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 元々はこの「時間ですよ」は同じTBSテレビ「東芝日曜劇場」においての単発ドラマだったことはあまり知られていない。

 主演はおかみさんに森光子は変わり無く、その夫、つまり「松の湯」の主人役は、現中村勘三郎丈の実父、つまり先代の十七世中村勘三郎丈であった。レギュラー放送が開始される5年前、1965(昭和40)年の放送である↓
 先日11月21日に、作曲家の山下毅雄氏が亡くなった。神戸出身、享年75歳。
 彼が残した曲は今も耳に残る、テレビドラマやアニメ、さらにはクイズバラエティに至るまでの名曲ばかり。
 
  ●「七人の刑事」(1962年/TBS、芦田伸介主演)  
  ●「プレイガール」(1969年/テレビ東京、沢たまき主演)
  ●「ナショナル劇場・大岡越前」(1970年/TBS、加藤剛主演)
  ●「ルパン三世」(1971年/読売テレビ)
  ●「霊感ヤマカン第六感」(1975年/朝日放送)
  ●「パネルクイズアタック25」(1975年/朝日放送)
                          などなど…。

 口笛の名手であり、テーマ曲には自身の口笛を乗せた曲も多数聴かれたが、そんななかでも、1970年より放映を開始した「水曜劇場・時間ですよ」のテーマ曲は非常に耳心地良く秀逸なナンバーと思われる。
 大西ユカリと新世界×月亭可朝…いよいよクライマックス! 

 綿密なリハーサル風景。しかし、月亭可朝、大西ユカリと新世界、この両組がいかにしてコラボレーションされるのか…それは、大西ユカリと新世界のライブでは、楽曲はもちろん、速射砲で繰り出される大西ユカリさんのMCも見物聴き物なのである。↓
 さてといよいよ、月亭可朝師匠のご登場。メンバー念願、夢の競演、まずは大西ユカリさんをホステスに、新世界メンバーが囲んでの、月亭可朝…名曲誕生に迫る!↓
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 「恋の仮免許」でご機嫌をうかがったあとは、大西ユカリさんと、漫才師・おかけんたさんとのトークを…。

  けんた「一番最初がですね、神戸のあるボンデージバーで
      逢ったんですよね」
  大西 「そうです、そうです」
  けんた「ユカリちゃんがオリのなかに入ってて(笑)
      僕もね、色んなライブ観ましたけど、
      オリのなかで演奏してるのを初めて観ました(笑)
  大西 「それを、司会してはりましたからね!」
  けんた「(笑)。その店に螺旋階段がありましてね、
      螺旋階段に女の子が3人ほど
      くくられてるんですよね(笑)
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 そんな旧知のお二人です(どんな旧知や! 笑)。↓
 大西ユカリと新世界、そして月亭可朝師の競演。この番組が放映される直前の10月24日、大阪・なんばHatchにて開催された「大西ユカリと新世界〜アルバム『六曲入』発売記念ツアー」ライブにて、テレビよりも一足先にお披露目されました。↓
 
 「大西ユカリと新世界」昭和歌謡ソウルR&Bゴスペル、さらには河内音頭に至るまで幅広い分野を吸収しながらその勢いは、地元関西は元よりもはや全国区への勢いのバンドグループ。

 では本日は久々に日付に促したことを書いてみましょう。

 本日は、そんな大西ユカリと新世界が、そのバンド名の通りであるお膝元、大阪新世界の、名物・通天閣の地下にある通天閣歌謡劇場にて、月に一度の特別興行「大西ユカリショー」が行われる日なのです。

 今月で3回目のこの興行のチケットは、通常の一般的販売ルートな使用せず、前の月の最終月曜日に通天閣に直に買いにこないと確実に入手できません。さらに大西ユカリと新世界公式HPでも通信発売されるのですが、全部で120席と小さな劇場、並大抵の倍率から抽選されないと購入できない、まさにプレミアムチケットとなっています。

 そんな意味もありまして本日より再び、「大西ユカリと新世界」…。他ジャンルの音楽のみならず、何と演芸界との接触を果たした歴史的かつ実験的な番組を紹介していきましょう。
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 長女・歌江の加入、かしまし娘結成とともに一気にブレイク。民謡から小唄・長唄までこなす長女と、ジャズ、洋楽ポップスを巧みに織り交ぜる次女と三女。テレビ時代の到来とともにたちまちお笑い界のトップスターに駆け上った。

 戎橋松竹は、ラジオの民間放送開局とともに、朝日放送ラジオと中継専属を結ぶなど新時代と直結したシステムで劇場発のスターを生み出した。そんな関係もあり朝日放送は他局に先駆け、同劇場に出演する人気芸人たちとも専属タレント契約を結びながら「お笑いのABC」の看板を一気に掲げていく。
 
 ちなみに朝日放送と専属を結んだ顔ぶれは、かしまし娘、中田ダイマル・ラケットら専属第1号を筆頭に、浮世亭歌楽・ミナミサザエ六代目笑福亭松鶴桂米朝、腹話術の川上のぼるの各師ら。↓
〜ずっと陽気なかしまし娘/正司照恵〜

 いよいよ大トリ、鶴瓶さんにとっては同じ事務所の大先輩である「かしまし娘」の次女・正司照恵師匠の登場です。

 現在では女優として活躍されるとともに、タレントの磯野貴理子さんのマネジャーでもある旦那さんのお母様、すなわり姑としても有名です。

 1956(昭和31年)、実の姉妹コンビで結成された女性トリオ音楽ショー。小唄・長唄、邦楽が得意の三味線を担当する長女・歌江とギター担当で歌謡曲は三女・花江、そして次女・照恵(当時・照江)は果敢に洋楽などのポップスを取り入れながらキュートなボケで大いに沸かせました。
 多彩な音楽とネタを中心に、また衣装もテレビ時代の到来を意識したファッショナブル的要素を追求し、昭和30〜40年代のお笑い界を大いに賑わせました。

 旧来「音曲漫才」と呼ばれた楽器漫才にショー的要素を取り入れてまさに「音楽ショー」と呼ぶに相応しい演芸界にも革命をもたらし、その影響力は「フラワーショウ」「ちゃっきり娘」といった後続の女性音楽ショーを続々と誕生させました。

 さて、鶴瓶さん、遥かなる大先輩にいかに迫りますか…↓
〜いつまでも不安ばかり…流浪の兄弟漫才/酒井とおる〜

 次の登場は「とお〜るちゃん!」で御馴染み、兄弟漫才・酒井くにお・とおるの弟、酒井とおる師。あまりにも有名すぎるこのギャグを発するのは兄・くにお師の方。従って、街で「あっ、とおるちゃんや」と指差されても、「私はくにおや!」と自ら訂正してまわるほど(笑)。

 岩手出身の兄弟が東京に渡り、さらに大阪へと辿り着いた流浪の兄弟漫才は今や名実ともに上方漫才の看板。そんな兄弟漫才の山あり谷あり、知られざる秘密を、とおる師が語ります。

 ここで聞かなきゃ、ほかで話すことないよ!
〜谷だぁ!クレージーキャッツのガチョン秘話/谷啓〜

 ハナ肇とクレージーキャッツ1954(昭和29)年に結成された、前身の「キューバンキャッツ」に端を発するハナ肇をリーダーとし、植木等谷啓犬塚弘桜井センリ石橋エータロー安田伸といった個性豊かなメンバーからなる日本のコミックバンドの元祖である。 
 なかでも今回のゲスト、谷啓氏はトロンボーンの演奏は日本屈指。しかもクレイジーの面々が奏でる音楽ギャグや奇想天外なコントはほぼ彼の発想を発端に育まれたといって良いほどの、ギャグマンである。

 映画全盛時代のスクリーンにおいて、かつて“無責任”というとんでもないキーワードで高度経済成長の日本中を席巻し、草創期のテレビスタジオとも往復の毎日を過ごした、そんな東宝砧撮影所。今回、谷啓氏が選んだ思い出の地でのインタビューである。
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 昨日のつづき…

 こいし師匠が戦地の広島より何とか無事で戻って来たときのお話から。
  喜味「(戦争から帰ってきたときに住んでいた)アパート、
     あれまだ残ってたで」
  鶴瓶「残ってましたか?」
  喜味「丈夫なアパートやなぁ〜(笑)。
     …で、ワシが帰ってきた」
  鶴瓶「そしたら家族の人は?」
  喜味「路地に入ってひょいと見たら、
     親父が窓を明けて鳥にエサやっとった
  鶴瓶「アハハ(笑)のどかなもんや」
  喜味「ワシが顔合わせたら、親父がこっちを
     ひょっと見ただけ。アレな、ドラマみたいに
     『よう帰ってきたなぁ!』(と抱擁しあう)
     …ってそんなんあれへん、あれへん。
     実際はエサやりながら『よう』…
     ほなワシも『おぅ』…それだけや」
  鶴瓶「いや、ボルテージ上がりまへんか?」
  喜味「上がれへん。『親父〜!』…あれへん。
     『おふくろ〜!』…あれへん。
     『兄貴〜!!』…あるかいそんなもん!
  鶴瓶「ワハハハ…!」
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〜兄弟ゲンカで60年/喜味こいし〜
 続いての登場は喜味こいし師匠。お兄さんの夢路いとし師匠との絶妙かつ高級感さえ漂う漫才は、いとし師匠亡き後の今も記憶に新しいところです。
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 放送当時は、鶴瓶さん司会の、朝日放送、月に一度の寄席番組「今夜はちょっと気晴亭(きばらしてい)では名作から新ネタまでを毎回披露していたころ。なので、鶴瓶さんは余計に『いとこいマニア』度を増して、ファンの観点からも「いとこい漫才62年」、そのインタビューに臨まれています。↓
 桂吉朝師追悼で落語番組を紹介したあとは、同じお笑いの今度は漫才、コント。
 今回、当アーカイブスから紹介する番組は、笑福亭鶴瓶さんが、あるお笑い芸人さんの思い出の地を訪ね、その芸人さんの「相方」感を訊ねながら、その芸人さんの生き様に迫る…といったトーク番組。

 鶴瓶さんが東西の、漫才・コント…5人の芸人さんを訊ね、お笑い達人たちの今だから語れるコンビ秘話、涙なくしては聴けない人生感、そして抱腹絶倒の爆笑エピソードの数々を引き出します。

 今回も鶴瓶さんとゲストのトークを中心に紹介。文章と落書きイラストだけで果たしてどこまで迫れるか…書き手も読み手も、また大きな壁の始まりです(笑)。
 一端ではありますが、交遊録を含めての幅広い芸の引き出し「吉朝ワールド」を惜しみ無く披露したあとは、番組最後の一席、「蛸芝居」から。↓
 演芸というくくりでの本業における「吉朝ワールド」を堪能したあとは…って文章だけで伝わってますやろか?(笑)。

 続いては、定評の芝居噺に生かされた交遊録、その代表として邦楽、笛の名手である藤舎名生師との対談コーナー↓
 「高津の富」の熱演に続いて番組は、「寄席囃子」講座。吉朝師が講師となって上方落語になくてはならないお囃子の世界を実演付きで分かり易く紹介。↓
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  「テレビの前の皆様ではなく、   
   今日は吉朝くんにメッセージということで。
   吉朝くんと私は同期(1974年入門)で
   (桂)千朝、吉朝と私と本当に落語会でよく会い
   コソコソと喋ってたのを、昨日の事のように
   覚えてる…って言うんですよね、こういう
   コメントでは…やっぱり20年前(放送当時)の
   ような気がします(笑)。
   吉朝もだいぶオッサンになったと思いますが、
   この落語会の(オンエア)テープを送って頂いて。
   今は“落語ファン”として評論したいと思います」
  
     ↓
「桂米朝ルーツを訪ねて」

 幼少時代に過ごしたのが今の中国東北部の旧満州。遼東半島、大連(ダイレン)にあった普蘭店(フランテン)という町にあった郵便局に、米朝師匠のおじい様、お父様がそれぞれお勤めになっていました。

 いわばルーツとなる地を盟友の作家、小松左京氏と訪ねた様子が紹介されます。
 関西テレビの特別番組「桂米朝のちょっと中国感傷気分」(1991年5月6日放送)から。
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 さきほど、つけていたラジオのニュースにて桂吉朝師の訃報を知りました。50歳という若さ。残念でなりません。

 今週お届けしている、桂米朝師匠のお弟子さんで、米朝師匠が初めて、大阪・桜橋サンケイホールで独演会を開かれたときに、落語や演芸好きのお父様に連れられて見た「怪談市川堤」と、大ネタ「地獄八景亡者戯(ぢごくばっけいもうじゃのたわむれ)」に大いなる衝撃と感銘を受けて、3年後の高校卒業と同時に入門されました。

 そんな少年時代から慣れ親しんだ芸事への興味はその後も落語以外でも生かされ、なかでも中島らもさん主宰の劇団「リミパットアーミー」など小劇場界でも怪優、その異彩を放ち注目を集め、私も数度、拝見しました。

 それでも何と言ってもやはり落語。口跡鮮やかというか、語りのリズムが客席にいて心地良かったですね。
 特に入門30周年の折り、米朝一門のメッカともいえる、やはりサンケイホールにて開催された「吉朝独演会」の感動は今も忘れられない舞台でした。

 少年時代に感銘を受けた第1回桂米朝独演会の衝撃を再現するかのように、吉朝師、「怪談市川堤」と「地獄〜」を熱演。感慨深いステージの特に「地獄〜」などはその時流行りの時事ネタがくすぐりに入るのですが、それこそ噺家のセンスが最も問われる部分で、特に吉朝師の場合は、細かいくすぐりに至るまで、言いまわしも含めて、日頃の研ぎ澄まされた視点の鋭さが随所で冴え渡っておりました。
 また、「地獄〜」のなかに登場する「閻魔様」のくだりに、亡者が一芸を披露して、その如何によって天国か地獄行きかを決定される場面(歌舞伎で言うところの『勧進帳』みたいなもの)があるのですが、ここで吉朝師は、落語家の名人たちの出と入りの仕草を一芸として披露。米朝小さん談志枝雀…など見事に再現。沸かせるだけ沸かせたあと「もうこの辺にしときますわ」の一言にさらに鳴り止まぬ拍手喝さい。「吉朝版地獄〜」のサービス真骨頂の名演が今も鮮やかに甦ります。

 その日の「吉朝独演会」。合計3時間以上に渡りましたが、あっと言う間の、観客全員が至福の時を得た…そんな感動に打ちひしがれたものです。

 そんな吉朝師。いともあっさりと冥土名人会へ旅立たれたとは今も信じられない思いです。しかし、先日、めでたく傘寿をお迎えになった米朝師匠を思えば、心中いかばかりか。

 没年順不同に、お弟子さんの順番で挙げれば、米紫枝雀音也米太郎歌之助喜丸…と弟子、孫弟子までもが親である師匠より先立ってしまい、そんななかで、一門の将来を最も嘱望されていた今回の吉朝師。そんななかでのこんなエピソード…。

 「地獄〜」と並ぶ違う意味での大ネタ「百年目」という米朝師匠の十八番ネタがあるのですが、これも吉朝師はじっくりと自身のネタへと昇華させていた矢先…過日、東京の歌舞伎座で行われた米朝師「大劇場での最後の独演会」でもかけられた「百年目」。しかし、客席にはほとんど気付かれなかったものの米朝師匠には不本意な高座であったそうです。また当日の様子を表から裏から米朝師匠を密着取材していたNHKのカメラに向かって、あまりものイライラが募った挙句、
「(今回の高座の、どこが不本意であったかは)吉朝に聴いてくれ!

 米朝師匠の悔しさがにじみ出た発言であるのと同時に「あとはもう吉朝に任せた」と愛弟子への信頼から出たであろうお言葉。ちなみにしばらくこの発言は、米朝師匠のそんな真意を理解したうえで、落語家内幕からファンの間でもしばらくの流行フレーズとなりましたが。


 なお、今週の「おめでとう!!人間国宝〜」を紹介しおえましたら、当アーカイブスより桂吉朝師関連の番組を紹介させていただく予定といたします。

 謹んでご冥福をお祈り致します。
「枝雀・ざこばの入門」

 大阪における戦後初の本格的演芸場、「戎橋松竹」が開場し、やがてここが朝日放送と劇場中継契約を結び、続々と新しい演芸界のスターが、新しいメディアのラジオと直結。米朝師匠らもこの流れに大いに乗って行くのでした。

 そんななかで続々と師匠のもとに弟子が集い、桂米紫(かつら・べいし)を皮切りに、三代目・林家染丸の弟子ながらも破門されてしまった林家染奴(はやしや・そめやっこ)を、初代・桂小米朝として預かり弟子に迎え、これが後の月亭可朝。…そして、1961(昭和36)年には初の内弟子として神戸大学を中退した二代目・桂枝雀(当時・桂小米=かつら・こよね)が、また、1963(昭和38)年には当時15歳にして、二代目・桂ざこば(当時・桂朝丸=かつら・ちょうまる)が入門してくることなります。

 ここから、米朝師匠の、弟子育成の手腕が大いに発揮されることとなり、番組ではスタジオの枝雀、ざこばが、当時の様子を語っています。
「桂米團治へ入門」

 戦後間もない上方落語へいよいよ興味が昂じて来る米朝師匠。当時の中川清(なかがわ・きよし)青年は、東京の大東文化学院(現・大東文化大学)在学中、作家で寄席研究家である正岡 容(まさおか・いるる)の門人となり、演芸に対する情熱が、趣味から研究材料へと嵩じていた。そんな矢先に、後に兄弟弟子となる、桂米之助(かつら・よねのすけ)と知り合いになったことから、大学を中退。地元・神戸に戻り会社員をしながら上方落語を陰で支えていこうと決意。そこへ来ての米之助のつながりで、彼の師匠でもあった、四代目・桂米團治に教えを乞うこととなる。

 米朝師匠の世代を戦後の第一世代とすれば、彼らの師匠世代をあえて第零世代と呼ぶことにする。当時の第零世代には、五代目・笑福亭松鶴の下には実子で後の、六代目松鶴が。同じく二代目・桂春團治の下にも実子で現・三代目春團治が。さらに四代目・桂文枝の下にも後の五代目文枝と、後に「上方落語復興の四天王」と呼ばれる師匠連がすでに弟子にいた。米之助と知己になったこと、また、入門以前より注目していた米團治の持ちネタのバラエティーさに掘れ込んでいたこと、そして何より弟子がいなかったがために、1947年、いよいよ入門を決意する。

 三代目・桂米朝の誕生である。
 落語家になろうとしたキッカケは…

 あっさり言えば、「好きだったから」

 父親も大の芸事好きで、満州から帰って来てから兵庫の姫路に移り住み、約2ヶ月に一度は大阪に出て来ては友人と寄席や劇場を巡りをしながら趣味として没頭していったそうです。それ以前よりも家には寄席・演芸関係の書物は豊富で、しょっちゅう読み更けていたのが、今に繋がる知識となり、これは後に別の番組で語っておられたのですが、当時覚えた、好きな知識はそうそう、年齢を経ても忘れることは滅多になかった…と。けど最近はちょっと年のせいもあって、ぼちぼちと(知識が)欠けて行きますけどな(笑)。
 「『人間国宝』やと呼ばれるようになってしまいました」と開口一番は、1996年4月の、重要無形文化財認定の、いわゆる喜びの記者会見。

「これが壷やとか仏像やとかの国宝なら
      売りも出来るンですが私らコレ売れへんしね(笑)、
      扱いも困るやろし、
            家族はボヤいてんねやないやろか」

と照れながら。

 それでも戦後間もない大阪にて、先輩の落語家が続々と引退、そして鬼籍に入るなかで、上方落語の滅亡が囁かれはじめ、そんな危機を同年輩の仲間とともに盛り立てて、埋もれた古典落語を掘り返しては独自の解釈を持って整え合わせて、後輩に、後世に伝えた…そんな今日の上方落語界へと導いた功績には一言では語り尽くせません。さらに今回の国宝認定で、

   「また上方落語に注目が集まるのは有難いこと」

 と、なおも落語に注ぐ情熱と愛情は深まるばかりの、そんな米朝師匠の素顔をスタジオのゲストとともに振り返ります。
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 昨年傘寿のお祝いを済ませ来る11月6日に、満80歳を迎える落語家で人間国宝である桂米朝師匠。これをお祝い記念して、当アーカイブスよりこちらの番組を紹介します。
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 「はずかしながら、ちょっと良い洋服を新調しました」と宮田輝アナの紹介に乗せて、五木ひろし「待っている女」(詞・山口洋子、曲・藤本卓也)。前年の「よこはまたそがれ」に続き出場2回目。それ以前に数度の改名を経てようやく掴んだヒット街道。この年のステージでは出場2回目にして奥深い出番ともども、石橋正次上條恒彦青い三角定規など初出場組を応援コーラスに従えている姿を見ると、一気にスターの貫禄を身に付けた…というのがこの年の五木ひろし。
 ♪ヘヘイへイ!、ヘヘイヘイへイ!…やたらと上條恒彦の低音が響いております(笑)。
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 大人も子供の口ずさんだ「ハチのムサシは死んだのさ」(視・内田良平、補作詞・むろふしチコ、曲・平田隆夫)平田隆夫とセルスターズ。紅組歌手陣が応援に駆けつけます。歌詞やメンバー構成のインパクトがまず気を引きますが、ツインボーカルの振付も独特で楽しい、カラオケに行った時にでも覚えていたいものです(笑)。

 紅白大ベテラン・16回目の出場は、低音の魅力、フランク永井「君恋し」(詞・時雨音羽、曲・佐々紅華)。昭和3年発表の曲をカバー。フランク自身も紅白で歌うは何度目かの正真正銘のスタンダードナンバー。「夜空のトランペット」ニニ・ロッソが応援演奏の、そういえばこのニニ・ロッソもよく来日してましたな。kohaku07

 本格的に歌手デビューするまで勤めていた、かつての職場の同僚からの応援電報、また、作曲を手掛けた小室等のギター伴奏を応援を背に受けて。フォークグループ「六文銭」と組んで前年より2年越しのヒットが花開いての出場となりました。様々な人々の思いと徐々に抑揚していくメロディー、特にサビである「♪さぁ今、銀河の向こうに飛んでゆけ」の辺りでは勢い余って、かけていたサングラスを飛ばしてしまうほどの熱演。フォークソングでありながら、バックダンサーを務める「ヤング101」の踊りも白熱し、先の欧陽菲菲とは違った意味での興奮のステージを繰り広げました。kohaku16