお互いを際立たせつつ探りつつ、その人柄を引き出すのか。これは一応の構成を考えるところのスタッフの知恵ではあるが、収録が始まってしまえば3人3様の出たとこ勝負。コサキンのご両人はトークの名手である。宇津井さんを際立たせるのならラジオの「コサキン」、ゲストコーナーと同じになってしまう。小堺さんは関根さんの、関根さんは小堺さんの、時には宇津井さんがコサキンのそれぞれを引き出し役に回ることにもなろう。一方で、「コサキン」コンビが揃ったからにはお馴染みの無茶ぶり合戦、見せ場もファンは期待してしまう。とにかく、今回は何かと枷(かせ)の多い、「ボクらの〜」…いつも以上に見ものなのだ。
3人での顔合わせとなれば久々となる宇津井さん、
「いやぁ、(コサキンの)お二人に会うと清々しい気持ちになるというか、まるで墓参りした後のようですよ〜」
…開口一番よりピンと背筋を伸ばし胸筋張りつめ、まるでゴクラクチョウの求愛のポーズにも似た御年79歳には見えぬ永遠のザ・ガードマン、宇津井節、紳士ぶりである。それにしても「墓参り」とは恐れ入った(笑)。さすがに恐縮したか小堺さんも「(僕ら後輩までそこまで気を使っていただいて)ストレスたまらないですか?」と尋ねると」
「俳優がベテランになって偉そうぶるのがいやなんですよ。僕もね、仕事場に嫌な奴が二人いましたよ。でも、二人とも死んでしまいましたけどね。アハハ…!」
これぞ人生の深みと含蓄、そして、現実である(笑)。
続いて、関根さんは宇津井さんの物真似のレパートリーとなったキッカケの出会いを語り、直後にはドラマ「赤い激突」(TBS)で共演となる。片や主役。片や若手のゲストコメディアン。雲泥の格差であった「ラビット関根」時代、撮影現場に絶対遅れてはいけないと1時間半前に到着したら、向こうから大きくを手をふり、
「いやぁ〜、どうも〜!関根く〜ん!」
…主役の宇津井さんはさらにいち早く現場に到着していたという(確か、近所の喫茶店で悠々とコーヒーを飲みながら待機していた…はず、というこれらの一連のエピソードは関根さんがラジオで何度もラジオなど語っていた)。
そんな宇津井さんの姿に感銘を受けた若き日の関根さんは常に「テレビの関根勤」であろうと心に決めたが、さすがにある日、早朝の出かけ際、不意に「(ジャイアント)馬場〜!」と声掛けられたときは、眠気眼もあってか思わずその声を無視してしまい、
「あのときのファンを、一人無くしてしまいました…」と反省の日々にあったという。
一方の宇津井さんも、映画からテレビの世界へ活躍の場を移し、ドラマ「ザ・ガードマン」(TBS/1965〜1971年)で人気となったころ、銀座でスポンサー関係者と歓待の帰り道、女性連れで歩いているところをファンから思わぬ揶揄を受けてしまい、「あ、テレビのお客さん(ファン)は自分を『ガードマン』として見ている限りは、日ごろもそう生きなければならない」と節制を心がけたのだという。
…確かに、銀幕世代の役者さんではあるが、所属した「新東宝」→「大映」がことごとく時代の斜陽の憂き目に翻弄されたなかで、テレビにその場を以降されてきた、いわば第一世代の役者さんでもある。この時のファンの揶揄があって、時代時代にドラマでの当たり役、長らくの第一線へと連なるのだ。
小堺さん、関根さん、そして宇津井さん共、世代は違えど常に第一線の裏には奥さんを初め家族の言動があった。
例えば小堺さんでいえば、中学から高校時代、実は絵描きに憧れて美術系の高校受験を試みながらも、思わぬ「色弱」が発覚し、なくなくそれらを諦めなくてはならなかったという。一瞬塞ぎこんだ小堺さんにそっと言葉を投げかけたのは、寿司職人であった父君の
「色弱で良かったじゃねえか。(普通の人とは)違う色が見られるんだろ?」
…この一言で、小堺さんの未来は開けたのだという。色弱も一種の個性なのだと。けれども後に、父君によれば、「実はその一言は、オレにとっては賭けだったんだよ。ひょっとしてお前がそのままグレちゃうんじゃないかって…」。
江戸っ子父ちゃん・元祖小堺くんのおすましでSHOWは、結果的には大オーライであったのだ。
一方、愛妻家としても有名な関根さん。37年来の内助の功を出会った当時、一気に受けていたら今頃は世界進出は無理でもアジア進出ぐらいは出来ていただろう、と妄想する(笑)。けれども、じわりじわりの37年で良かったのだと。なぜなら、アジア進出出来たら出来たで、今頃は相当なプレッシャーで潰れてしまっているに違いない…と(笑)。何しろ、デビュー当時は同世代のライバルがまったく少なく、もし今のようなお笑いブームのなかに若手として放り出されたら絶対「出てこられない」…。
これに宇津井さんも、自身の時代とは違って、確かに若手芸人も俳優さんも、いわゆるハードが完璧な状況のもとに育っている分うらやましい、としながらも、だからこそ目先にこだわりすぎではないのか、とも。つまりは自らは役者人生を、壮大なマラソンに例えていたのに、今は短距離走に思えて仕方が無いと。それは役者の問題というよりも、自身が映画会社の専属として一応大事に育てられてきた時代とは違って、今はプロダクションが「こいつがダメなら、次はこいつだ」と、使い捨て状態にあるのではないか…そういう意味では可哀想だ、と。
そんな宇津井さんも、一時は役者よりも、「歌手はいいなぁ、一曲当てれば、その曲だけ覚えればいいんだもんね。その点我々は、この台詞を覚えたと思ったらもう次の(週の)台詞…たまんないよ〜!」(笑)
そんなこんなの繰り返しで50年以上の一線級…驚異的である。が、その出処進退も肝に銘じており、一応、ご子息などが、もう「無理だ」と肩を叩かれたときには…と、心に決めているという。
「定年のない役者は舞台で死ねれば本望なんて、よく言いますが、あんなの、ほかの役者さんが迷惑ですよ、ねぇ!」とも、宇津井さん…アハハ、妙にドライである(笑)。それだけ気持ちも若いのだろう。まだまだまだまだ現役バリバリなのだ。それが証拠にいつも滑舌や、他人の行動ウォッチング、その研究に余念がない。
話は前後するが、
関根さんが宇津井健さんの物真似に挑戦したのは、「徹子の部屋」(テレビ朝日/1977年〜)放送開始当初、トークの後に『フラッシュクイズ』というコーナーの司会を担当されていて、冒頭ではトークゲストの物真似を披露するのが恒例となっていた。そこへ宇津井さんがゲストへやって来たときに、「いやぁ〜、宇津井健ですぅ〜」とやったのが最初。その後はコーナーは自然消滅してしまうも、物真似はご本人の気に入られることとなり、「赤い激突」への共演へと繋がるのだが、一方でデビュー当時の勢いがやや失速してしまった関根さんは、数年後、温存していたこのネタを、ラジオ「コサキン」で、宇津井さん主演のドラマ「玄さん」(日本テレビ)のワンシーン再現という形で披露。これがリスナーの間で密かなブームとして開花し、ついでに宇津井さんが過去に演じた映画「スーパージャイアント」シリーズ(新東宝)、そのレオタード状のコスチュームから放たれる、それはそれは大層ご立派な宇津井さんのジャイアントぶり(!!)が番組のなかでも話題となった。やがて番組には何とご本人をお招きすることになり、互いの距離感を計りつつも、「お墓参り後の清々しさ」とさえ言わしめるほどの親交ぶりは上記の通り。
個人的には、めまぐるしく世代交替してしまったテレビドラマ界において、すでに「百恵ちゃんのお父さん役」も随分昔の話。もはや一昔前の二枚目という印象が強かった、宇津井健さんが、再びドラマ界にカムバックされたキッカケはラジオの「コサキン」出演から、というイメージがある。若い世代にある種の殻を破ったフランクで新たなイメージと、なおかつ以前にも増して頼もしい存在感が、後の「ごくせん」(日本テレビ)などのドラマなど立て続けに、また、バラエティ番組にも幅広く出演され始めることになった、と思う。
そんな宇津井さんが、もし、「お腹が空いてハンバーガーショップへ行ったらどうなるの?」、と、ここで出た、コサキンワールド、小堺さんのムチャ振り!。これに即座に応える長年の相棒、関根さん…ご本人を前にして、「(店員に)すみませ〜ん、ダブル(バーガー)でお願いしますぅ〜〜!」
宇津井さんも懐ジャイアントで大笑いである。が、しかし、
「そんなに滑舌悪い?」
これに思わず関根さん、
「いや、滑舌良く、堂々と、宇津井ィ〜健ですゥ〜!」
…関根さんは(ご本人も日ごろから曰く)若干、声がこもるので、宇津井さんにはそう聞こえたのだろうが、もちろん、お腹のそこから声量ハッキリに決まっている。
「年取ると、段々滑舌悪くなるからなるべく口の中で舌をハッキリ動かして喋るようにするんだよ。だから、『ダブルでお願いしますゥ〜!』」
と、自分の物真似の物真似で返した、宇津井さん(爆笑)。これには、まさに一本とられたコサキンのお二人。
小堺さんのムチャ振りに関して関根さんは、
「こうやって小堺くんがいつも色んなネタを振ってくるんですよ。でも振られたネタに『えっ?何?』って聴いたらダメだって、昔からよく萩本欽一さんに教わったんですよ」
…というのは、お笑い界では今や有名な慣わしである、「欽ちゃんの教え」…『訊いたらお仕舞い!』。
宇津井さんに“一本とられた”、物真似の物真似についても、
「そういえばさ、(俳優の)今泉成さんも、段々、『物真似やっている人の、物真似』に本人が似てきちゃったよね」
と関根さん。なるほど、さすが関根さんだ。今度は自身の「宇津井さんネタ」に続いて小堺さん得意の「今泉さんネタ」に話題を振って、徐々に「コサキン」ワールドへ繋げてくれるのかとテレビの前で期待していたら、ここで、予想だにしない光景が繰り広げられたのである!
「今泉さんも最近みんなよく物真似するけど、僕も最近さ…」
といきなり、宇津井さんが割り込んでくるではないか。
コサキンのお二人はもちろん、テレビの前の当方も思わず、前のめりに、えっ?
「僕も最近さ、『リーブ21の社長』の物真似が出来るようになったんだ…」
ええ、何、そのチョイス!?(爆笑)
「『当社で開発の育毛は…』」
などと宇津井さん、社長の立て続けに物真似を演じ始めたのではないか!。あまりに突飛なレパートリーに腹がよじれるかと思うほど笑ってしまった!テレビでこんなに笑ったのは、今年一番ではないか!?。関根さんは「腹痛ぇ〜」と言ったかどうか。小堺さんなどはラジオのときのように椅子から転げまわっていた!。
「よく(リーブ21の)CMを見るんだよねぇ、どういう、発声なんだろうと思ってさ」
発声研究の割には嬉々として社長の物真似を演じ続ける、宇津井さん。
「なるほどそうか!、僕らは物真似だけ終わっちゃうけど、宇津井さんの場合は、発声や役柄の研究になるんだ!」と感心する小堺さん。すると関根さんが、
「じゃあ宇津井さん、例えばドラマの監督なんかに『宇津井さん、もう少し滑舌の悪い喋り方でお願いします』って頼まれた場合なんかは…?」
「(社長の物真似で)ハイ、ワカリマシタ!」(爆)
「コサキン」リスナーなら誰しも、良い意味で思わず絶叫したであろう…「酷っでぇ〜!」(笑)79歳にしてまさかの、「コメディアン道場」破りである。
それにしても、いずれ誰かが着手するであろうと思っていた「リーブ21」社長の物真似。まさかその第一号的存在が宇津井健さんになろうとは…。今はもちろん流れていないが一時何故、島田紳助さんがあれほどまで熱弁を振るっていたのか何となく謎の漂う同社のCMであったが、宇津井さんの物真似は、その紳助さんの突如引退を上回る、ある種の衝撃である。チョイスにギャップ、それにクオリティのこれが高さも抜群で、早くも今年屈指の名場面であった。
関係ないけど、この物真似シーン…清水ミチコさんはご覧になってないのかなぁ…?と、何故か気になった。
続いて10時から放送された「ヒューマンドキュメンタリー・永六輔 戦いの夏」(NHK/2011年9月30日放送)の再放送。ひところの病に打ち克ち、再びの怪気炎ぶりに圧倒。そんな永六輔氏が来週「ボクらの時代」に登場。楽しみ。
戦後の民間放送開局を受けて、ラジオ・テレビにと活躍の場を広げていった桂米朝師匠。いわば落語家タレントの先駆けとして放送演芸を牽引されます。また、意外なことに自身がお気に入りのテレビ番組に、何とアニメの「名探偵コナン」(読売テレビ)であったことが、孫弟子の桂吉弥師より明かされます。放送30分の間で難事件をいかにして解決させるかを見所としていた米朝師。ところたまの感想には、「(30分で解決するには)無理があったなぁ…。けれども、そんな日(回)もあるわいな」(笑)
「コナンを見てはる米朝師匠を見てしまいますねぇ(笑)」の千原ジュニアさんの口火から、落語家とテレビ、テレビにおける笑いについての考察、さらには本名「中川清」として一家の長であり、また「米朝一門」という芸の大家族の長としての米朝師匠、その素顔。吉弥師との対談ではいよいよ佳境に入ります。
千原 今、どうなんですか?
落語家さんはテレビ(界)をどういう感じで
見てはるんですか?
吉弥 テレビを…。
千原 「テレビなんて出んてエエねん」
ということなのか、
「もっとテレビはガンガン出て行かなアカン」
っていうことなのか。
吉弥 僕はもっとガンガン出て行かなアカンと
思てますね。
短い(コメントなど)で勝負するとか、
面白いことを言う…ま、トレーニングって言うたら
おかしいけど、それはテレビがやっぱり
勉強になるんかなと思いますね。
千原 そうですよね。
いや、でも、最後こうやって
帰る場所があるって言うか、
布団があるって言うのは凄いですよね。
いい。羨ましいっすよね。
芸ですよね。芸があるっちゅうのは。
何にも無いですもんね、我々は。
芸があるっちゅうのは凄い羨ましいし、
もちろん(鍛錬は)しんどいことでしょうけど。
吉弥 その、例えば、テレビのレギュラー番組が
あるじゃないですか。
千原 はい。
吉弥 ま、いわゆる、ここはホームグラウンドやなとか、
帰るとこはここやなっていう気には
ならないんですか?
千原 あの、ホームグラウンドっていうのは、
それはありますけど、
所詮我々は、「賃貸」ですから。
賃貸のマンションに帰って来た
っていう感じですよね。
吉弥 あ、家賃払てるけど…
千原 いつ払われへんようになるか分からん、みたいな。
でも落語っていうものは、これはもう、
「分譲」ですから!
「一軒家」ですから、無くなることは
ないじゃないですか。
…みたいな感覚じゃないですか?
吉弥 はいはい…。
千原 こっちはスグ終わりますから!(笑)
VTR…「僕の父親」というよりも「一門みんなのお父さん」であった、とは実子の桂米團治師。そして、「人が見たら笑われるようなところが魅力で、人間ではなく、まるで幽霊のよう」と笑って見せた絹子夫人…お二人。「難儀やな」とつぶやくそばで、「やっぱり、芸に惚れたんですか」と米團治師が問いに「それしかないわ。(米朝師から落語を取ったらあとは)何にもない…」。
千原 カッコいいですねぇ!
…普段はどうなんですか?
やっぱり厳しいんですか、米朝師匠は?
吉弥 ええっと…一番よく言われたんは、
「落語って、全部をお客さんに見てもらう芸やから
“嫌な人間”にだけはなるな」
ってずっと言われてました。
千原 ああ。
吉弥 「落語は下手でもエエさかいに、とりあえずは…」
千原 へぇ…。
…出るんでしょうね、それ(人間性)が。
吉弥 出るんでしょうね。
千原 「人間じゃない」って奥さんに言わせる男の
格好良さ。
…カッコイイですねぇ。
戦後、米朝師と同じく「上方落語四天王」の一角として牽引し続けてきた盟友・桂春團治師は若き当時を「あの人は(仲間内で)若年寄と呼ばれていました」と振り返ります。桂米朝=古典落語の研究家としての側面です。また、「代書屋」(米朝師の師匠、『四代目桂米團治』・作)、「親子茶屋」、「皿屋敷」といった演目はすべて、米朝師から譲り受けたものばかりで、いずれも今やというか、長年に渡っての「三代目桂春團治珠玉の十八番」。人間国宝であり文化勲章受賞への最大のエールを寄せる一方で、「オンナは譲ってもろてまへん」(笑)。「僕のことやったら仰山おますけど」と色男・春團治師、爆笑の面目躍如(?)で締めくくっておられます。
長年に渡っての上方はもちろん、日本の落語・演芸界に米朝師が残した功績。最後に吉弥師より、「いつも聞かれてことですが…米朝師匠にとっての『落語』とは」の問いかけに、じっと言葉を選びながら米朝師匠、
「それは答えようがないわ」。
実に重い一言です。
「落語家になって大変やったというよりも、良かったことのほうが圧倒的に多かった」としみじみ振り返る米朝師。今回の番組、「桂米朝 笑いの世界」を、誠に勝手ながら、吉弥師とジュニアさんの対談を中心にお届けしましたが、お二人の縦横に駆け巡った話題は時に「桂米朝 の 笑いの世界」であったり、また「桂米朝 と 笑いの世界」であったりと、当の米朝師が答えようのないまさに大スケールなその世界を、まさに宇宙旅行したような趣であったと思います。孫弟子である吉弥師と、そして独自の笑いを構築しながら、自身が落語ファンでもあるジュニアさん。このような異色の顔合わせが実現できたのは、まさしく「桂米朝という大宇宙」があればこそ。
対談に関してはまだまださまざまな感想を抱くところで、それはまたいずれとしても、一言で今回の感想を述べるならば、こういう顔合わせによる対談は第二弾、第三弾として是非に切望するのと同時に、落語ファンとして、米朝落語に触れることが出来たのはもちろん、リアルタイムで同じ時代を生きる事が出来たという、計り知れない幸福を改めて再確認せずにはいられなかった…やはり、これに尽きます。また、落語を見たことも聴いたこともないという、お笑いファンがいるとすれば、その恩恵は「桂米朝」なくして…ということも特筆しておきましょう。
この番組の数日前に放送され、すでに録画したビデオを再生しても見た「平成紅梅亭・桂米朝文化勲章受章記念落語会」(読売テレビ/2010年3月17日放送)。紹介された同番組における米朝師、過去の名演のVTR…十八番の『算段の平兵衛』(1995年9月15日放送…当時69歳)、『はてなの茶碗』(2002年5月8日放送…当時75歳)、そして『らくだ』(2000年3月11日放送…当時73歳)の三席…もう一度再生にて、堪能したいと思います。(了)
「コナンを見てはる米朝師匠を見てしまいますねぇ(笑)」の千原ジュニアさんの口火から、落語家とテレビ、テレビにおける笑いについての考察、さらには本名「中川清」として一家の長であり、また「米朝一門」という芸の大家族の長としての米朝師匠、その素顔。吉弥師との対談ではいよいよ佳境に入ります。
千原 今、どうなんですか?
落語家さんはテレビ(界)をどういう感じで
見てはるんですか?
吉弥 テレビを…。
千原 「テレビなんて出んてエエねん」
ということなのか、
「もっとテレビはガンガン出て行かなアカン」
っていうことなのか。
吉弥 僕はもっとガンガン出て行かなアカンと
思てますね。
短い(コメントなど)で勝負するとか、
面白いことを言う…ま、トレーニングって言うたら
おかしいけど、それはテレビがやっぱり
勉強になるんかなと思いますね。
千原 そうですよね。
いや、でも、最後こうやって
帰る場所があるって言うか、
布団があるって言うのは凄いですよね。
いい。羨ましいっすよね。
芸ですよね。芸があるっちゅうのは。
何にも無いですもんね、我々は。
芸があるっちゅうのは凄い羨ましいし、
もちろん(鍛錬は)しんどいことでしょうけど。
吉弥 その、例えば、テレビのレギュラー番組が
あるじゃないですか。
千原 はい。
吉弥 ま、いわゆる、ここはホームグラウンドやなとか、
帰るとこはここやなっていう気には
ならないんですか?
千原 あの、ホームグラウンドっていうのは、
それはありますけど、
所詮我々は、「賃貸」ですから。
賃貸のマンションに帰って来た
っていう感じですよね。
吉弥 あ、家賃払てるけど…
千原 いつ払われへんようになるか分からん、みたいな。
でも落語っていうものは、これはもう、
「分譲」ですから!
「一軒家」ですから、無くなることは
ないじゃないですか。
…みたいな感覚じゃないですか?
吉弥 はいはい…。
千原 こっちはスグ終わりますから!(笑)
VTR…「僕の父親」というよりも「一門みんなのお父さん」であった、とは実子の桂米團治師。そして、「人が見たら笑われるようなところが魅力で、人間ではなく、まるで幽霊のよう」と笑って見せた絹子夫人…お二人。「難儀やな」とつぶやくそばで、「やっぱり、芸に惚れたんですか」と米團治師が問いに「それしかないわ。(米朝師から落語を取ったらあとは)何にもない…」。
千原 カッコいいですねぇ!
…普段はどうなんですか?
やっぱり厳しいんですか、米朝師匠は?
吉弥 ええっと…一番よく言われたんは、
「落語って、全部をお客さんに見てもらう芸やから
“嫌な人間”にだけはなるな」
ってずっと言われてました。
千原 ああ。
吉弥 「落語は下手でもエエさかいに、とりあえずは…」
千原 へぇ…。
…出るんでしょうね、それ(人間性)が。
吉弥 出るんでしょうね。
千原 「人間じゃない」って奥さんに言わせる男の
格好良さ。
…カッコイイですねぇ。
戦後、米朝師と同じく「上方落語四天王」の一角として牽引し続けてきた盟友・桂春團治師は若き当時を「あの人は(仲間内で)若年寄と呼ばれていました」と振り返ります。桂米朝=古典落語の研究家としての側面です。また、「代書屋」(米朝師の師匠、『四代目桂米團治』・作)、「親子茶屋」、「皿屋敷」といった演目はすべて、米朝師から譲り受けたものばかりで、いずれも今やというか、長年に渡っての「三代目桂春團治珠玉の十八番」。人間国宝であり文化勲章受賞への最大のエールを寄せる一方で、「オンナは譲ってもろてまへん」(笑)。「僕のことやったら仰山おますけど」と色男・春團治師、爆笑の面目躍如(?)で締めくくっておられます。
長年に渡っての上方はもちろん、日本の落語・演芸界に米朝師が残した功績。最後に吉弥師より、「いつも聞かれてことですが…米朝師匠にとっての『落語』とは」の問いかけに、じっと言葉を選びながら米朝師匠、
「それは答えようがないわ」。
実に重い一言です。
「落語家になって大変やったというよりも、良かったことのほうが圧倒的に多かった」としみじみ振り返る米朝師。今回の番組、「桂米朝 笑いの世界」を、誠に勝手ながら、吉弥師とジュニアさんの対談を中心にお届けしましたが、お二人の縦横に駆け巡った話題は時に「桂米朝 の 笑いの世界」であったり、また「桂米朝 と 笑いの世界」であったりと、当の米朝師が答えようのないまさに大スケールなその世界を、まさに宇宙旅行したような趣であったと思います。孫弟子である吉弥師と、そして独自の笑いを構築しながら、自身が落語ファンでもあるジュニアさん。このような異色の顔合わせが実現できたのは、まさしく「桂米朝という大宇宙」があればこそ。
対談に関してはまだまださまざまな感想を抱くところで、それはまたいずれとしても、一言で今回の感想を述べるならば、こういう顔合わせによる対談は第二弾、第三弾として是非に切望するのと同時に、落語ファンとして、米朝落語に触れることが出来たのはもちろん、リアルタイムで同じ時代を生きる事が出来たという、計り知れない幸福を改めて再確認せずにはいられなかった…やはり、これに尽きます。また、落語を見たことも聴いたこともないという、お笑いファンがいるとすれば、その恩恵は「桂米朝」なくして…ということも特筆しておきましょう。
この番組の数日前に放送され、すでに録画したビデオを再生しても見た「平成紅梅亭・桂米朝文化勲章受章記念落語会」(読売テレビ/2010年3月17日放送)。紹介された同番組における米朝師、過去の名演のVTR…十八番の『算段の平兵衛』(1995年9月15日放送…当時69歳)、『はてなの茶碗』(2002年5月8日放送…当時75歳)、そして『らくだ』(2000年3月11日放送…当時73歳)の三席…もう一度再生にて、堪能したいと思います。(了)
「落語は催眠術である」
若き日の桂米朝師が出演していた千日劇場や歌舞地下劇場といった寄席・演芸場では当時人気の音曲漫才を中心にいわゆる雑多な演芸がプログラムに並ぶ中で、古典落語をじっくり聴かせるべくの、ひとつの限界を感じていたといいます。そんななかで見出したのは、後にこう称されることとなる、いわゆる「ホール落語」。観客の層も含め寄席とは雰囲気の異なる、いわゆる1000人規模の大ホールにおいて、じっくり聴かせる古典落語の奥深い世界観。周囲の芸人仲間は、「ホールで落語など、客席から顔は見えないわ、雰囲気が伝わりにくいわ、こんな状況で落語など無理」などと揶揄されるも、米朝師の信念にあったのは「落語は話芸である」。姿形は伝わらなくとも、ホール独特の照明や音響設備を駆使しながら自らを演出するのと同時に、旧来の古典落語に並行し、当時幻の演目とも称された「地獄八景亡者戯」の大復活へ着手にもありました。上演にして1時間以上の超大作を、しかもホールの大観衆すべてに飽きさせることのない一級のエンターテイメント作品へと盛り上げるべく、米朝師が取った手段は、その時代の世相を加えた斬新さが満ち溢れる、ギャグの数々…。
番組内のインタビューVTR。聞き手の桂吉弥師は、一般ファンの意見を代表して「古典をキッチリなさるイメージのあった米朝師匠が、なぜそこまでギャグ作りに心労されたのか」といった旨の質問に、米朝師匠はポツリと…
「そら、商売やさかいな」。
「落語は古典をまったく変えてもかまへんけれども、下手な改作や名を汚すような事は許されない」とした信念を抱きながらも、その一方で「落語は催眠術である」。自身が切り開いた独演会形式のホール落語における、話術としての落語の世界観を大きくアピールするためには、落語家としての品位を備えながらも、どこかで割り切った感覚は大いに必要であったのでしょう。伝統芸能でありながら、大衆芸能である…。芸人であり作家でもあり演出家でもあり研究家でもあり、また商売人でもあった、そのバランス感覚を絶賛するところから千原ジュニアさんと桂吉弥師の対談は続きます。
千原 でも、あの「地獄八景〜」の長い噺に
ああやって(ギャグを)入れて行きはるのも
やっぱり、バランス感覚ですよね。
吉弥 そうですよね。
千原 う〜ん。
吉弥 で、僕も「地獄〜」演りますから、陥るのは、
(ギャグを)入れるから、ウケるから言うて
入れ過ぎると、元の木の幹がグラグラってなって
スポンと抜けて、根っ子から倒れるんですよね。
そこの入れ具合とか抜き具合が…
千原 バランスやね。
何かちょっと(の事)なんですよね。
美味しい冷奴に最近流行りのトリュフ汁を
ちょっとかけて食べる、みたいな(笑)
吉弥 ふふふ…(笑)。
かけ過ぎると豆腐の味も何もしない。
だから、「笑いは催眠術」って如何にその、
催眠術にかけるかっていう、テクニックですよね。
千原 でも、いっぺんにやる分で、たくさんの人(観客)を
催眠術にかけられるのは落語じゃないですか?
吉弥 ああ…なるほど。
千原 コント(の催眠術許容量)は
(観客が)五百人ぐらいですね。
吉弥 ああ、そうですか?
千原 はい。一つのネタで全部をこう…
もし「催眠術」という言葉を借りるなら、
かけれるのは。
吉弥 それはやっぱり、話芸っていうことですかね。
千原 落語はやっぱりそうじゃないですか?
落語・漫才はそうやと思いますね。
コントはやっぱりだいぶキャパが
限られてくると思いますね。
吉弥 例えば「催眠術」で言うと、
「ツカミ」って言葉があるじゃないですか。
千原 はい。
吉弥 例えばコントの場合だと、コントのなかで
考えるわけですか?
千原 「ツカミ」って言うのは、
コントの設定で掴んでしまう場合もありますし。
吉弥 ああ、なるほど。
千原 例えば僕が作った事で言うと、
鹿が、少年の腹を角で刺してるんですよ。
その鹿の上に、鉄骨が落ちてるんですよ。
…っていう映像を見せたら、お客さんはやっぱり
「どうなってこう(いう状況に)なって行ってん?」
(という思いを抱かせるだけで)もう掴めてるんですよね。
吉弥 はいはい…。
千原 どういう経緯でそうなっていったかを
話していく、みたいなコントがあったりとか。
あと、「コレ、何やってんねん?全然笑い無いやん」
と思わせながら、引っ張って引っ張って、
「あ、そういうことか!」みたいなパターンも
あると思いますし。
吉弥 はぁ…。
千原 コレ…今僕思たんですけど、
(今日の番組は)数々の凄い落語家さんが
見てはるでしょうね、多分ね…。
吉弥 アハハ…!(笑)
千原 コレ、だいぶヤバイな、コレ…。
ヤバイなちょっと…。
「アイツ誰やねん!」
て事になってるでしょうね(笑)
つづく。
若き日の桂米朝師が出演していた千日劇場や歌舞地下劇場といった寄席・演芸場では当時人気の音曲漫才を中心にいわゆる雑多な演芸がプログラムに並ぶ中で、古典落語をじっくり聴かせるべくの、ひとつの限界を感じていたといいます。そんななかで見出したのは、後にこう称されることとなる、いわゆる「ホール落語」。観客の層も含め寄席とは雰囲気の異なる、いわゆる1000人規模の大ホールにおいて、じっくり聴かせる古典落語の奥深い世界観。周囲の芸人仲間は、「ホールで落語など、客席から顔は見えないわ、雰囲気が伝わりにくいわ、こんな状況で落語など無理」などと揶揄されるも、米朝師の信念にあったのは「落語は話芸である」。姿形は伝わらなくとも、ホール独特の照明や音響設備を駆使しながら自らを演出するのと同時に、旧来の古典落語に並行し、当時幻の演目とも称された「地獄八景亡者戯」の大復活へ着手にもありました。上演にして1時間以上の超大作を、しかもホールの大観衆すべてに飽きさせることのない一級のエンターテイメント作品へと盛り上げるべく、米朝師が取った手段は、その時代の世相を加えた斬新さが満ち溢れる、ギャグの数々…。
番組内のインタビューVTR。聞き手の桂吉弥師は、一般ファンの意見を代表して「古典をキッチリなさるイメージのあった米朝師匠が、なぜそこまでギャグ作りに心労されたのか」といった旨の質問に、米朝師匠はポツリと…
「そら、商売やさかいな」。
「落語は古典をまったく変えてもかまへんけれども、下手な改作や名を汚すような事は許されない」とした信念を抱きながらも、その一方で「落語は催眠術である」。自身が切り開いた独演会形式のホール落語における、話術としての落語の世界観を大きくアピールするためには、落語家としての品位を備えながらも、どこかで割り切った感覚は大いに必要であったのでしょう。伝統芸能でありながら、大衆芸能である…。芸人であり作家でもあり演出家でもあり研究家でもあり、また商売人でもあった、そのバランス感覚を絶賛するところから千原ジュニアさんと桂吉弥師の対談は続きます。
千原 でも、あの「地獄八景〜」の長い噺に
ああやって(ギャグを)入れて行きはるのも
やっぱり、バランス感覚ですよね。
吉弥 そうですよね。
千原 う〜ん。
吉弥 で、僕も「地獄〜」演りますから、陥るのは、
(ギャグを)入れるから、ウケるから言うて
入れ過ぎると、元の木の幹がグラグラってなって
スポンと抜けて、根っ子から倒れるんですよね。
そこの入れ具合とか抜き具合が…
千原 バランスやね。
何かちょっと(の事)なんですよね。
美味しい冷奴に最近流行りのトリュフ汁を
ちょっとかけて食べる、みたいな(笑)
吉弥 ふふふ…(笑)。
かけ過ぎると豆腐の味も何もしない。
だから、「笑いは催眠術」って如何にその、
催眠術にかけるかっていう、テクニックですよね。
千原 でも、いっぺんにやる分で、たくさんの人(観客)を
催眠術にかけられるのは落語じゃないですか?
吉弥 ああ…なるほど。
千原 コント(の催眠術許容量)は
(観客が)五百人ぐらいですね。
吉弥 ああ、そうですか?
千原 はい。一つのネタで全部をこう…
もし「催眠術」という言葉を借りるなら、
かけれるのは。
吉弥 それはやっぱり、話芸っていうことですかね。
千原 落語はやっぱりそうじゃないですか?
落語・漫才はそうやと思いますね。
コントはやっぱりだいぶキャパが
限られてくると思いますね。
吉弥 例えば「催眠術」で言うと、
「ツカミ」って言葉があるじゃないですか。
千原 はい。
吉弥 例えばコントの場合だと、コントのなかで
考えるわけですか?
千原 「ツカミ」って言うのは、
コントの設定で掴んでしまう場合もありますし。
吉弥 ああ、なるほど。
千原 例えば僕が作った事で言うと、
鹿が、少年の腹を角で刺してるんですよ。
その鹿の上に、鉄骨が落ちてるんですよ。
…っていう映像を見せたら、お客さんはやっぱり
「どうなってこう(いう状況に)なって行ってん?」
(という思いを抱かせるだけで)もう掴めてるんですよね。
吉弥 はいはい…。
千原 どういう経緯でそうなっていったかを
話していく、みたいなコントがあったりとか。
あと、「コレ、何やってんねん?全然笑い無いやん」
と思わせながら、引っ張って引っ張って、
「あ、そういうことか!」みたいなパターンも
あると思いますし。
吉弥 はぁ…。
千原 コレ…今僕思たんですけど、
(今日の番組は)数々の凄い落語家さんが
見てはるでしょうね、多分ね…。
吉弥 アハハ…!(笑)
千原 コレ、だいぶヤバイな、コレ…。
ヤバイなちょっと…。
「アイツ誰やねん!」
て事になってるでしょうね(笑)
つづく。
「落語は古典をまったく変えてもかまへんけれども、下手な改作や名を汚すような事は許されない」
…この強い信念を抱きながら、埋もれた、もしくは滅亡の途にあった数々の古典落語を掘り起こし、わずかに残ったオリジナルをさらに膨らまして一定のストーリーに仕上げ、さらにその作品を伝承していった…。このように、戦後の上方落語界をリードし続けた桂米朝師。あくまでも、観客の存在を大前提としながら、それでも「演者のニン(キャラクター)によって違ってくる」とも容認される米朝師。ここで、落語にとっては今後の永遠の課題であろう、古典落語とそのアレンジについて、このあと、千原ジュニアさんと桂吉弥師の対談は続きます。
千原 …そうでしょうね、でもね。
吉弥 うん。
千原 すごい立って、目ェ剥いて…。
例えば桂枝雀師匠みたいな演り方を
米朝師匠がもし、演りはっても、
そうはなれへんやろうし…ねぇ。
吉弥 はいはい。
千原 それはやっぱり枝雀師匠のニンやろうし。
桂ざこば師匠のようなニンやろうし…。
いや、でも、凄い…ことですよね。
その、何て言うんですかね…
楽譜がある。それをじゃあ演奏した方々が
たくさん、山ほど居てはって、
さらにそれをまた(後世に居る)自分も
演奏しなければいけないという、
プレッシャーというか…。
(評価の)甲乙がバシッて付くから…ねぇ!
吉弥 はい。
千原 僕ら落語を演らさせてもらうってなった時に
一番それがイヤやったんですよ。
吉弥 ああ、なるほど。
(先人と)比べられる。
千原 はい。
正解を数々の方々が出してはるものの、
そこに行くっていうのは…ねぇ!
吉弥 例えば、米朝師匠も言うてはりましたけど
古典とアレンジって言う…。
だから「古典とアレンジ」っていう
テーマで喋れとなったら、
僕は恥ずかしながら、アレンジするという
レベルにはまだ行ってないですね。
もう、その、楽譜どおりに演奏するので
いっぱいいっぱいっていう…。
千原 アレンジ、いつかはしていきたい
って言うのはあるんですか?
吉原 ありますねぇ。
千原 あるんですか。
でも、古典芸能ですもんね。
だから、そこですよね。
今、落語界で凄い突っ張った、
何て言うんでしょう…
凄い、落語に対して徹底的に
否定的というか、戦う奴が現れたら
そいつがいつか、
「俺のやって来たことは間違ってた」
と気付いた時にパーンて変わった時に
凄いことになりそうな気がしますね。
吉弥 ああ…。
千原 市川海老蔵がやっぱり、歌舞伎を
見なかったていうんですよ。
「歌舞伎なんて古い、俺は俺の
演り方でやるねん」て、ず〜っと
演ってきたらしいんですよ。
けれども、ここへ来て、
「あ、俺のやり方間違ってた。
もう一回、見直してみよう」
てなった時に、変わったような
気がするんですよね。
吉弥 はぁ…。なるほどね。
千原 はい。
そういう何かちょっと、
突っ張った二十代前半の
落語家さんが出て来たら凄い
面白そうな気がしますね。
吉弥 なるほど。
千原 その「席」空いてるような
気ィするなぁ…。
その「席」座りたいなぁ(笑)
吉弥 いや、ジュニアさんが座っても
(落語家たちは)「おぉ、エエやん!」
って言うと思うんですけどね。
千原 いやいや…とんでもない、とんでもないです。
吉弥 笑いの話で…。
『笑いのパターンは時代を超えても普遍か?』
…う〜ん。
千原 う〜ん。普遍な部分もあるでしょうね。
枝雀師匠で言うと、「緊張と緩和」というのは
絶対にそうですし。
吉弥 …何かでも、古典落語が全然の教科書やとは
全然思ってなくて、例えば、あの、
めっちゃ面白い漫才であったり、
めっちゃ楽しいコントであったり…
それをするのって、やっぱり、
似てるっていうのもおかしいですけど、
でも、そんな気がしますね、僕は。
千原 ああ、残っていく(笑い)っていう…?
どうなんでしょうねぇ…。
「肉じゃが」は百年経っても美味いじゃないですか。
「カレー」も残りますね。
吉弥 残りますね。
千原 「ナタ・デ・ココ」は
なかなか難しいじゃないですか?
吉弥 ふふふ…(笑)
千原 …みたいなとこがあるような気がしますね。
吉弥 う〜ん。
(ナタ・デ・ココは一瞬)流行りますけどね、めっちゃ。
千原 めっちゃ流行りますし、凄いですけど、
じゃあそれが五十年後、百年後の人が
食べてるというたら、なかなか…
みたいなとこが、
古典落語と漫才ていうか、その違いはあると
思うんですよねぇ。
吉弥 例えば、コントをこしらえる時に、
目指すのは「肉じゃが」になりたいんですか?
千原 そんな事は一切思てないです。
吉弥 それは思わない?
千原 はい。一切思てないですね。
その場、その時笑えるかということしか
考えてないです。
吉弥 ああ、なるほど…。
千原 このコントは五十年後もオモロイぞ
…とは演ってないです。
五十年後演ってもウケるん違うか思て
作ると、多分、作れないですね。
吉弥 ああ…。
でも、米朝は「肉じゃが」を作ろうと思て
残してきたんでしょうね。
千原 そういう事ですよね。
だから、いっぱい作らはったんですよ、
後世に残る…やれ、肉じゃがだ、
カレーだ、オムライスだ…。
吉弥 そうそう…(笑)。
千原 筑前煮だ…。
吉弥 鯖寿司とかね。
千原 ねえ!
(つづく)
…この強い信念を抱きながら、埋もれた、もしくは滅亡の途にあった数々の古典落語を掘り起こし、わずかに残ったオリジナルをさらに膨らまして一定のストーリーに仕上げ、さらにその作品を伝承していった…。このように、戦後の上方落語界をリードし続けた桂米朝師。あくまでも、観客の存在を大前提としながら、それでも「演者のニン(キャラクター)によって違ってくる」とも容認される米朝師。ここで、落語にとっては今後の永遠の課題であろう、古典落語とそのアレンジについて、このあと、千原ジュニアさんと桂吉弥師の対談は続きます。
千原 …そうでしょうね、でもね。
吉弥 うん。
千原 すごい立って、目ェ剥いて…。
例えば桂枝雀師匠みたいな演り方を
米朝師匠がもし、演りはっても、
そうはなれへんやろうし…ねぇ。
吉弥 はいはい。
千原 それはやっぱり枝雀師匠のニンやろうし。
桂ざこば師匠のようなニンやろうし…。
いや、でも、凄い…ことですよね。
その、何て言うんですかね…
楽譜がある。それをじゃあ演奏した方々が
たくさん、山ほど居てはって、
さらにそれをまた(後世に居る)自分も
演奏しなければいけないという、
プレッシャーというか…。
(評価の)甲乙がバシッて付くから…ねぇ!
吉弥 はい。
千原 僕ら落語を演らさせてもらうってなった時に
一番それがイヤやったんですよ。
吉弥 ああ、なるほど。
(先人と)比べられる。
千原 はい。
正解を数々の方々が出してはるものの、
そこに行くっていうのは…ねぇ!
吉弥 例えば、米朝師匠も言うてはりましたけど
古典とアレンジって言う…。
だから「古典とアレンジ」っていう
テーマで喋れとなったら、
僕は恥ずかしながら、アレンジするという
レベルにはまだ行ってないですね。
もう、その、楽譜どおりに演奏するので
いっぱいいっぱいっていう…。
千原 アレンジ、いつかはしていきたい
って言うのはあるんですか?
吉原 ありますねぇ。
千原 あるんですか。
でも、古典芸能ですもんね。
だから、そこですよね。
今、落語界で凄い突っ張った、
何て言うんでしょう…
凄い、落語に対して徹底的に
否定的というか、戦う奴が現れたら
そいつがいつか、
「俺のやって来たことは間違ってた」
と気付いた時にパーンて変わった時に
凄いことになりそうな気がしますね。
吉弥 ああ…。
千原 市川海老蔵がやっぱり、歌舞伎を
見なかったていうんですよ。
「歌舞伎なんて古い、俺は俺の
演り方でやるねん」て、ず〜っと
演ってきたらしいんですよ。
けれども、ここへ来て、
「あ、俺のやり方間違ってた。
もう一回、見直してみよう」
てなった時に、変わったような
気がするんですよね。
吉弥 はぁ…。なるほどね。
千原 はい。
そういう何かちょっと、
突っ張った二十代前半の
落語家さんが出て来たら凄い
面白そうな気がしますね。
吉弥 なるほど。
千原 その「席」空いてるような
気ィするなぁ…。
その「席」座りたいなぁ(笑)
吉弥 いや、ジュニアさんが座っても
(落語家たちは)「おぉ、エエやん!」
って言うと思うんですけどね。
千原 いやいや…とんでもない、とんでもないです。
吉弥 笑いの話で…。
『笑いのパターンは時代を超えても普遍か?』
…う〜ん。
千原 う〜ん。普遍な部分もあるでしょうね。
枝雀師匠で言うと、「緊張と緩和」というのは
絶対にそうですし。
吉弥 …何かでも、古典落語が全然の教科書やとは
全然思ってなくて、例えば、あの、
めっちゃ面白い漫才であったり、
めっちゃ楽しいコントであったり…
それをするのって、やっぱり、
似てるっていうのもおかしいですけど、
でも、そんな気がしますね、僕は。
千原 ああ、残っていく(笑い)っていう…?
どうなんでしょうねぇ…。
「肉じゃが」は百年経っても美味いじゃないですか。
「カレー」も残りますね。
吉弥 残りますね。
千原 「ナタ・デ・ココ」は
なかなか難しいじゃないですか?
吉弥 ふふふ…(笑)
千原 …みたいなとこがあるような気がしますね。
吉弥 う〜ん。
(ナタ・デ・ココは一瞬)流行りますけどね、めっちゃ。
千原 めっちゃ流行りますし、凄いですけど、
じゃあそれが五十年後、百年後の人が
食べてるというたら、なかなか…
みたいなとこが、
古典落語と漫才ていうか、その違いはあると
思うんですよねぇ。
吉弥 例えば、コントをこしらえる時に、
目指すのは「肉じゃが」になりたいんですか?
千原 そんな事は一切思てないです。
吉弥 それは思わない?
千原 はい。一切思てないですね。
その場、その時笑えるかということしか
考えてないです。
吉弥 ああ、なるほど…。
千原 このコントは五十年後もオモロイぞ
…とは演ってないです。
五十年後演ってもウケるん違うか思て
作ると、多分、作れないですね。
吉弥 ああ…。
でも、米朝は「肉じゃが」を作ろうと思て
残してきたんでしょうね。
千原 そういう事ですよね。
だから、いっぱい作らはったんですよ、
後世に残る…やれ、肉じゃがだ、
カレーだ、オムライスだ…。
吉弥 そうそう…(笑)。
千原 筑前煮だ…。
吉弥 鯖寿司とかね。
千原 ねえ!
(つづく)
実現すべくして制作された千原ジュニアさんが語る落語、そして芸談。相手は桂吉弥師。吉弥師にとっては大師匠にあたる桂米朝師、昨年秋の文化勲章受賞を受けての特別番組で、トークのテーマは番組タイトルにあるとおり、ズバリ「桂米朝 笑いの世界」。上方落語の復興と同時に戦後の上方の笑いそのものを切り拓いてきた大巨人を、肴に…といっては失礼か。けれども、同じ一門の枝葉に咲いた吉弥師と、米朝師が編み出した笑い、その進化系を行くジュニアさん。同世代のお二人が語りつくす、落語とは。笑いとは、そして「桂米朝」とは。
お二人の対談にはさまざまな感想が過ぎるも、ことほどさように今さらその断片を記すには惜しいというか、勿体無いというか。いや、あまりに考えさせられることが多過ぎて、その解釈の整理がままならぬまま。素直な感想を記すつもりが、変な評論っぽくなってしまっても嫌なので(もちろん、評論と称するには程遠い駄文重ねなのですが)。とにかく、ならばいっそ…と、桂米朝師の落語家人生を再現VTRも交えながら紹介した同番組の、お二人の対談部分を採録することで、自分なりの感想の整理が出来ればな、と。とりあえず、ビデオを再生してみましょうか。
桂吉弥(以後、吉弥…敬称略)
さ、本日は私の大師匠でもあります、
桂米朝師匠について生い立ちやとか
功績なんかについて
お話ししていくわけですが…
落語はごっつぅお好きなんでしょ?
千原ジュニア(以後、千原…同)
落語は…好きですねぇ、あの〜、
僕が今もし芸人になるとしたなら、
多分落語家になりますね。
吉弥 えっ!…今!?
千原 今若くて、(落語家以外の)芸人になってるようじゃ、
あんまり、ちょっとセンス無いような気がしますね。
吉弥 えっ!?、そうですか。落語家を選ぶ…?
千原 今、NSCに来る子はあんまりなかなか
難しいんじゃないですか。
吉弥 (笑)
千原 飽和状態も飽和状態ですから。
吉弥 ああ、なるほど。
千原 こんなこと言うとまぁちょっと
失礼か分からないですけど、
落語家のほうが、何か、こう…
席が空いてる というか。
吉弥 ふふふ…(笑)。
千原 僕15歳でこの世界入ったんですけど、
今15歳なら、落語家になりますね。
落語、面白いですね。
吉弥 面白いですか。
千原 面白いですね。
吉弥 実際演られたんでしょ?
千原 実際演られたというか、演らされたんですけど(笑)
吉弥 アハハ…誰にや…(笑)
千原 春風亭小朝師匠に。
吉弥 あ、小朝師匠に。
千原 はい。何でしょうね、ホンマにもう、
(落語をやる)前日に、明日演る会場に、
火ィつけたろかなと思うぐらい緊張しましたね。
吉弥 くくく…(笑)
千原 僕あんまり緊張する方じゃないんですけど、
あんなに緊張したのは初めてですね。はい。
吉弥 へぇ〜。
…僕は、どっちかっちゅうと、落研っていう、その、
学生のノリで入門してしまって、
「桂吉朝」という人を
師匠に選んで、で、行ってみたら、
その人の師匠が「米朝」やった言うんで、
で、パッと会うて…。でも、そんなに、
その時は凄い人やとは思わなくって…。
千原 あ、思わなかったですか?
吉弥 はい。
千原 ああ、それは、だいぶ勘がニブイですね(笑)
吉弥 アハハ…ニブイですね!(笑)
いや、ほんで、段々付き合いしてるうちにって言うか、
色々横で見てるうちに、
「こ、この人、凄いな」
と…。
千原 はい。
吉弥 で、どっちかというと、
「何か、エライとこに来たな」というか…。
千原 ああ、そうでしょうね。総本山ですからね。
吉弥 …ねぇ!。
…って周りの人からは言われるんですけれども。
千原 ああ、そらそうでしょう。
吉弥 今日は若い人にも。落語を知らん人も見てはるんで、
ま、そういう人にも(番組を)見てもらおうと
思うんですれども…。
VTR…俳優・近藤正臣さんによる「桂米朝」「米朝落語」との出会いなど。
桂米朝、出生から、四代目桂米團治入門までを再現VTRで。
桂南光師が、落語「天狗裁き」に見る米朝師、その芸の魅力を語る。
旧作の発掘、と同時に今様に改作を加えた上方落語復興、その功績を大いに紹介。
千原 う〜ん…。凄いですね。
…いや、落語家になって、さぁ何するの?
じゃあ古い噺を残していこう、
やったら分かるんですよ。
吉弥 うんうん。
千原 ねぇ。
野球観に行ってて、「最近、ホームラン打つバッター
いいひん(居ない)な。よしゃ、ほな俺が打とろか」
みたいな事でしょ?
吉弥 そうですそうです(笑)。
千原 不思議ですね。
吉弥 う〜ん…。
千原 もう志がそもそも違うんですね。
吉弥 違います。だから、ハッキリ言うと、
お金稼いだろうとか…。
千原 はい。女にモテようとか。
吉弥 有名になったろかという気ィは、
一番最初の桂米朝には無いと思います。
千原 そういうことですよね。
ただただ伝統芸能を残したいという…。
吉弥 ええ。でも、そこが米朝師匠の凄いのは、
伝統芸能やったら、古いのをそのまま同じ形で
演ってたらエエかっていえば、そうじゃなくて…
千原 それを書き直しはったんですもんね、面白く。
吉弥 そうです。
千原 そこのバランス感覚が半端じゃないんですよね。
吉弥 そうなんですよ。半端じゃないですね。
千原 そこのバランスは難しいですよねぇ。
吉弥 難しいですわぁ。
千原 ねぇ。
吉弥 お金も稼がなアカンし、ウケるネタも演らんと
お客さんは満足せえへんけど、その裏では、
「いや、こんな噺あるから残しとこう」
っていう作業をずっとしてたって言うのがね、
しかも、第一線に居ながら。
千原 そうなんですよね。
だから(商売か、伝統保存の)どっちかに
行ってしまいますもんね。
吉弥 行ってまいますわ、普通の人間ならね。
千原 オモロかったら、さらにさらにオモロくしたろう
っていうね。本来、そいつ(元のネタ)の持ってるモノを
無くしてしまうっていうか、要するに、
スイカに砂糖をかけてまうところがね。
吉弥 そうです、そうです。
千原 ところが、上手に塩をまぶし、
スイカの旨味も引き出し、みたいな。
吉弥 まぁ、「時代」もあったと思うんですよ。
だから、(当時)噺家で若いやつが沢山居たら、
「もう、俺、落語家はエエわ」と。
千原 うん、そうでしょうね。
吉弥 「俺、もう作家で残るわ」って言うたやろうし。
千原 やっぱり何かこう、事を成してはる人は、
「逆張り」なんですね。
ねぇ、今みんながだから、吉本で、
NSCの学校で、芸人になろうっていうなかで
一緒に入ってくるなかには…まぁ、こんなこと
言うたらアレなんですけど…逸材が
いるんでしょうけど…そうじゃなくて、
「今はこっちや!」て逆行くやつが
うん、何かこう、事を成すような感じがしますね。
吉弥 うんうん…。
千原 だから無茶苦茶(勇気のいる)怖い事でしょうけど
やっぱり「逆張り」出来るやつが…ってことですよね。
吉弥 そうです。で、その(上方落語衰退の)時代に
生まれて来てるというか、育って来てるから…
千原 そのタイミングにね。
吉弥 はい。ま、ある意味、時代に選ばれてるんですよ。
千原 そういうことですよね。
産み落とされてる感じがありますね。
吉弥 そうですよね。
千原 …あの、コントには絶対出来ないことが、
落語にはありますよね。
吉弥 うんうん…。
千原 絶対コントでは作れない笑いが、
落語には、あるんですよ…。
その辺はもう、凄いうらやましいですよね。
吉弥 ああ…。
…落語ってこう、正座して演ってるじゃないですか。
千原 はい。
吉弥 でも若い時なんかは、正座なんか古臭いんで、
立って演ろかとか。
千原 そこはもう、一番最初に陥りがちなとこですよね。
吉弥 陥りがちなんですよ!
千原 (古典落語の)「壷算」の壷を、
液晶テレビにしてまうみたいな!
だから、さっきの「スイカに砂糖かけてる感じ」が
しますよね。
吉弥 だから、座ってることの、なおかつ、
たった一人で演ってるっていうこと
の強みを…。
千原 そうなんですよ。
吉弥 最初は分からないんで…。
千原 いや、ホンマ、まさに宇宙ですよ、座布団の上は。
吉弥 だから、空間も時間も、パーンて変われるし。
千原 ねぇ!
吉弥 空も飛べるし。
千原 だから座ってるから「立てる」んですよね。
で、座ってるから「山も登れる」し。
座ってるから「船にも乗れる」し。
吉弥 はいはい。
千原 だから昔の人の…凄い想像力ですよね。
吉弥 その方法を考えたこととか。
千原 (古典落語の)「こぶ弁慶」なんか、
こぶが出て来て…
吉弥 喋り出す…
千原 みたいな。ねぇ!
ハリウッドのCGみたいな、ことですよねぇ!
吉弥 そうです(笑)
千原 何年…何十年前にやってるねんって話ですよね。
吉弥 ですね。
…けど、落語を観て、ここがオモロイから、
コントに取り入れようかっていうのは…?
千原 あ、そういう観方ではないですね。
吉弥 は〜ん。
千原 落語は落語として、別物で(楽しんでいるので)
そういう感覚では無いですけど…。
でも落語って、カッコエエなとか。
ちょっと何か、ジェラシーありますね。
吉弥 う〜ん。
千原 俺今、吉本入る時に落語家になってたら、
どうなってたやろとか。
落語…演りたくない、演りたくないですけど、
演ってみたいな、とか。
吉弥 僕らは…
千原 どうなんですか。落語家さんから見てて、
漫才師とか、コント師とかを見てて、
どう思いはるんですか?
それを落語に持って来ようとか言うのは
あんまり無いんじゃないですか、やっぱり?
吉弥 いや、でも…何でしょうね。
落語ってやっぱりその、(観客が)落語の
宇宙に入って来てもらうまでの、
ハードルっていうか、
「何で着物で座布団に座ってるんだろうか?」
という(疑問や理屈が多々ある)…
…小学生ぐらいの子っていうのは
あんまり(落語のスタイルに)拘らないんですよね。
千原 はい。
吉弥 服装とか顔とか、一切拘らないんで、
落語をポーンとやったら
パーンと食いついてくれるんですよね。
千原 へぇ〜!
吉弥 その世界に(すぐ)入れるし…
千原 邪念が無いって言う…。
吉弥 そうです。
「動物園」っていう噺があるじゃないですか。
千原 はい。
吉弥 檻のなかにトラの格好して入ってて、
そこにライオンが入ってくるという…
(そのくだりを)喋るだけですよ、
「ライオンをトラの居る檻に入れて、
『猛獣ショー』!…」
て、喋るだけで、
舞台に向かって
(子供の観客が)「入れたらアカン!」
て。
千原 へぇ〜〜!。
吉弥 だから僕らは「ええっ!」て逆に感動というかね。
千原 それは凄いですよね。
吉弥 「この子らどこまで宇宙広げとんねん、頭の中で」
っていう感動があったりするんですよね。
だからそこまで、(大人も)パッと
入って来てくれたら「(落語は)オモロイで!」
て思うんやけど、
その、(コントに対する観客の導入具合の)手軽さ
っていうのは、そういう部分では、
羨ましいなって言う思いがあったりしますけどね。
千原 でも、(落語家の)誰かが、
(落語以外の笑いのスタンスでも)「大丈夫なんや」
って、誰かが今一人現れたら、すぐそうなるでしょう。
吉弥 う〜ん…。
千原 テレビで無茶苦茶活躍する落語家さんが、
一人でも出て来たら…若くて…
吉弥 そこですわ。
千原 (落語と漫才・コントの壁は)それで無くなりますよ、
絶対。
ぜひ、吉弥さん…。
吉弥 はい。
千原 なかなか、荷ィ重いですよ、コレ。
吉弥 そうですね…ハイ。(つづく)
※…本当。最後の数行なのです、落語と漫才・コントの垣根撤廃待望論。すなわち、スター落語家待望論。本来は、少なくともテレビやラジオ、マスコミにおいては、そんな垣根は無かったはず。にも関わらず、今や情報誌などでも、「お笑いライブ」、「落語・寄席・演芸」などと便宜上ながらも棲み分けが成されてしまっている現状。実はこの現状に、伝統芸能という敷居の下、その恩恵への甘えみたいなものを特に若手落語家陣には客席から感じるところが今なお少々感じてもいるところ
トークではこのあと、「伝統芸能」という帰れるべき場所が存在することを、千原ジュニアさんは大変羨ましがっています。マスコミのなかで、命ある限り新たな笑いをまさに自転車操業のごとく作り出さなければならない立場にあるジュニアさんは、「そんな、ハードルとか理屈」をかなぐり捨てろと言わんばかりに、吉弥師に迫っています。一方、吉弥師は吉弥師で、攻めの姿勢を自認ながらも、正直な部分をジュニアさんに突かれて一瞬、「ややや」な表情が感じ取れるのですが、子供客相手に「動物園」を演じた時に受けた素直な反応への、逆に演者としての感動は、一般客相手でも、「変な理屈やこだわり」をかなぐり捨てたときに、さらに大きな感動を得られるはずと、ジュニアさんは「ぜひ、吉弥さん」。笑いの真っ只中の居ながら、あくまでも落語ファンというスタンスに立って…もちろん、番組上の役割として、それを貫かざるべき役割の部分も含めつつも、ある種、「よくいってくれた」と痛快のエールであると思います。
テレビか、寄席か。どこを主戦場とするべきはこの際別としても、落語ブームと称されながら少なくてもマスコミにおいては劣勢の続く落語勢。レギュラー番組をいくつも抱える一方、その現状を痛感する吉弥師の、次なる秘めたる闘志をジュニアさんとの対談に垣間見ます。その向こうには、すべてのハードルを取り払い、自身の信念をただひたすら貫き通した、桂米朝という大木、大樹林、大海原、大宇宙があればこそ。その恩恵を受けた笑いの両雄による、見どころ、聴きどころのトークが、さらに続きます。
お二人の対談にはさまざまな感想が過ぎるも、ことほどさように今さらその断片を記すには惜しいというか、勿体無いというか。いや、あまりに考えさせられることが多過ぎて、その解釈の整理がままならぬまま。素直な感想を記すつもりが、変な評論っぽくなってしまっても嫌なので(もちろん、評論と称するには程遠い駄文重ねなのですが)。とにかく、ならばいっそ…と、桂米朝師の落語家人生を再現VTRも交えながら紹介した同番組の、お二人の対談部分を採録することで、自分なりの感想の整理が出来ればな、と。とりあえず、ビデオを再生してみましょうか。
桂吉弥(以後、吉弥…敬称略)
さ、本日は私の大師匠でもあります、
桂米朝師匠について生い立ちやとか
功績なんかについて
お話ししていくわけですが…
落語はごっつぅお好きなんでしょ?
千原ジュニア(以後、千原…同)
落語は…好きですねぇ、あの〜、
僕が今もし芸人になるとしたなら、
多分落語家になりますね。
吉弥 えっ!…今!?
千原 今若くて、(落語家以外の)芸人になってるようじゃ、
あんまり、ちょっとセンス無いような気がしますね。
吉弥 えっ!?、そうですか。落語家を選ぶ…?
千原 今、NSCに来る子はあんまりなかなか
難しいんじゃないですか。
吉弥 (笑)
千原 飽和状態も飽和状態ですから。
吉弥 ああ、なるほど。
千原 こんなこと言うとまぁちょっと
失礼か分からないですけど、
落語家のほうが、何か、こう…
席が空いてる というか。
吉弥 ふふふ…(笑)。
千原 僕15歳でこの世界入ったんですけど、
今15歳なら、落語家になりますね。
落語、面白いですね。
吉弥 面白いですか。
千原 面白いですね。
吉弥 実際演られたんでしょ?
千原 実際演られたというか、演らされたんですけど(笑)
吉弥 アハハ…誰にや…(笑)
千原 春風亭小朝師匠に。
吉弥 あ、小朝師匠に。
千原 はい。何でしょうね、ホンマにもう、
(落語をやる)前日に、明日演る会場に、
火ィつけたろかなと思うぐらい緊張しましたね。
吉弥 くくく…(笑)
千原 僕あんまり緊張する方じゃないんですけど、
あんなに緊張したのは初めてですね。はい。
吉弥 へぇ〜。
…僕は、どっちかっちゅうと、落研っていう、その、
学生のノリで入門してしまって、
「桂吉朝」という人を
師匠に選んで、で、行ってみたら、
その人の師匠が「米朝」やった言うんで、
で、パッと会うて…。でも、そんなに、
その時は凄い人やとは思わなくって…。
千原 あ、思わなかったですか?
吉弥 はい。
千原 ああ、それは、だいぶ勘がニブイですね(笑)
吉弥 アハハ…ニブイですね!(笑)
いや、ほんで、段々付き合いしてるうちにって言うか、
色々横で見てるうちに、
「こ、この人、凄いな」
と…。
千原 はい。
吉弥 で、どっちかというと、
「何か、エライとこに来たな」というか…。
千原 ああ、そうでしょうね。総本山ですからね。
吉弥 …ねぇ!。
…って周りの人からは言われるんですけれども。
千原 ああ、そらそうでしょう。
吉弥 今日は若い人にも。落語を知らん人も見てはるんで、
ま、そういう人にも(番組を)見てもらおうと
思うんですれども…。
VTR…俳優・近藤正臣さんによる「桂米朝」「米朝落語」との出会いなど。
桂米朝、出生から、四代目桂米團治入門までを再現VTRで。
桂南光師が、落語「天狗裁き」に見る米朝師、その芸の魅力を語る。
旧作の発掘、と同時に今様に改作を加えた上方落語復興、その功績を大いに紹介。
千原 う〜ん…。凄いですね。
…いや、落語家になって、さぁ何するの?
じゃあ古い噺を残していこう、
やったら分かるんですよ。
吉弥 うんうん。
千原 ねぇ。
野球観に行ってて、「最近、ホームラン打つバッター
いいひん(居ない)な。よしゃ、ほな俺が打とろか」
みたいな事でしょ?
吉弥 そうですそうです(笑)。
千原 不思議ですね。
吉弥 う〜ん…。
千原 もう志がそもそも違うんですね。
吉弥 違います。だから、ハッキリ言うと、
お金稼いだろうとか…。
千原 はい。女にモテようとか。
吉弥 有名になったろかという気ィは、
一番最初の桂米朝には無いと思います。
千原 そういうことですよね。
ただただ伝統芸能を残したいという…。
吉弥 ええ。でも、そこが米朝師匠の凄いのは、
伝統芸能やったら、古いのをそのまま同じ形で
演ってたらエエかっていえば、そうじゃなくて…
千原 それを書き直しはったんですもんね、面白く。
吉弥 そうです。
千原 そこのバランス感覚が半端じゃないんですよね。
吉弥 そうなんですよ。半端じゃないですね。
千原 そこのバランスは難しいですよねぇ。
吉弥 難しいですわぁ。
千原 ねぇ。
吉弥 お金も稼がなアカンし、ウケるネタも演らんと
お客さんは満足せえへんけど、その裏では、
「いや、こんな噺あるから残しとこう」
っていう作業をずっとしてたって言うのがね、
しかも、第一線に居ながら。
千原 そうなんですよね。
だから(商売か、伝統保存の)どっちかに
行ってしまいますもんね。
吉弥 行ってまいますわ、普通の人間ならね。
千原 オモロかったら、さらにさらにオモロくしたろう
っていうね。本来、そいつ(元のネタ)の持ってるモノを
無くしてしまうっていうか、要するに、
スイカに砂糖をかけてまうところがね。
吉弥 そうです、そうです。
千原 ところが、上手に塩をまぶし、
スイカの旨味も引き出し、みたいな。
吉弥 まぁ、「時代」もあったと思うんですよ。
だから、(当時)噺家で若いやつが沢山居たら、
「もう、俺、落語家はエエわ」と。
千原 うん、そうでしょうね。
吉弥 「俺、もう作家で残るわ」って言うたやろうし。
千原 やっぱり何かこう、事を成してはる人は、
「逆張り」なんですね。
ねぇ、今みんながだから、吉本で、
NSCの学校で、芸人になろうっていうなかで
一緒に入ってくるなかには…まぁ、こんなこと
言うたらアレなんですけど…逸材が
いるんでしょうけど…そうじゃなくて、
「今はこっちや!」て逆行くやつが
うん、何かこう、事を成すような感じがしますね。
吉弥 うんうん…。
千原 だから無茶苦茶(勇気のいる)怖い事でしょうけど
やっぱり「逆張り」出来るやつが…ってことですよね。
吉弥 そうです。で、その(上方落語衰退の)時代に
生まれて来てるというか、育って来てるから…
千原 そのタイミングにね。
吉弥 はい。ま、ある意味、時代に選ばれてるんですよ。
千原 そういうことですよね。
産み落とされてる感じがありますね。
吉弥 そうですよね。
千原 …あの、コントには絶対出来ないことが、
落語にはありますよね。
吉弥 うんうん…。
千原 絶対コントでは作れない笑いが、
落語には、あるんですよ…。
その辺はもう、凄いうらやましいですよね。
吉弥 ああ…。
…落語ってこう、正座して演ってるじゃないですか。
千原 はい。
吉弥 でも若い時なんかは、正座なんか古臭いんで、
立って演ろかとか。
千原 そこはもう、一番最初に陥りがちなとこですよね。
吉弥 陥りがちなんですよ!
千原 (古典落語の)「壷算」の壷を、
液晶テレビにしてまうみたいな!
だから、さっきの「スイカに砂糖かけてる感じ」が
しますよね。
吉弥 だから、座ってることの、なおかつ、
たった一人で演ってるっていうこと
の強みを…。
千原 そうなんですよ。
吉弥 最初は分からないんで…。
千原 いや、ホンマ、まさに宇宙ですよ、座布団の上は。
吉弥 だから、空間も時間も、パーンて変われるし。
千原 ねぇ!
吉弥 空も飛べるし。
千原 だから座ってるから「立てる」んですよね。
で、座ってるから「山も登れる」し。
座ってるから「船にも乗れる」し。
吉弥 はいはい。
千原 だから昔の人の…凄い想像力ですよね。
吉弥 その方法を考えたこととか。
千原 (古典落語の)「こぶ弁慶」なんか、
こぶが出て来て…
吉弥 喋り出す…
千原 みたいな。ねぇ!
ハリウッドのCGみたいな、ことですよねぇ!
吉弥 そうです(笑)
千原 何年…何十年前にやってるねんって話ですよね。
吉弥 ですね。
…けど、落語を観て、ここがオモロイから、
コントに取り入れようかっていうのは…?
千原 あ、そういう観方ではないですね。
吉弥 は〜ん。
千原 落語は落語として、別物で(楽しんでいるので)
そういう感覚では無いですけど…。
でも落語って、カッコエエなとか。
ちょっと何か、ジェラシーありますね。
吉弥 う〜ん。
千原 俺今、吉本入る時に落語家になってたら、
どうなってたやろとか。
落語…演りたくない、演りたくないですけど、
演ってみたいな、とか。
吉弥 僕らは…
千原 どうなんですか。落語家さんから見てて、
漫才師とか、コント師とかを見てて、
どう思いはるんですか?
それを落語に持って来ようとか言うのは
あんまり無いんじゃないですか、やっぱり?
吉弥 いや、でも…何でしょうね。
落語ってやっぱりその、(観客が)落語の
宇宙に入って来てもらうまでの、
ハードルっていうか、
「何で着物で座布団に座ってるんだろうか?」
という(疑問や理屈が多々ある)…
…小学生ぐらいの子っていうのは
あんまり(落語のスタイルに)拘らないんですよね。
千原 はい。
吉弥 服装とか顔とか、一切拘らないんで、
落語をポーンとやったら
パーンと食いついてくれるんですよね。
千原 へぇ〜!
吉弥 その世界に(すぐ)入れるし…
千原 邪念が無いって言う…。
吉弥 そうです。
「動物園」っていう噺があるじゃないですか。
千原 はい。
吉弥 檻のなかにトラの格好して入ってて、
そこにライオンが入ってくるという…
(そのくだりを)喋るだけですよ、
「ライオンをトラの居る檻に入れて、
『猛獣ショー』!…」
て、喋るだけで、
舞台に向かって
(子供の観客が)「入れたらアカン!」
て。
千原 へぇ〜〜!。
吉弥 だから僕らは「ええっ!」て逆に感動というかね。
千原 それは凄いですよね。
吉弥 「この子らどこまで宇宙広げとんねん、頭の中で」
っていう感動があったりするんですよね。
だからそこまで、(大人も)パッと
入って来てくれたら「(落語は)オモロイで!」
て思うんやけど、
その、(コントに対する観客の導入具合の)手軽さ
っていうのは、そういう部分では、
羨ましいなって言う思いがあったりしますけどね。
千原 でも、(落語家の)誰かが、
(落語以外の笑いのスタンスでも)「大丈夫なんや」
って、誰かが今一人現れたら、すぐそうなるでしょう。
吉弥 う〜ん…。
千原 テレビで無茶苦茶活躍する落語家さんが、
一人でも出て来たら…若くて…
吉弥 そこですわ。
千原 (落語と漫才・コントの壁は)それで無くなりますよ、
絶対。
ぜひ、吉弥さん…。
吉弥 はい。
千原 なかなか、荷ィ重いですよ、コレ。
吉弥 そうですね…ハイ。(つづく)
※…本当。最後の数行なのです、落語と漫才・コントの垣根撤廃待望論。すなわち、スター落語家待望論。本来は、少なくともテレビやラジオ、マスコミにおいては、そんな垣根は無かったはず。にも関わらず、今や情報誌などでも、「お笑いライブ」、「落語・寄席・演芸」などと便宜上ながらも棲み分けが成されてしまっている現状。実はこの現状に、伝統芸能という敷居の下、その恩恵への甘えみたいなものを特に若手落語家陣には客席から感じるところが今なお少々感じてもいるところ
トークではこのあと、「伝統芸能」という帰れるべき場所が存在することを、千原ジュニアさんは大変羨ましがっています。マスコミのなかで、命ある限り新たな笑いをまさに自転車操業のごとく作り出さなければならない立場にあるジュニアさんは、「そんな、ハードルとか理屈」をかなぐり捨てろと言わんばかりに、吉弥師に迫っています。一方、吉弥師は吉弥師で、攻めの姿勢を自認ながらも、正直な部分をジュニアさんに突かれて一瞬、「ややや」な表情が感じ取れるのですが、子供客相手に「動物園」を演じた時に受けた素直な反応への、逆に演者としての感動は、一般客相手でも、「変な理屈やこだわり」をかなぐり捨てたときに、さらに大きな感動を得られるはずと、ジュニアさんは「ぜひ、吉弥さん」。笑いの真っ只中の居ながら、あくまでも落語ファンというスタンスに立って…もちろん、番組上の役割として、それを貫かざるべき役割の部分も含めつつも、ある種、「よくいってくれた」と痛快のエールであると思います。
テレビか、寄席か。どこを主戦場とするべきはこの際別としても、落語ブームと称されながら少なくてもマスコミにおいては劣勢の続く落語勢。レギュラー番組をいくつも抱える一方、その現状を痛感する吉弥師の、次なる秘めたる闘志をジュニアさんとの対談に垣間見ます。その向こうには、すべてのハードルを取り払い、自身の信念をただひたすら貫き通した、桂米朝という大木、大樹林、大海原、大宇宙があればこそ。その恩恵を受けた笑いの両雄による、見どころ、聴きどころのトークが、さらに続きます。
引き続き、「松竹新喜劇40周年特番 笑魂たくましく喜劇40年」(朝日放送/1989年1月14日放送)より、藤山寛美・笑福亭鶴瓶のご両人、対談は、時代を追いかけた喜劇王の苦悩と本音、そして寛美師が求める芸人論などなど。では、ビデオを再生してみましよう。
鶴瓶 僕は子供のころだったんで、
うろ覚えなんですが、
いっぺんポンと松竹新喜劇を
退団されましたでしょ。
寛美 よろしいか、タバコ吸うて。
鶴瓶 ええ、どうぞどうぞ。
で、松竹新喜劇を出られましたですよね。
寛美 出されたんだ。
鶴瓶 誰かとケンカしはりましたん…?
寛美 借金で出たんだ。
鶴瓶 一億円がどうのこうのの?
寛美 そうそう…。
鶴瓶 あれ何年ですか?
寛美 昭和41(1966)年です。
鶴瓶 昭和41年の一億円?。
今(昭和63年当時)で言うたら
ナンボぐらいですか?
寛美 今で言うたら勘定出来まへんわ。
強いて言うたら
六億円ぐらいやおまへんかな。
鶴瓶 六億で効く?…でも、アレ、一億円ですよ、
その当時の。
仰山新聞に出ましたね、いっぱい。
でもそれは、松竹もよう出さはりましたよね。
寛美 何をだ?
鶴瓶 「出て行け!」て。
寛美 でもそれもまぁ、今なら(真相を)言えるという
時期も来まんがな。
鶴瓶 あぁ…ああ、なるほど。
寛美 そら色々おますて。
鶴瓶 ええ、それでそれで…
どのぐらいで返さはったんですか。
寛美 いや、返すも返さへんも、
今の税率から言うたら返せしまへんがな。
私らおたくらみたいに…て、
こんなこと言うたらアカンわ。
でも、「余興」がないし…。
鶴瓶 いっぺん「余興」でも
取って来はったらどうですか?(笑)
でも先生の講演て聴きたいな。
今まで講演の仕事てありません?
寛美 昔、住吉コウエンに住んでました(笑)。
鶴瓶 何を言うてんねん、それ!
…どないなってんねんな?(笑)
寛美 けど役者の講演言うたかてね、
そない大したこと喋れませんて。
鶴瓶 いや僕、
本(『みち草わき道しぐれ道』/東京新聞出版局)でも
読んだんですけど、
引き揚げの時の話とか先生の
いい話がいっぱい持ってはりますよね。
命の大事さとかいう話をね。
寛美 その時分の命の価値観もそうですけど、
物の価値観というのは今変わってきますわな。
鶴瓶 そういう(時代性の)切り替えは割りと早い方ですか。
寛美 いや、切り替えが早いというよりも、
切り替えんと食べて行かれへんし、
十人五十人百人という人前で
喋る商売の人間は、やっぱりそれなりの
責任があるんと違いますかな。
喋ってお金をもらう人間であるならばですよ。
鶴瓶 芝居のなかでちょこっと
(時代性のある台詞)出さはるねやろけども、
今そこまでをお客さんが、
「見てへん時」ってありません?。
ポンて言うたら、何人かのお客さんは
ウケるんですけども、
でも先生の方が先に進んでるから、
「これはイケるなぁ」と思って…て、
コレは非常に失礼な話ですけども…
「これはお客さんも知ってる、分かるはずだ」
と思って言った言葉が、
「えっ?、意外に分からんのん」…?
寛美 ありますあります。
鶴瓶 ありますか?…あと、座員の人は?
寛美 座員の人なんか全然分からしまへん(笑)
鶴瓶 アハハ…!!(笑)…一緒に見せなはれ!(笑)
寛美 そら分からしません。
でも強要するのも無理だ。
そやから私は私のジャンルで、
私は私の感覚で(時代を)身に着ける。
そんなもん、「藤山寛美」が
三人も四人も五人も居っても、
しょうがおまへんがな、芝居なんて。
やっぱり違う色が出て来んと。
だから、あなたの知ってること、
上岡龍太郎さんが違うことを知ってて
ぶつかって喋るからこそ面白いんであって。
みんな同じこと知ってたって
オモロイことも何ともおまへんがな。
鶴瓶 ああ、そうか…。でもやっぱり、
ちょこっと言うたことがドーンとハマること
…それはやっぱり気持ち良い事でしょ?。
「コレを予め今日言うたろ」ということよりも、
今タイムリーだな思いながら
芝居のなかに時代(性のあるアドリブ)を
入れるという…。
寛美 それは言葉として?
鶴瓶 言葉として。
寛美 しかし、言葉は変わりますわね、
出来事は。時代と共に。
しかし、(アドリブを)放り込む「間」というのは
変わらない。だから僕たちはその「間」を…
お客さんに対しての「間」を…。
で、パァーっと言うてもウケてくれへんから、
端の役者を見ている自分の慌てた「間」ね。
そういうのを勉強するだけのことであって…。
鶴瓶 あ、スベッったときは自分で自分の「間」を…
寛美 笑わなしょうがおまへんがな。
鶴瓶 自分で笑いますの!?…
くぅ〜、どこまで欲どおしいねん!!(笑)
寛美 そらそうですって。
鶴瓶 はぁ、これはびっくりしたわ。
寛美 そらあなたも、上岡はんと
こうやって喋ってても、
「今それ自分、おかしいわ〜!」
(と鶴瓶の間を真似る)…。
「おかぁしいわ〜」の「か」が伸びてまんな。
「か」が伸びてる間に
次何言うてるか、考えてなはるやろ?
鶴瓶 ああ、は、はい…って今そんな…。
イヤなこと言い合いするんねやったら、
僕も言い合おう!(笑)。
でも、「かぁ」はね、
「かぁ」言うてる間に次のこと
考えられる相手ならいいんですけれども、
(上岡に対しては)考えられまへんて。
寛美 例えば上岡さんがタバコ吸いながら
「う〜ん、そうなんだ」
(と構えながら鶴瓶の発言を)
待ってますやんか、ちゃんと。
鶴瓶 (撃沈しつつ)そやからイヤやったんや、この対談(笑)。
何べんもなんとかならんかて言うてたんや…。
寛美 そういうのと見してもらうということが、
僕たちには勉強になるン。
鶴瓶 もうね、もうそら先生、そらもう、異常ですわ。
自分で自分のスベッた間を研究する言うのはね、
タコが自分の足食べてるようなもんですよ、
それスゴイですやんか。
寛美 そやけど芸人ちゅうのは皆そうだっせ。
自分の足食うてまんねんで、これ。
…自分の足を食べてまんねんで。
鶴瓶 だから僕は、先生、今日は非常に
怖かったんですけれども、
今日は先生に非常に失礼な事
言ってるかも分からないんですけれども、
「アホか!」と怒られる人間が
傍に居なくなりましたからね。
先生は座員の方には怒らはりますやろけど、
一般のね、お笑いの人間には
絶対怒らはりませんからね。
寛美 あんた、マネージャーさん居てはりますやろ。
鶴瓶 はい。
寛美 それですわ。マネージャーに怒ってますとね、
怒ってる言葉の中に
「あ、俺昔こない言われたこと今忘れてるな」
と、自分の怒ってることに見つけまっせ。
鶴瓶 ああ。
寛美 バババ〜ッて怒ってますやろ。
「あ、これは自分がこない言うて
怒られたな」と思うことを
「あ、忘れてんねん」というふうにね。
そやからいっぺんやってみなはれ。
鶴瓶 ウチの弟子とかにね。
でも、怒る自信がないんですよ。
それでマネージャーにも
そない怒ったことないし…。
弟子には怒ります。怒りますけど、
途中でしょうもない
冗談を言うてしまうんですよね。
寛美 これはね、
「素うどんでもエエから、
温いもんを食わしてくれ」と。
「なんぼビフテキでも、
冷めたビフテキは食わすな」と。
愛情持ってしてくれということだけは
怒りますけれどもね。
冷えたビフテキ食うてる横で
冷えたビフテキ食うたって
怒らしません。
私が冷えたビフテキ食うてる横手で
熱い素うどん食うてたら私は
「愛情がない」と怒りますわね。
それだけのことですわ。
中身(具体的なこと怒り)よりも、それですわ。
鶴瓶 ああ、なるほど。
寛美 そういうふうにして怒っていかんと、
温かい人間が出来て来まへんやろ。
と思て怒ってまんねんけど、
ふと見廻したらたらそらもう、
冷たい人間ばっかりや!(笑)
鶴瓶 ワハハハハハ…!!(笑)
寛美 しゃあないからその時は
「ほっかほか」(弁当)を買うてでんな…(笑)
鶴瓶 そんなことまで…(笑)。
でも、もう今、長い付き合いの方が
いらっしゃるでしょ。
例えば酒井光子さんにしてもそうですし、
小島慶四郎さんにしてもそうですやん。
長い付き合い、阿吽の呼吸っていうのか、もうね…。
でもやっぱり、先生でも怒る人て言うのは
決めはるんですか。
この人やったら怒り易いとかいう…。
僕らでも親父(六代目笑福亭松鶴)に
よう怒られましたよ。
寛美 だから、酒井さんとか慶四郎さんには
怒りませんわね、怒る立場やないでしょ。
鶴瓶 そうですね。
寛美 だからあの人たちはあの人たちで、
悟ってくれるだろうと。
悟ってくれなきゃいずれ
サヨナラ言わなきゃしゃあないなと。
私が逆に言われるかも分からん。
だから日日、やっぱり、給料貰ってる身として
自分で磨いてもらうしか
しゃあないわけですよね。
だから、ある意味では水臭いもんですけど、
ある意味では芸っていうのは厳しい、
寂しいもんと違いますかな。
こんな話がありましたよ。
横山エンタツさんと花菱アチャコさんとがね、
えらい人気だ。ガァ〜っと言うてる時分、
客がグァ〜ッ、ウォ〜言うほどの人気だ。
「さぁ(舞台に)出よか」言うて、
二人で漫才喋って、ワァ〜って拍手されるうちに
幕がスーッと降りて楽屋に帰って来たら、
お茶子さんが隅のほうで火鉢を掃除しててね…
「ほな、藤木君(アチャコの本名)、帰ろか」
「そやな」ちゅて、
トボトボ楽屋口から出て行った。
これが芸人と違いまっか?
客席をワァ〜っと沸かせて楽屋に帰って来たら
誰も居てまへんねん、トリやから…ね。
オーバーの襟立てて「ほな、帰ろか」…。
鶴瓶 …ええ話でんなぁ。
寛美 ね。それが芸人やと思うんです。
鶴瓶 そうですねぇ。出番が奥へ奥へ、
偉なったら偉なるほど、
華やかなもんも見てる代わりに
楽屋に帰ったら誰も居てませんもんね。
寛美 それが寂しいと言うてたんでは、
芸人としてイカンわけでしょ。
そやから私も、もっともっと、
寂しならなイカンと思てますねん。
鶴瓶 でももっともっと僕らからしたらね、
もっともっと、座員の方以外にでもこういう、
テレビだけやなしにもっと色んなお話を
お聞きしたいなぁって思うし、
もっともっと僕らみたいな立場っていうか、
まぁ、桂ざこば兄さんでも桂春蝶兄さんでも
そうですけど、昔の良い話、先生のお話を
聞かせていただきたいなと
思いますけどね。
寛美 けど、僕たちとはもう
ジェネレーションが違いますからね。
古いこと言うても…。
鶴瓶 いや、でもね、今の話、全然古ないですよ。
アチャコ先生とそれからエンタツ先生が、
物凄い人気のあったことに客席出て行って、
うわぁ〜ってウケて楽屋に帰って来たら
誰も居てへんという…ホンマにコレが芸人ですよね。
そんな話って、話の手法が先生の場合、
身についてはるからね。
そんなエエ話、僕ら他所行っても出来ますやんか。
「これは寛美先生に訊いたんですけど」とか…。
寛美 車はあげなはんなや(笑)
鶴瓶 グフフフ…車はようあげへん〜(笑)。
寛美 そやけどホンマに、これからもっともっと
変わっていくやろし、
僕らも変えなイカンやろし…
要は身体が資本ですさかいに、
身体だけはホント、気ィつけとくなはれや。
鶴瓶 いや先生も、いつまでもお元気で、
いつまでも色んな良い狂言を見せて下さい。
肝臓パンパンなんですから。
寛美 「(焼肉の)はや」ですか?(笑)
鶴瓶 アハハ…「はや」やあれへん、先生の肝臓。
寛美 いや、(鶴瓶が出演するCMで)「パ〜ンパン!」
て言うたはりますやん。
鶴瓶 違うちゅうてもう…何でもよう見てるなぁ!。
早いこと寝なはれ、もう!!(笑)
どうも今日はありがとうございました。
寛美 ありがとうございました。
おわり。
鶴瓶 僕は子供のころだったんで、
うろ覚えなんですが、
いっぺんポンと松竹新喜劇を
退団されましたでしょ。
寛美 よろしいか、タバコ吸うて。
鶴瓶 ええ、どうぞどうぞ。
で、松竹新喜劇を出られましたですよね。
寛美 出されたんだ。
鶴瓶 誰かとケンカしはりましたん…?
寛美 借金で出たんだ。
鶴瓶 一億円がどうのこうのの?
寛美 そうそう…。
鶴瓶 あれ何年ですか?
寛美 昭和41(1966)年です。
鶴瓶 昭和41年の一億円?。
今(昭和63年当時)で言うたら
ナンボぐらいですか?
寛美 今で言うたら勘定出来まへんわ。
強いて言うたら
六億円ぐらいやおまへんかな。
鶴瓶 六億で効く?…でも、アレ、一億円ですよ、
その当時の。
仰山新聞に出ましたね、いっぱい。
でもそれは、松竹もよう出さはりましたよね。
寛美 何をだ?
鶴瓶 「出て行け!」て。
寛美 でもそれもまぁ、今なら(真相を)言えるという
時期も来まんがな。
鶴瓶 あぁ…ああ、なるほど。
寛美 そら色々おますて。
鶴瓶 ええ、それでそれで…
どのぐらいで返さはったんですか。
寛美 いや、返すも返さへんも、
今の税率から言うたら返せしまへんがな。
私らおたくらみたいに…て、
こんなこと言うたらアカンわ。
でも、「余興」がないし…。
鶴瓶 いっぺん「余興」でも
取って来はったらどうですか?(笑)
でも先生の講演て聴きたいな。
今まで講演の仕事てありません?
寛美 昔、住吉コウエンに住んでました(笑)。
鶴瓶 何を言うてんねん、それ!
…どないなってんねんな?(笑)
寛美 けど役者の講演言うたかてね、
そない大したこと喋れませんて。
鶴瓶 いや僕、
本(『みち草わき道しぐれ道』/東京新聞出版局)でも
読んだんですけど、
引き揚げの時の話とか先生の
いい話がいっぱい持ってはりますよね。
命の大事さとかいう話をね。
寛美 その時分の命の価値観もそうですけど、
物の価値観というのは今変わってきますわな。
鶴瓶 そういう(時代性の)切り替えは割りと早い方ですか。
寛美 いや、切り替えが早いというよりも、
切り替えんと食べて行かれへんし、
十人五十人百人という人前で
喋る商売の人間は、やっぱりそれなりの
責任があるんと違いますかな。
喋ってお金をもらう人間であるならばですよ。
鶴瓶 芝居のなかでちょこっと
(時代性のある台詞)出さはるねやろけども、
今そこまでをお客さんが、
「見てへん時」ってありません?。
ポンて言うたら、何人かのお客さんは
ウケるんですけども、
でも先生の方が先に進んでるから、
「これはイケるなぁ」と思って…て、
コレは非常に失礼な話ですけども…
「これはお客さんも知ってる、分かるはずだ」
と思って言った言葉が、
「えっ?、意外に分からんのん」…?
寛美 ありますあります。
鶴瓶 ありますか?…あと、座員の人は?
寛美 座員の人なんか全然分からしまへん(笑)
鶴瓶 アハハ…!!(笑)…一緒に見せなはれ!(笑)
寛美 そら分からしません。
でも強要するのも無理だ。
そやから私は私のジャンルで、
私は私の感覚で(時代を)身に着ける。
そんなもん、「藤山寛美」が
三人も四人も五人も居っても、
しょうがおまへんがな、芝居なんて。
やっぱり違う色が出て来んと。
だから、あなたの知ってること、
上岡龍太郎さんが違うことを知ってて
ぶつかって喋るからこそ面白いんであって。
みんな同じこと知ってたって
オモロイことも何ともおまへんがな。
鶴瓶 ああ、そうか…。でもやっぱり、
ちょこっと言うたことがドーンとハマること
…それはやっぱり気持ち良い事でしょ?。
「コレを予め今日言うたろ」ということよりも、
今タイムリーだな思いながら
芝居のなかに時代(性のあるアドリブ)を
入れるという…。
寛美 それは言葉として?
鶴瓶 言葉として。
寛美 しかし、言葉は変わりますわね、
出来事は。時代と共に。
しかし、(アドリブを)放り込む「間」というのは
変わらない。だから僕たちはその「間」を…
お客さんに対しての「間」を…。
で、パァーっと言うてもウケてくれへんから、
端の役者を見ている自分の慌てた「間」ね。
そういうのを勉強するだけのことであって…。
鶴瓶 あ、スベッったときは自分で自分の「間」を…
寛美 笑わなしょうがおまへんがな。
鶴瓶 自分で笑いますの!?…
くぅ〜、どこまで欲どおしいねん!!(笑)
寛美 そらそうですって。
鶴瓶 はぁ、これはびっくりしたわ。
寛美 そらあなたも、上岡はんと
こうやって喋ってても、
「今それ自分、おかしいわ〜!」
(と鶴瓶の間を真似る)…。
「おかぁしいわ〜」の「か」が伸びてまんな。
「か」が伸びてる間に
次何言うてるか、考えてなはるやろ?
鶴瓶 ああ、は、はい…って今そんな…。
イヤなこと言い合いするんねやったら、
僕も言い合おう!(笑)。
でも、「かぁ」はね、
「かぁ」言うてる間に次のこと
考えられる相手ならいいんですけれども、
(上岡に対しては)考えられまへんて。
寛美 例えば上岡さんがタバコ吸いながら
「う〜ん、そうなんだ」
(と構えながら鶴瓶の発言を)
待ってますやんか、ちゃんと。
鶴瓶 (撃沈しつつ)そやからイヤやったんや、この対談(笑)。
何べんもなんとかならんかて言うてたんや…。
寛美 そういうのと見してもらうということが、
僕たちには勉強になるン。
鶴瓶 もうね、もうそら先生、そらもう、異常ですわ。
自分で自分のスベッた間を研究する言うのはね、
タコが自分の足食べてるようなもんですよ、
それスゴイですやんか。
寛美 そやけど芸人ちゅうのは皆そうだっせ。
自分の足食うてまんねんで、これ。
…自分の足を食べてまんねんで。
鶴瓶 だから僕は、先生、今日は非常に
怖かったんですけれども、
今日は先生に非常に失礼な事
言ってるかも分からないんですけれども、
「アホか!」と怒られる人間が
傍に居なくなりましたからね。
先生は座員の方には怒らはりますやろけど、
一般のね、お笑いの人間には
絶対怒らはりませんからね。
寛美 あんた、マネージャーさん居てはりますやろ。
鶴瓶 はい。
寛美 それですわ。マネージャーに怒ってますとね、
怒ってる言葉の中に
「あ、俺昔こない言われたこと今忘れてるな」
と、自分の怒ってることに見つけまっせ。
鶴瓶 ああ。
寛美 バババ〜ッて怒ってますやろ。
「あ、これは自分がこない言うて
怒られたな」と思うことを
「あ、忘れてんねん」というふうにね。
そやからいっぺんやってみなはれ。
鶴瓶 ウチの弟子とかにね。
でも、怒る自信がないんですよ。
それでマネージャーにも
そない怒ったことないし…。
弟子には怒ります。怒りますけど、
途中でしょうもない
冗談を言うてしまうんですよね。
寛美 これはね、
「素うどんでもエエから、
温いもんを食わしてくれ」と。
「なんぼビフテキでも、
冷めたビフテキは食わすな」と。
愛情持ってしてくれということだけは
怒りますけれどもね。
冷えたビフテキ食うてる横で
冷えたビフテキ食うたって
怒らしません。
私が冷えたビフテキ食うてる横手で
熱い素うどん食うてたら私は
「愛情がない」と怒りますわね。
それだけのことですわ。
中身(具体的なこと怒り)よりも、それですわ。
鶴瓶 ああ、なるほど。
寛美 そういうふうにして怒っていかんと、
温かい人間が出来て来まへんやろ。
と思て怒ってまんねんけど、
ふと見廻したらたらそらもう、
冷たい人間ばっかりや!(笑)
鶴瓶 ワハハハハハ…!!(笑)
寛美 しゃあないからその時は
「ほっかほか」(弁当)を買うてでんな…(笑)
鶴瓶 そんなことまで…(笑)。
でも、もう今、長い付き合いの方が
いらっしゃるでしょ。
例えば酒井光子さんにしてもそうですし、
小島慶四郎さんにしてもそうですやん。
長い付き合い、阿吽の呼吸っていうのか、もうね…。
でもやっぱり、先生でも怒る人て言うのは
決めはるんですか。
この人やったら怒り易いとかいう…。
僕らでも親父(六代目笑福亭松鶴)に
よう怒られましたよ。
寛美 だから、酒井さんとか慶四郎さんには
怒りませんわね、怒る立場やないでしょ。
鶴瓶 そうですね。
寛美 だからあの人たちはあの人たちで、
悟ってくれるだろうと。
悟ってくれなきゃいずれ
サヨナラ言わなきゃしゃあないなと。
私が逆に言われるかも分からん。
だから日日、やっぱり、給料貰ってる身として
自分で磨いてもらうしか
しゃあないわけですよね。
だから、ある意味では水臭いもんですけど、
ある意味では芸っていうのは厳しい、
寂しいもんと違いますかな。
こんな話がありましたよ。
横山エンタツさんと花菱アチャコさんとがね、
えらい人気だ。ガァ〜っと言うてる時分、
客がグァ〜ッ、ウォ〜言うほどの人気だ。
「さぁ(舞台に)出よか」言うて、
二人で漫才喋って、ワァ〜って拍手されるうちに
幕がスーッと降りて楽屋に帰って来たら、
お茶子さんが隅のほうで火鉢を掃除しててね…
「ほな、藤木君(アチャコの本名)、帰ろか」
「そやな」ちゅて、
トボトボ楽屋口から出て行った。
これが芸人と違いまっか?
客席をワァ〜っと沸かせて楽屋に帰って来たら
誰も居てまへんねん、トリやから…ね。
オーバーの襟立てて「ほな、帰ろか」…。
鶴瓶 …ええ話でんなぁ。
寛美 ね。それが芸人やと思うんです。
鶴瓶 そうですねぇ。出番が奥へ奥へ、
偉なったら偉なるほど、
華やかなもんも見てる代わりに
楽屋に帰ったら誰も居てませんもんね。
寛美 それが寂しいと言うてたんでは、
芸人としてイカンわけでしょ。
そやから私も、もっともっと、
寂しならなイカンと思てますねん。
鶴瓶 でももっともっと僕らからしたらね、
もっともっと、座員の方以外にでもこういう、
テレビだけやなしにもっと色んなお話を
お聞きしたいなぁって思うし、
もっともっと僕らみたいな立場っていうか、
まぁ、桂ざこば兄さんでも桂春蝶兄さんでも
そうですけど、昔の良い話、先生のお話を
聞かせていただきたいなと
思いますけどね。
寛美 けど、僕たちとはもう
ジェネレーションが違いますからね。
古いこと言うても…。
鶴瓶 いや、でもね、今の話、全然古ないですよ。
アチャコ先生とそれからエンタツ先生が、
物凄い人気のあったことに客席出て行って、
うわぁ〜ってウケて楽屋に帰って来たら
誰も居てへんという…ホンマにコレが芸人ですよね。
そんな話って、話の手法が先生の場合、
身についてはるからね。
そんなエエ話、僕ら他所行っても出来ますやんか。
「これは寛美先生に訊いたんですけど」とか…。
寛美 車はあげなはんなや(笑)
鶴瓶 グフフフ…車はようあげへん〜(笑)。
寛美 そやけどホンマに、これからもっともっと
変わっていくやろし、
僕らも変えなイカンやろし…
要は身体が資本ですさかいに、
身体だけはホント、気ィつけとくなはれや。
鶴瓶 いや先生も、いつまでもお元気で、
いつまでも色んな良い狂言を見せて下さい。
肝臓パンパンなんですから。
寛美 「(焼肉の)はや」ですか?(笑)
鶴瓶 アハハ…「はや」やあれへん、先生の肝臓。
寛美 いや、(鶴瓶が出演するCMで)「パ〜ンパン!」
て言うたはりますやん。
鶴瓶 違うちゅうてもう…何でもよう見てるなぁ!。
早いこと寝なはれ、もう!!(笑)
どうも今日はありがとうございました。
寛美 ありがとうございました。
![]() | 松竹新喜劇 藤山寛美 DVD-BOX 十八番箱 (おはこ箱) 4 (2006/03/30) 藤山寛美酒井光子 商品詳細を見る |
おわり。
引き続き、「松竹新喜劇40周年特番 笑魂たくましく喜劇40年」(朝日放送/1989年1月14日放送)より、藤山寛美・笑福亭鶴瓶のご両人、対談は、本人から語られる驚異の「豪快!藤山寛美伝説」!!…。では、ビデオ再生…。
鶴瓶 小さい時から新喜劇というのを
テレビなんかで見てきました。
学校から帰ってカバン置いて、
それはもう…お笑いが好きやから。
例えば、土曜日なんかはそうですな、
昼からね、三本ぐらい続けて
新喜劇の中継がありましたわな。
寛美 ありましたな、そんな時分も。
鶴瓶 その時代ですわ。ええっと、
12時半ぐらいから読売であったり、
その後朝日で。夕方からもう一本ぐらい…。
寛美 むちゃくちゃだんなぁ(笑)
鶴瓶 そういう時代があった。それから…
それは先生のアレなんかもしりませんけど、
一旦ポンと、もうテレビはやめとこうと。
寛美 ええ、ええ。
鶴瓶 全然出んようにならはって、
またこのごろ、ちょっちょっとありますけど。
でも、「今ここで行こう!」というのんがあって、
テレビに出なくなった時というのは
非常に怖かったんじゃありませんか?
寛美 テレビが無くなる怖さよりも、
(露出過多で)飽きられるのが怖い。
鶴瓶 はぁ〜。
寛美 僕たちは芝居でしょ。
そやから飽きられないように
ってことですわね。
鶴瓶 でもその当時、ずぅ〜っと出はったからこそ
借金も作らはったんやし、
休みの時間もあったやろし、
方々で遊ばったこともあるやろと
思うんですよ。
芸もしながら、若いからガ〜ッと
遊んだはったんやろけども、
でもその当時の方が時間もあったんでしょ?
寛美 そらおましたよぉ、そんなもん。
遊びたかったぁ。
京都まで走ってそんなもん…
鶴瓶 めちゃめちゃ遊ばったんでしょ?
寛美 もうむちゃくちゃ遊びましたよ。
鶴瓶 そうでしょうねぇ。
寛美 そんなもん金足らなんだらでんな、
呉服パァ〜っと買うてだんな、
その足で質屋にポ〜ンと放り込んでだんな…
鶴瓶 ええ、ちょっと待って下さい、
どないなってます?(笑)
金無かったら呉服買うて?
寛美 買いまんねん(笑)
鶴瓶 どこで?…呉服屋で?
寛美 呉服屋のツケで。
それ質屋に持って行きまんねん。
鶴瓶 ムチャクチャや、そんなん!(笑)
寛美 で、呉服代は
月賦で払うたらよろしいねん(笑)
鶴瓶 …(笑)。ああ、
でも呉服ワァ〜っと買うて、
質屋に持って行って。
寛美 パァ〜っと借りて。
質屋さんの利息てなもん知れてまっしゃないか。
期日来たら流さんように、
流したら呉服屋に全部払わなイカンとか
色々そんなんも考えますがな。
あとは…これはやりました。
あのね、バーに遊びに行きまんな。
鶴瓶 はぁ。
寛美 そこのバーにはべっぴんさんもいまっせ。
けど、そこのバーのママが
一番可愛がってる子に、
何ぞあげるということをね。
鶴瓶 ほぉ〜。
寛美 ママが一番その子に気ィ遣てんねん。
銀座ではよく、鎮座のん。
鎮座のね女の子が手ェ置くとこに
わざとお酒を置きますねん。
それこぼした時に、
「ああ、スマンなぁ」言うて、
あの当時で染み抜き代が
三千円ですか。
それを二万円渡して出て行ったりね。
そやけど年にいっぺんの
東京公演(の夜)だ。
来年まで覚えててくれまへんがな!(笑)
鶴瓶 アレ、ホンマでしたん!?(笑)。
俺色んな話、聞いてまっせ。
寛美 そうそう。皆ホンマのことです(笑)。
そやから、初めて会うたボーイさんに
車買うてやったりね(笑)。
鶴瓶 ちょっと待ってえな。
初めて会うたボーイさんに車買うてやった!?
寛美 ええ。この話は
皆言うてくれたはりまっせ。
鶴瓶 俺、それは知りませんわ。
ちょっと教えとくんなはれ、
どんなん、どんなん!?
寛美 そやから、初めてパッと会いまっしゃろ、
ボーイさん。ヒゲのダンディな。
銀座によう居てましたんや。
店行ったらシャシャっと手際良う
やってくれはりますねや。
それを気に入って。で、車…
あの時分で120万ぐらいでしたかな、
クーラー付けて。
パァーっと一台買うて。
けど痛おっせ、あの時の給料がね、
一ヶ月130万か40万しか貰てへんのに、
120万の車を買うてやんねんから、ねぇ!。
鶴瓶 向こうもびっくりしましたでしょ?
寛美 そら、びっくりしてくれな、
やらしませんがな!(笑)。
びっくりしてくれるからこそ、
「大阪にはえらい役者がおるで」と。
「車くれたで」と。
これを(次の東京公演までの)一年間、
クラブの女の人から、
遊びに来る芸能人から皆に
言うてくれまっしゃん。
その時分に自分でテレビ番組、
一時間枠買うてやってみなはれ。
ナンボつきます?
鶴瓶 ハハハ…(笑)。
はぁ、そういう考えで!?
…えらい人やなぁ〜!
寛美 そやから今は違うかも分からへんけど、
テレビも無かった昔は例えば
織田信長という人が自分の名前を
天下に広めようと思たら、
比叡山に火ィかけたというのも、
ある程度そういう計算があったんや
なかったんかなぁと思いますわね。
どない思いなはる?
鶴瓶 そら、ホンマ、そうですわ。
寛美 ね。そら「信長が比叡山に火ィかけた」…
そらまぁ、宗教的なもんもあったでしょう。
しかし、なんてたって伝教大師日蓮…
もう一番ですから。そうでしょ。
弘法さんもそう、親鸞さんもそう、
みんなの一番の比叡山、
そこに火ィかけたんでっせ。
そういうことをやった、ま、
信長さんには信長さんの考えも
あったんでしょうけれども、
そのぐらいのことやって、
天下に「信長」という名前を
広めはったと。そやから、
ある程度、車もひとつのやっぱり…。
鶴瓶 しかし、そうか。
ただ単に車やったんと違いまんねんな!
寛美 ただ単にやったんでは、
そら、アホやがなぁ〜(笑)
鶴瓶 グフフフ…(笑)
寛美 そらそうでっせ。
鶴瓶 よぅし、ほな俺、
比叡山に火ィつけたろ!(笑)
寛美 ちょっとようそんな、
アホなこと言いなはんな!(笑)
その当時、ですよ!。
鶴瓶 ああ、なるほど。ああそうか、
でもそら一年でも二年でも
ずっと噂になりますわね。
寛美 一年二年どころやおまへんで、
今でも私らこうして噂にしてますやんか(笑)。
何百年経ちまんねん、信長なんか。
鶴瓶 いや、信長と違いますがな、先生の話!
寛美 私らはこんなもんね、
残らしまへんて。
鶴瓶 残ってまっせ、色んな話が。
寛美 残りまっかいな!
でも、あなたは残りますわ。
鶴瓶 よぉ、そんなこと言うわ!
寛美 いやいや、そんな顔、
二度と出て来まへんで!
鶴瓶 アハハ…放っとけ〜(笑)。
今の直ちゃん(藤山直美)と同じ息や(笑)
寛美 いや、ホンマ(笑)
鶴瓶 褒めてくれんのかなぁ思たら
フニャ〜って落とす…(笑)
寛美 けどそれでよろしいやん、
喜劇役者にしたって、
噺の人にしたって。
僕もあなたも男前でなかったというのが
コレ、救いやったと思いますわ。
これで男前やったら気色悪いでっせ。
鶴瓶 でも先生、エエ顔してはりますよ。
寛美 ええ?
鶴瓶 エエ顔してはりますて。
先生の笑ろた顔て…
寛美 へへへ…ようそんなアホな(笑)
鶴瓶 いや、アハハ…(笑)…ホンマに!
つづく…。
鶴瓶 小さい時から新喜劇というのを
テレビなんかで見てきました。
学校から帰ってカバン置いて、
それはもう…お笑いが好きやから。
例えば、土曜日なんかはそうですな、
昼からね、三本ぐらい続けて
新喜劇の中継がありましたわな。
寛美 ありましたな、そんな時分も。
鶴瓶 その時代ですわ。ええっと、
12時半ぐらいから読売であったり、
その後朝日で。夕方からもう一本ぐらい…。
寛美 むちゃくちゃだんなぁ(笑)
鶴瓶 そういう時代があった。それから…
それは先生のアレなんかもしりませんけど、
一旦ポンと、もうテレビはやめとこうと。
寛美 ええ、ええ。
鶴瓶 全然出んようにならはって、
またこのごろ、ちょっちょっとありますけど。
でも、「今ここで行こう!」というのんがあって、
テレビに出なくなった時というのは
非常に怖かったんじゃありませんか?
寛美 テレビが無くなる怖さよりも、
(露出過多で)飽きられるのが怖い。
鶴瓶 はぁ〜。
寛美 僕たちは芝居でしょ。
そやから飽きられないように
ってことですわね。
鶴瓶 でもその当時、ずぅ〜っと出はったからこそ
借金も作らはったんやし、
休みの時間もあったやろし、
方々で遊ばったこともあるやろと
思うんですよ。
芸もしながら、若いからガ〜ッと
遊んだはったんやろけども、
でもその当時の方が時間もあったんでしょ?
寛美 そらおましたよぉ、そんなもん。
遊びたかったぁ。
京都まで走ってそんなもん…
鶴瓶 めちゃめちゃ遊ばったんでしょ?
寛美 もうむちゃくちゃ遊びましたよ。
鶴瓶 そうでしょうねぇ。
寛美 そんなもん金足らなんだらでんな、
呉服パァ〜っと買うてだんな、
その足で質屋にポ〜ンと放り込んでだんな…
鶴瓶 ええ、ちょっと待って下さい、
どないなってます?(笑)
金無かったら呉服買うて?
寛美 買いまんねん(笑)
鶴瓶 どこで?…呉服屋で?
寛美 呉服屋のツケで。
それ質屋に持って行きまんねん。
鶴瓶 ムチャクチャや、そんなん!(笑)
寛美 で、呉服代は
月賦で払うたらよろしいねん(笑)
鶴瓶 …(笑)。ああ、
でも呉服ワァ〜っと買うて、
質屋に持って行って。
寛美 パァ〜っと借りて。
質屋さんの利息てなもん知れてまっしゃないか。
期日来たら流さんように、
流したら呉服屋に全部払わなイカンとか
色々そんなんも考えますがな。
あとは…これはやりました。
あのね、バーに遊びに行きまんな。
鶴瓶 はぁ。
寛美 そこのバーにはべっぴんさんもいまっせ。
けど、そこのバーのママが
一番可愛がってる子に、
何ぞあげるということをね。
鶴瓶 ほぉ〜。
寛美 ママが一番その子に気ィ遣てんねん。
銀座ではよく、鎮座のん。
鎮座のね女の子が手ェ置くとこに
わざとお酒を置きますねん。
それこぼした時に、
「ああ、スマンなぁ」言うて、
あの当時で染み抜き代が
三千円ですか。
それを二万円渡して出て行ったりね。
そやけど年にいっぺんの
東京公演(の夜)だ。
来年まで覚えててくれまへんがな!(笑)
鶴瓶 アレ、ホンマでしたん!?(笑)。
俺色んな話、聞いてまっせ。
寛美 そうそう。皆ホンマのことです(笑)。
そやから、初めて会うたボーイさんに
車買うてやったりね(笑)。
鶴瓶 ちょっと待ってえな。
初めて会うたボーイさんに車買うてやった!?
寛美 ええ。この話は
皆言うてくれたはりまっせ。
鶴瓶 俺、それは知りませんわ。
ちょっと教えとくんなはれ、
どんなん、どんなん!?
寛美 そやから、初めてパッと会いまっしゃろ、
ボーイさん。ヒゲのダンディな。
銀座によう居てましたんや。
店行ったらシャシャっと手際良う
やってくれはりますねや。
それを気に入って。で、車…
あの時分で120万ぐらいでしたかな、
クーラー付けて。
パァーっと一台買うて。
けど痛おっせ、あの時の給料がね、
一ヶ月130万か40万しか貰てへんのに、
120万の車を買うてやんねんから、ねぇ!。
鶴瓶 向こうもびっくりしましたでしょ?
寛美 そら、びっくりしてくれな、
やらしませんがな!(笑)。
びっくりしてくれるからこそ、
「大阪にはえらい役者がおるで」と。
「車くれたで」と。
これを(次の東京公演までの)一年間、
クラブの女の人から、
遊びに来る芸能人から皆に
言うてくれまっしゃん。
その時分に自分でテレビ番組、
一時間枠買うてやってみなはれ。
ナンボつきます?
鶴瓶 ハハハ…(笑)。
はぁ、そういう考えで!?
…えらい人やなぁ〜!
寛美 そやから今は違うかも分からへんけど、
テレビも無かった昔は例えば
織田信長という人が自分の名前を
天下に広めようと思たら、
比叡山に火ィかけたというのも、
ある程度そういう計算があったんや
なかったんかなぁと思いますわね。
どない思いなはる?
鶴瓶 そら、ホンマ、そうですわ。
寛美 ね。そら「信長が比叡山に火ィかけた」…
そらまぁ、宗教的なもんもあったでしょう。
しかし、なんてたって伝教大師日蓮…
もう一番ですから。そうでしょ。
弘法さんもそう、親鸞さんもそう、
みんなの一番の比叡山、
そこに火ィかけたんでっせ。
そういうことをやった、ま、
信長さんには信長さんの考えも
あったんでしょうけれども、
そのぐらいのことやって、
天下に「信長」という名前を
広めはったと。そやから、
ある程度、車もひとつのやっぱり…。
鶴瓶 しかし、そうか。
ただ単に車やったんと違いまんねんな!
寛美 ただ単にやったんでは、
そら、アホやがなぁ〜(笑)
鶴瓶 グフフフ…(笑)
寛美 そらそうでっせ。
鶴瓶 よぅし、ほな俺、
比叡山に火ィつけたろ!(笑)
寛美 ちょっとようそんな、
アホなこと言いなはんな!(笑)
その当時、ですよ!。
鶴瓶 ああ、なるほど。ああそうか、
でもそら一年でも二年でも
ずっと噂になりますわね。
寛美 一年二年どころやおまへんで、
今でも私らこうして噂にしてますやんか(笑)。
何百年経ちまんねん、信長なんか。
鶴瓶 いや、信長と違いますがな、先生の話!
寛美 私らはこんなもんね、
残らしまへんて。
鶴瓶 残ってまっせ、色んな話が。
寛美 残りまっかいな!
でも、あなたは残りますわ。
鶴瓶 よぉ、そんなこと言うわ!
寛美 いやいや、そんな顔、
二度と出て来まへんで!
鶴瓶 アハハ…放っとけ〜(笑)。
今の直ちゃん(藤山直美)と同じ息や(笑)
寛美 いや、ホンマ(笑)
鶴瓶 褒めてくれんのかなぁ思たら
フニャ〜って落とす…(笑)
寛美 けどそれでよろしいやん、
喜劇役者にしたって、
噺の人にしたって。
僕もあなたも男前でなかったというのが
コレ、救いやったと思いますわ。
これで男前やったら気色悪いでっせ。
鶴瓶 でも先生、エエ顔してはりますよ。
寛美 ええ?
鶴瓶 エエ顔してはりますて。
先生の笑ろた顔て…
寛美 へへへ…ようそんなアホな(笑)
鶴瓶 いや、アハハ…(笑)…ホンマに!
つづく…。
![]() | 松竹新喜劇 藤山寛美 DVD-BOX 十八番箱 (おはこ箱) 2 (2006/01/28) 藤山寛美渋谷天外(二代目) 商品詳細を見る |
引き続き、「松竹新喜劇40周年特番 笑魂たくましく喜劇40年」(朝日放送/1989年1月14日放送)より、藤山寛美・笑福亭鶴瓶のご両人、対談です。
1988年(昭和63)12月、道頓堀中座「40周年記念お好みリクエスト公演」について…
鶴瓶 時代もんの15ですね、狂言。
それから現代もんが15でしょ。
寛美 今月(の公演)は特異ですけど。
今月先月は。
鶴瓶 その稽古はどこでしはりますのん?
寛美 それは今月(の公演)が
終わってからするわけです。
で、やってる間(公演中)に
(台本の)読み合わせをするわけです…。
鶴瓶 …へっ?。やってる間に?
寛美 公演が夜9時なら9時に終わってから
読み合わせして、休みの日(休演日)に
稽古するわけです。
鶴瓶 (対談収録の)今日はもう座員の方は
もう帰っておられる…?
寛美 ああもう帰ってます、帰ってます。
早いもんです(笑)
鶴瓶 はぁ〜良かった〜(笑)。まだ向こう(中座)で
読み合わせ、待ってはんのかなぁ思て…。
こんなんやったら疲れるやろ思て…。
寛美 いやもう、帰ってまっせ。
ただ(楽屋の)風呂に入るのは
一番最後になりまんな、どうしても。
京都に帰る人は先入れたげなあきまへんやろ。
京都(南座公演)のときは大阪帰る人
入れなあきまへんやろ。
風呂はどうしても一番後になりまんな。
鶴瓶 風呂は一番後になる?
寛美 後になります、どうしても。
鶴瓶 でも先生やったら、
一番風呂は身体に悪いにしても、
二番風呂とか三番風呂に入ってもらわないと、
他に人は気ィ遣いはりませんか?
寛美 そんなんはもう、昔のこと(風習)だ。
このごろでは私が
素うどん食べてる横手で皆、
玉子丼食べてまんがな(笑)。
そやから食いもんとかそんなんで
ランクは付けたらあきまへん。
鶴瓶 昔はありましたか、それで?
寛美 ああもう、ありましたありました!
鶴瓶 それはどんな…??
寛美 そんなもん昔は
「喜劇」(の世界)といえばイケズと
決まってたもんです。
まぁ、名前は言えまへんけど、
ある先輩が、
「この饅頭、カビ生えてきたな。
…(キミに)やろう」
鶴瓶 アハハ…!(笑)
寛美 おましてんで、そんなんも(笑)
鶴瓶 誰でんねん、それ!?(笑)
寛美 そやから、おますて、そんなんも。
他にも、例えば朝、
「おはようございます」て挨拶に
いきまっしゃろ。
ほな足出されてポンとコケて
膝つきますやん。それ見て、
「『おはよう』はそういうものだ!」て。
そんなんでっせ、
子役時分に見てきたのは。
つづく…
1988年(昭和63)12月、道頓堀中座「40周年記念お好みリクエスト公演」について…
鶴瓶 時代もんの15ですね、狂言。
それから現代もんが15でしょ。
寛美 今月(の公演)は特異ですけど。
今月先月は。
鶴瓶 その稽古はどこでしはりますのん?
寛美 それは今月(の公演)が
終わってからするわけです。
で、やってる間(公演中)に
(台本の)読み合わせをするわけです…。
鶴瓶 …へっ?。やってる間に?
寛美 公演が夜9時なら9時に終わってから
読み合わせして、休みの日(休演日)に
稽古するわけです。
鶴瓶 (対談収録の)今日はもう座員の方は
もう帰っておられる…?
寛美 ああもう帰ってます、帰ってます。
早いもんです(笑)
鶴瓶 はぁ〜良かった〜(笑)。まだ向こう(中座)で
読み合わせ、待ってはんのかなぁ思て…。
こんなんやったら疲れるやろ思て…。
寛美 いやもう、帰ってまっせ。
ただ(楽屋の)風呂に入るのは
一番最後になりまんな、どうしても。
京都に帰る人は先入れたげなあきまへんやろ。
京都(南座公演)のときは大阪帰る人
入れなあきまへんやろ。
風呂はどうしても一番後になりまんな。
鶴瓶 風呂は一番後になる?
寛美 後になります、どうしても。
鶴瓶 でも先生やったら、
一番風呂は身体に悪いにしても、
二番風呂とか三番風呂に入ってもらわないと、
他に人は気ィ遣いはりませんか?
寛美 そんなんはもう、昔のこと(風習)だ。
このごろでは私が
素うどん食べてる横手で皆、
玉子丼食べてまんがな(笑)。
そやから食いもんとかそんなんで
ランクは付けたらあきまへん。
鶴瓶 昔はありましたか、それで?
寛美 ああもう、ありましたありました!
鶴瓶 それはどんな…??
寛美 そんなもん昔は
「喜劇」(の世界)といえばイケズと
決まってたもんです。
まぁ、名前は言えまへんけど、
ある先輩が、
「この饅頭、カビ生えてきたな。
…(キミに)やろう」
鶴瓶 アハハ…!(笑)
寛美 おましてんで、そんなんも(笑)
鶴瓶 誰でんねん、それ!?(笑)
寛美 そやから、おますて、そんなんも。
他にも、例えば朝、
「おはようございます」て挨拶に
いきまっしゃろ。
ほな足出されてポンとコケて
膝つきますやん。それ見て、
「『おはよう』はそういうものだ!」て。
そんなんでっせ、
子役時分に見てきたのは。
つづく…
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