月曜の「とんち大作戦」での行われた数多くのパターンは今もなお、特別番組などで応用されています。
べ〜んべ〜ん…ビールのようでビールでない、サイダーのようでサイダーでない!…それは何かと訊ねたら…あら、シャンペンシャンペンシャンペン…ベンベン!
メンバー全員がベンベンと奏でる三味線の、太棹を模したその名も『豊竹屋』と呼ばれるネタは、元々の歌舞伎の音曲で演奏される太夫をパロディとしたことから、太夫といえば『豊竹』というところから付いた名前。いわゆるこのベンベンを、坂田利夫師の番になれば、誰とはなしに「ベンベ〜ン、ベンべ〜ン…ケンベ〜ン、検便〜!」とボケたり、「べンべ〜ン…ブチッ!」…「おい、どないしたんや?」、「三味線の糸が切れました」、「えらい細かいなぁ!」と横道に反れたりして、なかなかと坂田師の解答の邪魔をする。邪魔の先頭に立っていたのは大抵は、相方の前田五郎師。こういう小意地の悪いというか、シレッとしたボケをさせたら、この五郎師が今でも天下一品だと思います(笑)。
そうやって回りでボケるだけボケて邪魔されるだけされた挙句に、とうとう業を煮やした坂田師、最後は「エエ加減にしなさい!、たまにはトッちゃんにもスッと答えさせなさい、ダァホ(ドアホ)!」(笑)。
そんな坂田師に仁鶴師はじめ、周囲のメンバーも「ほな答えられんねんな」と期待を込めたガヤを投げかけると、「まかせなさい」と得意満面の坂田師…
あ、バナナのようでバナナでない!ソーセージのようでソーセージでない…
正解が出るか出ないかのうちに周囲のメンバーはソワソワし始めます。バナナのようでバナナでなく、ソーセージのようでソーセージでないもので、坂田師の答えを想像すると、「坂田とは一緒にテレビには映ってられへん」というリアクション…に続いて、それは何かと訊ねたら…
あら、言われん!言われん!
…で坂田、エエ加減にせえ!…となるわけです。
坂田師の大オチに向けてのメンバーのアンサンブルが効いたまさに大喜利こそ団体芸。
「○○がもしも、××したときにこんな一言」とお題を出されて、フリップに「◎◎!」と瞬発的にボケの解答を書くパターンが昨今では『大喜利』と呼ばれていますが、そういう企画を見たときにこそ、団体芸たる古き良き、大喜利を思い出してなりません。また、「笑点」(日本テレビ/1966年〜)のソレとも違うねんなぁ〜…あのころの大喜利は。
べ〜んべ〜ん…ビールのようでビールでない、サイダーのようでサイダーでない!…それは何かと訊ねたら…あら、シャンペンシャンペンシャンペン…ベンベン!
メンバー全員がベンベンと奏でる三味線の、太棹を模したその名も『豊竹屋』と呼ばれるネタは、元々の歌舞伎の音曲で演奏される太夫をパロディとしたことから、太夫といえば『豊竹』というところから付いた名前。いわゆるこのベンベンを、坂田利夫師の番になれば、誰とはなしに「ベンベ〜ン、ベンべ〜ン…ケンベ〜ン、検便〜!」とボケたり、「べンべ〜ン…ブチッ!」…「おい、どないしたんや?」、「三味線の糸が切れました」、「えらい細かいなぁ!」と横道に反れたりして、なかなかと坂田師の解答の邪魔をする。邪魔の先頭に立っていたのは大抵は、相方の前田五郎師。こういう小意地の悪いというか、シレッとしたボケをさせたら、この五郎師が今でも天下一品だと思います(笑)。
そうやって回りでボケるだけボケて邪魔されるだけされた挙句に、とうとう業を煮やした坂田師、最後は「エエ加減にしなさい!、たまにはトッちゃんにもスッと答えさせなさい、ダァホ(ドアホ)!」(笑)。
そんな坂田師に仁鶴師はじめ、周囲のメンバーも「ほな答えられんねんな」と期待を込めたガヤを投げかけると、「まかせなさい」と得意満面の坂田師…
あ、バナナのようでバナナでない!ソーセージのようでソーセージでない…
正解が出るか出ないかのうちに周囲のメンバーはソワソワし始めます。バナナのようでバナナでなく、ソーセージのようでソーセージでないもので、坂田師の答えを想像すると、「坂田とは一緒にテレビには映ってられへん」というリアクション…に続いて、それは何かと訊ねたら…
あら、言われん!言われん!
…で坂田、エエ加減にせえ!…となるわけです。
坂田師の大オチに向けてのメンバーのアンサンブルが効いたまさに大喜利こそ団体芸。
「○○がもしも、××したときにこんな一言」とお題を出されて、フリップに「◎◎!」と瞬発的にボケの解答を書くパターンが昨今では『大喜利』と呼ばれていますが、そういう企画を見たときにこそ、団体芸たる古き良き、大喜利を思い出してなりません。また、「笑点」(日本テレビ/1966年〜)のソレとも違うねんなぁ〜…あのころの大喜利は。
子供のころによく見たテレビ番組などの話題が、同級生や同世代の連中との会話によく出ます。1972(昭和47)年生まれで今年33〜34歳となると、間違いなく話題になるのが、「8時だョ!全員集合」(TBS/1969〜1985年)、もしくは「オレたちひょうきん族」(フジテレビ/1981〜1989年)。土曜夜8時を主戦場に凌ぎを削った2大お笑い番組は、とりわけ、物心つき始めたときに80年代を迎えた者としては、「ドリフ派」、「ひょうきん派」へと見事に別れ、未だにどちらが面白かったかを主張しあっているのも楽しいひととき。
最近になって両番組ともDVD化され、再び当時を振り返る機会を得るのと同時に、その伝説の一端に触れようと、若い世代のお笑いファンにも好評にセールスしていると伺います。
このように、80年代…十分に物心がついた時代のお笑い番組の記憶は充分としても、では、一番最初にお笑い番組は何だったのかという話になると、その薄らぎ行く記憶を辿れば、それは70年代後半の、晩飯前の夕方へと…繋がって行きます。
最近になって両番組ともDVD化され、再び当時を振り返る機会を得るのと同時に、その伝説の一端に触れようと、若い世代のお笑いファンにも好評にセールスしていると伺います。
このように、80年代…十分に物心がついた時代のお笑い番組の記憶は充分としても、では、一番最初にお笑い番組は何だったのかという話になると、その薄らぎ行く記憶を辿れば、それは70年代後半の、晩飯前の夕方へと…繋がって行きます。
パソコンの不具合から、一週間のご無沙汰でした。それでもカウンターが徐々に伸びてるのも不思議なくらい、それでいてちょいとウレシイ。そんなウレシさにかまけて、本日よりぼちぼち再開です。
それにしても今朝方はどえらい風が吹きました。窓がドンガラドンガラ唸って怖いくらいの。で、その風が吹いたかどうか、関西地方は雨もしとしと降っておりますが、にも関わらず非常に気温も高いようで。一雨一雨ごとに春の近付く、今朝の風こそが「春一番」?…。気象庁からの発表も近いやもしれずで、寒さ嫌いとしては「春一番」、非常に待ち遠しい限りです。
そんな待ち遠しい「春一番」。もうひとつこの時期、待ち遠しい「春一番」といえば、関西のゴールデンウィークの風物詩、「春一番コンサート」でございます。
70年代より途中の中断を経ながらも、30年以上の歴史を誇る野外コンサートの決定版は、昨年を限りに一応のピリオドを打つやもしれぬ…というファンはもちろん音楽関係者の間でもそんな噂が囁かれました。してしてその真偽のほどは…と気になるままどうなるか…で、2006年を迎えてしまいました。
とにもかくにも、今朝吹いた、まるで「春一番」かの強風にちなんで本日お送りするのは、昨年の「春一番コンサート2005ありがとう」(2005年5月1・2・4・5日/大阪・服部緑地野外音楽堂)、2日目にご出演の、我らが大西ユカリと新世界、その専属歌手であられる大西ユカリ姐さんが、ご自身の番組で「春一番コンサート」について、熱く語る!…。
ほぼ完全特別採録にて…引き続きより早速、参りましょう。
それにしても今朝方はどえらい風が吹きました。窓がドンガラドンガラ唸って怖いくらいの。で、その風が吹いたかどうか、関西地方は雨もしとしと降っておりますが、にも関わらず非常に気温も高いようで。一雨一雨ごとに春の近付く、今朝の風こそが「春一番」?…。気象庁からの発表も近いやもしれずで、寒さ嫌いとしては「春一番」、非常に待ち遠しい限りです。
そんな待ち遠しい「春一番」。もうひとつこの時期、待ち遠しい「春一番」といえば、関西のゴールデンウィークの風物詩、「春一番コンサート」でございます。
70年代より途中の中断を経ながらも、30年以上の歴史を誇る野外コンサートの決定版は、昨年を限りに一応のピリオドを打つやもしれぬ…というファンはもちろん音楽関係者の間でもそんな噂が囁かれました。してしてその真偽のほどは…と気になるままどうなるか…で、2006年を迎えてしまいました。
とにもかくにも、今朝吹いた、まるで「春一番」かの強風にちなんで本日お送りするのは、昨年の「春一番コンサート2005ありがとう」(2005年5月1・2・4・5日/大阪・服部緑地野外音楽堂)、2日目にご出演の、我らが大西ユカリと新世界、その専属歌手であられる大西ユカリ姐さんが、ご自身の番組で「春一番コンサート」について、熱く語る!…。
ほぼ完全特別採録にて…引き続きより早速、参りましょう。
様々な出会いと別れの繰り返しの50年。むしろ別れよりも多くの出会いがあってこその発展であり思考錯誤の繰り返し、50年、芸の記録。これだけの大御所でありながら、横山ホットブラザーズ、多彩な後輩陣からも慕われております。
横山ホットブラザーズ、桂米朝、夢路いとし・喜味こいしによる、演芸界頂上対談はいよいよクライマックス。珍芸の覇者、ホットブラザーズ50年の知られざる苦悩が今明かされる?
と一応、煽っておきながら、どうぞ、肩の力を楽〜に抜いて引き続きお楽しみ下さいませ…。
と一応、煽っておきながら、どうぞ、肩の力を楽〜に抜いて引き続きお楽しみ下さいませ…。
横山ホットブラザーズ、50周年を祝う特番の座談会の模様は、放送に先駆けて行われた、ワッハ上方・演芸ホールにおいてのイベントから。
座談会、ご出演はホットブラザーズ50年を同じ演芸界、表から裏から見続けて証言者、人間国宝、落語家の桂米朝師。漫才界からも国宝級の名コンビ、夢路いとし・喜味こいしのご両人。
司会は関西テレビ「痛快!エブリデイ」でもお馴染みの、桂南光師、関純子(関西テレビアナウンサー)と、こちらも名コンビ…。
では、50年目の四方山話(放送ではイベントからの一部抜粋)…どうぞ。
座談会、ご出演はホットブラザーズ50年を同じ演芸界、表から裏から見続けて証言者、人間国宝、落語家の桂米朝師。漫才界からも国宝級の名コンビ、夢路いとし・喜味こいしのご両人。
司会は関西テレビ「痛快!エブリデイ」でもお馴染みの、桂南光師、関純子(関西テレビアナウンサー)と、こちらも名コンビ…。
では、50年目の四方山話(放送ではイベントからの一部抜粋)…どうぞ。
バタバタしてるわ、おまけにパソコンの調子悪いわで、更新出来ず仕舞い。特に昨日は、一昨日のMBSラジオ、「放送事故」の詳細をダラダラ書き上げたところでサーバーダウン。
余所の事故よりオノレのパソコンが事故起こす始末では、これからも先が思いやられます(笑)。ホットさんのも折角なので最後までご紹介しないと気が済まないでいるのですが、とりあえずは本日分はカンタンに。
毎度ご贔屓頂いてる皆様はすでにお気づきかと存じますが、ご訪問カウンターの下に「ブログランキング」のバナーを添付しました。このブログを借りている会社からのメールでお誘いを受けて参戦に至ったわけでございますが、何やらクリックしていただくと、ランクアップでグングングン!となる次第やそうでして…。
よく分からずに、自分でクリックしてみて、調べましたら何と順位が出ておりました。5部門にエントリーしておりまして、今確認しましたら、
「芸能・音楽ニュース」部門、22位。
「邦楽」部門…87位。
「バラエティー」部門…9位。
「芸人」部門…8位。
「ラジオ」部門」…5位。
だそうです。とりわけて順位が上がったところでどうなるのかはよく分かりませんが、ちょっとは励みにもなりうるかなと(笑)。
とりわけてどうなるのか…どうなる結果が出るのは、その下の「クリックしてね」の欄。4つのバナーがございますが、ここが肝心です(笑)。
これはクリックしていただくと、何と1円ずつ加算されていくみたいです(笑)。チリも積もればアニータに貢ぐ…やなしに、チリも積もれば山となる。1円は決してチリではありませんが、1円を笑う者は欽ちゃんが武道館で泣く…よく分かりませんが、まぁチャリティの精神で(笑)、出来ればこちらの方を積極的にクリック願えれば有難く思います…と涙ぐましい露骨な営業活動(笑)。
これからはこんなんもドンドンと言わせてもらいますので(笑)、温かいご支援のほどを…。
では、早速、パソコンのデータ。CD-R購入次第、整理したいと思いますが
今後の予定としましては、
▽長男やねんからしっかりしなさい!横山ホットブラザーズ50年目の挑戦
▽若宮テイ子のゴールデンナイトショウ「大西ユカリ横浜横須賀サウンドを語る!」
▽桂米朝・海原小浜の昭和上方演芸繁昌記
▽私の名盤コレクション「大西ユカリ編」(2006年2月6〜10日放送分)
などを、まぁ、順調にこれだけお送りできるかの保証はできませんが、とりあえずはそんな按配でございます。
月の半ばの口上にて、今後とも隅から隅までズズズイ〜と!…でございます。
余所の事故よりオノレのパソコンが事故起こす始末では、これからも先が思いやられます(笑)。ホットさんのも折角なので最後までご紹介しないと気が済まないでいるのですが、とりあえずは本日分はカンタンに。
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よく分からずに、自分でクリックしてみて、調べましたら何と順位が出ておりました。5部門にエントリーしておりまして、今確認しましたら、
「芸能・音楽ニュース」部門、22位。
「邦楽」部門…87位。
「バラエティー」部門…9位。
「芸人」部門…8位。
「ラジオ」部門」…5位。
だそうです。とりわけて順位が上がったところでどうなるのかはよく分かりませんが、ちょっとは励みにもなりうるかなと(笑)。
とりわけてどうなるのか…どうなる結果が出るのは、その下の「クリックしてね」の欄。4つのバナーがございますが、ここが肝心です(笑)。
これはクリックしていただくと、何と1円ずつ加算されていくみたいです(笑)。チリも積もればアニータに貢ぐ…やなしに、チリも積もれば山となる。1円は決してチリではありませんが、1円を笑う者は欽ちゃんが武道館で泣く…よく分かりませんが、まぁチャリティの精神で(笑)、出来ればこちらの方を積極的にクリック願えれば有難く思います…と涙ぐましい露骨な営業活動(笑)。
これからはこんなんもドンドンと言わせてもらいますので(笑)、温かいご支援のほどを…。
では、早速、パソコンのデータ。CD-R購入次第、整理したいと思いますが
今後の予定としましては、
▽長男やねんからしっかりしなさい!横山ホットブラザーズ50年目の挑戦
▽若宮テイ子のゴールデンナイトショウ「大西ユカリ横浜横須賀サウンドを語る!」
▽桂米朝・海原小浜の昭和上方演芸繁昌記
▽私の名盤コレクション「大西ユカリ編」(2006年2月6〜10日放送分)
などを、まぁ、順調にこれだけお送りできるかの保証はできませんが、とりあえずはそんな按配でございます。
月の半ばの口上にて、今後とも隅から隅までズズズイ〜と!…でございます。
MBSラジオ、毎週月曜〜金曜朝10時30分より2時間の生放送で送る「さてはトコトン菊水丸」。本日2月14日は、この番組のメインパーソナリティーと務める、河内音頭・新聞(しんもん)詠み流家元、河内家菊水丸さんの43歳のお誕生日でございます。おめでとうございます。↓
「ホットVSかしましの歌って笑ってウチら陽気な同窓会」…つづきです。
照枝 セッちゃんは結婚してんの?
セツオ してますよ。娘が(放送当時)26ですよ。
花江 そんなに歳いってんの!?ほな自分、若いわぁ…。
アキラ 歳いってまんねんで。
照枝 27〜8としか思われへんよ。
アキラ 皆そう言いまんねん。
花江 けどよういって、30代やね。
セツオ いや、アハハハ…(笑)。
マコト そら言い過ぎや。2倍ほど歳上げなイカン。
アキラ もう無茶苦茶やで。50代をもう半分過ぎとんねんから。
照枝 若いわ。
花江 そんなん聞いたらウチら生きてられへんね。
アキラ うん、そやろ?
花江 そやろて何よ、もう!(笑)
…そないあっさり言わんように(笑)
照枝 セッちゃんは結婚してんの?
セツオ してますよ。娘が(放送当時)26ですよ。
花江 そんなに歳いってんの!?ほな自分、若いわぁ…。
アキラ 歳いってまんねんで。
照枝 27〜8としか思われへんよ。
アキラ 皆そう言いまんねん。
花江 けどよういって、30代やね。
セツオ いや、アハハハ…(笑)。
マコト そら言い過ぎや。2倍ほど歳上げなイカン。
アキラ もう無茶苦茶やで。50代をもう半分過ぎとんねんから。
照枝 若いわ。
花江 そんなん聞いたらウチら生きてられへんね。
アキラ うん、そやろ?
花江 そやろて何よ、もう!(笑)
…そないあっさり言わんように(笑)
長男・アキラ師を筆頭に、アコーディオンのマコト師、ギターのセツオ師に続く3兄弟、横山ホットブラザーズの歴史を語るうえで欠かせない人物が彼らが「おやっさん」と慕う父君であり師匠でもある、横山東六(よこやま・とうろく)師。そんな「おやっさん」への思いをそれぞれお三方は語っておられます。
ホットブラザーズの歴史は1936(昭和11)年、東六師を中心に結成された「トウロクショウ」に端を発します。番組内で紹介された写真によるとギター、アコーディオン、サックス、ドラムの東六一家に一門が続く9人体制の大所帯。結成の翌年、3兄弟のトップを切って当時、わずか3歳であった次男のマコト師が加入し、寄席や地方巡業を中心にファミリーショウとして人気を博していきます。やがて時代は戦争の時代へと突入し、そのころのマコト師は子供ながらに戦時歌謡を歌い上たり、軍隊コント的なものを演じるなど、観客の喝采を浴びていました。
戦局が厳しくなった1944(昭和19)年、当時12歳の長男・マコト師が加入。ご本人曰く、先にデビューしていたアキラ師と比べて音楽的なカンが鈍いと、芸に厳しい東六師によく怒られていたそうです。
やがて終戦を迎え、「横山ファミリーショウ」という名称を経て1952(昭和27)年、現在の「横山ホットブラザーズ」とチーム名を改めます。
「いつまでも『トウロクショウ』でいるよりもこれからは若いお前たちの時代だ」と実質的な世代交替ともとれる東六師の思いを受けて、「温かい兄弟」、すなわち、「ホットブラザーズ」として兄弟主体に。さらには楽器に加えノコギリを初めとする道具ネタを導入するなどアイディアを続々と発揮。来るべき放送の、とりわけテレビの時代を意識して、ビジュアル的要素を取り入れた舞台が、予見通り、新時代の笑いとして大いに受け入れられていくのです。
そんな父・東六師。実質的兄弟たちにチームを託してからは自身の芸の質を変化させていきます。さんざんと兄弟たちが若々しく賑やかに暴れまわって爆笑を取ったあとで、そっと袖から登場し、ボソッとボケを発したあとにさりげないダミ声で「おじゃましました〜」。しかし、この、「引きの芸」ともいえる芸風に転じたことが、皮肉なことに「押し」の兄弟たちを上回る爆笑を得てしまうこととなるのです。当時を振り返ってアキラ師曰く、
「そら、おやじ、殺生やで(笑)」。
以上の舞台が、昭和30年〜40年代後半にかけてのホットブラザーズ、お馴染みのパターンとして定着していくのでした。
テレビ時代を予見した東六師のいわゆるビジュアル派宣言。しかし、これについては楽器としゃべくり一本で行きたい、と兄弟たちは当初、胸のうちに反発があったといいます。しかし、後にザ・ドリフターズが「8時だョ!全員集合」(TBS/1969〜1985年)において大仕掛けのコントでテレビ時代の王様へと駆け上がる様を見て、「おやじの言うてたことは間違いなかってんな」と、兄弟たちは父・東六師の先見の明を改めて称えるのです。
やがて東六師、健康上の理由に徐々に表舞台から遠ざかることとなり、入れ替わるように1966(昭和41)年、三男・セツオ師が加入(父を含めた4人時代として昭和50年代前半まで続く)。当時、大学生であったセツオ師、ビートルズ世代の新感覚の音楽で、「ホットブラザーズ」に革命を起こしてやると意気込むのですが、
「しゃべりがあるのを忘れとったんや」(笑)。
三兄弟それぞれの印象は、時代によって異なるのか、セツオ師加入のころには
「親父はすっかり好々爺になって、仏の東六でしたね。末っ子には甘いんでしょうかね」。
ちなみにセツオ師はメンバーのなかでは「三男」と称されますが、実際の横山家では七人兄弟の末っ子になるのです。
やがて、病に勝てず、東六師は引退…そして死去。
父の遺志と芸の遺産を汲んでさらに音楽ショウの灯を守り続ける横山ホットブラザーズ。セツオ師曰く「お父さん」、マコト師曰く「師匠」、そしてアキラ師曰く「神様」であった東六師。それぞれの印象は違っても「お父さんは好きですか?」との番組スタッフの質問に、それぞれが「好きですよ」。幾つになっても親は親であり、子は子である、といったところでしょうか。そう答える3人の表情が何ともいえません。
この番組が放送された直後、4月。横山ホットブラザーズ、50年の功績が認められ、「第38回上方漫才大賞」を受賞。大好きなおやっさんのもとにも朗報は届いたことでしょう。
そんな「ホットブラザーズ」と改名された当時、実は、後に「かしまし娘」を結成することとなる、三女の正司花江師がメンバーに所属しています。道頓堀・角座を主戦場に、男3兄弟と、女3兄弟で芸の凌ぎを削ったそれぞれが、番組内で当時を振り返ってのトークを繰り広げています。題して、「歌って笑ってうちら陽気な同窓会」…引き続きどうぞ。
ホットブラザーズの歴史は1936(昭和11)年、東六師を中心に結成された「トウロクショウ」に端を発します。番組内で紹介された写真によるとギター、アコーディオン、サックス、ドラムの東六一家に一門が続く9人体制の大所帯。結成の翌年、3兄弟のトップを切って当時、わずか3歳であった次男のマコト師が加入し、寄席や地方巡業を中心にファミリーショウとして人気を博していきます。やがて時代は戦争の時代へと突入し、そのころのマコト師は子供ながらに戦時歌謡を歌い上たり、軍隊コント的なものを演じるなど、観客の喝采を浴びていました。
戦局が厳しくなった1944(昭和19)年、当時12歳の長男・マコト師が加入。ご本人曰く、先にデビューしていたアキラ師と比べて音楽的なカンが鈍いと、芸に厳しい東六師によく怒られていたそうです。
やがて終戦を迎え、「横山ファミリーショウ」という名称を経て1952(昭和27)年、現在の「横山ホットブラザーズ」とチーム名を改めます。
「いつまでも『トウロクショウ』でいるよりもこれからは若いお前たちの時代だ」と実質的な世代交替ともとれる東六師の思いを受けて、「温かい兄弟」、すなわち、「ホットブラザーズ」として兄弟主体に。さらには楽器に加えノコギリを初めとする道具ネタを導入するなどアイディアを続々と発揮。来るべき放送の、とりわけテレビの時代を意識して、ビジュアル的要素を取り入れた舞台が、予見通り、新時代の笑いとして大いに受け入れられていくのです。
そんな父・東六師。実質的兄弟たちにチームを託してからは自身の芸の質を変化させていきます。さんざんと兄弟たちが若々しく賑やかに暴れまわって爆笑を取ったあとで、そっと袖から登場し、ボソッとボケを発したあとにさりげないダミ声で「おじゃましました〜」。しかし、この、「引きの芸」ともいえる芸風に転じたことが、皮肉なことに「押し」の兄弟たちを上回る爆笑を得てしまうこととなるのです。当時を振り返ってアキラ師曰く、
「そら、おやじ、殺生やで(笑)」。
以上の舞台が、昭和30年〜40年代後半にかけてのホットブラザーズ、お馴染みのパターンとして定着していくのでした。
テレビ時代を予見した東六師のいわゆるビジュアル派宣言。しかし、これについては楽器としゃべくり一本で行きたい、と兄弟たちは当初、胸のうちに反発があったといいます。しかし、後にザ・ドリフターズが「8時だョ!全員集合」(TBS/1969〜1985年)において大仕掛けのコントでテレビ時代の王様へと駆け上がる様を見て、「おやじの言うてたことは間違いなかってんな」と、兄弟たちは父・東六師の先見の明を改めて称えるのです。
やがて東六師、健康上の理由に徐々に表舞台から遠ざかることとなり、入れ替わるように1966(昭和41)年、三男・セツオ師が加入(父を含めた4人時代として昭和50年代前半まで続く)。当時、大学生であったセツオ師、ビートルズ世代の新感覚の音楽で、「ホットブラザーズ」に革命を起こしてやると意気込むのですが、
「しゃべりがあるのを忘れとったんや」(笑)。
三兄弟それぞれの印象は、時代によって異なるのか、セツオ師加入のころには
「親父はすっかり好々爺になって、仏の東六でしたね。末っ子には甘いんでしょうかね」。
ちなみにセツオ師はメンバーのなかでは「三男」と称されますが、実際の横山家では七人兄弟の末っ子になるのです。
やがて、病に勝てず、東六師は引退…そして死去。
父の遺志と芸の遺産を汲んでさらに音楽ショウの灯を守り続ける横山ホットブラザーズ。セツオ師曰く「お父さん」、マコト師曰く「師匠」、そしてアキラ師曰く「神様」であった東六師。それぞれの印象は違っても「お父さんは好きですか?」との番組スタッフの質問に、それぞれが「好きですよ」。幾つになっても親は親であり、子は子である、といったところでしょうか。そう答える3人の表情が何ともいえません。
この番組が放送された直後、4月。横山ホットブラザーズ、50年の功績が認められ、「第38回上方漫才大賞」を受賞。大好きなおやっさんのもとにも朗報は届いたことでしょう。
そんな「ホットブラザーズ」と改名された当時、実は、後に「かしまし娘」を結成することとなる、三女の正司花江師がメンバーに所属しています。道頓堀・角座を主戦場に、男3兄弟と、女3兄弟で芸の凌ぎを削ったそれぞれが、番組内で当時を振り返ってのトークを繰り広げています。題して、「歌って笑ってうちら陽気な同窓会」…引き続きどうぞ。

放送に先駆けて、2003(平成15)年2月23日、大阪・千日前「ワッハ上方・演芸ホール」で催された記念イベントの模様を中心に、VTRや座談会など、さまざまな企画を織り交ぜた50年の歴史と現役バリバリ、その芸の魅力に迫った内容でした、横山ホットブラザーズ50周年記念特番。
ワッハ上方のおける記念イベント。司会は同じ関西テレビ、平日朝の人気番組「痛快!エブリデイ」でお馴染み、桂南光、関純子アナの名コンビによる司会進行。特に南光師、新人時代はホットさん(幕内の間でも親しみを込めてこう呼ばれるので、以降、こう表記させていただきます)と同じ事務所に所属し、また大阪・梅田の旧梅田コマ劇場に併設された「コマモダン寄席・トップホットシアター」という演芸場でも共演した先輩後輩の間柄。
ちなみに「トップホットシアター」には海原お浜・小浜、その弟子である海原千里・万里、朝丸時代の桂ざこば、若井はんじ・けんじ、吉本興業に所属する前の若井小づえ・みどり、大木こだま(以上、敬称略)も出演されていました。
南光師、番組のなかでも当時の思い出を座談コーナーで語っておられます。
それにしてもスゴイタイトルの番組でした(笑)。それほど長男、アキラ師匠の大ボケキャラが浸透いるということでしょうか。これ、普通の兄弟なら完全に威厳もへったくれもありません、長男としての(笑)。
この番組は、3年前、このチーム名になって50周年を迎えた「横山ホットブラザーズ」を偉業を称える記念番組で、その年の2月にワッハ上方で催された記念公演の模様を中心に、トークやVTRで彼らの魅力を紹介したものでした。
このチーム名になって…というのは、それ以前にも、まず次男でアコーディオンのマコト師を皮切りに続いてアキラ師がそれぞれ子役として芸能界入りされていました。なのでそれら加えると、さらに相当の芸歴がカウントされます。
この番組は、3年前、このチーム名になって50周年を迎えた「横山ホットブラザーズ」を偉業を称える記念番組で、その年の2月にワッハ上方で催された記念公演の模様を中心に、トークやVTRで彼らの魅力を紹介したものでした。
このチーム名になって…というのは、それ以前にも、まず次男でアコーディオンのマコト師を皮切りに続いてアキラ師がそれぞれ子役として芸能界入りされていました。なのでそれら加えると、さらに相当の芸歴がカウントされます。
白夜書房という出版社がございます。雑誌「パチプロ必勝ガイド」や「けいりんマガジン」、さらには豊富でマニアックな数々のムックを出版するなど、出版界の異端をしかも常に先手先手と、一手に引き受ける私の好きな出版社です。
同出版社で私がもっとも愛読しているものに「笑芸人」という季刊誌があります。その名の通り、古今東西のお笑い界演芸シーンを詳細にまで取り扱ってくれて資料的価値としても十二分。あの放送作家の高田文夫先生が責任編集長とくればもう、このテの雑誌としては他の追随を許さぬづいづいづっころばし。「お笑いタイ○ーン」など“笑芸人台風”ですっかり吹き飛ばされ、「お笑いポ○ロ」などはもうお笑いボロボロ…と、言葉遊びはこれくらいにして(遊びきれてない?)。

そんな「笑芸人」を専門職の立場で「発行人」として支える方に末井昭さんという方がおられます。今回の「こんなブログがおまんねや!」はこの方の日記です。
同出版社で私がもっとも愛読しているものに「笑芸人」という季刊誌があります。その名の通り、古今東西のお笑い界演芸シーンを詳細にまで取り扱ってくれて資料的価値としても十二分。あの放送作家の高田文夫先生が責任編集長とくればもう、このテの雑誌としては他の追随を許さぬづいづいづっころばし。「お笑いタイ○ーン」など“笑芸人台風”ですっかり吹き飛ばされ、「お笑いポ○ロ」などはもうお笑いボロボロ…と、言葉遊びはこれくらいにして(遊びきれてない?)。

そんな「笑芸人」を専門職の立場で「発行人」として支える方に末井昭さんという方がおられます。今回の「こんなブログがおまんねや!」はこの方の日記です。
以前このコーナーの第一弾として紹介させていただきました、笑福亭松之助師匠のブログ。2月に入ってからは明石家さんまさん、「弟子を語る」編となって懐かしい師弟の日々が綴られておりますが、ここへ来ての先日のさんまさんのお父様の訃報(ご冥福をお祈りいたします)も重なって、毎日のわずかながらの文章に、弟子への多大なる師匠の愛情や、現在の心中を汲む思いがこもって…ちょっとかなわんですね(何か最近、こういうのに弱いです・・・)。
笑福亭松之助!、松ちゃん!!…まさに
「明石家さんまの師匠」、ここにありです!
笑福亭松之助!、松ちゃん!!…まさに
「明石家さんまの師匠」、ここにありです!
寺内貫太郎一家が帰ってくる!
1974(昭和49)年よりTBSテレビ「水曜劇場」枠で放送された向田邦子・脚本による名作「寺内貫太郎一家」がこのたびDVD化され、その第一話の上映会が当時の出演者を招いてのトークショーを含めて開催されたとか。
東京の下町、谷中に代々続く「石貫」という石材屋、主人である頑固者の貫太郎を中心に一家の日々の騒動が毎回描かれ、ちゃぶ台をひっくり返すシーンは当たり前。息子役を演じた西城秀樹は騒動の乱闘シーンで巨漢の小林亜星に本気にぶっ飛ばされ、挙句縁側に落下して腕を複雑骨折したほど。(結果この事故で西城秀樹は、「友達と山登りに出掛ける」とかを理由に休番しております)
それとホームドラマの定番である食事のシーンには、食道楽とも自認する、向田邦子のこだわりもあって、登場するレシピがテロップで紹介されたりとバラエティー色満載。そして何よりも番組を彩ったのは、「時間ですよ」以来の名コメディエンヌリリーフぶりを発揮した、樹木希林(当時・悠木千帆)扮する「キンばあちゃん」の怪演。自分の部屋に飾っている沢田研二のポスターを眺めては身悶える「ジュリ〜!」(笑)。

1974(昭和49)年よりTBSテレビ「水曜劇場」枠で放送された向田邦子・脚本による名作「寺内貫太郎一家」がこのたびDVD化され、その第一話の上映会が当時の出演者を招いてのトークショーを含めて開催されたとか。
東京の下町、谷中に代々続く「石貫」という石材屋、主人である頑固者の貫太郎を中心に一家の日々の騒動が毎回描かれ、ちゃぶ台をひっくり返すシーンは当たり前。息子役を演じた西城秀樹は騒動の乱闘シーンで巨漢の小林亜星に本気にぶっ飛ばされ、挙句縁側に落下して腕を複雑骨折したほど。(結果この事故で西城秀樹は、「友達と山登りに出掛ける」とかを理由に休番しております)
それとホームドラマの定番である食事のシーンには、食道楽とも自認する、向田邦子のこだわりもあって、登場するレシピがテロップで紹介されたりとバラエティー色満載。そして何よりも番組を彩ったのは、「時間ですよ」以来の名コメディエンヌリリーフぶりを発揮した、樹木希林(当時・悠木千帆)扮する「キンばあちゃん」の怪演。自分の部屋に飾っている沢田研二のポスターを眺めては身悶える「ジュリ〜!」(笑)。


長見順さんです。似てるかどうかは別にして、どっちにしても落書きショウなのでご勘弁を(笑)。
昨年…いや一昨年にもうなりますか、秋に東京へ「ペーソス」のライブを観にいったとき。その日のゲストとして出演されていたのが「長見順バンド」。バンドの冠としてボーカル兼ギターを務め、奏でるアンニュイ…といえば月並みの言葉でしょうか。とにかく小さな身体に大き目のギターを携えて、体付きに似合わぬ声量、揺さぶられるブルース。初めて間近で見て聴いて一瞬でノックアウトです(あ、もっとKOされたしまったアーティストが他におられましたが、それはまた次回に)。
年が明けてお正月と思ったら、もう一月経って節分、豆まき、いわしの頭玄関飾るいつまでも放ったらかしクッサ〜な2月。
先月は当ブログ初の無理矢理にですが1ヶ月無休営業を成し遂げました。松竹新喜劇の藤山寛美先生の244ヶ月無休公演には遥か及びませんが(笑)、毎日毎日何らかの形でも物事を伝えるのは難しいもんですなぁ〜と改めて勉強させてもらいました。
てなわけで、年の初めを無休で果たしてほっと一息。今月から再び、まったりオネオネと気が向いたままにワケの分からんこと相も変わらぬ自己満足だらけで参りますので、引き続きご贔屓のほどを角から角までズズズイ〜と、よろしくお願い申し上げます。
先月は当ブログ初の無理矢理にですが1ヶ月無休営業を成し遂げました。松竹新喜劇の藤山寛美先生の244ヶ月無休公演には遥か及びませんが(笑)、毎日毎日何らかの形でも物事を伝えるのは難しいもんですなぁ〜と改めて勉強させてもらいました。
てなわけで、年の初めを無休で果たしてほっと一息。今月から再び、まったりオネオネと気が向いたままにワケの分からんこと相も変わらぬ自己満足だらけで参りますので、引き続きご贔屓のほどを角から角までズズズイ〜と、よろしくお願い申し上げます。
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