「さてはトコトン菊水丸」(MBSラジオ/2007年7月20日放送)、『おたまじゃくし音楽堂』はペギー葉山さん、『トコトン生ゲスト』は元TBS、スポーツアナウンサーの山田二郎さん。ペギーさんといえば歌手として、「ドレミの歌」の訳詞、というよりも独自解釈で日本語を付けた、立派な作詞や、「南国土佐を後にして」、それに自身の女学生時代を反映させた「学生時代」などと名曲色々。
また、再放送世代ながら子供のころは「ウルトラマンタロウ」(TBS/1973年)の『ウルトラの母』、地球上の姿である緑のおばさん役として出演。ウルトラ兄弟のなかで唯一実子である『タロウ』に対する、母の優しさの好演がとても印象的。
なので、歌手というよりも「友達の母親」というイメージをペギーさんには抱き続けながら、それにしても何故にその印象が強いのかなと、よくよく振り返れば、「ひらけ!ポンキッキ」(フジテレビ)で、「車には気をつけて、横断歩道は手をあげて渡りましょうね」などとテレビの前に語りかける、『しつけのお母さん』的コーナーを担当されていたのを思い出しました。
このコーナーはリアルタイムでもあり、また幼稚園、小学校へと進学するにつれ、幼児番組など見なくなっても、何かの折でたまに見たときは、やはり「しつけのお母さん」として。「〜ポンキッキ」はかなり長く担当されていたように思います。
『〜生ゲスト』は山田二郎さん。元TBSアナウンサーで、局アナ時代は、ラジオ・テレビのプロ野球実況や、それに当時TBSの子会社でもあった「国際プロレス」の実況、それに大相撲ダイジェストのような番組も担当されていたそうで、TBSのスポーツ中継に山田二郎ありと名声を挙げた方。
そんな実況スタイルが評判となって、今度は「怪獣同士の対決にも実況を」と、担当されたのが同じTBSで放送の「ウルトラファイト」。
1966(昭和41)年に「ウルトラマン」、翌年に「ウルトラセブン」があってそれぞれ大ヒットを飛ばしたものの、とにかく制作費のかかる特撮ドラマ、それでも製作を担当した円谷プロダクションの事情により、シリーズは一時中断。中断どころか新シリーズどころか、円谷プロ事態が経営困難へと陥った1970(昭和45)年ごろを、かつての「ウルトラマン」「〜セブン」の、対決シーンのみをピックアップし、それらの映像にプロレス風の実況をかぶせて再編集したものを、平日毎日夕方に放送…と、これが「ウルトラファイト」。
ほとんど苦肉の策の、5分間ほどのミニ番組が、まさにひょうたんからの独楽、棚からぼた餅の降って湧いたような大ヒットとなり、過去の遺産によって円谷プロ、見事な復活再生を果たすことに。しかし、「〜マン」が全39話、「〜セブン」が全49話と、すべて再編集しても「ウルトラファイト」、88本しか放送出来ない。88本といえば、週5回放送、4ヵ月ほどですべては食いつぶし。底辺を這いずった経営状態をようやく乗り越えて得た再びの春を、たった4ヵ月で手放して堪るか。幸いヒットによって資金の余裕も恵まれたこともあり「ウルトラファイト」、新たな対決シーンの制作にとりかかります。
とはいっても、毎日の番組。1本1本を何とか低予算で納めるべく、対決シーンに登場させた着ぐるみは、本編撮影用のものではなく、多少造形の甘いアトラクション、いわゆるぬいぐるみショー用で使用された有り物の着ぐるみ。怪獣はもちろん、ウルトラマン(セブン)もしかり。撮影所は使用できず当然、ロケ。といっても、ロケ地は常に都内で、主に円谷プロの近所にあった住宅地の造成地や、採石場。少し贅沢して遠出した海辺の砂浜では、何本もまとめ撮りを繰り返したりと、とにかく知恵を絞ったものに。
当然、本編と比べても何十分の一をも迫力は見劣りするも、その劣った分を、山田アナ熟練の実況が見事にカヴァー。しかもこのカヴァーが痛快無比で、ある程度の台本は用意されていたのでしょうが、ほとんどそれは…今でいえば、「プロ野球珍プレー好プレー大賞」(フジテレビ)の、みのもんたのようなもの。いわゆる、対決の状況描写はもちろんのこと、ウルトラマンが、怪獣たちの心理状態までを勝手にアドリブで放り込んで、しかもその口調が啖呵、江戸っ子(笑)。
山田アナは、浪曲界昭和の大名人、二代目広沢虎造の次男でもあられる方なので、そのDNAが見事、バルタン星人にも生かされた(笑)。
そんな山田アナの、こんな風に実況してくれたらなと、対決撮影側の願望や想定が映像となり演出はヒートアップ。しまいには、怪獣同士がピコピコハンマーで殴り合ったり、また、その仲裁にウルトラセブンが割り込むも、逆に2匹の共闘でボコボコにやられて割を食ったり…と、毎回非常にシュールな展開が繰り広げられ、人気はますます過熱、都合、190本以上の長寿番組へと発展していきました。
その余熱は、1971年(昭和46)年スタートの「帰ってきたウルトラマン」(TBS)を筆頭とした、70年代、乱立の「第二次怪獣ブーム」までももたらすことになりました。
そんな「ウルトラファイト」。実は長らくと、5分番組ということもあってなかなか再放送されることがなく、幻の、カルト的作品とされてきました。子供のころに読んだ「ウルトラ大百科」的な単行本にも、当然その文字が記されていて、「ウルトラファイト」…どんなデザインのヒーローやろ?と勘違いしていたほど。そのカルトな番組が、約30年以上の時を経て、まずCSで放送。著作権やら色々クリアになったところで、ようやくDVD化され、「おぉ〜、これがウルトラファイトかぁ!」…感動に打ちひしがれたものです。
長くなりましたが(笑)、その実況を担当されていた山田二郎さんが、「さてトコ」にご来場。虎造師の実子(次男)らしくべらんめぇの威勢も良いトーク、なお健在で河内家菊水丸師も舌を巻くほど。淀みのないお喋りは浪曲よりもむしろ落語に生かされたそうで、特に当時のTBS、専属タレントに多くの落語家を抱えるほどの、演芸に強い放送局ということもあり、それこそ昭和の大名人、五代目古今亭志ん生、八代目桂文楽とも交遊を持ちながら、自身でもシャレで高座にあがったそう。また、虎造師自身も、「名人、名人を知る」と志ん生落語の大ファンで、その辺りの“育ちの良さ”が、TBSの人気アナ、話術の原点に生かされたのでしょうと、確認。
オンエア当日は時間の関係もあって、往年の実況再現という機会を逸したものの、放送後の、番組恒例、オリジナルジングル収録の際に、見事「ウルトラファイト」が完全復活。ペギー葉山さんのジングルも然りで、同番組のKディレクターさんの職人技によって、ドンピシャなBGMが被さり、それぞれに臨場感溢れる、ウルトラワールドが見事完成に。
27日の放送で連発放送(笑)。あんまり嬉しくて、当日ご笑納の機会を逸したため、後日落書き、描き上げて今回。
ちょっと雑になりましたが、その雑さが「ウルトラファイト」らしい雰囲気をと狙ってみたのですが…と、これは後乗せ。ただの言い訳でした(笑)。
ラジオから五代目桂文枝師匠、若いころの音源、落語「祝いのし」…は昨朝放送の「日曜落語なみはや亭」(ABCラジオ/2007年7月29日放送)。「祝いのし」といえば桂春団治師で、春団治師といえば「祝いのし」と言われるほどの十八番が、まさかの文枝師匠。放送された音源は、文枝師匠バリバリの40代のころに収録されたもの。登場人物のアホさ加減が痛快でとにかく突き抜けた明るさは、目覚めの朝に相応しい、まさにピーカン。
今日も一日頑張ろう、と昨日は妙な元気をいただき、そのテンションで落語を一本書き上げて…。
毎回安産でもあり、また難産でもあり、何とか産んだらばそれもう大事な“我が子”のようなもの。そんな我が子を嫁ぎ先までの道筋を付けて、花嫁さんに相手の花婿(演者)に気に入られながら、式(落語会)で夫婦の共同作業(作品上演)を見届けて。その後はもう婿さん次第。
かつての我が子らも、嫁いだ先で大事にしてもらえたら良いのやけれど…。
相も変わらず暑い暑い。昨日は昼間、大阪の平野まで届け物を済ませ、自宅への帰り、久々に乗るJR関西本線ということもあって、そういえば大阪を過ぎて奈良に入った最初の駅で降りれば、夕方からの河内家菊水丸社中、盆踊りが聴けるやろうと、思いつき算段で、途中下車、奈良のJR三郷駅。
この駅で降りるのはもう15年以上ぶりの、高校時代、大学入試に先駆けて全国模擬テストが行われたのが、この駅が最寄の大学。確かの当時の成績が全国で…と結果、口憚れる散々なもの…。そんなことはともかく、確か、ここからバスに乗って信貴山の頂上へと向かうはず、とぼんやりとした情報を元に、はじめて乗る路線バスの時刻表、じっくり眺めていると、最寄の住宅街を巡回する1番線と、お目当ての信貴山に向かう2番線、いずれも1時間にほんの1〜2本程度。確か、盆踊りは夜の6時ごろからだったはずと、携帯電話の時計を見ると、時刻は5時過ぎ。直近の2番線バスはいつ来るかと再び時刻表、何と、次に来るのは6時17分。あまりにも無計画、思いつきも甚だしいと我省みながら、残る1番線のりばには、すぐ出発のバスが待ち構えています。
ピンとひらめいた。住宅街巡回も信貴山行きも、途中までの経路は同じ。とにかくバスに乗って、1・2番バスの分岐となるバス停で降りたら、信貴山に向かってバス停一つ歩けばエエかと、時の流れに身をまかせ、足の向くまま気のむくままに、とにかく1番線バスに乗車。5時36分発。
ほとんどお初の当地、距離感が分からないので、とりあえず分岐のバス停までの時間がつかめません。とにかくそこにさえ着けば、後はバス停一つ。会場は山頂付近なので多少の上り坂を歩くのは仕方あるめえと軽い予測を立てながら、何やかんやで分岐のバス停到着。何と、出発の三郷から、5〜6分程度で到着。乗客も少なかったので、何個もバス停を飛ばしたので。
「さてとここから、次のバス停まで、ちょっとしたハイキング」
と決めこんで。ふもとの駅から分岐のバス停まで、山道というよりは住宅街へのなだらかな高台を上った程度なので、そこから先もなだらかになだらかにと、予想しつつあと一バス停を目指すだけ、と目的の方向をじっと眺めてみたら、あ〜あ!
こう配が急にキツい!。その先眺めたら首が疲れるぐらいの。しかも今まで住宅街、直線の一本道も、分岐から先は、車道とはいえ、S字路の、いきなり本格的山道がそびえております。思わず尻込み。さっきまでのバスはもう見送った後。バス停の時刻表を見れば、やはり、次のバスまでは1時間後。巡回コースなのでどこもかしこも、1時間刻みの模様。どうしよう。このまま歩いて駅まで戻ろうか…、どうせ下り道やし…と一瞬弱気になるも、なぁに、あと一バス停さ、一バス停…。
行き当たりばったり、ここまで来たからにはと決心、山道を歩くことにしました。
次のバス停、次のバス停…。それにしても急な上りやで。次のバス停、次のバス停…さっきまでのバス停からバス停の間隔を思えば、スグ着く、スグ着く。それにしても腰に来るなぁ…。それほどまで急こう配。道かて車…あんまり通らへんなぁ…。バスすら来えへん。はぁ、遠くのほうでさえずる鳥は、何の鳥かなぁ。景色も段々緑の奥へ奥へと繁ってきたなぁ…。山に来たなぁ。次のバス停、次のバス停…。
それにしても腰に来るなぁ。段々痛なってきた。せめて杖が欲しいなぁ。どうでもエエけどえらい汗やなぁ。どうでもエエけど、何とかならんか、この暑さ。ホンマ、どうでもエエねんけど…って、さっきからどうでもエエことあれへんがな!(笑)
けどやっぱり山ンなかだけあってエエ風吹くなぁ…。エエ風やけど、段々、山へ山へ緑の中、何や心細うなってきたなぁ。ガードレールか。どんなんなってんねやろ。下、覗き込んだら、わぁ〜、エライ谷底やでぇ。いよいよ山ン中やなぁ。それにしても次のバス停、次のバス停…
って一個もバス停見つからへんがな!
コレは道に迷ったか?時計を見たら、既に6時過ぎ。バスを降りてから15分以上は山道を登ったことに。アカン!、これはもう今日は諦めて引き返そうと、歩く向き、クルリと180度来た道、返すと。谷底を隔てて見える、この道のさらに先へと続く方角から、心踊る太鼓とギターに、ぼんやりと聞こえる、エンヤコラセ〜ドッコイセ!の掛け声!
もうすぐやぁ〜!。再びクルリ180度、目指すは本庄松坂町…は、忠臣蔵。とにかく目的地に向かって再び歩く歩く、上る上る。段々と徐々にと、音頭のリズム刻まれていく、その声に近付きつつあるのが確認出来た…確認出来たのも束の間、アレ?…
音頭の音が消えた!
アカン、あの声は幻聴やったんか。コレはキツネかタヌキに化かされたか?信貴山は、いわれのある山だったけか。
とにかく目的地へ向かっても、逆に引き返しても、一本道とはいえ、これは相当な徒歩、要求されそう。時刻は6時20分。これはもうどう足掻いても間に合わない。バス停も見つからないし、仕方が無い、本日は撤退と、気持ちを入れ替えたところで…、
♪エンヤコラセ〜ドッコイセ〜!
また、河内音頭の音色。しかもさっきよりその音量は大きくなり、目的地に近付いていることが確認出来て。我ながら思いつき甚だしさを呆れながら、来た道に間違い無かったことにも嬉しくなって、さぁ、そこから走った走った…いや、急こう配、走れるかいな、そんなもん(笑)。
結局、都合30分ほど山道、上ったのではないでしょうか(笑)。信貴山のバス停の、その先にこうこうと照らされる提灯の数々。♪けれどもようやく提灯を見た〜(君こそわが命 by水原弘…あっ、作詞・川内康範…替え歌、怒られる!)
会場の駐車場を抜けて、20メートルほど上って見えた、舞台上には菊水丸師に、ギター・石田雄一先生、太鼓・河内家牛若丸さん、そして、お囃子に和泉夏子嬢までとフルキャスト。ヤッタ、やっと着いた〜…と思ったら
♪ちょうど時間となりました〜…
そんなアホなと、思わず腰から崩れ落ちました(笑)
舞台の袖までご一行のワゴン車が横付けされていて、スグに次の会場へと急がれる模様。せめて、ご挨拶だけでもとそばまで近付き、浴衣姿の夏子嬢にお目にかかれただけでも、昨日の“ハイキング”、嗚呼、幸せ〜…て言うてる場合か!(笑)
ワゴン車をお見送りした後、再びバス停に引き返すと、次の発車まであと30分…!。菊水丸社中に次いで、生駒一師匠の社中が出番だったので、時間まで拝聴。山頂ゆえ、暑さのなかにも爽やかな涼風が、それでも心地良かった、ある夏の日のお話でございます。
腿が筋肉痛を起こしております(笑)。次からホンマ、計画立てて行動せなあきませんね。
けどおかげで、何やしらん、「私落語」風の、一本のネタ出来たのかもしれません(笑)。
この駅で降りるのはもう15年以上ぶりの、高校時代、大学入試に先駆けて全国模擬テストが行われたのが、この駅が最寄の大学。確かの当時の成績が全国で…と結果、口憚れる散々なもの…。そんなことはともかく、確か、ここからバスに乗って信貴山の頂上へと向かうはず、とぼんやりとした情報を元に、はじめて乗る路線バスの時刻表、じっくり眺めていると、最寄の住宅街を巡回する1番線と、お目当ての信貴山に向かう2番線、いずれも1時間にほんの1〜2本程度。確か、盆踊りは夜の6時ごろからだったはずと、携帯電話の時計を見ると、時刻は5時過ぎ。直近の2番線バスはいつ来るかと再び時刻表、何と、次に来るのは6時17分。あまりにも無計画、思いつきも甚だしいと我省みながら、残る1番線のりばには、すぐ出発のバスが待ち構えています。
ピンとひらめいた。住宅街巡回も信貴山行きも、途中までの経路は同じ。とにかくバスに乗って、1・2番バスの分岐となるバス停で降りたら、信貴山に向かってバス停一つ歩けばエエかと、時の流れに身をまかせ、足の向くまま気のむくままに、とにかく1番線バスに乗車。5時36分発。
ほとんどお初の当地、距離感が分からないので、とりあえず分岐のバス停までの時間がつかめません。とにかくそこにさえ着けば、後はバス停一つ。会場は山頂付近なので多少の上り坂を歩くのは仕方あるめえと軽い予測を立てながら、何やかんやで分岐のバス停到着。何と、出発の三郷から、5〜6分程度で到着。乗客も少なかったので、何個もバス停を飛ばしたので。
「さてとここから、次のバス停まで、ちょっとしたハイキング」
と決めこんで。ふもとの駅から分岐のバス停まで、山道というよりは住宅街へのなだらかな高台を上った程度なので、そこから先もなだらかになだらかにと、予想しつつあと一バス停を目指すだけ、と目的の方向をじっと眺めてみたら、あ〜あ!
こう配が急にキツい!。その先眺めたら首が疲れるぐらいの。しかも今まで住宅街、直線の一本道も、分岐から先は、車道とはいえ、S字路の、いきなり本格的山道がそびえております。思わず尻込み。さっきまでのバスはもう見送った後。バス停の時刻表を見れば、やはり、次のバスまでは1時間後。巡回コースなのでどこもかしこも、1時間刻みの模様。どうしよう。このまま歩いて駅まで戻ろうか…、どうせ下り道やし…と一瞬弱気になるも、なぁに、あと一バス停さ、一バス停…。
行き当たりばったり、ここまで来たからにはと決心、山道を歩くことにしました。
次のバス停、次のバス停…。それにしても急な上りやで。次のバス停、次のバス停…さっきまでのバス停からバス停の間隔を思えば、スグ着く、スグ着く。それにしても腰に来るなぁ…。それほどまで急こう配。道かて車…あんまり通らへんなぁ…。バスすら来えへん。はぁ、遠くのほうでさえずる鳥は、何の鳥かなぁ。景色も段々緑の奥へ奥へと繁ってきたなぁ…。山に来たなぁ。次のバス停、次のバス停…。
それにしても腰に来るなぁ。段々痛なってきた。せめて杖が欲しいなぁ。どうでもエエけどえらい汗やなぁ。どうでもエエけど、何とかならんか、この暑さ。ホンマ、どうでもエエねんけど…って、さっきからどうでもエエことあれへんがな!(笑)
けどやっぱり山ンなかだけあってエエ風吹くなぁ…。エエ風やけど、段々、山へ山へ緑の中、何や心細うなってきたなぁ。ガードレールか。どんなんなってんねやろ。下、覗き込んだら、わぁ〜、エライ谷底やでぇ。いよいよ山ン中やなぁ。それにしても次のバス停、次のバス停…
って一個もバス停見つからへんがな!
コレは道に迷ったか?時計を見たら、既に6時過ぎ。バスを降りてから15分以上は山道を登ったことに。アカン!、これはもう今日は諦めて引き返そうと、歩く向き、クルリと180度来た道、返すと。谷底を隔てて見える、この道のさらに先へと続く方角から、心踊る太鼓とギターに、ぼんやりと聞こえる、エンヤコラセ〜ドッコイセ!の掛け声!
もうすぐやぁ〜!。再びクルリ180度、目指すは本庄松坂町…は、忠臣蔵。とにかく目的地に向かって再び歩く歩く、上る上る。段々と徐々にと、音頭のリズム刻まれていく、その声に近付きつつあるのが確認出来た…確認出来たのも束の間、アレ?…
音頭の音が消えた!
アカン、あの声は幻聴やったんか。コレはキツネかタヌキに化かされたか?信貴山は、いわれのある山だったけか。
とにかく目的地へ向かっても、逆に引き返しても、一本道とはいえ、これは相当な徒歩、要求されそう。時刻は6時20分。これはもうどう足掻いても間に合わない。バス停も見つからないし、仕方が無い、本日は撤退と、気持ちを入れ替えたところで…、
♪エンヤコラセ〜ドッコイセ〜!
また、河内音頭の音色。しかもさっきよりその音量は大きくなり、目的地に近付いていることが確認出来て。我ながら思いつき甚だしさを呆れながら、来た道に間違い無かったことにも嬉しくなって、さぁ、そこから走った走った…いや、急こう配、走れるかいな、そんなもん(笑)。
結局、都合30分ほど山道、上ったのではないでしょうか(笑)。信貴山のバス停の、その先にこうこうと照らされる提灯の数々。♪けれどもようやく提灯を見た〜(君こそわが命 by水原弘…あっ、作詞・川内康範…替え歌、怒られる!)
会場の駐車場を抜けて、20メートルほど上って見えた、舞台上には菊水丸師に、ギター・石田雄一先生、太鼓・河内家牛若丸さん、そして、お囃子に和泉夏子嬢までとフルキャスト。ヤッタ、やっと着いた〜…と思ったら
♪ちょうど時間となりました〜…
そんなアホなと、思わず腰から崩れ落ちました(笑)
舞台の袖までご一行のワゴン車が横付けされていて、スグに次の会場へと急がれる模様。せめて、ご挨拶だけでもとそばまで近付き、浴衣姿の夏子嬢にお目にかかれただけでも、昨日の“ハイキング”、嗚呼、幸せ〜…て言うてる場合か!(笑)
ワゴン車をお見送りした後、再びバス停に引き返すと、次の発車まであと30分…!。菊水丸社中に次いで、生駒一師匠の社中が出番だったので、時間まで拝聴。山頂ゆえ、暑さのなかにも爽やかな涼風が、それでも心地良かった、ある夏の日のお話でございます。
腿が筋肉痛を起こしております(笑)。次からホンマ、計画立てて行動せなあきませんね。
けどおかげで、何やしらん、「私落語」風の、一本のネタ出来たのかもしれません(笑)。
今夜より27時間、毎年恒例の某長時間バラエティのメインパーソナリティはあまたの名優が代々演じたその最新バージョンの「西遊記」。それは良しとしても番組のサブタイトル、「“なまか”」は止しとくれよ。いくら、今の孫悟空の口癖、決め台詞かも知れませんが、「なまか」といえば、燦然とヨード卵光輝く、ミスターコメディアン・東八郎が放った必殺フレーズ。しかも「頑張れ強いぞ、僕らのナマカ!」、なぜか赤銅鈴之助、そのナンセンスが絶妙なのに、今回の使い方はサルゆえに「脳みそいっぱい足らず」の可愛さを狙ったようで虫唾が走りそう。三蔵法師さんか誰か、注意しなさい!(笑)それより「ナマカ」、ここは東八郎さんの実子の東貴博、東MAXが由緒正しく東家相伝、まるで歌舞伎の市川家「睨み」のように継承すべき。後見人でもある高田文夫さんが、「最近、親父サン見ないね、元気?」「死んだんですよ!」「あ、そうか!。ならお前が二代目東八郎襲名しろよ(笑)」のやりとり通り、頑張れ強いぞ!…東MAX、ガンバレ〜!!
ちなみに、西遊記、やたらとわめき散らすだけのまさにサル芝居で、CGなんかに頼ったデジタルよりも、キント雲も綿の上に乗せた人形を糸でぶら下げた(笑)、アナログでコミカルでカッコ良かった、やっぱりマチャアキ。もっと言えば手作りで、ギャグにパロディにと手間隙かけた志村けんの人形劇(『飛べ!孫悟空』TBS/1977〜1979年)が一番。最新バージョンは映画化され、その裏側が「秘蔵映像公開」などと銘打って事前番組で放送されていましたが、確かに技術革新を認めるも、あれもこれも全部CG、何と夢のない…。
スクリーンの「西遊記」でいえば、戦前の元祖・エノケンバージョンも然る事ながら、戦後カラーの三木のり平・主演作は素晴らしい。のり平氏自身、映画よりも生身の舞台が好きだと後に語っていますが、ともかく、歌って踊って、場面の装置もあえて平面的で(今作は、徳川夢声!!が、子供たちに読んで聞かせる紙芝居の世界を、そのまま映像化した)、衣裳を含めた色遣いも東洋的で、エノケンの流れを汲んだミュージカル仕立ての、バックの演奏も一流で、仇の妖怪、お馴染みの「金角」「銀角」、さらに「銅角」まで居て、しかもその3妖怪を演じたのが由利徹、八波むと志、南利明の「脱線トリオ」揃い踏み(八波とは舞台でも名コンビだったが、由利徹との絡みは案外と少ないのり平氏)で、狂言回し役の「ポンちゃん」という旅のお供役を演じるのが東宝のお姉ちゃんこと団令子、お茶目で可愛いわで、ファンタジーという意味では、大人の鑑賞にも十分堪えうる、とにかく、のり平西遊記、随一。
とにかく今夜の27時間、タイトルの「なまか」に加えて、語呂合わせ、「ウッキー!」に「ハッピー!」と並べるそのセンスが堪らない。しかも映画の宣伝というのも鼻持ちならない。猿芝居の宣伝を、まさにサルのナニのように、延々と。サルのナニほどタチの悪いもんはない。
一部に感動路線のコーナーも用意されているそうで、そういうのはヨソの長時間テレビに任せとけ。単なるそれこそサルマネじゃ〜!
とにかく、真夜中にお色気コーナーの無くなった、もしくは、泥酔の鶴瓶師がいない27時間テレビこそテイゾクだ〜!
どう見ても某飲酒運転スケーターが笑福亭笑瓶師に、どう見ても某新党の亀井某が橘家円蔵師にしか見えない。また「茶褐色」と聴いただけで「ちゃかっしょく、ちゃかっしょく…ちゃかっしょ…ちゃっしょ、ちゃっそ、チャッソ〜!」と何時の間にか、やなぎ浩二師(吉本新喜劇)を思い出してしまうほどの思考回路がグジャグジャの何者かでも襲われそうな、炎天下。夕方から「天満天神繁昌亭」に向かう、その前にお昼間、どうしても訪れたかった場所へと、昨日のバタバタ。大阪・心斎橋の書店「心斎橋アセンス」にて開催中の「中島らもてん『らもん’S』。
一昨日より開催中で、初日の7月26日というのはらもさんが、2004(平成16)年に酔いどれ千鳥足、ぶらりとお出かけになった日。何ともそのまま丸3年が経ち、主の帰りを未だに待ってやまない身内や仲間によって、何はともあれ戻って来れる、皆で再び逢える場所を今回用意されたのが今回の展覧会。
その初日には松尾貴史さん、藤谷文子さんのトークショーや、リリパットアーミーの座員としても活躍した桂吉朝師の愛弟子、桂しん吉さんの落語もあったりと、色々なスペシャルイベントが行われた模様。こちらのイベントは事前に参加申し込み制だったそうで、今月中ごろに入手したチラシで知った「〜らもてん」の、そのとき既に参加人数満了で申し込み受付が終了。重ね重ね、後手後手を悔いながら、それでも期間中、いつか訪れたいと上手い具合に昨日の昼間、時間が出来たので、いざ。
「アセンス」到着、エレベータで5F、美術スペース。まさかひょっとで、らもさんに逢えるかなぁと覗きにブラリ尋ねると、そこにはもう、らもさんがいっぱい(笑)。小説を執筆中の、バンドで熱唱中の、トラちゃん(愛猫…著書にもなった)とたわむれ中の、そしてチビリとやりながらの、色んならもさんに逢えました。なかでも注目は、壁伝いにズラリ展示された民族楽器の数々。取材を兼ねた海外で手にした、なかにはこれ、どないして弾くねん?とツッコミたくなるような、個性的な楽器の数々。らもさんらしく弦楽器が主だったので、どれもサラリと弾きこなしていたのかと思いきや、らもさんの娘さんが呆れるほど(?)、結局、ほとんど弾けなかったのだそうで(笑)。
それでも、チビチビやりながら、ずっとずっと弦を爪弾き続けていたそうで、創作活動でそばだつ神経を少しでも和らげるため癒すため落ち着かせるためにトロントロン(何か、そんな音がしそう)、やってはったのかもしれません。民族楽器収集が、唯一の趣味だったそうです。
才能を開花させるに至った、ほかには少年時代に読みふけったフランスやアメリカの文学小説も展示。元祖欧米か!。らも少年がどれほどまで没頭したかと伺える形跡が残ります。
「まぁ、いわゆる一つの天才っちゅうのを開花させた点では、
ワシらの鼻も高いっちゅうもんやわな」
「ワシらて誰の?」
「ワシらてワシらのことやがな。ワシもお前も、欧米文学のことやがな」
「ワシら欧米かいな。欧米は大抵、鼻高いで」
「すっこんどれ!」
ま、この程度では到底、天才に及ぶはずもありませんが、それぞれの書物自身がまるで誇らしげに並べられたように伺えました。
広告代理店から独立を果たし、最初に構えた事務所。これが再現されたスペースもあって、そこには「どうぞあがって、記念撮影でも…」と書かれておりました。最初に構えた事務所だけあって、これから右か左か、前か後ろか、どこに向かうことやら漂流の、心細い不安すらも伺える再現スペース。それでも展示された備品を生でご覧下さい。いずれのアイテムも、不安定をどっかと両脇から支えてくれる、これまた頼もしい存在だったとも見てとれます。それが証拠に、実際に撮影された、執筆中のらもさん、エエ顔してはります。
ほかにも色々、中島らも52年の素顔がいっぱい。結局、その存在を知ったのは後半20年の、テレビの「なげやり倶楽部」から始まって「啓蒙かまぼこ新聞」に「明るい悩み相談」、「今夜すべてのバーで」、「らも咄」でFM大阪の「月光通信」があって、ひさうちみちおさんがあって、「リリパットアーミー」があって、吉朝師匠があって…う〜ん、音楽方面の活動はこちらも疎かったせいか、結局はところどころの、熱狂的では無かったのかも知れないけれど、それでも何となく、その存在の空気感はたまらなく愛おしかったというか、早い話が、「らもさんと勝新だけは大麻OK」みたいな…。とにかく自分がどうしても変な常識みたいなものに捕らわれて出来ない芯の部分を、癒してくれて笑わせてくれて楽しませてくれて、補ってくれたというか。何もそこまでしなくても…と、これは桂枝雀師にも言えたことなのですが、枝雀師が落語をトコトンまで突き詰めたように、真意は分かりませんが、本当は法を犯してまで大麻なんか吸いたくなかったろうなとさえも思うほど、今からすれば結局、並大抵の繊細さでないと無し得なかった、その生き方そのものを改めて…。
活字の向こうから、画面の向こうから、芝居で演じた役の向こうから、結局間接的にしか知り得ることが出来ませんでしたが(それでも十分ですが)、とにかく、心の片隅にでも大事にしまって、いつまでも忘れずにおこうと思う、そういう方だと思います。なので今回、よくぞこういう場所を作ってくれた周りのお仲間や、また、お身内、特にらもさんの奥様、久美子夫人にも感謝。結局、この後に、「中島らもとの三十五年 らも」(中島久美子・著、島崎今日子・聞き書き/集英社)を読んだのですが、これを先に読んでから会場に向かえば良かった。まだ途中まで読んだところですが、これを読んでから会場の、あの一枚の写真を見たら、中島らもという人物、その素顔にどれだけ迫ることが出来ることか。とにかく会場に、良い写真があったんですよ、「春一番」、服部緑地野外音楽堂での。
心斎橋・アセンス。8月1日まで入場無料、機会があれば、是非。
→中島らも公式HP
と、その足でのらりくらりと心斎橋を北上、辿り着いたは船場センタービルの、冷房の恩恵を浴びながら一気に東に抜けて「農人橋」。交差点を南北に通じる松屋町筋、ここからが夕暮れどきの炎天下、団扇を片手に一気に北上は、天満天神繁昌亭、落語会。
おかげさまですこぶる入場者数。前回よりも圧倒的の間もなく満席も間近。当日は作品が掛からなかったので入口で、繁昌亭の法被を羽織ながら受付番。前売り券、当日券、当日のチラシ提示は前売料金でと、出演者の森乃福郎師の奥様にもお世話になり、奥様を含めた数人のスタッフで。演目云々の余裕よりもキチンと勘定出来たか、料金計算に大わらわで、中入りを挟んで後半2席は何とか見られたのですが、あとの見られなかった分は、打ち上げの時にでも色々話を伺おう準備立てていたら、その打ち上げにはこれまた大勢のお客様も参加とまぁ、お賑やか。
あんまり賑やか過ぎて、事前の算段どころの、ましてや反省会など、残念ながら出来る雰囲気でも無かった…。
お疲れ様の意味はもちろん、反省会の場でもあると思っていました、現に今までそうでした。もっとじっくり話を伺いたいのに…。少しは言いたいことも言って、それらすべてで「次はもっと!」。
大層な話、これが無いと少なくとも、生きてる価値がないねんなぁ。カッコ良く言えば横文字の、アイデンティティー(…桂文珍です!by鶴瓶@パペポ)
とにかくそうなると、ふつふつとくすぶる悪い感情。極端な話、こういうときにふと、思わず死にたくなったりもして、自分だけではシャクなので、世の中巻き添え、すべて一緒に崩れて潰れて滅んでしまえ〜!
って、ゴメンナサイ。折角、昼間にお会い出来た、らもさんにまず、そして枝雀師匠にも謝らなくては…。
いよいよ今夜放送「劇場への招待〜第34回俳優祭〜」(2007年7月27日夜10時25分〜深夜0時40分)。歌舞伎を中心に新派、新喜劇、はたまた小劇場に至るまで、演劇東西各分野の俳優、役者が数年に一日限り、東京・歌舞伎座に集結して、普段滅多に見られない競演や、休憩時間には役者自らロビーに立って模擬店まで出店するという、いわば役者のオールスター感謝祭。出来ることなら是非生で見てみたい夢のようなイベントを、さすが天下のNHK、より抜きででも中継してくれるのが有難い。
そんな「俳優祭」、一体いかなる内容なのか、前回公演の模様を中継録画した「劇場への招待〜第33回俳優祭〜」(NHK教育/2004年6月28日放送)の、ビデオからご紹介…。
お客様あっての我々役者、とこの年の実行委員長は、片岡仁左衛門丈のインタビューから。この年の目玉は、当時の中村勘九郎、現在の十八世中村勘三郎丈・企画による舞台と映像の融合、連鎖劇『奈落〜歌舞伎座の怪人』。演目からも分かるように映画「オペラ座の怪人」の、オペラ座を歌舞伎座に置き換えて起こるミステリー。このように趣向を凝らした演目がズラリと並ぶのが、この俳優祭の魅力でございます。
一、『華酔木挽賑(はなにようこびきにぎわい)〜舞踊・お祭り』
清元連中、長唄連中
振付・藤間勘祖、脚本・竹柴正二 補曲・杵屋巳太郎
主な出演…
芸者…中村鴈治郎
鳶頭…中村富十郎
鳶頭…中村吉右衛門
鳶頭…中村梅玉
芸者…水谷八重子
芸者…波乃久里子
芸者…片岡秀太郎
鳶頭…市川段四郎
芸者…中村時蔵
鳶頭…中村歌昇 ほか
今の銀座・歌舞伎座辺りは昔「木挽町」と呼んだそうで、場所柄に合せて、またオールスター感謝祭の幕開けに相応しく直球のタイトル「お祭り」、賑やかに。
歌舞伎・新派の幹部連を中心とした舞踊劇。舞台の幕が開くなり、両脇に長唄連、お囃子連を従えた若手俳優陣が舞い、ほどなく奥のセリからズラリ勢揃いの、「鬼平」親分でお馴染みの吉右衛門丈、二代目「遠山の金さん」役の段四郎丈と、テレビでもお馴染みの顔ぶれ、鳶頭連に挟まれて、芸者の水谷・波乃、新派女優陣の両御大さらに人間国宝・富十郎丈と、まさに国宝級オールスター。
全員で踊る場面もあれば、それぞれ、いわゆる鳶頭のソロ、もしくは芸者を携えてのペアと入れ替わり立ち替わりの見せ場があって、出番の無い役者陣は後方の長椅子に。腕を組みながらどっかと構える鳶頭役、しゃなりと色香を漂わせながらしっとり構えているのは芸者役。踊る役者はもちろん、それぞれ目の前の舞いをじっくり眺めている長椅子の役者もまた絵になります。
ひとしきりの舞が段落付いたところで花道から登場は芸者役の、やはり人間国宝・鴈治郎…今の坂田藤十郎丈。もちろん客席からはお馴染み、「成駒屋ッ!」はんなり和事の上方舞、ふくよかな熟練の艶姿に思わず溜息。グッと引き締まる幹部連の舞踊…。
一、連鎖劇「奈落〜歌舞伎座の怪人」
勘九郎丈企画による映像と実演の融合、連鎖。「俳優祭」でも初の試みで映像を使った芝居というのは一見今風にも思われがちですが、ところがどうして、このような連鎖劇、実は明治末期から大正期にかけての人気興行でもあったのだとか。古典芸能と思われがちの歌舞伎、まさに大衆芸能たらんその懐の深さ…。その深さを極めつつあらゆる演劇にも参加しながら、歌舞伎の魅力を底辺までに伝え続ける勘九郎丈らしい、意欲的企画です。
中継では時間の都合、一部抜粋で。まずの口上には当時90歳、今なお健在の現役最長老の播磨屋・中村又五郎丈。映像を使った芝居らしく、そのスタイルは弁士風の蝶ネクタイ、かくしゃくとした出で立ちで。
歌舞伎界では脇役として初の人間国宝にも指定された超重鎮は、いぶし銀の演技と父の初代より受け継いだ古き良き江戸の香りを、現在の勘三郎丈らバリバリのスター役者にも橋渡し役として十分に担った方。こういう口上としての起用もやはりいかにも勘九郎丈の、歌舞伎愛が伝わります。
物語は、坂東三津五郎丈(役名もそのまま)に密着取材を試みる演劇雑誌記者役・尾上菊之助丈(寺島しのぶのお兄さん)の目から見た、歌舞伎界の内幕を描いたもの。物語のなかで歌舞伎界は、若手の幕下役者が先輩のイビリに耐え兼ねてドンドンと辞めていってしまう。そんななかで、女形の重鎮・中村雀右衛門丈(役名そのまま)の付き人も、やはり方々からの連絡がつかないことになってしまい、ひっそりと。続発する付き人の失踪は、劇場の楽屋では「神隠し」と評判になりついには警察当局も動き出す一大事態に。
市川団十郎丈の付き人もしかりで、「神隠し事件」、刑事(中村翫雀・坂東弥十郎)事情聴取では「こないだも九州の興行で『五段目』のイノシシ役が居なくなりましてね、その次に『馬』の前足、その二日後にはとうとう、後ろ足まで居なくなっちゃった」
しばらくしてこの団十郎丈の付き人は電車で寝過ごしてしまい遅刻したことでこの件は落着するが、まだ残り8人の弟子が「消えた」ままに…。
楽屋、大部屋。化粧前で準備を待つ付き人の元に、白塗り白装束の三津五郎丈が。若き付き人、思わず「え、三津五郎さんってまさか?」とあらぬ男色疑惑をふっかけると、白塗りの三津五郎丈、表情一変険しい顔で付き人の首元をカブリ…。
翌日の楽屋。報道陣でごった返す楽屋口前。菊之助記者、再び三津五郎丈の取材にと訪れるとまずの入口で劇場頭取(市川左団次丈)が倒れている。不審な事件沙汰かと刑事が、そして片岡仁左衛門・片岡孝太郎親子が演じる二人の医師…。倒れ込んだ左団次丈、一瞬意識を取り戻し白目を剥きながら「私は奈落で見たんです…」と意味深な言葉を発し、そのまま息を引き取ってしまう。果たして、左団次頭取の見た物は…?早速、奈落に向かう刑事。
奈落の奥底には何と、白装束を身にまとった数名の付き人(といっても、演じているのは中村時蔵、市川高麗蔵、松本幸四郎、中村富十郎ら重鎮!)…彼ら曰く、「あの人にずっと、血を吸われつづけているんです」。あの人とは…正体バレたりと苦しみながら蠢き続ける、白塗り白装束姿の三津五郎丈。ここまでは映像の芝居で、三津五郎丈、蠢きながら舞台、花道より登場。ここから実演へと連鎖します。
実演ということもあり、ますます形相を荒げる三津五郎ドラキュラ。歌舞伎座スタッフ役に扮する若手役者陣との対決は、歌舞伎らしい、また野田秀樹風な演出によって繰り広げられられます。そんな対決の、三津五郎ドラキュラに一撃を放つのは芝翫刑事の銃弾。
それにしてもまさかのドラキュラ三津五郎。曰く、江戸時代に西洋のドラキュラに襲われて以来、その一族となり、初代、その実子の「三代目」、そして舞踊の名手といわれた「七代目」等を経て、今日までの全十代の「大和屋」三津五郎はすべて、「私一人だったのだ」と告白。他人の生き血を吸いながら永遠の、役者としての命も生き長らえてきたのだ。これからも他人の生き血を吸いながら何百年、何千年と…。そんな三津五郎ドラキュラを抹殺しなくてはと動く刑事を尻目にそばにいた歌舞伎役者たち、
「他人の生き血を吸ったあなたも、西洋にドラキュラに吸われてから生き長らえた命。だとしたら私たちもあなたに血を吸われて、この先、何百何千年と生涯、役者として生き長らえたいのです」
バカなことを言うなを常識に捕らわれる刑事を尻目に、血を吸われてでも、出来ることなら生涯現役で…という役者たち本意が総意となって、ついには三津五郎ドラキュラと共に、奈落の底へと消えていったのであった…。
と、以上のミステリー。ミステリーではありながら、勘九郎演出、パロディやギャグも満点。
三津五郎密着の記事、菊之助記者がそのタイトルを決めあぐねた結果に導き出したのが「三津五郎(ミツゴロウ)とゆかいな仲間たち」(笑)。
付き人が消えた時には「付き人保険」をと団十郎丈に勧めるのが尾上菊五郎丈(富司純子の夫で寺島しのぶ、菊之助の父)。その勧め方が、月々いくら払ってまかせて安心…と、流行りの外資系保険CM風。その都度感心の団十郎丈は何故か手元に、「トリビアの泉」(フジテレビ)の『へぇ〜ボタン』(笑)。
左団次頭取が倒れた現場にいた医師に扮したのが仁左衛門・孝太郎親子。役では親子ではなく上司と部下の、まず孝太郎医師が登場しただけで場内爆笑。この2004(平成16)年当時は、ドラマ「白い巨塔」(フジテレビ)で物語の中枢を握る『佃助教授』役としてすっかり当たり役、定着していたからで、今回も役名はそのまんま『佃助教授』。仁左衛門教授にも「しっかり診察しないと、裁判沙汰になりかねます」(笑)。その言葉に不適な笑みを浮かべながら仁左衛門丈、「何を弱気なことを言ってるんだ佃くん。僕は権威名だたる、浪花節大学の教授だよ」。浪速大学ではなく『浪花節大学』、アハハ(笑)。
他にも歌舞伎ファンならまさかのギャグや楽屋オチが散りばめられながら、今作品では何と、あの坂東玉三郎丈が妖艶な女形から一変、地味〜な「松竹の支配人役」として登場(笑)。何やらやたらとメガネを気にしながらの喋り方は、松竹に実際にモデルが居るのではと思わせる細かい演技は、今作の最大の楽屋オチでは無かったのでしょうか。
何はともあれ、三津五郎丈を中心に、永遠に生き長らえるドラキュラに置き換えた、最後は役者としての永遠現役の夢。先人たちもきっと夢見た永遠の命は、もちろん叶えられないけれども、その代わりに先人も描いた夢が、時代を経ながらその時折の役者たちに受け継がれつつ連綿と今の世に「芸のなかで、生き長らえてる」。
今作は出演者からスタッフから勘九郎丈を中心にすべて歌舞伎役者。それぞれの位置から、確固たる歌舞伎愛が随所ににじみ出ており、
物語のエンディングには、
「この映画(連鎖劇)を歌舞伎に関わった、すべての人に捧げます」…。
企画の勘九郎丈曰く、出演者・スタッフはもちろん、客席の歌舞伎ファンもそのすべての人々であるのだ、と。
連鎖劇のあとは、会場ロビーの模擬店の模様。団十郎丈自ら握り寿司を握ってお客に振りまいて(笑)。また、連鎖劇の三津五郎ドラキュラがその扮装のまま、ファンと記念撮影にも応じてと、感謝祭色の極み満点。
そして最後は、さらにお楽しみ
一、「滑稽俄安宅珍関(こっけいにわかあたかのちんせき)」
原作・河竹黙阿弥
補綴・竹柴徳太朗
常磐津連中、竹本連中
いわゆる歌舞伎の「勧進帳〜安宅の関〜」のパロディで、関を通るためには富樫左衛門(今回は、仁左衛門丈・演)の前で一芸を披露し、見合ったものから随時、関越えが叶うというもので、オールスター芝居に打って付け。もちろん本来の歌舞伎ながら、俄芝居に歌や舞いが披露されるのですが、今回は、歌舞伎以外にも新派から喜劇から、総登場。演劇人による「かくし芸大会」の様相ではありますが、これがまた芸達者の爆笑、爆笑。歌舞伎では考えられない演目がズラリ…。
まずは「巡礼おつる」の舞から。諸国漫遊の少女「おつる」も今作では歌舞伎界の名物男・市川左団次丈が。これだけでも十分オカシイのに、富樫の前で披露する舞と来たら、着物を裾をたくしあげて挙句にブレイクダンスまがい(笑)。舞の演奏も三味音曲ではなく、カラオケ。その様相は歌舞伎座がいっぺんに健康ランドの大宴会場と化し、これには思わず仁左衛門富樫、本気笑い。
続いて新派から、水谷八重子、波乃久里子(現・勘三郎丈の実姉)、それに「男はつらいよ」映画第1作(松竹/1969年)のマドンナ役としてもおなじみの光本幸子が、あでやかな芸者姿で揃い踏み。八重子嬢が「久々に三人揃って、三人娘」と懐かしめば、冷静な久里子嬢、「何を言ってるの、三人娘じゃなくって、今や『三婆』よねぇ」。沸き起こる爆笑の大向こうから「まだ若いよ!」(笑)。現に若さと妖艶の三美女は敢えて言うなら、「かしまし娘」か。三人の掛け合いはとにかく絶妙、
「私たちも老けたなら、あそこの“孝夫ちゃん”も老けたわねぇ〜」(笑)。
孝夫ちゃんとは、仁左衛門丈の前名(笑)。三人娘とは幼いころからの旧知で、そんな楽屋オチも混ぜながら関越えの一芸は、芸者衆に扮した新派若手女優陣がズラリと居並び「京舞・手柄」を披露。さっきまでの健康ランド(笑)が、またまた一変、京都・歌舞練場に模様替え。
と思ったら続いて登場は歌舞伎座の、花道、なぜか賛美歌に乗せてゴスペル聖歌隊(!!)。宣教師役の市川團蔵丈を筆頭に、河原崎権十郎、尾上松緑、市川亀治郎、坂東亀三郎、坂東亀寿といった期待の売り出し役者陣が黒人メイク、アフロヅラで富樫の前に。ハレルヤを「第九」に乗せて「ゴスペル」と称して披露するも、これがまたまったくの皆、音痴(笑)。
呆れた團蔵宣教師は、これまた「トリビアの泉」と称して無駄知識を披露。
「門番役の、片岡亀蔵は四十数年独身ながら、こないだようやく結婚し、しかもいきなり、4歳の父親となった!。片岡亀蔵、やるときにはやる男、間違い無い!」
と、当時売り出しだった、長井秀和のギャグまでとり入れた暴露ネタを披露(笑)。思わず本気の苦笑いの亀蔵丈を尻目に、してやったりと、一行は何とか関越えを果たし思わず、「あれは芸かの?」と仁左衛門富樫呆れたのも束の間、歌舞伎座安宅に轟くのは、何と、氣志團の「ワンナイトカーニバル」!!
リーゼントに長ラン姿の、まさに氣志團、中村獅童率いる「氣志團子」の面々。メンバーには中村勘太郎・中村七之助の(勘三郎実子の)兄弟に、坂東新悟、尾上松也と威勢の良い面々をズラリと揃えて「ワンナイトカーニバル」、客席の呆気と驚愕のなかで歌舞伎座は一気に木更津キャッツアイ。おなじみの振付も見事に会得し場内興奮のるつぼに巻き込んだと思えば、暗転、一瞬の早替わりで全員、白タキシード、今度はSMAP「世界でひとつだけの花」。
端々に映る客席の、特に女性ファンの目の色が変わります。歌舞伎界の未来は明るい(笑)。
「若いものはエエのう」と目を細める仁左衛門富樫。次に現れたのが市川遠之助丈の「スーパー歌舞伎」、その若手リーダー格の市川右近丈率いる、『新・三国志』。
「見たところによると、日の本(日本)の出で立ちではないの」と富樫。
「仰る様に、我々は三国時代の中国より…」と『姜維伯約』の右近丈。
すかさず、門番・亀蔵丈、
「中国というよりも、この劇場(歌舞伎座)、前の交差点を渡った、新橋演舞場から来たのですよ」(笑)。
「第33回俳優祭」が上演されたのが、2007年4月27日。その同じ日に演舞場で上演中の面々が、舞台の合間、いわば陣中見舞いとして駆け付けたという趣向。さらにはこの前後に闘病に倒れてしまった座長・猿之助の近況報告も兼ねて若手陣が一丸となって演舞場の牙城を守るその告知も兼ねておりました。
それにしても伝統の歌舞伎組と、滅多な競演の機会のない現代風の「スーパー歌舞伎」がひとつの舞台、ひとつの画面で競演しているということは何という贅沢…。こういう趣向もオールスター感謝祭、ならでは。
さらに続いては、何と宝塚歌劇ならぬ「タンカラヅカ」劇団の登場。本家十八番の「ベルサイユのばら」(1974年初演)、その『オスカル』役に扮した中村福助丈が登場するや場内からキャーと歓声。ほかにも、やはりタカラヅカ名作の「風と共に去りぬ」(1977年初演)の『スカーレット』に扮した中村扇雀丈、同じく『バトラー』に坂東弥十郎丈。グランドレビュー「ジャワの踊り子」(1952年初演)、その踊り子に扮した片岡孝太郎丈などなど。女の園のタカラヅカをそっくり男社会の歌舞伎陣が演じてみせるのもミソなら、特筆は『スカーレット』役の扇雀丈、その満面の笑みの女装たるや、まさに母君の扇千景そっくり(笑)。
今作の「安宅珍関」では「タンカラヅカ」劇団、何でも地方をまわるドサ周り一座らしく、男版タカラヅカとしてどこか定席の良い劇場はと探してる最中で、関越えの一芸として、何とそれぞれの扮装で「白波五人男」。
弥十郎バトラー、「生まれも育ちもジョージア州〜!」。扇雀スカーレットも「扇千景そっくりの〜」(笑)。しかも「タンカラヅカ」、前日まで大阪・松竹座出演のため当日は「ぶっつけ本番よぉ〜!」(笑)
さらに最後はスカーレットからレオタード姿に早替えで全員でレビューまで披露。どこまでサービス満点、大売り出しなのか(笑)。
これだけでお腹いっぱいなのに、最後の最後には、中村勘九郎、柄本明と当時上演し人気を得た、久世光彦・演出の芝居「浅草パラダイス」の一行。柄本明氏は「ここは浅草…いや、歌舞伎座か!、やった、歌舞伎座〜!」と舞台の端から端まで大騒ぎで喜んで。ちなみに柄本氏本人も、生まれが歌舞伎座の近くなのだとか。このご両人、今年は映画で弥次喜多を演じるまでの名コンビながら、「浅草〜」といえばもう一人、藤山直美。しかし、「俳優祭」上演日は福岡・博多座で芝居中なので歌舞伎座には来られない。「どうせならいっそ、フグにも当たれば良いのに」と柄本明氏、ホンネを吐けば、何と!…博多のはずの直美嬢が客席から登場。最強最高トリオ、勢揃い。客席からも「藤山ッ!」、返す直美嬢、「ハイョ!」…このキャッチボールだけで場内爆笑、一気に華やぎます。
もうコレ以上ない華、華、華の舞台なのに、さらに客席から登場は大喝采に迎えられて、紋付袴姿の、「堀越孝俊」…って文字にしただけなら誰?。それでも客席大喝采の意味は、この「堀越〜」こそ、今をときめく市川海老蔵丈、海老様の、本名。この「俳優祭」の三日後、つまり2004年5月1日吉日より「七代目市川新之助改メ十一代目市川海老蔵」襲名、その前祝いとして出演叶ったのが今回のコーナー。新之助と海老蔵の合間ということで、本名での出演と相成り、安宅の一芸では、海老蔵襲名の口上、その「予行演習」が披露されたという、まさに貴重な一場面。しかし「それでもまだまだ何か〜」とせがむ富樫。自ずと客席の期待が高まります。
これには海老様、というよりこの時点ではまだ新之助、何をやれば良いのやらオロオロ慌てふためきながら、客席が期待するのは当然、例の…。仁左衛門富樫、煽るだけ煽って、「でもその一芸は、襲名興行にとっておきましょう」と促すと、客席から一斉に落胆の声。仁左衛門富樫のアドリブでもうどうすることも出来なくなった新之助丈は折角だからと、客席の期待通り、「父に教わった、市川家代々の…」と一子相伝のお家芸「睨み」を披露。客席の歓声はピーク、絶頂。そのドサクサに紛れて、「では私も睨みを」と柄本明氏、その表情、タダの寄り目にしゃくれ口、まるで志村けんとの芸者コント。これで爆笑をさらったかと思えばさらに直美嬢、
「私も父から教わった芸を…」と、飛び出したのが、鼻をほじくりながら
「あの〜、もしもしぃ?お父さんですかぁ〜?」(爆)。
もうたまらない、満腹です。これ以上ない、華の競演は、出演者全員勢揃い、日本俳優協会会長、中村雀右衛門丈のご挨拶でお開きに。
と、以上、ビデオテープ再生終了。
かような演劇の祭典が、本日今夜、その34回目として堂々放送です。いかなる演目、趣向、出演者が飛び出すか。演劇界のおもちゃ箱を引っくり返したような大感謝祭。普段、歌舞伎に縁の無い方や、これから歌舞伎を見てみようと言う方も、一度今夜のテレビで予行演習がてらに、その魅力を堪能されてみてはいかがでしょうか。ビデオ予約の準備も今から万端です(多分、大丈夫でしょう。何度も確認を… 笑)
ちなみにNHK、昼は昼とて総合テレビ、昼0時20分からの「金曜バラエティー」、『牧伸二・堺すすむの至芸を』とあります。あ〜んあんあ、な〜んでか!で驚いた…音曲漫談の競演。シブイなぁとこちらも録画予約(笑)。
そんな「俳優祭」、一体いかなる内容なのか、前回公演の模様を中継録画した「劇場への招待〜第33回俳優祭〜」(NHK教育/2004年6月28日放送)の、ビデオからご紹介…。
お客様あっての我々役者、とこの年の実行委員長は、片岡仁左衛門丈のインタビューから。この年の目玉は、当時の中村勘九郎、現在の十八世中村勘三郎丈・企画による舞台と映像の融合、連鎖劇『奈落〜歌舞伎座の怪人』。演目からも分かるように映画「オペラ座の怪人」の、オペラ座を歌舞伎座に置き換えて起こるミステリー。このように趣向を凝らした演目がズラリと並ぶのが、この俳優祭の魅力でございます。
一、『華酔木挽賑(はなにようこびきにぎわい)〜舞踊・お祭り』
清元連中、長唄連中
振付・藤間勘祖、脚本・竹柴正二 補曲・杵屋巳太郎
主な出演…
芸者…中村鴈治郎
鳶頭…中村富十郎
鳶頭…中村吉右衛門
鳶頭…中村梅玉
芸者…水谷八重子
芸者…波乃久里子
芸者…片岡秀太郎
鳶頭…市川段四郎
芸者…中村時蔵
鳶頭…中村歌昇 ほか
今の銀座・歌舞伎座辺りは昔「木挽町」と呼んだそうで、場所柄に合せて、またオールスター感謝祭の幕開けに相応しく直球のタイトル「お祭り」、賑やかに。
歌舞伎・新派の幹部連を中心とした舞踊劇。舞台の幕が開くなり、両脇に長唄連、お囃子連を従えた若手俳優陣が舞い、ほどなく奥のセリからズラリ勢揃いの、「鬼平」親分でお馴染みの吉右衛門丈、二代目「遠山の金さん」役の段四郎丈と、テレビでもお馴染みの顔ぶれ、鳶頭連に挟まれて、芸者の水谷・波乃、新派女優陣の両御大さらに人間国宝・富十郎丈と、まさに国宝級オールスター。
全員で踊る場面もあれば、それぞれ、いわゆる鳶頭のソロ、もしくは芸者を携えてのペアと入れ替わり立ち替わりの見せ場があって、出番の無い役者陣は後方の長椅子に。腕を組みながらどっかと構える鳶頭役、しゃなりと色香を漂わせながらしっとり構えているのは芸者役。踊る役者はもちろん、それぞれ目の前の舞いをじっくり眺めている長椅子の役者もまた絵になります。
ひとしきりの舞が段落付いたところで花道から登場は芸者役の、やはり人間国宝・鴈治郎…今の坂田藤十郎丈。もちろん客席からはお馴染み、「成駒屋ッ!」はんなり和事の上方舞、ふくよかな熟練の艶姿に思わず溜息。グッと引き締まる幹部連の舞踊…。
一、連鎖劇「奈落〜歌舞伎座の怪人」
勘九郎丈企画による映像と実演の融合、連鎖。「俳優祭」でも初の試みで映像を使った芝居というのは一見今風にも思われがちですが、ところがどうして、このような連鎖劇、実は明治末期から大正期にかけての人気興行でもあったのだとか。古典芸能と思われがちの歌舞伎、まさに大衆芸能たらんその懐の深さ…。その深さを極めつつあらゆる演劇にも参加しながら、歌舞伎の魅力を底辺までに伝え続ける勘九郎丈らしい、意欲的企画です。
中継では時間の都合、一部抜粋で。まずの口上には当時90歳、今なお健在の現役最長老の播磨屋・中村又五郎丈。映像を使った芝居らしく、そのスタイルは弁士風の蝶ネクタイ、かくしゃくとした出で立ちで。
歌舞伎界では脇役として初の人間国宝にも指定された超重鎮は、いぶし銀の演技と父の初代より受け継いだ古き良き江戸の香りを、現在の勘三郎丈らバリバリのスター役者にも橋渡し役として十分に担った方。こういう口上としての起用もやはりいかにも勘九郎丈の、歌舞伎愛が伝わります。
物語は、坂東三津五郎丈(役名もそのまま)に密着取材を試みる演劇雑誌記者役・尾上菊之助丈(寺島しのぶのお兄さん)の目から見た、歌舞伎界の内幕を描いたもの。物語のなかで歌舞伎界は、若手の幕下役者が先輩のイビリに耐え兼ねてドンドンと辞めていってしまう。そんななかで、女形の重鎮・中村雀右衛門丈(役名そのまま)の付き人も、やはり方々からの連絡がつかないことになってしまい、ひっそりと。続発する付き人の失踪は、劇場の楽屋では「神隠し」と評判になりついには警察当局も動き出す一大事態に。
市川団十郎丈の付き人もしかりで、「神隠し事件」、刑事(中村翫雀・坂東弥十郎)事情聴取では「こないだも九州の興行で『五段目』のイノシシ役が居なくなりましてね、その次に『馬』の前足、その二日後にはとうとう、後ろ足まで居なくなっちゃった」
しばらくしてこの団十郎丈の付き人は電車で寝過ごしてしまい遅刻したことでこの件は落着するが、まだ残り8人の弟子が「消えた」ままに…。
楽屋、大部屋。化粧前で準備を待つ付き人の元に、白塗り白装束の三津五郎丈が。若き付き人、思わず「え、三津五郎さんってまさか?」とあらぬ男色疑惑をふっかけると、白塗りの三津五郎丈、表情一変険しい顔で付き人の首元をカブリ…。
翌日の楽屋。報道陣でごった返す楽屋口前。菊之助記者、再び三津五郎丈の取材にと訪れるとまずの入口で劇場頭取(市川左団次丈)が倒れている。不審な事件沙汰かと刑事が、そして片岡仁左衛門・片岡孝太郎親子が演じる二人の医師…。倒れ込んだ左団次丈、一瞬意識を取り戻し白目を剥きながら「私は奈落で見たんです…」と意味深な言葉を発し、そのまま息を引き取ってしまう。果たして、左団次頭取の見た物は…?早速、奈落に向かう刑事。
奈落の奥底には何と、白装束を身にまとった数名の付き人(といっても、演じているのは中村時蔵、市川高麗蔵、松本幸四郎、中村富十郎ら重鎮!)…彼ら曰く、「あの人にずっと、血を吸われつづけているんです」。あの人とは…正体バレたりと苦しみながら蠢き続ける、白塗り白装束姿の三津五郎丈。ここまでは映像の芝居で、三津五郎丈、蠢きながら舞台、花道より登場。ここから実演へと連鎖します。
実演ということもあり、ますます形相を荒げる三津五郎ドラキュラ。歌舞伎座スタッフ役に扮する若手役者陣との対決は、歌舞伎らしい、また野田秀樹風な演出によって繰り広げられられます。そんな対決の、三津五郎ドラキュラに一撃を放つのは芝翫刑事の銃弾。
それにしてもまさかのドラキュラ三津五郎。曰く、江戸時代に西洋のドラキュラに襲われて以来、その一族となり、初代、その実子の「三代目」、そして舞踊の名手といわれた「七代目」等を経て、今日までの全十代の「大和屋」三津五郎はすべて、「私一人だったのだ」と告白。他人の生き血を吸いながら永遠の、役者としての命も生き長らえてきたのだ。これからも他人の生き血を吸いながら何百年、何千年と…。そんな三津五郎ドラキュラを抹殺しなくてはと動く刑事を尻目にそばにいた歌舞伎役者たち、
「他人の生き血を吸ったあなたも、西洋にドラキュラに吸われてから生き長らえた命。だとしたら私たちもあなたに血を吸われて、この先、何百何千年と生涯、役者として生き長らえたいのです」
バカなことを言うなを常識に捕らわれる刑事を尻目に、血を吸われてでも、出来ることなら生涯現役で…という役者たち本意が総意となって、ついには三津五郎ドラキュラと共に、奈落の底へと消えていったのであった…。
と、以上のミステリー。ミステリーではありながら、勘九郎演出、パロディやギャグも満点。
三津五郎密着の記事、菊之助記者がそのタイトルを決めあぐねた結果に導き出したのが「三津五郎(ミツゴロウ)とゆかいな仲間たち」(笑)。
付き人が消えた時には「付き人保険」をと団十郎丈に勧めるのが尾上菊五郎丈(富司純子の夫で寺島しのぶ、菊之助の父)。その勧め方が、月々いくら払ってまかせて安心…と、流行りの外資系保険CM風。その都度感心の団十郎丈は何故か手元に、「トリビアの泉」(フジテレビ)の『へぇ〜ボタン』(笑)。
左団次頭取が倒れた現場にいた医師に扮したのが仁左衛門・孝太郎親子。役では親子ではなく上司と部下の、まず孝太郎医師が登場しただけで場内爆笑。この2004(平成16)年当時は、ドラマ「白い巨塔」(フジテレビ)で物語の中枢を握る『佃助教授』役としてすっかり当たり役、定着していたからで、今回も役名はそのまんま『佃助教授』。仁左衛門教授にも「しっかり診察しないと、裁判沙汰になりかねます」(笑)。その言葉に不適な笑みを浮かべながら仁左衛門丈、「何を弱気なことを言ってるんだ佃くん。僕は権威名だたる、浪花節大学の教授だよ」。浪速大学ではなく『浪花節大学』、アハハ(笑)。
他にも歌舞伎ファンならまさかのギャグや楽屋オチが散りばめられながら、今作品では何と、あの坂東玉三郎丈が妖艶な女形から一変、地味〜な「松竹の支配人役」として登場(笑)。何やらやたらとメガネを気にしながらの喋り方は、松竹に実際にモデルが居るのではと思わせる細かい演技は、今作の最大の楽屋オチでは無かったのでしょうか。
何はともあれ、三津五郎丈を中心に、永遠に生き長らえるドラキュラに置き換えた、最後は役者としての永遠現役の夢。先人たちもきっと夢見た永遠の命は、もちろん叶えられないけれども、その代わりに先人も描いた夢が、時代を経ながらその時折の役者たちに受け継がれつつ連綿と今の世に「芸のなかで、生き長らえてる」。
今作は出演者からスタッフから勘九郎丈を中心にすべて歌舞伎役者。それぞれの位置から、確固たる歌舞伎愛が随所ににじみ出ており、
物語のエンディングには、
「この映画(連鎖劇)を歌舞伎に関わった、すべての人に捧げます」…。
企画の勘九郎丈曰く、出演者・スタッフはもちろん、客席の歌舞伎ファンもそのすべての人々であるのだ、と。
連鎖劇のあとは、会場ロビーの模擬店の模様。団十郎丈自ら握り寿司を握ってお客に振りまいて(笑)。また、連鎖劇の三津五郎ドラキュラがその扮装のまま、ファンと記念撮影にも応じてと、感謝祭色の極み満点。
そして最後は、さらにお楽しみ
一、「滑稽俄安宅珍関(こっけいにわかあたかのちんせき)」
原作・河竹黙阿弥
補綴・竹柴徳太朗
常磐津連中、竹本連中
いわゆる歌舞伎の「勧進帳〜安宅の関〜」のパロディで、関を通るためには富樫左衛門(今回は、仁左衛門丈・演)の前で一芸を披露し、見合ったものから随時、関越えが叶うというもので、オールスター芝居に打って付け。もちろん本来の歌舞伎ながら、俄芝居に歌や舞いが披露されるのですが、今回は、歌舞伎以外にも新派から喜劇から、総登場。演劇人による「かくし芸大会」の様相ではありますが、これがまた芸達者の爆笑、爆笑。歌舞伎では考えられない演目がズラリ…。
まずは「巡礼おつる」の舞から。諸国漫遊の少女「おつる」も今作では歌舞伎界の名物男・市川左団次丈が。これだけでも十分オカシイのに、富樫の前で披露する舞と来たら、着物を裾をたくしあげて挙句にブレイクダンスまがい(笑)。舞の演奏も三味音曲ではなく、カラオケ。その様相は歌舞伎座がいっぺんに健康ランドの大宴会場と化し、これには思わず仁左衛門富樫、本気笑い。
続いて新派から、水谷八重子、波乃久里子(現・勘三郎丈の実姉)、それに「男はつらいよ」映画第1作(松竹/1969年)のマドンナ役としてもおなじみの光本幸子が、あでやかな芸者姿で揃い踏み。八重子嬢が「久々に三人揃って、三人娘」と懐かしめば、冷静な久里子嬢、「何を言ってるの、三人娘じゃなくって、今や『三婆』よねぇ」。沸き起こる爆笑の大向こうから「まだ若いよ!」(笑)。現に若さと妖艶の三美女は敢えて言うなら、「かしまし娘」か。三人の掛け合いはとにかく絶妙、
「私たちも老けたなら、あそこの“孝夫ちゃん”も老けたわねぇ〜」(笑)。
孝夫ちゃんとは、仁左衛門丈の前名(笑)。三人娘とは幼いころからの旧知で、そんな楽屋オチも混ぜながら関越えの一芸は、芸者衆に扮した新派若手女優陣がズラリと居並び「京舞・手柄」を披露。さっきまでの健康ランド(笑)が、またまた一変、京都・歌舞練場に模様替え。
と思ったら続いて登場は歌舞伎座の、花道、なぜか賛美歌に乗せてゴスペル聖歌隊(!!)。宣教師役の市川團蔵丈を筆頭に、河原崎権十郎、尾上松緑、市川亀治郎、坂東亀三郎、坂東亀寿といった期待の売り出し役者陣が黒人メイク、アフロヅラで富樫の前に。ハレルヤを「第九」に乗せて「ゴスペル」と称して披露するも、これがまたまったくの皆、音痴(笑)。
呆れた團蔵宣教師は、これまた「トリビアの泉」と称して無駄知識を披露。
「門番役の、片岡亀蔵は四十数年独身ながら、こないだようやく結婚し、しかもいきなり、4歳の父親となった!。片岡亀蔵、やるときにはやる男、間違い無い!」
と、当時売り出しだった、長井秀和のギャグまでとり入れた暴露ネタを披露(笑)。思わず本気の苦笑いの亀蔵丈を尻目に、してやったりと、一行は何とか関越えを果たし思わず、「あれは芸かの?」と仁左衛門富樫呆れたのも束の間、歌舞伎座安宅に轟くのは、何と、氣志團の「ワンナイトカーニバル」!!
リーゼントに長ラン姿の、まさに氣志團、中村獅童率いる「氣志團子」の面々。メンバーには中村勘太郎・中村七之助の(勘三郎実子の)兄弟に、坂東新悟、尾上松也と威勢の良い面々をズラリと揃えて「ワンナイトカーニバル」、客席の呆気と驚愕のなかで歌舞伎座は一気に木更津キャッツアイ。おなじみの振付も見事に会得し場内興奮のるつぼに巻き込んだと思えば、暗転、一瞬の早替わりで全員、白タキシード、今度はSMAP「世界でひとつだけの花」。
端々に映る客席の、特に女性ファンの目の色が変わります。歌舞伎界の未来は明るい(笑)。
「若いものはエエのう」と目を細める仁左衛門富樫。次に現れたのが市川遠之助丈の「スーパー歌舞伎」、その若手リーダー格の市川右近丈率いる、『新・三国志』。
「見たところによると、日の本(日本)の出で立ちではないの」と富樫。
「仰る様に、我々は三国時代の中国より…」と『姜維伯約』の右近丈。
すかさず、門番・亀蔵丈、
「中国というよりも、この劇場(歌舞伎座)、前の交差点を渡った、新橋演舞場から来たのですよ」(笑)。
「第33回俳優祭」が上演されたのが、2007年4月27日。その同じ日に演舞場で上演中の面々が、舞台の合間、いわば陣中見舞いとして駆け付けたという趣向。さらにはこの前後に闘病に倒れてしまった座長・猿之助の近況報告も兼ねて若手陣が一丸となって演舞場の牙城を守るその告知も兼ねておりました。
それにしても伝統の歌舞伎組と、滅多な競演の機会のない現代風の「スーパー歌舞伎」がひとつの舞台、ひとつの画面で競演しているということは何という贅沢…。こういう趣向もオールスター感謝祭、ならでは。
さらに続いては、何と宝塚歌劇ならぬ「タンカラヅカ」劇団の登場。本家十八番の「ベルサイユのばら」(1974年初演)、その『オスカル』役に扮した中村福助丈が登場するや場内からキャーと歓声。ほかにも、やはりタカラヅカ名作の「風と共に去りぬ」(1977年初演)の『スカーレット』に扮した中村扇雀丈、同じく『バトラー』に坂東弥十郎丈。グランドレビュー「ジャワの踊り子」(1952年初演)、その踊り子に扮した片岡孝太郎丈などなど。女の園のタカラヅカをそっくり男社会の歌舞伎陣が演じてみせるのもミソなら、特筆は『スカーレット』役の扇雀丈、その満面の笑みの女装たるや、まさに母君の扇千景そっくり(笑)。
今作の「安宅珍関」では「タンカラヅカ」劇団、何でも地方をまわるドサ周り一座らしく、男版タカラヅカとしてどこか定席の良い劇場はと探してる最中で、関越えの一芸として、何とそれぞれの扮装で「白波五人男」。
弥十郎バトラー、「生まれも育ちもジョージア州〜!」。扇雀スカーレットも「扇千景そっくりの〜」(笑)。しかも「タンカラヅカ」、前日まで大阪・松竹座出演のため当日は「ぶっつけ本番よぉ〜!」(笑)
さらに最後はスカーレットからレオタード姿に早替えで全員でレビューまで披露。どこまでサービス満点、大売り出しなのか(笑)。
これだけでお腹いっぱいなのに、最後の最後には、中村勘九郎、柄本明と当時上演し人気を得た、久世光彦・演出の芝居「浅草パラダイス」の一行。柄本明氏は「ここは浅草…いや、歌舞伎座か!、やった、歌舞伎座〜!」と舞台の端から端まで大騒ぎで喜んで。ちなみに柄本氏本人も、生まれが歌舞伎座の近くなのだとか。このご両人、今年は映画で弥次喜多を演じるまでの名コンビながら、「浅草〜」といえばもう一人、藤山直美。しかし、「俳優祭」上演日は福岡・博多座で芝居中なので歌舞伎座には来られない。「どうせならいっそ、フグにも当たれば良いのに」と柄本明氏、ホンネを吐けば、何と!…博多のはずの直美嬢が客席から登場。最強最高トリオ、勢揃い。客席からも「藤山ッ!」、返す直美嬢、「ハイョ!」…このキャッチボールだけで場内爆笑、一気に華やぎます。
もうコレ以上ない華、華、華の舞台なのに、さらに客席から登場は大喝采に迎えられて、紋付袴姿の、「堀越孝俊」…って文字にしただけなら誰?。それでも客席大喝采の意味は、この「堀越〜」こそ、今をときめく市川海老蔵丈、海老様の、本名。この「俳優祭」の三日後、つまり2004年5月1日吉日より「七代目市川新之助改メ十一代目市川海老蔵」襲名、その前祝いとして出演叶ったのが今回のコーナー。新之助と海老蔵の合間ということで、本名での出演と相成り、安宅の一芸では、海老蔵襲名の口上、その「予行演習」が披露されたという、まさに貴重な一場面。しかし「それでもまだまだ何か〜」とせがむ富樫。自ずと客席の期待が高まります。
これには海老様、というよりこの時点ではまだ新之助、何をやれば良いのやらオロオロ慌てふためきながら、客席が期待するのは当然、例の…。仁左衛門富樫、煽るだけ煽って、「でもその一芸は、襲名興行にとっておきましょう」と促すと、客席から一斉に落胆の声。仁左衛門富樫のアドリブでもうどうすることも出来なくなった新之助丈は折角だからと、客席の期待通り、「父に教わった、市川家代々の…」と一子相伝のお家芸「睨み」を披露。客席の歓声はピーク、絶頂。そのドサクサに紛れて、「では私も睨みを」と柄本明氏、その表情、タダの寄り目にしゃくれ口、まるで志村けんとの芸者コント。これで爆笑をさらったかと思えばさらに直美嬢、
「私も父から教わった芸を…」と、飛び出したのが、鼻をほじくりながら
「あの〜、もしもしぃ?お父さんですかぁ〜?」(爆)。
もうたまらない、満腹です。これ以上ない、華の競演は、出演者全員勢揃い、日本俳優協会会長、中村雀右衛門丈のご挨拶でお開きに。
と、以上、ビデオテープ再生終了。
かような演劇の祭典が、本日今夜、その34回目として堂々放送です。いかなる演目、趣向、出演者が飛び出すか。演劇界のおもちゃ箱を引っくり返したような大感謝祭。普段、歌舞伎に縁の無い方や、これから歌舞伎を見てみようと言う方も、一度今夜のテレビで予行演習がてらに、その魅力を堪能されてみてはいかがでしょうか。ビデオ予約の準備も今から万端です(多分、大丈夫でしょう。何度も確認を… 笑)
ちなみにNHK、昼は昼とて総合テレビ、昼0時20分からの「金曜バラエティー」、『牧伸二・堺すすむの至芸を』とあります。あ〜んあんあ、な〜んでか!で驚いた…音曲漫談の競演。シブイなぁとこちらも録画予約(笑)。


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などなどいずれも他多数発売中。
寝入り前に聴くCD、とっておき2枚で勝手に夢の名人二人会。立川談志師から聴くか、それとも古今亭志ん朝師から聴くか…。寝入り前なのでどちらが先でもいつの間にやら眠ってしまい、二席聴けた試しがないのですが(笑)、寝苦しいこの時期、夏場は志ん朝師の「船徳」あたりで川面の涼をイメージしつつ。逆に温まってぐっすり寝たい冬場は談志師でカッカカッカと一緒になって火照りながら。冬のお噺、「富久」などは噺自体も最後はほっと温まります。談志師匠の「富久」、イイョ〜!今夜も眠れぬ熱帯夜、さてと、久々に志ん朝師の「お若伊之助」…う〜ん、それとも談志師の、夏場ですが、「芝浜」か…。
先週の日曜日、予定していた立川談春師の天満天神繁昌亭での独演会が見られなかったので余計に落語熱の帯びる今週。
そういえば、いよいよ今週、金曜日開催の「新撰落語もぎた亭」。前売チケットまだご用意できます。こぞってお越しくださいませ…。
昨夜の「JUNK2タカアンドトシのケチャケチャラジオ」(TBSラジオ/毎週火曜深夜3時00分〜4時00分放送)、雑音混じり…エアコンを入れてたらそれから電磁波が飛び散るのか(?)、とにかく余計にノイズだらけの、掻き分け掻き分け「欧米か!」旋風…『米(アメリカ)のことばかりで欧(ヨーロッパ)のことは全然触れてない」とヨーロッパ出身の日本のお笑いファンに指摘されるなど(『さんまのからくりTV』にて)云々云々でダイヤルを合わせていたら、番組でかかった曲…久々にシビレマシタ。
その曲とは、「また逢う日まで」。しかも、新録カヴァーのクレイジーケンバンド!!。
へぇ、こんな曲、いつの間にカヴァーしたのやら。まったく情報に疎い当節。ご存知のようにオリジナルは1971(昭和46)年、尾崎紀世彦がド迫力の声量ともみあげを持って世に放ち、その年の「日本レコード大賞」も受賞した名曲。
何といってもお馴染みの、思わず大向こうから「待ってました!」と声掛けたくなるよなイントロも含めて、クケバ(というそうですね、本当のファンの皆様は)の演奏は、オリジナルを忠実に再現したと思われるまさに東洋一のサウンドマシーンの名に相応しい職人的仕事ぶり。思わずエアコンも切って、そしたらラジオ、クリアに傍受出来てさらに興奮。加えてィ横山剣さんの歌唱も尾崎紀世彦超リスペクトな趣で、とにかく最高の出来映え!
番組では時間の都合で、1番のみでカットされてしまいましたが、「また逢う〜」、ピアノが芯になっての間奏がこれまたオリジナル、カッコ良くて、多分もちろん、絶対、そこら辺りも忠実にハマの職人、再現されているはず。
明けて、今朝からその収録、出どころを色々探してみましたら、こちらの一枚…
トリビュート以外にもそれぞれオリジナルを集めたコンプリートアルバムも発売されており、改めて筒美京平の世界…じっくり。まずはこちらで一部試聴も出来るようなので、それから。クレイジーケンバンドのアルバムなら即買いなんですがね(笑)。でも、「さらば恋人」(堺正章、作詞・北山修、作曲・筒美京平/1971年)を山崎まさひろさんがカヴァーにも気が向きながら、おっと、ET-KINGが「お世話になりました」(井上順之=現・井上順、作詞編曲・山上路夫、作曲・筒美京平/1971年)でこちらも何やらスゴそう!
遅れ馳せながら、めっけもんの「また逢う日まで」!
その曲とは、「また逢う日まで」。しかも、新録カヴァーのクレイジーケンバンド!!。
へぇ、こんな曲、いつの間にカヴァーしたのやら。まったく情報に疎い当節。ご存知のようにオリジナルは1971(昭和46)年、尾崎紀世彦がド迫力の声量ともみあげを持って世に放ち、その年の「日本レコード大賞」も受賞した名曲。
何といってもお馴染みの、思わず大向こうから「待ってました!」と声掛けたくなるよなイントロも含めて、クケバ(というそうですね、本当のファンの皆様は)の演奏は、オリジナルを忠実に再現したと思われるまさに東洋一のサウンドマシーンの名に相応しい職人的仕事ぶり。思わずエアコンも切って、そしたらラジオ、クリアに傍受出来てさらに興奮。加えてィ横山剣さんの歌唱も尾崎紀世彦超リスペクトな趣で、とにかく最高の出来映え!
番組では時間の都合で、1番のみでカットされてしまいましたが、「また逢う〜」、ピアノが芯になっての間奏がこれまたオリジナル、カッコ良くて、多分もちろん、絶対、そこら辺りも忠実にハマの職人、再現されているはず。
明けて、今朝からその収録、出どころを色々探してみましたら、こちらの一枚…
![]() | the popular music ~筒美京平トリビュート~ オムニバス (2007/07/11) UNIVERSAL J(P)(M) この商品の詳細を見る |
トリビュート以外にもそれぞれオリジナルを集めたコンプリートアルバムも発売されており、改めて筒美京平の世界…じっくり。まずはこちらで一部試聴も出来るようなので、それから。クレイジーケンバンドのアルバムなら即買いなんですがね(笑)。でも、「さらば恋人」(堺正章、作詞・北山修、作曲・筒美京平/1971年)を山崎まさひろさんがカヴァーにも気が向きながら、おっと、ET-KINGが「お世話になりました」(井上順之=現・井上順、作詞編曲・山上路夫、作曲・筒美京平/1971年)でこちらも何やらスゴそう!
遅れ馳せながら、めっけもんの「また逢う日まで」!
花紀京・岡八郎のご両人。吉本新喜劇第1期黄金時代を支えた名コンビは、40代半ばとお互いに円熟したころ、新鮮味をもう一度、という意味で漫才コンビを結成されました。テレビの「花王名人劇場」(関西テレビ)などや、土曜のお昼間に放送されていた関西ローカルの「漫才笑学校」(読売テレビ/1980年)という番組でも、そのお披露目を眺めたものですが、当時の率直な感想は、漫才ブームというあの時代、それこそ機関銃のように捲くし立てる若手コンビが台頭するなかで、ベテランの妙味というか、言葉遣いも丁寧でおっとりとした雰囲気はどうも馴染めたものではありませんでした。それよりも、コンビ結成を機に当時、日曜お昼放送の「花紀岡八ドンとお笑い60分!」(関西テレビ)という番組がスタート。当時バリバリの木村進・間寛平コンビは一切出演せず、花紀・岡八コンビに、原哲男、桑原和男、片岡あや子といった、どちらかといえばベテラン陣が奮闘したコメディで、そこでは二人の魅力、十分に発揮されていて毎週のように。日曜お昼、確か、朝日放送は正午から「あっちこっち丁稚」で、関テレはその裏で「花の新婚カンピュータ作戦!」、1時から「花紀岡八〜」があって、2時から「鶴瓶と花の女子大生」…確か、そんな流れだったと思います。
横道反れた話戻して、このコンビの漫才。実は数年前にラジオで再放送され、録音しながら改めて聴いたのですが、そのゆったりとした雰囲気と、明朗快活なやり取りが、何とも心地良かったのです。これも年齢のせいか(笑)。新喜劇であれだけドタバタなやり取りが楽しかったご両人の、漫才となると、ゆったりまったり。結局は団体芸のなかで映える笑いと、二人だけの空間も含めての笑いは、似て非なるものだと改めて確認された次第。お二人は見事にその「空間」というものを醸し出しておられました。
新しい台本に取りかかるべく、参考にと創作落語のビデオを。そのなかでも先日放送の「平成紅梅亭」(読売テレビ/2007年7月17日放送)、打って付けで上方の旗手、桂三枝師「日本一のコシヒカリ」、東京より来演、立川志の輔師の「買い物ぶき」などなど、それぞれ自作の最新作でと多彩。特に志の輔師の作品は目下売り出しの十八番演目で、「〜紅梅亭」よりさらに数日前の「笑いがいちばん」(NHK)でも聴けた一席。大型ドラッグストア、色とりどりに揃う製品の買物に往生する客と、その客から思いもしない質問を浴びせ掛けられ、四苦八苦余計に往生する若い店員のやりとり。風邪薬にしても歯磨きにしても洗剤にしても、あれだけの量があれば、一体どれから手を付けてよいのか分からない、お客側の深層を見事に共有の笑いに結び付けているのが素晴らしい。以上の現代を舞台にした2席に浸りながら一方、桂都丸師の「時の氏神」は小佐田定雄先生の創作ながら、古典の味わい。「おでんのなかで出汁がしゅんでいる(しみこんでいる)大根が好き」な男と、「大根にしゅむ出汁は、スジや昆布巻きなど、他の具からにじみ出たもので、スジや昆布巻きに感謝せえ」と主張する男、この友達同士のケンカを、二人の兄貴分が、仲裁役の「時の氏神」を買って出て騒動に巻き込まれるというお話。
これは、桂ざこば門筆頭、『都丸兄ちゃん』(ざこば師はこう呼ぶ)の、師匠同様の一本気がキャラクターに宛がわれて書かれた作品なのでしょうか。いずれにしてもケンカの原因をそれぞれ主張する男らの雰囲気と、何とも幼稚なその原因、はたまた、ケンカ仲間を仲裁に入る兄貴分(後半には、この兄貴分も二人に翻弄され、皆が住む長屋の主人も仲裁で登場)のドッシリした佇まいが、今の都丸師に似合っておりました。当の都丸師もマクラ…。呑んだ帰りの最終電車で、同じく酒の入った乗客とトラブってしまい、しかも降りる駅はお互い同じ駅、気まずい雰囲気で改札口をそれぞれ南北出口に分かれていったなぁとその後日…。やはりその駅で都丸師、電車を待ち合わせていたらホームの柱の陰から見知らぬ男性が「こないだはどうも!」。よくよく見れば、先日のトラブった相手で、「こちらこそ酒の勢いですんませんでしたな」と都丸師…。結局、二人は同じ最寄駅近所の赤提灯で一杯ひっかけ合う仲になった…と(笑)。
落語台本。演者さんの年齢やキャラクターにも見合ったうえで取りかかるのはともかく、一度で良いので古典的な雰囲気を生き込んではみたものの、そうなれば時代考証などなど調べ物に追われて、結局ままならないのではと尻込んでしまっていたのですが、今回の「時の氏神」では、ケンカの仲裁も共感出来るもの。その原因となった、「おでん」というアイテムも何とも味わいがあって、最後に、騒動に巻き込まれる長屋の雰囲気が描ければ、まるで三題噺のように、これだけでどっぷり古典の雰囲気に浸れるのかとは…。
円熟の都丸師も三十周年なら、小佐田先生も二代目桂枝雀師にまず台本を提供して以来今年が三十周年なのだとか。恐れ入りやの流石、三十年選手の腕。
感心しながら、さてと構想に入ろうかとパソコンごちゃごちゃイジっていたら、結局、こんな落書きを描いてしまった(笑)。こんなことしてる場合と違うのに。でも、こんなこともしなければいけないのに、と、色々あらあら計画の整理が出来ず、何をしてるこっちゃら…。とりあえずモデム復活を記念して本日3本目の落書きと致しましょう。
それにしても、台本とイラストの、「今、先、コレやれ」と整理をつけてくれる嗚呼、「時の氏神」が欲しい…。
■読売テレビ
「平成紅梅亭」
『悋気の独楽』柳家三三
『七段目』桂小米朝
『買い物ぶき』立川志の輔
『時の氏神(小佐田定雄・作)』桂都丸
『日本一のコシヒカリ』桂三枝(2007年7月17日放送)
まずは私事でモデムが無事復活。本日より何とかしばらく(笑)、元の再開。その間、落語界で大慶事、桂小米朝師の五代目桂米団治襲名の報。襲名興行は来秋。何はおいてもめでたい限り。
元々、桂米朝師の確か、俳号であった『八十八(やそはち…“米”の字を分解したもの)』を小米朝師が名乗る噂もあったり、また兄弟子で筆頭である桂ざこば師が発起となって、『四代目米朝』襲名で、米朝師が『米翁』…という話もあったというような。むしろ『米団治』の名跡は、その芸風を見事に継承したかのように思われた、亡き桂吉朝師に、という噂も訊いたのですが…ま、いずれにしても噂に終わってしまったのでこうして書けるというものの、以上の噂のうえでまさかの『小米朝=米団治』はビックリ。先代米団治こそ米朝師の師匠のお名前で、小米朝師は一足飛びに大師匠の名跡、と相成るわけでございます。
先日放送の「平成紅梅亭」(読売テレビ/2007年7月17日放送)で演じた『七段目』、現在の市川團十郎丈(の物真似)も飛び出して、得意の芝居噺、ほんのりと端正な語り口も結構なもんでございました。現在開催の「桂小米朝十番勝負」の気力も十分、噺家生活30周年、年齢も50代と脂の乗りきる大台へと相俟って、実にぴったり、誠にプリンスらしいお膳立てが見事に整ったうえでのいよいよ、まさに大襲名。ご当人のプレッシャーも相当なものかと察するのですが、いにしえの看板復活、「米團治」の名前が寄席をはじめ色んな場所に登場することは落語ファンとしては何よりも楽しみでございます。
そういえば、先日放送「まもなく夜明け米朝事務所」(ラジオ大阪/2007年7月22日放送)によると、襲名発表、19日の記者会見に先駆けて、米朝一門、米朝事務所、身内等々では既にそれは知らされていて、報道直前ということでびっしりと緘口令が敷かれていた模様。にも関わらず、会見前から天満天神繁昌亭を中心に各落語会などで何故か今回の襲名の話題で持ち切り。身内は皆、「誰が漏らしたのやろう?」云々とその出所をあぐねていたら、全員が全員の見解、
「あ、本人が自分でしゃべりまくったんや!」(笑)
パーソナリティの桂こごろう、桂紅雀の両師に、ゲストの桂宗助師も、「ありうる話」とあくまでも推測の域に留めたところで、
「内緒の話は、米朝・小米朝親子…この二人には絶対知らせんことですな」
さらに、
「こういうところもさすがDNAというもんです(笑)」
アハハ、「しゃべりの米団治」か。気品と重責のなかで、今まで通りぼんぼんでフワフワとした、お茶目な五代目米団治もよろしかろうて(笑)。
元々、桂米朝師の確か、俳号であった『八十八(やそはち…“米”の字を分解したもの)』を小米朝師が名乗る噂もあったり、また兄弟子で筆頭である桂ざこば師が発起となって、『四代目米朝』襲名で、米朝師が『米翁』…という話もあったというような。むしろ『米団治』の名跡は、その芸風を見事に継承したかのように思われた、亡き桂吉朝師に、という噂も訊いたのですが…ま、いずれにしても噂に終わってしまったのでこうして書けるというものの、以上の噂のうえでまさかの『小米朝=米団治』はビックリ。先代米団治こそ米朝師の師匠のお名前で、小米朝師は一足飛びに大師匠の名跡、と相成るわけでございます。先日放送の「平成紅梅亭」(読売テレビ/2007年7月17日放送)で演じた『七段目』、現在の市川團十郎丈(の物真似)も飛び出して、得意の芝居噺、ほんのりと端正な語り口も結構なもんでございました。現在開催の「桂小米朝十番勝負」の気力も十分、噺家生活30周年、年齢も50代と脂の乗りきる大台へと相俟って、実にぴったり、誠にプリンスらしいお膳立てが見事に整ったうえでのいよいよ、まさに大襲名。ご当人のプレッシャーも相当なものかと察するのですが、いにしえの看板復活、「米團治」の名前が寄席をはじめ色んな場所に登場することは落語ファンとしては何よりも楽しみでございます。
そういえば、先日放送「まもなく夜明け米朝事務所」(ラジオ大阪/2007年7月22日放送)によると、襲名発表、19日の記者会見に先駆けて、米朝一門、米朝事務所、身内等々では既にそれは知らされていて、報道直前ということでびっしりと緘口令が敷かれていた模様。にも関わらず、会見前から天満天神繁昌亭を中心に各落語会などで何故か今回の襲名の話題で持ち切り。身内は皆、「誰が漏らしたのやろう?」云々とその出所をあぐねていたら、全員が全員の見解、
「あ、本人が自分でしゃべりまくったんや!」(笑)
パーソナリティの桂こごろう、桂紅雀の両師に、ゲストの桂宗助師も、「ありうる話」とあくまでも推測の域に留めたところで、
「内緒の話は、米朝・小米朝親子…この二人には絶対知らせんことですな」
さらに、
「こういうところもさすがDNAというもんです(笑)」
アハハ、「しゃべりの米団治」か。気品と重責のなかで、今まで通りぼんぼんでフワフワとした、お茶目な五代目米団治もよろしかろうて(笑)。
おぼん☆こぼん のご両人。昔は「月見」という屋号が付いていたと思うのですが、何時の間にか消えておりました。コンビ結成40年超の大ベテランですが、スターダムに乗ったのは、タップダンスで大いに売った、やはりあの漫才ブームでした。そのころかつて旧なんば花月にもご出演のご両人。河内家菊水丸師のめくりコレクションに今も保存され、現在も大阪・日本橋、「おたくの殿堂」4Fにて公開中です。確か、ラジオ番組だったと思うのですが、ゲストとして出演したおぼん・こぼんさん曰く、高校生漫才として素人演芸番組を勝ち抜いて、プロになったころ、横山ノック師に師事して、うめだ花月にも出演されたと聴いたことがあります。そのころ、既に今のコンビ名を名乗っていて、そこへ屋号として「横山」、つまり「横山おぼん・こぼん」として花月の舞台にも立たれていたそうなのですが…。
ラジオ番組。今も曖昧な記憶です。
六代目笑福亭松鶴師の五番弟子にあたる笑福亭呂鶴師。まもなく天神祭の、いよいよ季節は呂鶴師の季節といっても過言ではない、今年も船渡御、落語船で舞い踊る姿が目に浮かぶ、呂鶴師率いる上方落語地車囃子、龍踊り。威勢の良かったころの六代目を彷彿とさせる力強さは、最後に大坂締めで。
開口一番「打〜ちましょう〜」とやるのが一般的ですが、本来の大坂締めは「打〜ち…」とここで伸ばすのではなく、一気に「打ちましょう〜!」とやるのが本式なのだとか。
もちろん各所各地それぞれの方式、賛否色々あるのでしょうが、いずれにしても地車囃子の「打ちましょう〜!」…ここにもやはり血気漲る在りし日の六代目の姿が甦ります。
日本の夏、呂鶴の夏!…といいながら、落書きが高座姿とこじんまり。彦八まつりの折にはしっかり資料として携帯でも撮影し、そのときにまた落書き、描いてみると致しましょう。
…といいながら、このところ全然ライブが見られていないのが情けないのですが、それでも、上方落語、オススメは誰かと聴かれたら、もちろん無手勝手炸裂の笑福亭福笑師匠は別格として(笑)、じっくり古典を楽しむのならまちがいなく、今は桂文太師。ラジオやたまのテレビで聴く(落語番組、ホンマにたまなのだ)、文太落語、口跡もまったり古典の世界、耳障りも良く、何よりもくすぐりやギャグに当人のこだわり、理屈がいっぱい詰まっていて。自分のなかでは在りし日の桂吉朝師がこのポジションにあって、その吉朝師が亡くなってしまい、はてさてその空白感を勝手に虚しがっていたものですが、それを埋めるに十分値するのが、文太師だったのです。
吉朝師の感触に、やはり師匠であった五代目桂文枝師のリズミカルでメロディ溢れる語り口…。今、桂文太を聴かないで誰を聴く…上方落語勝手にオススメ応援団、ささやかな推奨の思いの丈を落書きと共に…。
本日は「新撰落語もぎた亭」、来週に迫った本公演の最終打ち合わせ。残念ながら私めの作品はかかりませんが、演者・作家ともども最後の最後までああでもないこうでもない…トコトン笑いを追求の血の汗、涙の毎日です(笑)というわけで、ご予約以外にも、この落書きをクリック拡大→プリントアウトして、当日持参いただいた方にも、前売料金でご入場いただけますので、どうぞ、刷って刷って刷りまくって、今月27日、繁昌亭来い来いコマーシャルのほど、ご近所でもよろしくお願い致します(笑)
ハイヒール、リンゴ・モモコのご両人はお馴染み、漫才の最後に見せる挨拶「どうも、ありがとッ!」のポーズより。しかし、このポーズもいつのころからか、もうどのぐらい見ていないでしょうか。というよりも今は漫才をしないので、見ることが出来ないといったほうが正しいでしょう。確か、劇場の出番にも出演されてないはずです。以前、NHKで夜に放送していた情報番組で、毎週の時事ネタを漫才に仕立ててその斬り口に、ちょっと憧れたことがありました。それまでの女性コンビにはまったく無かった、ある意味で「女性」を感じさせないスマートさ、潔さ。そんな魅力がこのご両人にはありました。
その後も時事ネタに家庭ネタをと放り込んで、幅広い漫才を見せてくれましたが…。
まだ若いうちにもう一度、漫才、聴かせて欲しいものです。

















