NOMI08

 朝から用事が何やかんやあって、夕方にやっと一息、ラジオは久々に聴く「玉置宏のラジオ名人寄席」(NHKラジオ第一/大相撲中継週を除く毎週日曜夕方4時05分〜5時00分)。今週は上方落語特集、二代目三遊亭百生師の「小倉船」四代目林家小染師の「幇間腹(たいこばら)」

 百生師はそれこそよくぞ音源が残っていたと感心するほどの、昭和20〜30年代に上方落語を東京へと広めた、ほとんど歴史上の落語家さん。一方で先代小染師はいわずと知れたザ・パンダ怒りないなぁ〜で、ニノミヤムセン♪大阪ミナミの〜虹〜の〜まち〜…で「花の駐在さん」、始まります!チャンチャン…で、と色々思い出も深い。マスコミに売れた一方で花月の舞台や楽屋でも数多くの酒にまつわるエピソードを若くして、伝説として残されたおっ師匠さん。
 久々に聴いた落語は、その音源で「私も師匠に入門して8年になりまっけど」とあったので、三代目林家染丸師に1964(昭和39)年入門…だから、1972(昭和47)年の…おお、私めの生まれた歳の音源。お亡くなりになったのが1984(昭和59)年享年36歳。36歳か…来年、その歳になってしまうので余計の2乗も3乗…感慨深い音源。

 それにしても、36歳で亡くなったというから、1972年といえば、ええ、小染師24歳のときのもの!。いくらもう「ザ・パンダ」で世に出ていたとはいえ、ええ、コレで24歳?と唸ってしまうほど、話芸が立派に「上方落語次世代の旗手」。懐かしく大笑いしながら、感心の背筋がピンと。

 丸っこい体型とぐにゃっとなった、まさに破顔の笑顔、もう全体かにじみ出るオーラが「上方の噺家さん」、改めて惜しいやら。しみじみと夕方5時を迎えダイヤルを東京・ニッポン放送に。この季節あたりから日暮れによる天体の変化もあってか(あくまでも、詳しい理由は分からない)、関西地方でも夕方より悠にクリアに受信可能…で、番組は「笑福亭鶴瓶の日曜日のそれ」(ニッポン放送/毎週日曜夕方4時00分〜5時30分放送)

 リスナーからのメッセージを読みながら鶴瓶師お気に入りの音楽もたっぷりで、今週は「スピッツ」の特集。アルバムを買い込み何度も何度も聴き入ったなかで鶴瓶師お気に入りのヒット曲から細かい小品までと選曲の取り揃えや良しで、これは「スピッツ」の皆さんも嬉しいはず。そんななかで…

「こないだこの番組で、大空テントさんの曲をかけましてね…」

 って、大空テント…あの、テントさん?(笑)。今は「大空」の屋号を取った、上岡龍太郎師のお弟子さんで、上岡師が引退の際に「キミが二代目を襲名せえ」と勧められても、

「いや、漢字が多なってサインとかヤヤコシイから、よろしいわ」

tento とあっさり固辞した(笑)、それでいて『人間パチンコ』『クモの決闘』で、わらびもちデカメロンで、義務教育では到底追っつかない、アノ、テントさん…ウソや〜ん!(笑)

 果たして何の曲がかかったんでしょうか、気になるところですが、続けて鶴瓶師、さらに気がかりなお言葉を…

「曲をおかけしたので、お礼も含めて番組から
 色々お送りしたんですよ。
 ところがテントさんにしてみれば、
 『何のことやろ?』
 と意味が分からんから
 また番組まで送り返して来はったんですよ。
 爆弾やと思わはったんですかね?(笑)。

  でね、改めてお宅にお電話差し上げたら、
 テントさんの
 お母さんがお出になるんです。
 あの方、実家が『テント屋』なので、
 芸名もテント言うんですが、
 それにしても電話かけたら、いっつも出はんの、お母さんや。

 テントさんて結婚もしてはって、奥さんもいてはるんですが、
 電話に出るのは毎回、お母さん…

 テントさんと奥さんの馴れ初めから夫婦としての暮らしぶりはそれはメルヘンチックで(笑)、色んな番組でも取り上げられてましたが…

「あないお母さんが出るということは、テントさん、
  奥さんと別れはったとか…、そんなわけないですよねぇ

  誰か詳しい近況をご存知の方は番組までご連絡ください」

 と、ほぼこんな主旨の鶴瓶師、「WANTED!」。

 アルバム「デカメロン」を発表されたテントさん。なかでもカヴァーの『快傑ハリマオ』が妙にカッチョイイこと!。そんな「デカメロン」といえば、言わずと知れた知る人ぞ知る、かのお方によるプロデュース…

 というわけで、まさかひょっとしての可能性を期待しながら、一応、この場でも情報提供の告知を募ってみましたョ!(笑)

〒100−8439 東京都千代田区有楽町
  ニッポン放送「笑福亭鶴瓶の日曜日のそれ」係 まで
 この日は朝からNHK、10月1日より放送開始の連続テレビ小説「ちりとてちん」(NHK総合/毎週月曜〜金曜朝8時15分〜8時30分、再放送…同昼0時45分〜1時00分、BS2/朝7時30分〜7時45分放送ほか)、事前告知番組目白押し。福井育ちの普通の女子高生が大阪に出てきたのと同時にひょんなことから上方落語に魅了され、やがてはその道へと突き進んで…といった半年間のロングラン、主演の貫地谷しほりさんは早朝から午後までの生番組、大阪局、東京局を往復しつつ、途中は録画物の笑福亭仁鶴師司会の「バラエティ生活笑百科」(NHK総合/毎週土曜昼0時15分〜0時38分放送)をどんなんかなぁ〜、と挟みつつ、ほぼ出づっぱり。

 ちなみに「ちりとてちん」とは上方落語の演目で東京落語では「酢豆腐」。何でも博識がる、いわゆる知ったかぶりの男に、何とかその化けの皮を掴もうとするまでを描いた噺で、知ったかぶりの男に、「長崎名産ちりとてちん」という適当なネーミングの腐った豆腐を、『ご当地の珍味』として勧め、果たして男がどんなリアクションを見せるかを興じるというもの。適当なネーミングは三味線の音に由来するのですが、落語としての中身はともかく…。
 
 それにしても、こんなに告知番組にNHKが力を入れるのは恐らく初めて。朝の看板枠ということもあってか、それも然る事ながら、やはり昨今の「天満天神繁昌亭」景気、ブームの落語を取り上げたドラマだけに、大阪発、演芸色も絡めた構成も出来るので、これほどの最大規模な告知番組へと発展したのでしょう。いずれにしても、10月から半年間、じっくり楽しませていただくと致しまして、ドラマスタートの援護射撃か、毎日新聞がこの1週間(2007年9月24〜27日)、夕刊で4回連載物、露の都師を取り上げたのも特筆。

miyako02 都師は露の五郎兵衛師に1974(昭和49)年入門、上方のみならず東西の落語界にして、記念すべき女流第1号、元祖「ちりとてちん」。同期には明石家さんま桂小枝桂千朝、そしてお亡くなりになってしまった桂吉朝の各師が居並ぶ言わば収穫の世代。当時の落語ブーム、とりわけ大人気を博した笑福亭仁鶴師の影響が絶大で、都師も多聞に漏れずやはり、という内容も連載の初回に記されていました。

 連載は「シリーズある母の物語」として、各界で活躍するいわゆる女流の、母としての素顔にも迫ったもので、都師の「母親」としての素顔を主軸に、落語家として貫き通す模様を織り交ぜた、といった内容。連続4回をスクラップに保存しましたが、読み返すごとにそれにしても、都師の母親としての面は濃厚で、まさに山あり谷あり。その起伏に従うように、また逆らうようにと落語家としてのバイオリズムも織り交ざるので余計に味わい深い、都師のお人柄、と同時に女流ながらも、女性役はもちろん、子供役の可愛らしさ、番頭やご隠居といった男性役も堂に入った演じ分け、芸の幅広さの根元を垣間見たよう。

 そんな女流第1号の都師、落語家になったのも最初なら、母親になったのも落語界では最初。その後の人生すべてが「女流落語家」としてのパイオニア。昨今は「みやこ噺」として、家庭や街中でのウォッチングネタが中心のマクラも評判、これが爆笑(笑)。

 マクラだけではもったいない、ドラマ以上にドラマチックな笑いと涙の「露の都半生記」。4回連載だけでは勿体無い。長期連載、もしくはドラマ「ちりとてりん」でも、後半あたりにモデルとして都師のエピソードを取り込めば、さらに幅広く奥深い、まさに「テレビ小説」になりそう。

 改めて、露の都師匠…母は強しの、そら、オモロイはずですわ。
agatsuma 「さてはトコトン菊水丸」(MBSラジオ/2007年9月28日放送)『おたまじゃくし音楽堂』は三味線の上妻宏光さんご来場。

 従来の三味線、邦楽のイメージをガラリと親しみやすいものにした当代一の名人と、同じく河内音頭においても圧倒的なエンタテイメントに昇華させた河内家菊水丸師の一大セッション生披露。上妻さんのプロフィールを手元の資料に、即興で作り上げた「上妻宏光物語」、まさにライブ感たっぷりの、こういうセッションをスタジオだけの非公開には嗚呼、勿体無い〜。

 親しみやすさという点では、志村けんさんが、50代を越えてテレビや舞台で三味線を披露する段になって、上妻さんに「弟子入り」懇願。もう30年以上も前から、たびたび「新春かくし芸大会」(フジテレビ)や、ザ・ドリフターズの日劇公演などで三味線を披露していた志村さんにも関わらず。それでいて遥かに若い名人に「師匠です」と畏敬の念を忘れないのもスゴイ。
 対して、1973(昭和48)年生まれ、ほとんどこの世代は「志村世代」にして立派に「おっ師匠さん」ぶりを発揮された上妻さんはもっとスゴイ。先年の志村けんさん、コント番組のエンディングで三味線と、その隣にはビートたけしさんがこれまた華麗なタップダンスで見せたセッションは永久保存版です。

 そんな「師弟」に併せて、今回のご笑納は上妻宏光さん、あまり自信のある落書きではありませんが、それをゴマカす意味でも、派手に陽気にバカ殿様バージョンで。

 『トコトン生ゲスト』にはフリーライターの吉村智樹さんと、イラストレーターの中西らつ子さん生登場。吉村智樹という名前を見るだけでお喋りを聴くだけで不思議と「1990年」という時代が妙に過って。何も今が時代遅れというわけでは決してなく、1990年、及び1990年代という10年間…いや前半5年は、笑いの分野においては1980年代の漫才ブームがあって、その後の「2丁目劇場ブーム」、その混沌がそのまま小劇団にも飛び火し、さらには音楽においてもバンドブームや何やかや。とにかく大阪発が今より元気な時代の打ち上げ花火の一団に、吉村さんのような当時はフリーライターなのか、タレントさんなのか得体の知れない、とにかく書いてもしゃべっても、「オモロイ」人たちがまだまだ大阪にたくさんいらっしゃったのが、何となく子供目に見た90年代。

 子供目に見たといっても、そろそろ高校を卒業し、大学の進学がどうのこうのといった当時の私めにとっては、漫才師やダウンタウンを初めとする心斎橋筋2丁目劇場の面々は(大手・吉本所属という意味でも)すでに遠い存在となっていて、逆にフリーでいた吉村さんや、あと、みうらじゅんさんや、その源流にいたと思われる中島らもさん(あくまでも個人的史観です)は、勝手失礼千万ながらも、どこか手に届く、それでいて「憧れの存在」と、そう感じておりました。

 そんな吉村さんらが一団となって深夜のワケの分からない時間帯、しかも平日夜の生放送としてスタートしたのが「テレビのツボ」(毎日放送)。当時リニューアル仕立ての「うめだ花月」から生中継。ある意味でのゲリラ的な番組でした。番組の中身はともかく、この番組を放送していた毎日放送においても、例えば80年代、やはり低予算ゆえオールロケ番組として放送された「夜はクネクネ」や、「プロポーズ大作戦」(朝日放送)という全国ネットの超人気番組の真裏に関西ローカル、御大、横山やすし・西川きよしに当時はマイナーながらも知る人ぞ知るといった感の笑福亭鶴瓶師が、師の持つ独特のラジオ的な雰囲気が発揮された「突然ガバチョ!」、はたまた夕方という視聴率不毛地帯に突如として毎日が学園祭のような公開番組を繰り広げた「4時ですよ〜だ」…時間帯や中身のいずれもがゲリラでスタートし、やがては関西の文化的存在な番組へと成長した、そんな系譜が生かされたのが「テレツボ」だった、と今にして思います。

 あの番組は中身にしても放送時間にしても、出演者にしても裏方さんにしても、例えば朝日放送、そのほか他局で放送されていたとしたら、恐らく3ヶ月ほどで終わっていたと思います。あれは当時の、毎日放送だからこそ成し得た、番組だったと思います。

 うめだ花月のステージ上には、テレビのカラーバーを模したセットだけが組まれ、テレビモニタが一台。司会のせんじろうさんが、そのモニタに映る「チャンネルくん」とのやりとりで、その日一日のテレビ番組を振り返る、ただそれだけの番組。噂か否か、低予算番組が売りで、セットはもちろん、チャンネルくんは素人さん(もしくはアマチュア)で、テレビを語るといいながらも、VTRは一切なく、唯一のビジュアル手段として用いられたのがフリップのイラスト。イラストといってもおそらく、市販の文具用品で描かれた原画そのまま、本当の意味での「手書き」イラストが唯一のビジュアル手段で、とにかく何から何までまさに「手作り」で臨んでいた、今思えば画期的というか、当時としてもテレビの前で「なんじゃこら?」(笑)。

 それでもまったりとした何とも言えない空気感が、夜中という時間帯にはぴったりで、そんなまったりの一端を支えていたのが、本日ご来場のイラストレーター、中西らつ子さん。ぷっくりほっぺが今やトレードマーク、印象的なイラストは連日連夜登板かと思いきや、金曜日担当の一曜日のみ。そうかそうか、そういえば、他の曜日に、今のDKウラジさんの、これまた怒涛のイラスト、名人業で、当時の好みとしては「ウラジ」派でしたっけか(笑)。

 それでも中西さんの、一貫したお馴染みのほんわかタッチもやはり印象的で、放送オンエア前、3〜4時間の準備時間だけで何十枚と描きまくっていた…と、本日述懐。それにしても、3時間で何十枚…スゴイ、恐ろしや(笑)。何かにつけて手の遅い身としては改めて脱帽物。手が遅いことが災いして、色々とチャンスを逃してしまっただけに余計です(笑)。

 それと、予算の都合でVTRが使えない分そういえば一日のフリップ数は今思えば尋常ではなかった、とも。あの「うめだ花月」の倉庫が最終的には「いっぱいになった」と仰っていたので、そうか、今は控え室になっているあの倉庫でしょうか。後に楽屋を尋ねたことがあるだけに、その量の察しが付いた。それはかなりの量だったのでしょう。

 それだけの量の、今からすれば珠玉の名人たちの「作品」も花月側のスタッフにしれみれば、

「ジャマですねん」

で、対処。どうしたかと伺えば

「最終的には、燃やされました(笑)」

 放送…つまり、送りっ放しのメディアにおいてしても、あまりにも切な過ぎて呆気ない、お宝、最期。淡々と振り返る分、妙に笑える最期…か(笑)。にしても、菊水丸師でなくとも、惜しいやら勿体無いやら(笑)。

 イラストにも似たほんわかなおしゃべりが初めて拝聴できたのも収穫。また吉村さんのVOWやねん的「悪名」トークも相変わらず面白い。

 本日のラジオ欄、番組サブタイトルには「テレビのツボを支えた職人」とありました。

 今や伝説として語り継がれる、いや、90年代の番組ということから、語り始められたと言っても良いでしょう。当時、「間近なクリエイター」として勝手に憧れていたご両人が、今なお、その道一途に、まさに職人として歩んでこられた過程にそして現在、そんな「職人」という響きや活動ぶりに憧れる、そんな年代になってしまいました。

 色んな職人さんの背中を勝手に追っかけ憧れる、「背後霊人生」もまた良し…か。上妻宏光さんの三味線も然り、志村けんさんのコントも然り。おっと、目指す1万櫓な菊水丸師の河内音頭に、石田雄一さんのギターもそう。
 
 やっぱりその道一筋な職人さんは、スゴくてカッコ良くて素晴らしくって、「憧れ」という言葉しか出て来ません。

 それを思えば、ああ、何とフラフラ、ブレながら千鳥足状態で来てしまったことか!…反省!!(笑)
mbsokan 毎日新聞、ある日の夕刊にMBSラジオの告知ありけり。阪神タイガースのこのあと残り数試合の動向も気になるも、いよいよナイターオフのそろそろ秋の新番組の季節。朝昼磐石の肝心の夜、今年はどうなるやらと見つけた告知には、月曜を除く火曜から日曜にかけての連日MBSアナウンサー登場、名付けて「MBSどっとアナ!」
 なかでもおっと目を引いたのは日曜夜6時からの45分番組、高井美紀アナ、松井愛アナ、武川智美アナ、西村麻子アナ、上田悦子アナ揃い踏みの「DJオカンR35」なる新番組。皆さん、既婚者であることは存じていたのですが、そうか、いつの間にやら皆さん、お子持ち。それでタイトル「DJオカン〜」。

 特に西村アナは、数年前にうめだ花月で開催されていた「桂三枝創作落語125撰」の司会として現場にもお出ましで初々しい印象未だに。ラジオでも土曜の深夜だか日曜の早朝にかけてかの、番組のタイトルは忘れてしまいましたが、ひとりしゃべりのまったりとした、ちょっとFM風なディスクジョッキーは非常に耳心地の良いもので、新人さんなのに「おっ」と思ったら間もなく番組が終了してしまい、何やかんやあって、産休に入られて云々あって、今年の夏前に職場復帰。で、復帰されたと思ったら、何と世界陸上、ハードル選手のアレン・ジョンソンと驚くべき110m名勝負(ハンディとして西村アナは、ハードルなしで100m)…勝った!

 まさに「母は強し」、その5倍が揃って「DJオカン〜」。

 女性アナウンサーには、誰が説いたか「30歳定年説」なる説が存在するようですが、それはそれ。そんな説もそれこそ、アレン・ジョンソンのハードルのごとく見事にぶっ飛ばす勢い。いや、勢いだけではありません。
 高井アナは以前お昼に百戦錬磨のタレントパーソナリティに鍛えられた「すみからすみまで愛なのね」。松井愛、上田悦子アナは桂三枝師と「茶屋町ホテル」、武川アナもテレビで「痛快!明石家電視台」、10年以上に渡って明石家さんま師の笑いのエッセンスを十分吸収してと、実力も十分。

 特にAMラジオでは、女性メインの番組が少なく、アナウンサーが揃いも揃って「オカン」目線でおしゃべりと、非常に珍しい試み、今度の新番組。

 半年間限定とはいえ、いかなる中身か、今からちょっと気になる日曜夜6時。密かにエールという意味で、今回、落書きショウでした。
 本日9月26日マンボ松本さん、お誕生日おめでとうございます。

mambo それにしても、あれだけ取り憑かれたように通っていた「大西ユカリと新世界」のライブも彼是約1年のご無沙汰でございまして、なので今回のお祝いは、何やら取って付けたようで誠に申し訳ないのですが、ライブに伺えずとも毎日CDはヘビーローテーション。特に初期の「実録大西ユカリショウ」などはライブ盤ということもあって、ライブご無沙汰の禁断症状がウズウズ(笑)。

 そろそろ、という気持ちもあるし、まだまだ、という気持ちもどこか、ある。要は私め自身の色々なコンディションの問題で、足元周辺、環境を見渡すと、やっぱりまだまだ…かもしれません。

 この10月から完全民営化となる郵便局。まだまだ民営のみの字も…いや、小泉元総理が郵政大臣を務めたのが今から10年ほど前になので、そのころから叫ばれ始めていたでしょうか。とにかく、マンボ松本さん、音楽活動と並行しての職場がその郵便局。局内には色々職務があって、どちらでお勤めやらは詳しくは存じませんが、とにかく真っ当堅気に勤しみながら一方で地道に音楽活動も。

 10年前といえば私め、やはり郵便局で働いていて、なので民営化云々、記憶にある。確かあのころ「反対運動」やら何やらで組合たら何たら、とにかく数合わせに色々署名もさせられました。そのときの個人情報、流用されてなければ良いが(笑)。
 やはり、将来の目標もあったので、ある程度見通しが…いや、まだ付いてなかった。とにかくある程度の貯金が貯まったし、この貯金を崩せば良いかとその時点で辞めた…のが、今から8年前か。貯金を崩しながらそれでも合間合間にチョコチョコっと収入もあったので、何とかある時期までは持ったのですが、まぁ、それもあっという間の夢の跡でしたっけか。途中からおっつかなくなって、さぁ、自転車操業。それを2年ほど繰り返していたら、心身とも色々プッツリプッツリ糸が切れて、それを境に表に出るのもさぁ、ヤ〜メた〜!

 でもいつまでも放ったらかし、ボーッともしてられないので、出来る限りの色々手を尽くしてみたのですが、その成果には残念ながらまだ至っておりません。その成果へ向けての見通しが付けば、またライブにも伺えればと思うのですが、果たして…

 って、お祝いメッセージのつもりが、アハハ、何だんねん!?(笑)

 とにかく、ついには音楽活動一本へと絞るに至りマンボさんの、そういう意味では私自身にとっても、現在のご活躍は励みになります。いや、マンボさんに限らず、メンバーいずれの皆さんも然り。

 とにかく、次にお会い出来るのが来年かも知れないし、来月かもしれないし、ひょっとしたら5年後かもしれないし、もしかしたらもう無いかもしれないし。とにかくいつになるやら再びお会い出来るその先の先の先まで、マンボさん、そして大西ユカリと新世界の末永い活躍をと、ひっそりこっそりそぉ〜っと願う、隠れファンでございますョ。
pig ブログのテンプレート(レイアウト)をゴチャゴチャいじってたら、やっとこさ背景、変える事が出来ました。

 それにしても、何で「ブタもおだてりゃ木にのぼる」?…そらワタイ自身のことでおま!

 ああ、色々とおだてられたい、今日このごろでございます(笑)。

 「木登りブタ」…という名前だったか、このキャラクター。余所から拝借したものではなく、オンボロパソコンのペイントソフト、マウスだけで作ったものですが、やっぱりソフトもハードもオンボロだけあって、曲線のギザギザ感がどうしても拭えませんな(こないだのさてトコ1000回記念の幟もそうなってしまいました)。

 嗚呼、こないだテレビ(『1億人の大質問 笑ってコラえて!』)で紹介されていた、ペンタブレット。アレ、今、めちゃくちゃ欲しいよぉ〜。

 背景のブタで、もしも文字が見えにくかったら、オオツル忌憚のないご意見くださいませ。誰がマルシアやねん!
 「大胆MAPスペシャル人気アニメキャラの声をやってる人の顔全部見せちゃうよ!ベスト50」(テレビ朝日/2007年9月22日放送)より。

 アニメ40年の歴史を飾ったあの声、この声、人気キャラを演じた声優さんの素顔をランキング形式で放送しようという企画。最初、番宣などでその告知を見たとき、何とも愚にもつかない無粋な番組だと見切りをつけていたのですが、一応とビデオに録画して、あとで見返したら、コレが面白かったの何の(笑)。

 アニメ声優という商売柄、表に素顔を見せることのなかったいわゆる声優という職人さん。その素顔を何とかして紹介しようと、声優さん当人にタカアンドトシ小池栄子といったタレント陣が突撃交渉。山あり谷ありの駆け引きがあって、ようやくその顔が拝めたときは、特に子供のころよく見ていたアニメキャラであればあるほど、ちょっと感動的(笑)。「ハクション大魔王」(フジテレビ/1969〜1970年)の『魔王』を演じた大平透、ジブリ映画「紅の豚」で主人公を演じた森山周一郎といった声優草創期から活躍する両御大など、昔からテレビでの素顔を見慣れていても(森山さんといえば、『オールスター夢の球宴』、ドリフにマチャアキを「アウト!セーフ!」と裁きに裁いた主審役でお馴染み。キャッチャーは青空球児師だ)、それでもアノ声を演じていたのは「私です」とやられると、「ヤッター!」思わず拍手。
 ここらあたりは交渉の段での、タカトシに小池栄子さんの人柄の良さも十分、功を奏していたと思います。

 それに引き換え、やはりその職業上、「イメージを大事にする」べく、素顔NGの方も。「一休さん」『一休』しかり、「ポケットモンスター」『ピカチュウ』も確かNGだったと。それに「サザエさん」加藤みどりさんもこれまたNGで、数年前までテレビ番組などでよくお見かけしただけにちょっと意外。いずれにしても、イメージ重視でNGというのも、これはこれで立派なプロ意識、職人魂。

 その一方で、やはり素顔を見せてくれた多くの声優さん。こちらもまた、プロで職人の心意気溢れるものではないでしょうか。要するに、「イメージ」で勝負しているからこそ、素顔を遠慮してしまうのは至極当然のことながら、その「イメージ」を素顔で乗り越えてでも、さらに次の作品では「もうひとつ向こうの、違うイメージの世界に誘うわよ」…と、視聴者(観客)にも、そして己自身にもさらに勝負を促し続ける様を見せつけられたようで、これはこれで大拍手、そして御礼。
 現にその通り、一旦素顔を見たはずも、別の作品では別のイメージを膨らませて作品の世界にどっぷり。また同じ作品、同じ役だとしても、何時の間にかその素顔をふっ飛ばして「ああ、お馴染みのいつものあの名キャラクター」。 これはもう、声優さんの立派な「勝ち戦」です(逆にいえば、ビジュアルが先行したタレントを起用しすぎの昨今のアニメ、吹き替え作品は、それだけで見る気が失せるのをエエ加減、分かってくれ〜!)。

ohara そんな勝ち戦を重ねて重ねた、特にベテランさんが、今回の番組で多く紹介されたのが印象的でした。そんななかで、特別な印象が「タイムボカンシリーズ」の三悪人、いずれの女王様を演じつづけた小原乃梨子さん。シリーズのなかでも一番印象深い、今回は「ヤッターマン」の『ドロンジョ』役でお馴染みのフレーズ、「スカポンタ〜ン!」と演られた日には、テレビの前で思わずひれ伏し、ドクロの煙を蒔いて爆発しそう(笑)。

 声優歴42年の大ベテランである小原さん。特に「ドラえもん」が大人気となった今から25年以上も前に、『のび太』役としてテレビに雑誌にと頻繁にそのお顔が紹介されたのですが、子供のころに見た印象と、今回久々に見た印象、あまり変わっていなかったのも驚きでした。

 のび太で「未来少年コナン」「アルプスの少女ハイジ」『ペーター』…ほかにも代表作、枚挙にいとまがなし。そんななかで印象深いのは何と言っても今回演じてみせてくれた「ドロンジョ様」。

 そういえば、ラジオ「放送室」(TFM)松本人志…松ちゃん「子供のころから語る、好きな女性タレント遍歴」を語っていて、お相手の放送作家、高須光聖さんは「オレは、実は『由紀さおり』やねん」と呟けば、「オレもやぁ!」(笑)。昭和38年生まれ、最初にテレビでポーッとなったのが、「夜明けのスキャット」を歌うその姿だったそうで、となると、昭和47年の私め、その最初は誰かなぁ…やっぱり「キャンディーズ」かなぁとラジオを聴きながら一人思い返していたら、

「そっち(由紀さおり)の方面もそやけど、もっと掘り下げていったら『魔法使いサリー』のサリーちゃんとかね…」

と松ちゃん。

「ええ、そっちィ〜!?…けど、そっち行ったら話変わってくるで!…『メルモちゃん』とかそうやろ?…ベタやけど」と高須さん。

 その会話でピンと来た、松ちゃんがそう言うなら、そっち方面(アニメや漫画)では間違いなく私め、一番最初は『ドロンジョ』様だと(笑)。それと同時に同じく「ヤッターマン」の『アイちゃん』で、この『アイちゃん』の声優さんは後に素顔を、再放送のドラマ「コートにかける青春」、それと「男はつらいよ」でも。女優さんとしても活躍された方でそのお声と違わぬ、可愛らしい方でした。で、その後も後になって「まいっちんぐマチコ先生」…昭和47年生まれ版、ベタやけど(笑)。

 そういえば、この『マチコ先生』を演じた声優さんのお顔は未だに見たことがありません。「吉田理保子」さんという方が演じたと、把握してるのですが(あと『一休さん』の桔梗やの娘 とか 笑)。

 今度もし、こういう企画のベスト50、どこかで投票が行われたら、よっしゃ、一票投じてみよう…って、何でこんな話に?。いやん、まいっちんぐ〜!(笑)
nakama 主役の「夏目雅子」を演じた仲間由紀恵さん。可憐、絶品。あまり最近のテレビドラマを見ず、仲間さん主演で高視聴率を誇りシリーズ化もされた「ごくせん」(日本テレビ)も、一切見ていないのですが、それでも仲間由紀恵さんの女優としての絶品ぶりは当代随一間違いなし…と勝手に太鼓判。

 なぜこんなに勝手なことが言えるのかと言えば、女優ではない「NHK紅白歌合戦」「思い出のメロディー」などの司会ぶりが大変素晴らしかったから。生放送の、しかも時間割が重要な司会という立場において、例え台本通りのコメントであろうと、そこには台本を感じさせない、場面場面での盛り上げ方が絶妙だったから。その盛り上げ方、コメントの抑揚も、決して「女優」という枠に押し込めることが無かったのも良かった。要するに女優が司会をこなしている「わざとらしさ」が一切見られなかったのと、何はおいてもあの華…。これが最も好印象で、それ以来、勝手にご贔屓太鼓判と…さっきから上から目線でお前、誰やねん!(笑)な次第。

 ドラマでは素顔の夏目雅子、いわゆる本名の「小達雅子さん」を演じつつ、見ていて感心したのは、夏目さんが当時演じた映画、テレビの代表作、それぞれの名場面をしっかり丁寧に再現していたところ。「西遊記」であり「鬼龍院花子の生涯」であり…。

 なかでも名場面は、テレビのなかの「夏目雅子」、人生においても絶頂のシーンであった、伊集院静氏との新婚生活を微笑ましくノロけたワイドショーでのインタビューのシーン。あの当時、テレビを見ていて、本当に夏目雅子さんは幸せそうな満面の笑顔を見せ、それこそ「三蔵法師」の冷静さや「鬼正の娘じゃき!」と凄んで見せた姿とは対極の、素顔でありながら、その笑顔は稀有の大女優。にも関わらず、インタビューもそろそろお開きになろうかというときに、スカートの裾を払いながら、

「やだ、蚊に食われちゃいました」

とおどけてみせ、インタビュアから笑いを誘う姿は、やはり女優という押しつけがましさの無い、育ちが良くって性格の明るい「お嬢さん」でした。

 今となっては懐かしい、そして夏目さんのインタビューとしては最も印象的な「場面」を、今回の仲間さん、再現して見せました。亡くなってしまう場面よりも、このインタビューシーンが、一番胸が熱くなった場面。「あんなに幸せだった人が何故…」、もっとも分かりやすい思いがストレートに胸を打った。そんな「夏目雅子」を、よくぞあそこまで再現出来たものだと感心した、その第一要因は、やはり仲間由紀恵さんが演じていたからこそ。

 女優然を前に押し出さない、にも関わらず、一般人には決して模倣出来ない、存在そのものの「華」。両方の共通点はこの部分ではないでしょうか。

 過去に夏目作品、名作あれど、どうせなら仲間由紀恵版でリメイクしてほしいなと思ったのは、「時代屋の女房」
 役柄の設定も含めて、画面に映っただけで颯爽と風が吹くような、とにかくあの作品での夏目雅子のさりげなく、どこか切ない、それでいて太陽のような圧倒的な存在感は随一。そんな風のような役柄に、是非とも仲間さんには演じてほしいなぁっと。

 あれが出来るのは彼女しかいないと、今回のドラマ、特にひまわり畑でのラストシーンにて、改めて再確認。
toake 「桂ざこば芸歴45周年&還暦記念〜泣いて!笑って!怒って!…泣いて!」(毎日放送/2007年9月17日放送)より。主役の桂ざこば師と、師の憧れの女優・十朱幸代さんの東京はとバスデート。
 まだ「桂朝丸」と名乗っていたざこば師が、たまたま晩酌ついでに見ていたテレビの「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)の、ゲスト出演された十朱さんの歌声に思わず魅了。晩酌の勢い余ってそのまま局に電話をかけて、

「今の良かったですと、十朱さんにお伝え下さい!!」

 逆に感激した十朱さんよりお礼を受けて、これが縁でざこば師と「師匠」「姉ちゃん」と呼び合う仲に。未だに十朱さんを語る時のざこば師、「と、十朱はんが…」と甘えた声(笑)。それもまた微笑ましい限り。

 番組では十朱さんとのデート場面を中心に、落語家桂ざこばの「素顔」と「交遊録」を交えた90分。てんこもりの割には主旨がブレずに中身の濃い番組だったと思います。
 祝日の夕方という、比較的視聴率重視な時間帯の割には、特に中ほどでは、後輩ながらも同世代である笑福亭鶴光師と、古今亭志ん生の実子、十代目金原亭馬生師の娘(池波志乃)婿でもある俳優の中尾彬さんとの「芸談」も挟まって、最近の番組で珍しくて嬉しい趣向。ざこば師に限らず、こういう芸談をもっともっとテレビ番組で見たいものです。

 
※ ※ ※


 ある落語家ファンの方が綴っているブログにて、「十朱さんとのデートシーンを割いてでも、もっと落語家ざこばを追っかけて欲しかった」という主旨の文章。なるほど、確かに「派手目」な場面に時間を割き過ぎて、落語家としてのドキュメントに願わくば、「ざこば落語」を一本まるまる放送するぐらいの度量も番組には求めたいところ、同じ思い。しかし「落語ファンとして中途半端な番組」といった主旨で締められていたのは、ちょっと異論。

 十朱幸代さんというのは、ざこば交遊録を語るうえで、最も重要な、それでいて最も「画になる」大女優。そんな十朱さんとのデートシーンは、もちろん番組の重要な見せ場として用意されたに違いありませんが、もうひとつの視点から言えば、落語家は落語家同士でと比較的閉鎖された(もしくは、されがち)な世界にあって、十朱さん初め、ざこば師の多方面との交遊録を放送することは、若い世代の落語家さんたちにも、「ひとつの可能性」を提示したものではないかと。

 若いころから確かに全国区で売れていたざこば師も、こういう比較的派手な交遊録を広げるようになったのはつい最近になってからだと思います。十朱さんを初め、松方弘樹さん、それに最近は天満天神繁昌亭にお忍びでお越しになった沢田研二さんといい、これ皆すべては、恐らく、ざこば師自身が、己の芸にようやくの自信を高めたからこその「松方のお兄さん」、「十朱はん」、「ジュリーはん」。
 この「はん」もイヤミが無く、如何にもざこば師らしい人柄がにじんでおります。つくづく微笑ましく思うのと同時に、歳を取るにつれ難しくなりそうな交遊が、さらに広がる様子はとても羨ましく、また、年齢とともに「自信」を高めて維持するところは並大抵のことではない、素晴らしい…と拝見する次第。

 例えば、桂三枝師のように若いころよりマスコミで売れ、その都度の交遊録の広がりを「芸の幅」に反映させてきたことを一方の例に挙げれば、さこば師はその逆というか、長年かけてコツコツとキャラクターを確立し、交遊を蓄え、そして今に広がる還暦の「芸の幅」に辿り着いたという印象が強いのです。そんななかで、若い落語家がどちらの線が狙いやすいかといえば、おそらく、ざこば師の線だと思います。三枝師のような例は、時代の違いも含めて、非常に稀有な例としか言いようがありません。もちろん、三枝師のような一足飛びのスターが生まれる可能性も無きにしもあらずですが。
 これからの若い落語家さんには、もちろん落語にも精を出しながら、コツコツと色んな交遊録であり、見物聞き物、見聞を広めながら幅広く奥の深い、落語家さんへと育っていただきたいもの。ざこばラインを目指せばきっと楽しみな将来の落語界、たくさんに待っているはず。

 そういう意味で、ざこば師にはもっと十朱さんに甘えた部分を、テレビで多く見せていただき(笑)、若手に向かって「どうや、ウラヤマシイやろ、デヘへ〜!」といつまでもやんちゃに自慢していだきたい…と、こんな落語ファンもここにはおります。

 それにしても、十朱さんのざこば師へ贈った、歌のプレゼント。ペギー葉山さんの「爪」(平岡精二・作詞/作曲)。エエ歌です。

 ♪直しなさいね、悪い癖。爪を噛むのは よくないわ…。

 深爪のざこば師滂沱。その様子をテレビで見ながら、「ウン、直す、直す、直します!」と、同じく深爪のワシも一緒になって滂沱(笑)。

 思わず毎日放送へ、電話しそうになりました。
sakon
 ♪毎度〜皆様〜
  おなじみの、
  お聴きいただく一節は
  流れも清き宮川の、
  水に漂う左近ショー〜
  男同士でいたって
  色気はないけれど、
  熱〜と〜力〜で、
  今日もまた〜
  しっかりやりましょ、時間まで!
  それでは陽気にアンアア〜ア〜アン!
  務め〜ましょう〜〜

 
 本日、「さてはトコドン菊水丸」(MBSラジオ)、『トコトン生ゲスト』にご来場の暁照夫・光夫のご両人、その暁照夫師匠が在籍した、音曲漫才「宮川左近ショー」のテーマソングから。子供のころにテレビで見た、お馴染みのテンポにリズム。しかし、本日番組のなかで、河内家菊水丸師所蔵の、「〜左近ショー」結成当時のレコードの音源がかかりましたが、これがまた、今まで聴いていたテンポよりもグッとゆったりとした、しかも、照夫師、松島一夫師といったメンバーを折り込んだ長尺の詞がついて、まさに正調版。貴重な音源を伺いました。

 宮川左近師がお亡くなりになったのは1986(昭和61)年。61歳とまだ年齢もお若く、それでも今の感覚とはほど遠い、十分な貫禄と風格でした。そんな左近師の命日というのが、偶然にも本日9月21日で、当然この前後は左近師が今日も明日にもというバタバタしたなか、おそらく照夫師が単身で三味線漫談か、もしくは松島一夫師とコンビで向かったのかはともかく、事前に引きうけていた、左近師死去、当日の高座に、弟子として同行していた光夫師を初めて立たせたそうです。本日はいわば左近師命日にして、光夫師にとっても初デビューという、まさに演芸界の新旧のバトンタッチが成された歴史的な一日といっても良いでしょう。
 今回の番組出演はまさに偶然の出来事で、照夫師はより一層の感慨に耽られていました。
 
 ついでに思い出しました。左近師が亡くなった1986年9月というのは、確か前後して、六代目笑福亭松鶴師もお亡くなりになっていて、つまりは両師を抱えた松竹芸能にとっては、漫才と落語、一挙にその両巨頭を失うことになったのです。テレビやラジオでも両師の追悼番組が確か立て続けにバタバタと、慌しく放送されたのも記憶しています。

akatsuki 左近師を失った照夫師は、結局、松島一夫師とも相談し、「トリオでなければ、ましてや『左近ショー』という冠が付いた看板をこのまま二人で維持するよりも、お互いに好きな道で頑張ろう」と、つまりは発展的解消。ほどなくして、光夫師を本格的相方に招いての「暁照夫・光夫」結成…以来今年でコンビ20周年。

 来年には芸歴60年を迎えるほどの大ベテラン、当時としても40年のキャリアを誇り、ましてや「〜左近ショー」としても一世を風靡した照夫師と、まったくの新人であった光夫師。コンビ結成当初のお互いの立場を考えても、それは筆舌尽くし難い苦労があったと思います。あれから20年の、このところの光夫師による、「照夫師ころがし」というかあしらいぶりが達者。それに翻弄されつつも、照夫師はさすがの名人芸、お馴染みの曲弾きでグッと引き締めて、

「もう〜、何でこんなに上手いんかしら!」(出た〜! 笑)

 演芸ファンのみならずミュージシャンにも信奉者が数多く存在する、男同士の三味線コンビ立ち高座、今や貴重な存在。たまにチラシを見ずにB1角座、フラッと出掛けたときに、ご両人の出番に遭遇すると思わず「儲けた!」、そして最後は超鳥肌!。お二人の生の高座も是非、ご覧いただきたいものです。

 話戻って、宮川左近ショー、宮川左近師匠。入門は1938(昭和13)年三代目宮川左近へ入門して「宮川左近丸」1950(昭和25)年に晴れて、四代目左近を襲名。そんな三代目左近には、アノ、田中角栄氏が
「実はファンでねぇ、よく子供のころ、左近の浪曲を皆の前で真似たものだよ」
 と、コレはあるテレビ局の控え室で同席した桂米朝師の談。

「で、角栄さん、そのときに『左近丸』という弟子がおったでしょ。その『左近丸』が今、四代目を継いで『左近ショー』という浪曲漫才で頑張ってます」

「おお、『左近丸』おったねぇ!。へぇ、あの『左近丸』が浪曲漫才?今度、いっぺん聴いてみなきゃイカンねぇ!」

 と、話が弾んだ…。後に米朝師は著書(『米朝・上岡が語る昭和上方漫才』桂米朝、上岡龍太郎・著/朝日新聞社)などでも語っておられます。

satetoko22 時の大物政治家もこよなく愛した「宮川左近」という看板、そして浪曲という芸。そういう下地があってこそあのパワフルさとユーモア。例え晩節色々あったにせよ、ある時代の国民のハートをガッチリ掴んだ「まぁ、その〜!」。思えば物真似にもされたこの「まぁ、その〜!」も、ある意味代表的な、角栄節と呼ばれたこともあって、その発声は何となく浪曲に通じる部分を感じさせます。

 「美しい日本」が絵に描いた餅に終わって、ただいま次期総裁選び、上へ下への大騒ぎ…も、既にほとんどの大勢は判明しつつあるようですが。ともかく、本当の美しい国を目指すのであれば、やっぱりユーモアや義理と人情が根ざす大衆文化への理解のある方に、そのトップへ立っていただきたいと思うのですが…と、これは余談。

どうでもイ〜ラストアーカイブス…過去の「落書き道頓堀アワー」
 その4回目は吉本興業主催の、しかも本拠地「なんばグランド花月」で開催の3枚。
 
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 桂三枝桂文珍笑福亭仁鶴(開催順)の各師。それぞれを、「活発さで上方落語のさらなる将来へ道を繋いだ企画力の人」、「桂枝雀以来の上方落語、行動範囲をさらに拡大させた行動力の人」、そして「上方落語の寿命を30年延ばした影響力の人」と勝手ながら及ばずながら称してみる次第。と、それぞれを称してみてもそれぞれに持つ「力」は互いのそれも当然持ち合わせていて、とにかく上方落語発展に寄与した代表選手であることは間違いなし。しかし、そんな力を持ってしても、やはり吉本=漫才・新喜劇といった印象が先行してか、どうしても落語は長らく「色物」に甘んじ、「添え物」的にと扱われてきたのでした。

 ところが、繁昌亭効果、恐ろしいもので(笑)、機を見るに敏な大吉本、流石、今後は寄席興行の分野でも落語に力を入れ始めているそうで、なかでも圧巻なのは、この三師を初め、林家染丸月亭八方桂きん枝といった花月を支えた御大はもちろん、中堅若手に至るまでのオール吉本落語、大集結のイベントがこの秋11月に開催されるのだとか。しかもテレビ中継が入らないというある意味の贅沢さもあって、大いに期待するところ(ただ、実際に見に行けるか否か…未定ですが、ラインアップだけでもヨダレタラタラ…)。

 さらに定席でも、以上の大御所陣がローテーションされるなかに若手、中堅も積極的に起用されるなど、これまでの花月とは少し味わいの違う、それでいて従来の「寄席情緒」が濃厚なバラエティ溢れるラインナップが毎回揃いそう。「京橋花月」開場も控えて、今からまさに総動員といった構えでしょうか。

 戦前、「しゃべくり漫才」という当時としてはまったくナウでヤングな演芸を積極的に登用するあまり、従来の「花月」を支えた落語陣は隅へ隅へと追いやられ、やがてその影響が戦後、「大阪落語は滅亡した」とまで言われるキッカケを与えたのが吉本、歴史の事実。花菱アチャコ・横山エンタツといった新興勢力を尻目に苦汁を飲んだ、今は亡き当時の落語家陣の心境たるや、草葉の陰ではいかなるものか。

nikaku 往時の師匠連への、飾った言葉ではオマージュ、聞こえが悪い言葉では「罪滅ぼし」として、NGKや新しい京橋花月での積極的な落語登用ますます盛んで、お笑い界を支えていただきたいものです。

 それにしてもチラシ、談志師とのそれぞれふたり会の、三枝師、文珍師の表情、バランスの良さも然る事ながら、今月開催の「第三回なんばグランド花月 笑福亭仁鶴独演会」(大阪・千日前〜なんばグランド花月/2007年9月28日)の肩越し、背中越しの仁鶴師、高座姿。自身はもちろん、上方落語そのものの歴史をその肩に背中にどっしりと背負ってきた自信と、さらには圧倒的な「風格」…。

 めちゃくちゃカッコええチャンチャコ!。DVD発売も楽しみです。
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 チラシギャラリー3回目は一気に3枚…というより3作品。上方落語の会ではお馴染みの、イラストレーター・中西らつ子さんで3連発。


 ほんわかしたタッチで、開催時期に合わせた季節感たっぷりの背景も合わせて、この落語会は「絶対、楽しい!」と確信させてくれる(もちろん、出演メンバーの顔ぶれありきですが 笑)、口幅ったいようですが、とにかく落語への愛情がふつふつと仕事ぶりに表れています。しかも下手にテクニックに走っていないというか、丁寧なタッチの統一感も職人気質。




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 中西らつ子さん画風のファンであるのと同時に、いつの日かこういうチラシが書けたら良いな…と、特にこの「新世紀落語の会」は会場に伺えずとも、せっせとチラシだけは集めたこの8年間でございます(どれだけの枚数が揃っているのか、今度整理せねば)。
 チラシギャラリーその2回目は、

「天満天神繁昌亭夜席 笑福亭鶴瓶一門会」(大阪・北区〜天満天神繁昌亭/2007年9月12日)
tsurube05 懐かしいというには気が引ける(笑)、つい先日開催されたズバリ「繁昌亭開場一周年記念」興行。筆頭の笑福亭笑瓶師以下13名という、現在の上方落語屈指の大所帯。こちらもまさに揃いに揃った勢揃い。

 残念ながら当夜、うかがえなかったのですが、それにしてもまさかの、笑瓶師@繁昌亭(笑)。マスコミの、しかも今やすっかり東京中心である笑瓶師が当夜は落語を披露したそうで、なおのことさら貴重な会だったはず。

 今回は一応、事前のチラシや告知でも「師匠抜きの弟子のみ」でとあって、これまでの一門会とは一味異なる内容だったとか。そういう意味でも、また、御大・鶴瓶師が本業の落語にシフトしはじめたの今だからこそ、異色の一門会だったはずで、どういった会だったのか、これからあちこち情報を探ることといたしましょう。

 本業回帰の師匠の影響はもちろんのはずも、その前後からもいずれのお弟子さん、多方面で活躍の師匠の背中を見て育てば、自ずと「落語家」魂、それぞれに燃え盛っていたのは間違いないでしょう。もしも鶴瓶師の本業回帰があと数年遅れたとしても、やはりこの時期に一門のどなたかが自ずと先陣を切って、こういう師匠抜きの一門会が行われていたと予想します。
 どの一門にも限らずですが、それぞれに宿った「魂」がこういう大所帯という形で集結するのは、さぞ客席からも圧巻だったことでしょう。

 それにしても、このチラシ、良いですね。普通なら笑瓶師を中心に、続く笑福亭晃瓶師、笑福亭純瓶師と入門順に左右に並べ、お弟子さんの上下関係を意図的に伝えそうなところですが、このチラシはまったくもって、上段左から入門順、同じく下段も、ある意味無機質に並べられています。またそれぞれのお弟子さんの表情も、イラストならば、もっと表情豊かに仕上げてしまいそうなところも、バストショットの着物姿も含めて、敢えて統一的に並べられてる点には、「憧れの鶴瓶の下に集いし、同士」といった強固な連帯感を表現しているようです。
 
 またそうレイアウトすることで、当日は出演しない鶴瓶師の、チラシには載らないこと当然ながらも、逆にその存在感が浮き彫りとなっているところが、大変素晴らしいチラシだなぁと感服致します。

 一枚のチラシ…勉強になりましたぁ〜!
 天満天神繁昌亭、昨年9月15日開場以来の祝1周年突破を勝手にお祝いいたしまして、今週は我が家所蔵の上方落語、各落語会のチラシを一挙ご紹介。

 チラシを集めてここ10年程度ですが、会場に伺えた落語会も、残念ながら見られることが出来なかった落語会も、チラシを見ただけで思い出に浸る事が出来て、チラシを見ただけでも十分に満喫したかのような感覚にも浸れたり。

 大勢のお客様大入満員への道、まず最初の一歩としても超重要な、演者さんにとってもこだわりの一枚を、勝手に因り抜き、その初日は…

「二代目春団治 五十回忌追善落語会」(大阪・道頓堀〜松竹座/2002年4月27日)
harudanji50 戦後上方落語の歴史はまず、この二代目桂春団治師から始まったといっても過言ではないぐらい大功労者で、少なくとも、当時ラジオしかなかった、放送というメディアにおいては、「春団治十三夜」(ABCラジオ)という番組では毎夜、自慢の十八番根多を惜しげもなく披露し、後の演芸番組にも多大な影響を残したと言われています。そんな二代目の実子でもある現在の桂春団治師と、その弟弟子にあたる露の五郎(現・露の五郎兵衛)師を筆頭に、両一門一体となってはもちろん、二代目に恩恵を受けた桂米朝五代目桂文枝といった上方落語四天王両御大もゲスト出演。同じく漫才からも夢路いとし・喜味こいし師匠が、このときは確か「物売り」のネタだったと思うのですが、存分にその話芸を披露されました。
 
 圧巻だったのは、以上の御大がズラリ勢揃いの口上で、二代目にまつわる思い出話、よもやま話を含めて挨拶。五郎師はひょうひょうと二代目の艶話などで爆笑をさらった反面、実子の春団治師は、没後五十年を迎えてもなお盛大に繰り広げられた当日の思いもあって思わず、ひとしおの感涙。

 当時は繁昌亭の「は」の字も窺い知れなかったころですが、それでも口上に並んだ御大らの思いは、若い世代の演者さんにも確実に受け継がれるだろうなと想像したのでした。

 ちなみに、チラシ右下にある「三味線」の皆さん、ラインナップ。トップにある河本壽栄(かわもと・すえ)さんは、二代目の奥様でもあり、確か女道楽だったと思うのですが寄席の高座にも上られた方(『平成紅梅亭』にも出演された)。その後に内海英華師以下、上方落語お囃子を支える名手ばかり。裏方ながらもこのお四方が並んだというだけでも、当日の会、その盛大さが思い出されます。
▽早朝5時15分〜5時45分
 日本の話芸「はてなの茶碗/桂南光」(NHK)
  何度聴いたか、南光師の「はてな」。それでも何度聴いてもますます
  茶金さん、随一の堂の入り方。十八番とは演目、演者、こういう
  タッグが揃ってこそ。

 ビデオでもう一度見返して、一旦寝る

▽朝8時30分〜9時00分
 日曜落語なみはや亭「牛ほめ/笑福亭仁鶴」(ABCラジオ)
  第50回上方落語をきく会(大阪・高島屋ホール/1973年6月12日収録)
  若かりし絶頂の仁鶴節。上方落語の寿命を30年延ばした、当時の若き
  立役者ぶり。その自信が節々からにじみ出る録音。今月開催の
  なんばグランド花月「仁鶴独演会」の告知にスタジオにも生出演。
  そのほか、同局「仁鶴の楽書き帖」(土曜朝5時〜5時30分放送)
  ついても、「よそに無い、思惑通りの番組になりつつありますな」
  古希を迎えた風格に、飽くなきチャレンジ精神まだまだ。脱帽!

▽朝9時00分〜9時30分
 新光証券PRESENTS米朝よもやま噺(ABCラジオ)
  ゲストに腹話術師の川上のぼる師。2週目。
  民間放送第1号タレントとして、朝日放送専属タレントに。昭和30年
  前後で契約料は破格の約70万円。新しいメディアに相応しい
  その期待ぶりが伺われます。朝日放送には後に中田ダイマル・ラケット
  かしまし娘森光子、そして桂米朝六代目笑福亭松鶴の両雄に加え
  香川登志緒三田純市といった作家陣も丸抱えで「演芸のABC」、
  その威力を誇示。対する毎日放送は、林家染丸東五九童大久保怜
  で対抗。特に、後に「素人名人会」の審査員でお馴染みとなる
  大久保氏とは、同じ「物真似、声帯模写」出身で川上師とはライバル視
  されるも、当人同士は年に数度の、互いに仕事の譲り合いを行うほどの
  仲の良さ。
  川上師が松竹系の「角座」に初出演したのは、同劇場開場3ヵ月後。
  朝日放送と独占中継契約を結んでいた角座への出演は、同社専属の
  川上師にとって、いわば「出向だった」とのこと。芸人と「出向」
  という言葉の不釣合いが面白い。その後、千土地興業に移籍。
  何時の間にか大所帯に膨れ上がった弟子軍団を、そのまま引き連れるのも
  川上師自身、当時の若さにそぐわないので、軍団をコミックバンド化して
  「大阪ヤローズ」。メンバーには、なんでかフラメンコ堺すすむ師も。

▽朝9時55分〜10時55分
  いつみても波瀾万丈「島倉千代子」(日本テレビ系)
  まさに波瀾万丈とはこの人のためにあるような言葉。特に芸能界入り
  その後の肉体から精神、すべてに掛けての怒涛のような運命の覆い被さり
  ぶりは、もう、こういう歌い手さんは出て来ることが無いだろうなァと
  ボンヤリ。
  とてつもない借金を結果的には背負わされることとなった、その後の
  「人生いろいろ」大ヒット。まさにいろいろな深みを背負った分、
  歌詞にもドラマがあって、この人しか歌えない楽曲だと改めて。
  ますますガンバレ、お千代さん!。元気をもらった。

そしてまた、寝た(寝るのも元気、体力がいる 笑)

 昼過ぎ起きてそうめんズルズル。そういえばやることがあったと、夕方までパソコンの前。作業中の、それにしても最近、何かと襲いかかってくる立ちくらみの激しいことよ。寝転んだ状態から立ちあがってもクラクラ…。前を向いてて後ろから呼びとめられ、首だけで振り向いたらクラクラ…。夜は夜とて寝返りを打っただけでもクラクラするのが記憶に。
 とてとて、日常に差し障り、特にないのですが、でも、死因はきっと「脳やろなぁ」とも漠然とながら。その前に誰かに刺されるかもしれませんが(笑)

▽夕方5時30分〜6時00分
 笑点「ケーシー高峰」(日本テレビ系)
 グラッチェ!ケーシー先生登場に慌ててビデオ録画。HDDは起動まで
 時間がかかるので急遽の際はVHS。今気がかりな「脳」についての
 講義があるかと見ていたら、やはりというか、そんなタイミング良くは
 講義、無かった。
 『年金で悩む兄が胃腸を悪くした』と早速、検査。すると腸の辺りに
 ポリープが見つかって、大腸、小腸いろいろ腸があるなかで、どこの腸だ
 と問えば、
 『社会保険チョウ』(笑)
 こういう、皆が悩んでるような時事ネタでも粋に洒落た笑いでサラリと
 処理してくれる…最近、そういう笑いが少ないのが残念。
 その後、昨日、全国ネットより数日遅れで放送された
 「爆笑!レッドカーペット」(フジテレビ)をDVDにダビング…。

 何が面白いのと、今売れっ子の「小島よしお」が妙にこの番組にだけは
 映えているのが意外。けどこれはすべて司会の今田耕司さんの腕に
 依る所大いに。早稲田大学卒業という小島をして、今田さん…

 『彼こそ、受験社会、詰め込み教育の被害者!』(笑)

 ところであの「オッパッピ〜」。やっぱり子供がよくマネしています。
 特に男の子が真似しているのが興味深いというか、最近、男の子が
 マネするギャグが少なかったような気もしていたので、あ〜あ、
 こんなん見て育ったこの子たちの将来は…。嘆く。
 それでも、小さい子供が「そんなの関係ねぇ!」、あの動きをマネる分
 一向に微笑ましいものがありますが、子供は子供でも、肥満児の子供が
 アレをやってるのを見ると、何か、蹴飛ばしたくなりますな(笑)

▽夜9時00分〜11時03分
 ドラマ特別企画「ひまわり〜夏目雅子27年の生涯と母の愛」(TBS系)
 一言で言えば、仲間由紀恵さんの夏目雅子、絶品。
 内に秘めた悲しみや寂しさを女優魂を
 明るく演じてみせた「夏目さんのお父様の病気、そして死去まで」の
 くだりは、後に夏目雅子さん自身の運命を考えると、切ないとか悲しい
 というよりも、神様を怨む。結果的、当時は不治の病と言われた
 白血病となって、投薬などの後遺症で抜け落ちる髪の毛…。
 女の命と匹敵される、ましてや女優さんにとっては余計に大事な髪が、
 抜け落ちる前に「剃ってしまおう」と勧める、母親のまた、強さ。
 その強さに
 「髪を剃った格好は似合うのよ。だって、私、三蔵法師だもの」。
 そんな母子愛、私生活面でのドラマも然る事ながら、今作では
 「鬼龍院花子の生涯」「ザ・商社」「西遊記」など夏目さんの
 各代表作、名場面を仲間由紀恵さん、再現。夏目さんほどの凄みは
 ややオトナシめだったものの、目の表情はれっきとした憑依ぶり。
 この5年以内に、仲間版、特に「鬼龍院〜」を見てみたい。あと、
 「時代屋の女房」も良かったなぁ。これも仲間版で是非。

▽夜11時過ぎ〜
 昨夜録画していた「SmaSTATION!!〜秘められた伝説シリーズ・田宮二郎〜
 演技に生きた波乱の人生」
、DVDにダビング。冒頭から「悪名」、おぉ〜!
 甦る、今週、八尾での興奮(笑)
 デビューから衝撃の死まで、人生43年史を駆け足で。VTRの証言者には
 美輪明宏、それに「3時であいましょう」(TBS)でもお馴染みだった
 芸能レポーターの鬼沢慶一氏の姿、久々。美輪さんは「オーラの泉」
 でもお馴染みの調子で淡々と。対する鬼沢氏も、それはそれは、
 デビューから終焉までを間近で眺めた分、抑揚の利いた語り口で、
 その話芸ぶりに、改めて驚き。石原裕次郎美空ひばり勝新太郎
 そして田宮二郎…昭和の大スター相手にべらんめえで突進し、時には
 ケンカの売った買ったの修羅場もくぐり、酸いも甘いも茶の間に
 伝えて来た鬼沢氏。大した芸能知識も無いくせに、やれ惚れた腫れた
 さらには最近のジャリタレ相手にヨイショ…もっと言えば色ボケかと
 思いたくもなるような、特に女性芸能レポーターを思えば、何と
 骨太な鬼沢氏。そんな氏の前で心情を吐露、そして滂沱の田宮二郎、
 「万俵鉄平の役は、オレだったんだよ!」

 実際に鉄平役を演じたのは仲代達矢。傍目では相手に不足無しと
 諦めもつきそうなものの、当人、田宮二郎の執念は相当なもので、
 その執念は「華麗なる一族」と同じ、山崎豊子氏原作の
 「白い巨塔」、ドラマ版(フジテレビ/1978年)への傾倒、没頭、
 すべてに拍車がかかり、超絶完璧完全版、最高傑作に。

 夏目雅子〜田宮二郎…運命は違えど、それぞれに命を賭けた役者魂ぶりを3時間堪能。
 朝からの南光師、仁鶴師、川上のぼる師、そして島倉千代子さん。それとケーシー高峰師も。長らくとそれぞれの世界で一筋を極め、さらにますますと追求の姿勢…。

 まったくもって、自身も含めた若い連中、まだまだ頑張らねば!
satetoko21 河内家菊水丸・監督作品「田中徳三監督 少年河内音頭取り物語」、盆踊り風景の撮影ロケ、大阪八尾・常光寺2007年9月12日。その時の模様はここ数日、散々書き散らかしてきました(笑)。
 撮影現場ということで、最近のコンサートやテレビの公開番組などでも何かと厳しくなってきた、出演者へのカメラ撮影。折角の高性能高画質、その発達が目覚しいデジタルカメラ。にも関わらず、いわゆる「大人の事情」によるところ、あまりこういう場に載せるには好ましい手段とは、言えなくなってしまいました。克明に掲載出来ればこんなに楽なことはございませんが、そこは労を惜しまず(笑)、意地と根性の手抜き無し…。
 当夜お出ましの出演者皆様、その勢揃いの図を「落書き」でご覧願うことといたしました。

suchan 実際の写真が載せられない、ならば絵で載せてしまえ。まるで、スケッチで現場の風景を伝える、テレビや新聞の裁判報道のようですが(笑)、あちらは暗い表情、タッチでも、こちら盆踊り、派手にご陽気に、行く夏を惜しむジャパン。

 写真はまさよさんの提供いただきました、当日の常光寺の櫓の模様。何のかんのと言いながら、実際の菊水丸師が写っております。当夜の雰囲気としては、これほど良い素材はありません。思わず「落書き」、合成してみてはたと気付いた…あっ、許可を頂いてない…。そこで細かい神経、駆使して考えた。う〜ん…と唸って、さぁ出た答えは、

「ここは、映画(さらにDVD)、多少の宣伝とということで、関係者各位皆様ご了承のほど、お許し下さいませ。」

mishima
 何ともまったく図々しい理屈の勝手にタイアップ。体型はダメでも神経ぐらいは皆様メタボリックに参りましょう♪

 会場足を運ばれた方も、そうでない方も、雰囲気だけでもお楽しみいただけましたらば…。

 というわけで一週間、勝手に番組1000回記念ウィーク、これにて大団円。お開きを頂戴いたします。
 連日連夜、多数のご閲覧ご愛読、隅から隅までずず、ずいと、厚く御礼申し上げまする〜。

※過去の「さてトコご笑納シリーズ」はこちらから。
 2003年9月29日に現在の放送時間(月〜金曜朝10時30分〜12時30分)でスタート以来、先日めでたく放送1000回達成の「さてはトコトン菊水丸」(MBSラジオ/2007年9月12日放送)。その記念イベントとして、放送当日、浅越ゴエさんの中継で送られた『1000回記念どら焼き1000個プレゼント』。

 リスナーやファンの方に向けて街頭(実際には毎日放送、茶屋町本社周辺)でお配りするというので、何か目立つものを…と、番組の北野ディレクターさん(ジングルの魔術師!!…スゴイなぁ、山田二郎さんの『ウルトラファイト』バージョン!!)より発注、「のぼりをお願いできないでしょうか?」

 昨年の「オーサカキング」、番組ブースの『トコトン紙相撲』、河内家菊水丸師、和泉夏子さん、石田雄一さん、河内家牛若丸さんを模した力士のイラストを発注いただいて以来の、今回お電話。「お役に立てるのであれば」と我が胸をポン!

 ところが翌日のメールによる正式発注の段になって、「印刷屋さんにデータで入稿するので、『イラストレーター』というソフトにて作成、専用ファイルに保存にて添付、メールを」…と。

 『イラストレーター』…さて困った!。拙PCにかようなソフトは詰んでおらず、慌ててWEB上検索、「おためし無料ソフト」などを探してダウンロードを…と試みたは試みたものの、拙PCが「win98」のしかも中古で購入したもの、要するにポンコツ機であるため、特に最新の『イラストレーター』…積めるものも積めやしません。

「ああ、コレは。万策尽きた。折角の発注も専用ファイルに保存出来なければ、元も子もないし…」

 拙PCで保存出来たとしても、詰んであるファイルソフトでは画質が落ちるし、とりあえず、北野さんには「お断りする」か、「出来るところまでやらせてもらうか」、早急に返信差し上げると、

「パソコンの理屈でいえば、何とかなりそうです」

と有難いお返事。では出来るところまで作らせていただこうと、正式なメール発注の翌日には完成させて、添付ファイル込みで返信。

 結局、お手数かけながらも何とかなって、印刷屋さんにも無事入稿が済んだ模様でほっと一安心の、さて、肝心の出来上がりは…?

satetoko1000ani20070912 完成品がお披露目になる1000回当日のイベントには伺うことが出来ないので…と、これは本社隣の「梅田芸術劇場」前でしょうか。イベント直前(直後?)の模様を北野ディレクターさんより、お写真、お送りいただきました。
 
「ああ、ちゃんとのぼりになって完成したんやなぁ〜」

 ちなみに、ご覧いただいてお分かりかと思いますが、下の似顔絵はともかく、千社札風に模した番組タイトルは、「菊」の花の色をイメージで黄色地のなかに。その横には「おかげさまで」と(祝1000回は、イラストにある菊水丸師ほか皆さんが指で「1」「0」「0」「0」と一応模しております)。そして全体のピンク地は、9月ということで「九月場所」開催中、がんばれ北桜関の「桜」の色を施してみました。

 一安心です。お写真、この場を借りまして、御礼申し上げます。

satetoko1000nobori それにしても「イラストレーター」なるソフト。win98でも積めるような「イラストレーター8.0」という種類のソフト、仕方ないのでパソコンショップで購入せねばと、その詳細をネットで調べたところ、価格は何と…

 1 2 万 円 !

 思わず桁を見間違えたと再確認すると、やはり「12万円」、間違えなし。「5万円7万円10万円!」…それよりもまだ高いがな〜!(T_T)。

 仕方あるめぇ。いずれ積まなければならないソフト、「イラストレーター」。首尾良くその日が来るまで1コツコツと12万円…アッ!

 以上の問題は、今回賜わった発注で、ひょっとしたら何とか解決するかもしませんョ?(笑)。

 …ありがとうございました!(笑)。
 昨夜の出来事。バタバタしてますねん…と別に自身がバタバタしてるわけでもなく(笑)、実際にバタバタされていたのは、「田中徳三監督 少年河内音頭取り物語」(河内家菊水丸・監督)、撮影ロケ現場、八尾・常光寺。無常の雨で断念せざるをえなかった昨日のお返しとばかりに急ピッチに現場は進行。

 会場に到着したのは午後6時過ぎ。昨日は5時前到着でその30分後からリハーサルやら何やらが開始したので、比べると本日は遅いスタート。一見一瞬、大丈夫かいなという心配も、常光寺では盆踊り風景、今年の模様の再現と、河内家菊水丸師がデビューを果たした30年前の模様、2パターンの撮影は、まずのリハーサルも「肩馴らし」として音頭の音源に合わせた踊りの輪。櫓の上には早速、和泉夏子さんも含めた菊水丸社中(太鼓…河内家牛若丸さん、ギター…石田雄一さん)も勢揃いで本番さながらの熱唱、そして盆踊り。

 さらには夜シーンの出演者である、菊水丸少年の母親役の田中好子さん、菊水丸少年がまず預けられた地元八尾の音頭の名人、久乃家勝美師役の松竹新喜劇でもお馴染み、高田次郎さん。それに勝美師の実姉で現在の久乃家家元である久乃家初美師役の三島ゆり子さん、さらには本編担当の名匠・田中徳三監督のご挨拶が続き、さながらひとつのライブショウな構成、趣。
 
jokoji03 音頭の信条である会場一体となったライブ感も保ちつつも、やはり映画撮影の、途中カットカットによるショット変えのために、櫓の上では幾度の一時中断も乗り越えつつも、現在のシーン、30年前のシーン、それぞれが滞りなくつつがなく。

 例えば、現在のシーンでは、携帯でカメラ撮影の観客は当然としても、30年前はもちろんそんな観客はいませんし、また喉が乾いたからといっても、今ならペットボトルで一服というところが、やはり30年前にそんなボトルなど世にはありませんでした。ましてや一服でも缶コーラならまだしも、缶の「烏龍茶」や「緑茶」、それに「ミネラルウォーター」などの「水」や「お茶」が“缶商品”になったのはこの20年前後ではなかったでしょうか。とにかく、茶髪などのファッションを含めた、30年前の時代考証に相応しくないシロモノが一瞬でも画面に映ると、それだけでスックリと撮り直し。なので、普段の盆踊りのような和やかさのなかにも、そこは見学のエキストラといえども、(特にスタッフの方は)神経を使う現場となったのではないでしょうか。

 雨天撮影中止となった「初日」もご一緒でした、てつねこさん、まさよさん、カイちゃんパパさん、マルチーズさんが、踊りの輪のなか、エキストラとして出演の最中、踊れない私めは荷物の見張り番(笑)。式次第…いや、撮影次第を見守りながら常光寺境内をウロウロしていたら、視線の先には、なんと、大西ユカリさんと夢ミノル師匠、めっけ!。

 さすが、カワチアンな勉強家。本日は陣中見舞いを兼ねたご見学だったようで、本来なら9月11日、予定通り撮影が行われれば、エキストラとして(事前申し込みも含めて!)輪の中で踊ることも考えてはったという…。どんだけ音頭好きやねん!なご両人(確かに、小山田の櫓、ご一家で常連だったユカリさんの踊りは所作が柔らかく絶品です)。
 ミノル師匠などは、11日の夜の8時半ごろに常光寺にお越しになったようで、曰く…

「だぁ〜れも、いてへん!」(笑)

 ※午後8時前には既に中止で解散となっていました。

 そんなどっぷりカワチアン、特にユカリさんは、おカバンのなかに田中徳三監督の映画「悪名」、その名場面を集めたDVDと、先だって開催された「勝新太郎映画祭」…確かユカリさんはパネリストとしてトークショウにも出演されたはず…のパンフレットをしたためて。
「それ、どないしますのん?」と伺えば、

「田中徳三監督のサインが頂けたらなぁ…」

 その表情は目がランラン、乙女。確か、木村充揮さんを目の前にしてもそうでした。石田長生さんもしかり。それに月亭可朝師匠を目前にしてもそう(笑)。とにかく、これとキメた一途さは並大抵での理解を越えた熱心度。そのお一人として田中徳三御大の、何しろその目前には三十数年ぶりにメガホンをかまえた生の姿、さらにその先にはご本人、「櫓のアイドル」と称して止まない河内家菊水丸社中。さらにその遠い先には河内平野が舞台となった「悪名」、名コンビ、シリーズ作品のなかでも河内音頭を披露した『八尾の朝吉』こと勝新太郎そして『モートルの貞』そして『清次』田宮二郎…オモカゲを偲びつつ…。

 とにかくお見舞いも兼ねてどっぷりとそのまま現場の雰囲気に浸りたかったはずなのですが、8時過ぎより後の用事が控えていたらしく、その出キッカケを計りながら時計とにらめっこ。何しろ撮影は刻々と進行しつつも、ユカリさんたちにとっては、サインはさておいても肝心のお見舞い(差し入れ)を渡すタイミングが掴めないまま。それでも差し迫る時間、仕方がなかったのか、そばにいた私めが、その代参、大変な重責を預かることとなってしまったのです。

 とにかく終電までは見届けようと決めていたので、石松代参、「わ、わ、わかりました!」

jokoji04 その合間、若干のタイミングを見計らって、こちらのお写真は「櫓を前に、たそがれる二人の背中」(笑)。拙携帯で撮影したのをお見せしたら入られたのか、ユカリさんのブログ用に、同じアングルで撮影をば。
 その写真は、これまた照れるがな、ケツ痒いな的、えらい持ち上げような書き様で、しっかりと「あ〜せやせや!」(ちょっとブレてますな 笑)。

 やがて時間も迫り、ユカリさんとミノル師匠(ハッカの飴ちゃん、おおきにでした)をお見送り。差し入れの代参はもちろん、お二人の分まで見届けまっせ、当夜の撮影。やがて滞り無く、菊水丸社中による「現在の盆踊り風景」は撮り終わり、代わって、少年子役が登場する「30年前の風景」へ。
 (一瞬の途中行動は勝手ながら割愛しますが)櫓を降りられた菊水丸師、ファンに囲まれつつもその隙、タイミングで何とか差し入れ、陣中お見舞い申し上げます〜♪、代参果たし何とか事無きを得ることが出来ました。

 30年前のシーンは、勝美師役の高田次郎さん、それに初美師役の三島ゆり子さん、さらに「後の菊水丸」こと当時は本名「岸本きよし役」の高島史也くんが音頭を披露するシーン。その「きよし」を櫓の下から見守る、母親役の田中好子さん、という場面。こちらは事細かにここで書くよりも、是非とも本編お楽しみ。見たまま聴いたままをレポートするならば、初美師役の三島ゆり子さんの撮影、順番になったところで、境内のベンチには本物の初美師お出まし。

 この初美師が、これまた絶妙のタイミングでそばからお囃子の掛け声と、それに絶妙のツッコミで周囲は爆笑(笑)。

 おそらく、撮影がクランクアップして、上映直前には「さてはトコトン菊水丸」(MBSラジオ)にも三島さんや、高田次郎さん、お出ましになるやも知れませんが、是非とも一度は、この初美師ご本人を、スタジオにお招き願いたいと。ユカリさんにとって菊水丸さん(そのほか数多の名人)が櫓のアイドルなら、同様に私にとっても初美師匠、一夏のアイドル(笑)。とにかくパワフル。三島さんがどこまでそのパワフルさに迫ることが出来るか、こちらも本編見ものです。

 順調な進行は6時半のスタートから9時過ぎには一通り撮影も終了。最後は大団円、菊水丸師によるさらに、さらにの、これまた「ボーナストラック」が披露されたのですが、こちらの模様は本日のスポーツ紙、さらにはDVD化の段になって付属されるであろう『メイキング集』にてご覧のほどを。

 それにしても、作品本編の見せ場である、今夜撮影の櫓の場面。なかでもとりわけこだわった、30年前の「時代考証」。でもこういう風に書くと問題があるかもしれませんが、時代考証、言うても映画のなかでのこと。

 ファッションや携帯カメラの有無も時代考証としては確かに大事かもしれませんが、先月の地蔵盆、それに今夜訪れた常光寺には、踊りの輪の合間でも、ウロチョロ走りまわる余所の子供にも「走ったらアカン!」と注意するオバチャンが居たり、お寺の境内で「お賽銭ごっこ」を楽しむ子供らが居たり、初めて踊りに参加する若者に、その所作を教え込む上半身もろ肌の浴衣姿のおじいさんが、しっかり居てはります。そこに居てる人々の温もりは、今も昔もきっと変わらないと思います。(ゆえに映画としては、表面上の考証、重要にこだわらなければならない部分ですが)。

 そんな変わらない河内平野の空気、温度のなかで、きよし少年が、いかに「河内家菊水丸」、音頭師として成長を遂げていくのか。おそらく今作の見所だと思います。

 そんな成長物語を見守りながら、スクリーンでは十分に河内の空気を感じて、今度は実際にその空気を触れに、8月末週末の常光寺へ…。

 来年は、倍楽しみな夏が、来ます!