この3ヵ月、個人的琴線に触れた出来事を箇条書きで。
●1月
2日「紅白司会・笑福亭鶴瓶大健闘!」
昨年大晦日放送「第58回NHK紅白歌合戦」『第2部』(NHK総合ほか)の視聴率が東西共、
39.5%(ビデオリサーチ)を記録。前回より1.9ポイント上昇させた。
台本にそわない「鶴瓶流」の司会が紅組司会・中居正広の好サポートぶりと共に好評を得た。
5日「ウルトラQ トリオ勢揃い」(東京・六本木の森アーツセンター)
空想科学特撮シリーズ「ウルトラQ」の出演者、佐原健二、桜井浩子、西条康彦が
同イベントに集結。飯島敏宏監督による書き下ろし「電気紙芝居・ウルトラQ、ある日、
とつぜんに…」を、作曲家・冬木透のキーボード生演奏で披露。
7日「坂東玉三郎 中国の伝統芸能『昆劇』と日中共演発表」
歌舞伎俳優・坂東玉三郎が、600年の歴史を中国の伝統芸能「昆劇」と共演へ。
舞踊劇「楊貴妃」と、大作「牡丹亭」を、中国語台詞で披露。
3月は京都・松竹座、5月には北京でも上演予定。
8日「森光子『放浪記』1900回公演へ向けて上演開始」(東京・日比谷シアタークリエ)
日比谷・芸術座の後継劇場でもある同所の柿落とし公演として開幕。
体力的負担を考慮し長らくの名場面であった『てんぐり返し』を封印するも、
新演出で気力十分。2月23日には無事、上演1900回を迎えた。
11日「笑福亭松喬、桂小春団治・揃い踏み喜びの会見」(大阪・浪速区松竹芸能)
平成19年度文化庁芸術祭のそれぞれ、大賞と優秀賞受賞をうけて喜びの記者会見。
「落語ブームが続くように貢献できれば…」
12日「CM・TVソング集『元祖コマソン女王・楠トシエ大全』発売記念ライブ」
都内で発売記念トーク&サイン会開催。NHKラジオ「日曜娯楽版」にて三木鶏郎率いる
トリローグループで頭角を表し、テレビ時代に入ってからは「お笑い三人組」(NHK総合/
1956〜1966年)でコメディエンヌぶりを発揮。以上の番組で発表した楽曲も収録。
12日「沢口靖子『ミヤコ蝶々』に挑戦」
「女ひとり〜ミヤコ蝶々物語」(大阪・道頓堀〜松竹座/2008年10月3〜26日)制作発表。
13日「ダウンタウン松本人志 高熱と肺炎でダウン」
数本の番組収録を中止、延期へ。同23日「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」にて
現場復帰。
15日「ダチョウ倶楽部・上島竜兵、中村勘三郎・藤山直美と共演へ」
舞台「わらしべ夫婦双六旅」(東京・新橋演舞場/2008年2月1〜25日)制作発表。
同劇場でゴールデンコンビぶりを発揮する名優、中村勘三郎・藤山直美ご両人より
熱いラブコールによって共演実現へ。ヤーッ!
15日「横山やすし・十三回忌追善興行、開催」(大阪・千日前〜なんばグランド花月)
1996(平成8)年、51歳で亡くなった漫才師・横山やすしさんの追善公演。相方の
西川きよしは漫談で、愛娘の木村ひかりは、宮川さゆみとの漫才「さゆみ・ひかり」を
1年ぶりに披露。また吉本新喜劇も吉田ヒロ主演で「横山やすし物語」を上演。
16日「藤田まこと、主演映画『明日への遺言』キャンペーンで全国行脚へ」
藤田まこと扮する、B級戦犯『岡田資(中将)』の軍事裁判を中心とした話題作、その公開
キャンペーンが、小泉堯史監督とともも鹿児島からスタート。
「実兄が17歳で戦死した地。兄貴が呼んでくれたんじゃないかなぁ…」
20日「坂田利夫も受験・NSC入学キャンペーン『全国お笑いセンター試験、開催」
吉本興業が主宰の芸能学院「NSC」の受験キャンペーンとして一般向けに開催された同試験に
坂田利夫、自身満々の参加。しかし100点満点中、60点で不合格と『アホ面目躍如』(笑)
なお、全2200人中、東西各成績1位の入学受験者は、入学金10万円が免除された。
22日「翌日の1900回公演控え、森光子・意地の決断」
シアタークリエで上演中の舞台「放浪記」(林冨美子・原作、菊田一夫・脚本演出、
三木のり平・演出)1989回公演。1900回を記念して東宝ほかは、単独主演記録更新、
ギネスブック申請を計画するも「まだ、継続中ですから…」と森光子、意地の断念へ。
22日「たむらけんじ、通行人に蹴られる」
大阪・北区天神橋商店街。通行人の男性(64)に左足を蹴られてチャー。スタッフと通行人の
口論に仲裁に入ったトバッチリ、気の毒。
24日「桂春団治 喜寿記念落語会開催へ」
大阪・千日前〜ワッハ上方ホール(2008年3月28〜30日)。桂歌丸、三遊亭円歌、春風亭小朝、
桂文珍、桂南光、笑福亭鶴瓶らを迎え「祝いのし」、「いかけや」、「野崎詣り」…珠玉の名演を。
昼夜含めた全5公演。好きな酒も控え「身体を大事にしながら、やります」
24日「萬画家・石ノ森章太郎さん(1938〜1998年/享年60)、偉業達成」
「仮面ライダー」から「サイボーグ009」まで…2006(平成18)年2月より刊行中の
「石ノ森章太郎萬画大全集」(角川書店)が、全500冊770作品、総頁数約12万8000という
『1人の著者による最多漫画出版記録』を持ってギネスブック入り。同全集は11月完結予定。
26日「渡瀬恒彦『ちりとてちん』クランクアップ」(大阪・大手前〜NHK大阪放送局)
連続テレビ小説「ちりてちん」(NHK総合ほか)にて、落語家・徒然亭草若役を好演。
最終シーン(2008年2月16日放送分)を撮了。主人公で弟子役の貫地谷しほりも涙に暮れた。
「落語も含め、キツイ仕事でした…今はやって良かった仕事だと思います」。
27日「アリス2年ぶり再集結(谷村新司リクエストベスト盤『音帰し(おんがえし/3月19日発売)」
都内で行われた公開レコーディングにて。「アリスは永遠だと思った」と語る堀内孝雄、
矢沢透らと共に名曲「明日への讃歌」(デビュー2曲目シングル)を演奏。
「活動は停止してるけど、チャンスがあればこうして帰れる場所は宝物」とチンペイさん。
27日「今宮エビスさん、死去(漫才師・享年66)」
芦屋雁之助に師事。内海カッパとの漫才コンビで活躍。盟友であった故・横山やすしさんの
断酒計画などにも奔走した。
●2月
1日「松竹芸能、道頓堀『ライブステージB1角座』閉館発表」
入居の角座ビル全面改築により5月末日で同劇場を閉館へ。
代替劇場として新世界「通天閣歌謡劇場」などが候補中。
1日「桂三枝、本拠地NGKで『三枝まつり』(毎年3月4日開催)発表」(大阪・吉本興業本社)
創作落語の最新作「赤とんぼ」と、過去の名作「ダンシングドクター」を披露。
「ダンシング〜」では演出の新機軸として「EXILE」ばりのダンスにも挑戦。
激しい振付に「練習してみたけど、肝心の落語、ちゃんと喋れるかなぁ〜」…オヨヨ!
3日「『ちりとてちん』貫地谷しほり、節分祭に登場」(大阪・寝屋川成〜田山大阪別院)
4日「吉本興業、『うめだ花月」昼席を落語定席劇場として開席へ…発表」
「天満天神繁昌亭」やドラマ「ちりとてちん」人気を反映して同劇場の開き時間でもあった
昼席を、若手中堅主体の落語定席化へと発表。
4日「オセロ松嶋尚美、念願のデザイナーデビュー」
今夏、北京五輪を控えた中国 ・上海にて開催された「神戸コレクション2008上海」にて
念願のデザイナーデビューを果たす。モデル選定からショー構成をも務め、
自身も大好きなトリコロールカラーを基調としたマリーナ風衣裳で舞台花道を闊歩した。
4日「桂小米朝十番勝負その六 VS笑福亭鶴瓶」(大阪・心斎橋〜そごう劇場)
昨年暮からの多忙、合間を縫ってポリープ手術を施しながら私落語「ALWAYS お母ちゃんの
笑顔」を披露した鶴瓶にトークショー、小米朝「私に足りない物はあんでしょうか」との問いに
ズバリ、「集中力!」。五代目桂米團治襲名を控え、若旦那の試練はさらにつづく…(笑)。
5日「M-1グランプリ2007リターンズ・サンドウィッチマン優勝賞金1000万円贈呈式」
大阪・千日前〜なんばグランド花月。共に仙台出身の伊達みきお、富澤たけし、現金を目前に
ニンマリも、昨年暮開催の同大会における「優勝賞金は親にあげます」発言が“証拠映像”となり 両人の母親が会場に登場。伊達の母「(半分の500万円も)私からの借金にはまだ足りない(笑)」
なお、コンビでは翌日、同劇場通常公演(昼席)にもデビュー。
6日「円谷プロ、『怪獣倉庫』閉鎖へ」
「ウルトラシリーズ」制作などの老舗、円谷プロダクションが、同本社完全移転に伴い、
旧社屋に併設、元は東宝砧撮影所の衣裳倉庫でもあった、着ぐるみ倉庫の閉鎖を発表。
1964(昭和39年)以来、実に40年に及んだ名物倉庫は、新社屋にも移転される。
6日「円谷プロ、タイにおける『ウルトラマン著作権』裁判で勝訴」
※日タイ合作の「ウルトラ6兄弟VSハヌマーン」…コレはスゴイで(笑)
8日「桂かい枝、米国武者修業へ」
桂かい枝自身が出演するラジオのレギュラー番組にて、今春4月より約半年間、米国各地で
英語落語公演を開催。昨年「出張繁昌亭公演」で成功を納めたニューヨークを皮切りに、
妻子同行、家族連れのキャンピングカーで移動の予定。
9日「夢の対決!?『欽ちゃんVS東国原知事」
萩本欽一率いる「茨城ゴールデンゴールズ」×宮崎・東国原英夫知事率いる「チームそのまんま」
が宮崎・日向〜お倉ヶ浜総合公園野球場にて激突(11−2、茨城GG勝利)。
東チームの背番号には「日向夏ミカン」、「完熟マンゴー」などの県産品が並ぶ。
12日「漫才コンビ『ちゃんらんぽらん』解散へ」
「中途半端やな〜」のギャグで一世風靡した漫才コンビ・ちゃらんぽらんのおおにしこうじんが、
自筆のFAXで報道各社に告知。長年の夢である画家一本に絞り、所属の吉本興業も退社。
吉本側も「寝耳に水」としながらも、後日受諾。相方である富好誠も今後ピン芸人として活動へ。
14日「『ザ・プラン9』浅越ゴエ、胆石による検査入院(12日)から退院、仕事復帰」
出演を見合わせていた、この日放送「なるトモ!」(読売テレビ)、
「さてはトコトン菊水丸」(MBSラジオ)、「ちちんぷいぷい」(毎日放送)にて復帰。
翌15日からはうめだ花月にて「ザ・プラン9」としての舞台も復帰へ。
17日「『R−1ぐらんぷり2008』なだぎ武、2連覇!」(大阪・北区〜関西テレビ)
昨年に続く2連覇、過去最多出場者数2731人の頂点に輝き、大号泣。
また、今大会より生中継で平均視聴率も関西15.7%(ビデオリサーチ)、
関東8.3%と大躍進。こちらも過去最高を記録。
17日「フジテレビ『爆笑レッドカーペット』高視聴率達成」
裏番組、白熱の「東アジアサッカー選手権日本×北朝鮮戦」(TBS、14.0%=関東)に
圧勝の19.4%。元々は昨年2月、「発掘!あるある大辞典」(関西テレビ)、不祥事打切を
受けての突貫緊急企画。「日曜劇場・華麗なる一族」(TBS)相手に善戦、定期企画に。
18日「ミッキー・カーチス69歳、結婚発表」
芸能生活50周年、お相手は33歳年下のピアノ講師。ちなみに新婦の御両親は
カーチス氏よりも年下!
19日「吉本新喜劇座長・小籔千豊、自作シングル『プリン』で歌手デビュー」
3年前に他界した母親への思いを綴った自作『プリン』(2月20日発売)の、発売記念ライブを
大阪・北区〜タワーレコードNU茶屋町店にて開催。「この歌を聴いて、おかんに優しくしようと
思ってくれたら嬉しい。目標50万枚。紅白目指します」
20日「小野満さん、死去(ジャズベーシスト、享年79)」
今年1月2日の死去がこの日に発表。戦後ジャズブームを牽引したビッグバンド
「小野満とスウィングビーバーズ」のバンマスとして1960〜70年代の「NHK紅白歌合戦」
でも活躍。故・美空ひばりさんが絶対的信用を寄せていた。
21日「ダン池田さん、死去(元ダン池田とニューブリード・バンドマスター、享年72)」
昨年12月25日の死去がこの日に発表。1969(昭和44)年よりフジテレビ専属となり、
「夜のヒットスタジオ」(1968〜1990年)、「スターどっきり(秘)報告」(1975年〜)などを担当。
「オールスター家族対抗歌合戦」(1972〜1987年)では審査員としても活躍した。
また、現在絶版の、生前の著書がネットオークションで高騰した。
26日「ザ・プラン9、鈴木つかさ 脱退表明」
独自に新たな方向性を見つけ脱退。5人メンバーとしては、うめだ花月(2月28日)、
ABCラジオ(同29日)がそれぞれ最後となる。
27日「天満天神繁昌亭から演者別CD、DVD『繁昌亭らいぶシリーズ発売」
同寄席で収録した音源映像を今後も定期的発売へ。第一弾は、桂春之輔、笑福亭三喬、
桂吉弥。「繁昌亭の雰囲気と上方落語の面白さを堪能していただけると思います」(桂三枝・
上方落語協会会長)。
27日「桂春菜が4月より新イベント開催・会見」(大阪・中央区〜山本能楽堂)
故人で、兄弟子そして実父でもあった「桂春蝶」襲名を控える桂春菜が落語のみならず、能・
狂言・文楽・上方舞など同世代の演者らとタッグを組んだ「初心者のための上方伝統ナイト」を
定期開催。「デパ地下試食コーナーのように気軽に。気に入って頂けたら“専門店”にもどうぞ」。
29日「中村勘三郎、欧州進出!『念願叶う!』とドイツ・ベルリンで会見!!」
江戸時代の歌舞伎小屋を再現し、勘九郎時代より率いた「平成中村座」ドイツ・ルーマニア公演
開催を発表。海外公演は2004(平成16)年ニューヨーク以来で演目は十八番「夏祭浪花鑑」。
「数年前のフランスでの演劇祭に刺激を受けて」以来の念願がいよいよ叶う、ヨッ、中村屋ッ!!
29日「高橋達也さん、死去(高橋達也と東京ユニオン元リーダー・サックス奏者、享年76)」
1964(昭和39)年、東京ユニオンに参加。2年後、バンドリーダーに。ジャズ人気にも貢献し
日本テレビ「11PM」や「金曜10時!うわさのチャンネル」などでも活躍した。
●3月
2日「歌舞伎役者・坂田藤十郎、喜寿記念の主演公演開幕」
「三月大歌舞伎 夜の部/京鹿子娘道成寺」で主役『白拍子花子』を熱演。
「20代の若々しい気持ちで一挙手一投足、手を抜かずに務めます」
市川團十郎との共演、江戸以来の東西「二枚看板競演」が実現した。
3日「追い抜け追い越せ繁昌亭!落語定席『梅田花月花形寄席』開席」(大阪・北区〜うめだ花月)
吉本興業若手中堅落語陣の根城が完成。記念口上に笑福亭仁鶴、林家染丸、桂きん枝、
月亭八光(司会)。「落語にスポットライトが当たっている。その光に耐えられる実力を
蓄えられるかどうか、これから試される」と仁鶴よりご挨拶。190席満席と幸先良い初日に。
5日「『およげ!たいやきくん』32年ぶり再発売」
1976(昭和51)年、「ひらけ!ポンキッキ」(フジテレビ)にて発表。シングルレコード(CD)
売上枚数は累計455.2万枚を記録し国内1位の記録を保持。UFOキャッチャーの景品と
して復活したキャラクターが評判を呼び今回の運びへ。特典DVD、当時の番組映像も付録。
15日「キャンディーズ解散30周年記念・ファン同窓会へ」
1978(昭和53)年4月4日、旧・後楽園球場にて開催された解散コンサートよりちょうど30年の
来月4日、跡地「東京ドームシティ」にて「全国キャンディーズ連盟2008 大同窓会」と
名付けたフィルムコンサート開催を発表。チケットには当時の必須アイテムだった「紙テープ」が付録される。
21日「漫才師・青空球児が『二代目デン助』襲名へ」
コメディアン・大宮敏充が浅草・松竹演芸場を拠点に繰り広げ、テレビ朝日の中継番組も人気を
得た人情喜劇一座「デン助劇団」が、1973(昭和48)年解散以来35年ぶりに復活。
2代目座長の青空球児は『ゲロゲーロ』を封印し、古き良き関東喜劇継承を誓った。
26日「笑福亭鶴光、元弟子に脅迫される」
東京・新宿署は、笑福亭鶴光門下にあった元落語家(35歳)を脅迫容疑で逮捕。
普段の素行不具合を理由に破門されその腹いせに、鶴光師が所属する「落語芸術協会」
(会長・桂歌丸)事務局などに脅迫電話を。
●1月
2日「紅白司会・笑福亭鶴瓶大健闘!」
昨年大晦日放送「第58回NHK紅白歌合戦」『第2部』(NHK総合ほか)の視聴率が東西共、
39.5%(ビデオリサーチ)を記録。前回より1.9ポイント上昇させた。
台本にそわない「鶴瓶流」の司会が紅組司会・中居正広の好サポートぶりと共に好評を得た。
5日「ウルトラQ トリオ勢揃い」(東京・六本木の森アーツセンター)
空想科学特撮シリーズ「ウルトラQ」の出演者、佐原健二、桜井浩子、西条康彦が
同イベントに集結。飯島敏宏監督による書き下ろし「電気紙芝居・ウルトラQ、ある日、
とつぜんに…」を、作曲家・冬木透のキーボード生演奏で披露。
7日「坂東玉三郎 中国の伝統芸能『昆劇』と日中共演発表」
歌舞伎俳優・坂東玉三郎が、600年の歴史を中国の伝統芸能「昆劇」と共演へ。
舞踊劇「楊貴妃」と、大作「牡丹亭」を、中国語台詞で披露。
3月は京都・松竹座、5月には北京でも上演予定。
8日「森光子『放浪記』1900回公演へ向けて上演開始」(東京・日比谷シアタークリエ)
日比谷・芸術座の後継劇場でもある同所の柿落とし公演として開幕。
体力的負担を考慮し長らくの名場面であった『てんぐり返し』を封印するも、
新演出で気力十分。2月23日には無事、上演1900回を迎えた。
11日「笑福亭松喬、桂小春団治・揃い踏み喜びの会見」(大阪・浪速区松竹芸能)
平成19年度文化庁芸術祭のそれぞれ、大賞と優秀賞受賞をうけて喜びの記者会見。
「落語ブームが続くように貢献できれば…」
12日「CM・TVソング集『元祖コマソン女王・楠トシエ大全』発売記念ライブ」
都内で発売記念トーク&サイン会開催。NHKラジオ「日曜娯楽版」にて三木鶏郎率いる
トリローグループで頭角を表し、テレビ時代に入ってからは「お笑い三人組」(NHK総合/
1956〜1966年)でコメディエンヌぶりを発揮。以上の番組で発表した楽曲も収録。
12日「沢口靖子『ミヤコ蝶々』に挑戦」
「女ひとり〜ミヤコ蝶々物語」(大阪・道頓堀〜松竹座/2008年10月3〜26日)制作発表。
13日「ダウンタウン松本人志 高熱と肺炎でダウン」
数本の番組収録を中止、延期へ。同23日「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」にて
現場復帰。
15日「ダチョウ倶楽部・上島竜兵、中村勘三郎・藤山直美と共演へ」
舞台「わらしべ夫婦双六旅」(東京・新橋演舞場/2008年2月1〜25日)制作発表。
同劇場でゴールデンコンビぶりを発揮する名優、中村勘三郎・藤山直美ご両人より
熱いラブコールによって共演実現へ。ヤーッ!
15日「横山やすし・十三回忌追善興行、開催」(大阪・千日前〜なんばグランド花月)
1996(平成8)年、51歳で亡くなった漫才師・横山やすしさんの追善公演。相方の
西川きよしは漫談で、愛娘の木村ひかりは、宮川さゆみとの漫才「さゆみ・ひかり」を
1年ぶりに披露。また吉本新喜劇も吉田ヒロ主演で「横山やすし物語」を上演。
16日「藤田まこと、主演映画『明日への遺言』キャンペーンで全国行脚へ」
藤田まこと扮する、B級戦犯『岡田資(中将)』の軍事裁判を中心とした話題作、その公開
キャンペーンが、小泉堯史監督とともも鹿児島からスタート。
「実兄が17歳で戦死した地。兄貴が呼んでくれたんじゃないかなぁ…」
20日「坂田利夫も受験・NSC入学キャンペーン『全国お笑いセンター試験、開催」
吉本興業が主宰の芸能学院「NSC」の受験キャンペーンとして一般向けに開催された同試験に
坂田利夫、自身満々の参加。しかし100点満点中、60点で不合格と『アホ面目躍如』(笑)
なお、全2200人中、東西各成績1位の入学受験者は、入学金10万円が免除された。
22日「翌日の1900回公演控え、森光子・意地の決断」
シアタークリエで上演中の舞台「放浪記」(林冨美子・原作、菊田一夫・脚本演出、
三木のり平・演出)1989回公演。1900回を記念して東宝ほかは、単独主演記録更新、
ギネスブック申請を計画するも「まだ、継続中ですから…」と森光子、意地の断念へ。
22日「たむらけんじ、通行人に蹴られる」
大阪・北区天神橋商店街。通行人の男性(64)に左足を蹴られてチャー。スタッフと通行人の
口論に仲裁に入ったトバッチリ、気の毒。
24日「桂春団治 喜寿記念落語会開催へ」
大阪・千日前〜ワッハ上方ホール(2008年3月28〜30日)。桂歌丸、三遊亭円歌、春風亭小朝、
桂文珍、桂南光、笑福亭鶴瓶らを迎え「祝いのし」、「いかけや」、「野崎詣り」…珠玉の名演を。
昼夜含めた全5公演。好きな酒も控え「身体を大事にしながら、やります」
24日「萬画家・石ノ森章太郎さん(1938〜1998年/享年60)、偉業達成」
「仮面ライダー」から「サイボーグ009」まで…2006(平成18)年2月より刊行中の
「石ノ森章太郎萬画大全集」(角川書店)が、全500冊770作品、総頁数約12万8000という
『1人の著者による最多漫画出版記録』を持ってギネスブック入り。同全集は11月完結予定。
26日「渡瀬恒彦『ちりとてちん』クランクアップ」(大阪・大手前〜NHK大阪放送局)
連続テレビ小説「ちりてちん」(NHK総合ほか)にて、落語家・徒然亭草若役を好演。
最終シーン(2008年2月16日放送分)を撮了。主人公で弟子役の貫地谷しほりも涙に暮れた。
「落語も含め、キツイ仕事でした…今はやって良かった仕事だと思います」。
27日「アリス2年ぶり再集結(谷村新司リクエストベスト盤『音帰し(おんがえし/3月19日発売)」
都内で行われた公開レコーディングにて。「アリスは永遠だと思った」と語る堀内孝雄、
矢沢透らと共に名曲「明日への讃歌」(デビュー2曲目シングル)を演奏。
「活動は停止してるけど、チャンスがあればこうして帰れる場所は宝物」とチンペイさん。
27日「今宮エビスさん、死去(漫才師・享年66)」
芦屋雁之助に師事。内海カッパとの漫才コンビで活躍。盟友であった故・横山やすしさんの
断酒計画などにも奔走した。
●2月
1日「松竹芸能、道頓堀『ライブステージB1角座』閉館発表」
入居の角座ビル全面改築により5月末日で同劇場を閉館へ。
代替劇場として新世界「通天閣歌謡劇場」などが候補中。
1日「桂三枝、本拠地NGKで『三枝まつり』(毎年3月4日開催)発表」(大阪・吉本興業本社)
創作落語の最新作「赤とんぼ」と、過去の名作「ダンシングドクター」を披露。
「ダンシング〜」では演出の新機軸として「EXILE」ばりのダンスにも挑戦。
激しい振付に「練習してみたけど、肝心の落語、ちゃんと喋れるかなぁ〜」…オヨヨ!
3日「『ちりとてちん』貫地谷しほり、節分祭に登場」(大阪・寝屋川成〜田山大阪別院)
4日「吉本興業、『うめだ花月」昼席を落語定席劇場として開席へ…発表」
「天満天神繁昌亭」やドラマ「ちりとてちん」人気を反映して同劇場の開き時間でもあった
昼席を、若手中堅主体の落語定席化へと発表。
4日「オセロ松嶋尚美、念願のデザイナーデビュー」
今夏、北京五輪を控えた中国 ・上海にて開催された「神戸コレクション2008上海」にて
念願のデザイナーデビューを果たす。モデル選定からショー構成をも務め、
自身も大好きなトリコロールカラーを基調としたマリーナ風衣裳で舞台花道を闊歩した。
4日「桂小米朝十番勝負その六 VS笑福亭鶴瓶」(大阪・心斎橋〜そごう劇場)
昨年暮からの多忙、合間を縫ってポリープ手術を施しながら私落語「ALWAYS お母ちゃんの
笑顔」を披露した鶴瓶にトークショー、小米朝「私に足りない物はあんでしょうか」との問いに
ズバリ、「集中力!」。五代目桂米團治襲名を控え、若旦那の試練はさらにつづく…(笑)。
5日「M-1グランプリ2007リターンズ・サンドウィッチマン優勝賞金1000万円贈呈式」
大阪・千日前〜なんばグランド花月。共に仙台出身の伊達みきお、富澤たけし、現金を目前に
ニンマリも、昨年暮開催の同大会における「優勝賞金は親にあげます」発言が“証拠映像”となり 両人の母親が会場に登場。伊達の母「(半分の500万円も)私からの借金にはまだ足りない(笑)」
なお、コンビでは翌日、同劇場通常公演(昼席)にもデビュー。
6日「円谷プロ、『怪獣倉庫』閉鎖へ」
「ウルトラシリーズ」制作などの老舗、円谷プロダクションが、同本社完全移転に伴い、
旧社屋に併設、元は東宝砧撮影所の衣裳倉庫でもあった、着ぐるみ倉庫の閉鎖を発表。
1964(昭和39年)以来、実に40年に及んだ名物倉庫は、新社屋にも移転される。
6日「円谷プロ、タイにおける『ウルトラマン著作権』裁判で勝訴」
※日タイ合作の「ウルトラ6兄弟VSハヌマーン」…コレはスゴイで(笑)
8日「桂かい枝、米国武者修業へ」
桂かい枝自身が出演するラジオのレギュラー番組にて、今春4月より約半年間、米国各地で
英語落語公演を開催。昨年「出張繁昌亭公演」で成功を納めたニューヨークを皮切りに、
妻子同行、家族連れのキャンピングカーで移動の予定。
9日「夢の対決!?『欽ちゃんVS東国原知事」
萩本欽一率いる「茨城ゴールデンゴールズ」×宮崎・東国原英夫知事率いる「チームそのまんま」
が宮崎・日向〜お倉ヶ浜総合公園野球場にて激突(11−2、茨城GG勝利)。
東チームの背番号には「日向夏ミカン」、「完熟マンゴー」などの県産品が並ぶ。
12日「漫才コンビ『ちゃんらんぽらん』解散へ」
「中途半端やな〜」のギャグで一世風靡した漫才コンビ・ちゃらんぽらんのおおにしこうじんが、
自筆のFAXで報道各社に告知。長年の夢である画家一本に絞り、所属の吉本興業も退社。
吉本側も「寝耳に水」としながらも、後日受諾。相方である富好誠も今後ピン芸人として活動へ。
14日「『ザ・プラン9』浅越ゴエ、胆石による検査入院(12日)から退院、仕事復帰」
出演を見合わせていた、この日放送「なるトモ!」(読売テレビ)、
「さてはトコトン菊水丸」(MBSラジオ)、「ちちんぷいぷい」(毎日放送)にて復帰。
翌15日からはうめだ花月にて「ザ・プラン9」としての舞台も復帰へ。
17日「『R−1ぐらんぷり2008』なだぎ武、2連覇!」(大阪・北区〜関西テレビ)
昨年に続く2連覇、過去最多出場者数2731人の頂点に輝き、大号泣。
また、今大会より生中継で平均視聴率も関西15.7%(ビデオリサーチ)、
関東8.3%と大躍進。こちらも過去最高を記録。
17日「フジテレビ『爆笑レッドカーペット』高視聴率達成」
裏番組、白熱の「東アジアサッカー選手権日本×北朝鮮戦」(TBS、14.0%=関東)に
圧勝の19.4%。元々は昨年2月、「発掘!あるある大辞典」(関西テレビ)、不祥事打切を
受けての突貫緊急企画。「日曜劇場・華麗なる一族」(TBS)相手に善戦、定期企画に。
18日「ミッキー・カーチス69歳、結婚発表」
芸能生活50周年、お相手は33歳年下のピアノ講師。ちなみに新婦の御両親は
カーチス氏よりも年下!
19日「吉本新喜劇座長・小籔千豊、自作シングル『プリン』で歌手デビュー」
3年前に他界した母親への思いを綴った自作『プリン』(2月20日発売)の、発売記念ライブを
大阪・北区〜タワーレコードNU茶屋町店にて開催。「この歌を聴いて、おかんに優しくしようと
思ってくれたら嬉しい。目標50万枚。紅白目指します」
20日「小野満さん、死去(ジャズベーシスト、享年79)」
今年1月2日の死去がこの日に発表。戦後ジャズブームを牽引したビッグバンド
「小野満とスウィングビーバーズ」のバンマスとして1960〜70年代の「NHK紅白歌合戦」
でも活躍。故・美空ひばりさんが絶対的信用を寄せていた。
21日「ダン池田さん、死去(元ダン池田とニューブリード・バンドマスター、享年72)」
昨年12月25日の死去がこの日に発表。1969(昭和44)年よりフジテレビ専属となり、
「夜のヒットスタジオ」(1968〜1990年)、「スターどっきり(秘)報告」(1975年〜)などを担当。
「オールスター家族対抗歌合戦」(1972〜1987年)では審査員としても活躍した。
また、現在絶版の、生前の著書がネットオークションで高騰した。
26日「ザ・プラン9、鈴木つかさ 脱退表明」
独自に新たな方向性を見つけ脱退。5人メンバーとしては、うめだ花月(2月28日)、
ABCラジオ(同29日)がそれぞれ最後となる。
27日「天満天神繁昌亭から演者別CD、DVD『繁昌亭らいぶシリーズ発売」
同寄席で収録した音源映像を今後も定期的発売へ。第一弾は、桂春之輔、笑福亭三喬、
桂吉弥。「繁昌亭の雰囲気と上方落語の面白さを堪能していただけると思います」(桂三枝・
上方落語協会会長)。
27日「桂春菜が4月より新イベント開催・会見」(大阪・中央区〜山本能楽堂)
故人で、兄弟子そして実父でもあった「桂春蝶」襲名を控える桂春菜が落語のみならず、能・
狂言・文楽・上方舞など同世代の演者らとタッグを組んだ「初心者のための上方伝統ナイト」を
定期開催。「デパ地下試食コーナーのように気軽に。気に入って頂けたら“専門店”にもどうぞ」。
29日「中村勘三郎、欧州進出!『念願叶う!』とドイツ・ベルリンで会見!!」
江戸時代の歌舞伎小屋を再現し、勘九郎時代より率いた「平成中村座」ドイツ・ルーマニア公演
開催を発表。海外公演は2004(平成16)年ニューヨーク以来で演目は十八番「夏祭浪花鑑」。
「数年前のフランスでの演劇祭に刺激を受けて」以来の念願がいよいよ叶う、ヨッ、中村屋ッ!!
29日「高橋達也さん、死去(高橋達也と東京ユニオン元リーダー・サックス奏者、享年76)」
1964(昭和39)年、東京ユニオンに参加。2年後、バンドリーダーに。ジャズ人気にも貢献し
日本テレビ「11PM」や「金曜10時!うわさのチャンネル」などでも活躍した。
●3月
2日「歌舞伎役者・坂田藤十郎、喜寿記念の主演公演開幕」
「三月大歌舞伎 夜の部/京鹿子娘道成寺」で主役『白拍子花子』を熱演。
「20代の若々しい気持ちで一挙手一投足、手を抜かずに務めます」
市川團十郎との共演、江戸以来の東西「二枚看板競演」が実現した。
3日「追い抜け追い越せ繁昌亭!落語定席『梅田花月花形寄席』開席」(大阪・北区〜うめだ花月)
吉本興業若手中堅落語陣の根城が完成。記念口上に笑福亭仁鶴、林家染丸、桂きん枝、
月亭八光(司会)。「落語にスポットライトが当たっている。その光に耐えられる実力を
蓄えられるかどうか、これから試される」と仁鶴よりご挨拶。190席満席と幸先良い初日に。
5日「『およげ!たいやきくん』32年ぶり再発売」
1976(昭和51)年、「ひらけ!ポンキッキ」(フジテレビ)にて発表。シングルレコード(CD)
売上枚数は累計455.2万枚を記録し国内1位の記録を保持。UFOキャッチャーの景品と
して復活したキャラクターが評判を呼び今回の運びへ。特典DVD、当時の番組映像も付録。
15日「キャンディーズ解散30周年記念・ファン同窓会へ」
1978(昭和53)年4月4日、旧・後楽園球場にて開催された解散コンサートよりちょうど30年の
来月4日、跡地「東京ドームシティ」にて「全国キャンディーズ連盟2008 大同窓会」と
名付けたフィルムコンサート開催を発表。チケットには当時の必須アイテムだった「紙テープ」が付録される。
21日「漫才師・青空球児が『二代目デン助』襲名へ」
コメディアン・大宮敏充が浅草・松竹演芸場を拠点に繰り広げ、テレビ朝日の中継番組も人気を
得た人情喜劇一座「デン助劇団」が、1973(昭和48)年解散以来35年ぶりに復活。
2代目座長の青空球児は『ゲロゲーロ』を封印し、古き良き関東喜劇継承を誓った。
26日「笑福亭鶴光、元弟子に脅迫される」
東京・新宿署は、笑福亭鶴光門下にあった元落語家(35歳)を脅迫容疑で逮捕。
普段の素行不具合を理由に破門されその腹いせに、鶴光師が所属する「落語芸術協会」
(会長・桂歌丸)事務局などに脅迫電話を。
笑福亭仁鶴師と朝日放送・加藤明子アナウンサーの掛け合いによる昭和振り返り史な30分。この日の放送は「昭和45年」を振り返る。
大阪万博に沸いた好景気を演芸界で支えた仁鶴師が、まさに牽引したといっても過言ではないラジオの深夜放送ブームもこのころ。なかでも同局で放送されていた「ABCヤングリクエスト」(ABCラジオ/1966〜1986年)は渦中の王座的番組にあり、そのなかのミニコーナー「仁鶴頭のマッサージ」は毎日の放送、留まるところを知らない投稿ハガキの数々を速射砲のように読み上げる仁鶴師をしゃべくりも相俟ってたちまち人気コーナーへと成長する。月曜から日曜日までの放送、当初は生放送で送るも、次第と仁鶴人気がヒートアップ。スケジュールの都合で後期は録音番組となるも、長らく変わらぬ支持を集め続けた…。
以上は、後の、物の著書などで知る限りの知識。リアルタイムには全然間に合わなかったのが、今までずっと惜しんでいた。
それはともかく、その朝日放送がこのたび元の大阪大学病院跡地に移転が決まり、新社屋もほぼ完成。折しも引越し作業中、何と当時の録音テープが1本、ディス・イズ・大発見やぁ〜!
この日の「〜楽書き帳」ではこれを記念して、当時の放送が何とフルサイズ・ノーカットで放送され、思わず耳を傾けた。
当時の雰囲気を醸すべく、「ヤンリク」同様、ディスクジョッキーのアナウンサーが別スタジオの仁鶴師を呼び出すところを再現。当時これを担当していたのが、現在の「おはようパーソナリティー・道上洋三です」…若き日の道上洋三アナウンサーら。今回は加藤アナがこれを再現し、「仁鶴さ〜ん」の掛け声でテープ、再生スタート。
当時「ヤンリク」は夜11時10分放送開始で、午前0時過ぎにこの「〜頭のマッサージ」は放送されていたそうな。今回の番組スタッフも、10分前後のコーナーかといざフタを開けてみれば、何と15分番組。何やたった5分の記憶違いかいなとさぁ、このテープを拝聴してみたところ、もう、これは…スゴイ。驚愕の一語に尽きる。
リスナーから送られてきたハガキは、「早口言葉」「珍漢和辞典」「替え歌コーナー」「折り込み道案内」などなど、今の大喜利の定番であるネタハガキ。「早口言葉」や「替え歌」は文字通りそのまま。「珍漢和〜」は、漢字の部首、例えば「月へん」に「うさぎ」と書いて「もちつき」…あ、なるほどネ!。「月へん」に「便所」と書いて「ウンのつき」…なんてぇことをネ!…といった具合に。また、「折り込み道案内」は「病院の行き方教えてください」とやって、「それはなかなか難しいて、胃炎(言えん)が、よう聞きや。この先を盲腸っと(もうちょっと)行ったらば…」などなど、行き先、この場合、病院なら、医療用語のダジャレをたくさん放り込んで、ひとつの会話に仕立て上げるといったコーナー。いわゆる「おやじギャグ」の先駆だ。
そんな山のように送られてきたネタを、「ちゃんちゃこ」やら「なんてぇことをネ!」、「ウレシカルカル」などなど、若き日の仁鶴節をふんだんに盛り込みながら、それはもう微塵の淀みもなくまるで台本を読んでいるかのごとく流暢なフリージョッキーで次から次へ、しかもめいっぱいな声のボリューム、ハイテンションなままに急き立つように読み上げていく…。
噂に聞いたそのおしゃべりスタイル。当時30代半ばの快調ぶり。今回、初めて聴けて新鮮…というよりも感動を覚えてしまった。矢継ぎ早、見事なまでの、話芸の芸術である。
テープを聴きながら、ひょっとして、次は?次は?…。いわゆるいつ「言葉を噛む」かとハラハラしながらも、これがまた決して噛まない。例え噛んだとしても、その轍を振り返ることなく、「ジンギスカン!」や「ヘモグロビン!」といったワケのわからぬ単語を放り込みながらわき目も振らず猪突猛進。言葉の短距離走はさらに加速していく。あまりに加速しすぎて、当の仁鶴師も、
「舌がちりめんじゃこみたいになって真っ赤いけになりそうや!」
アハハ、「舌がちめんじゃこ」て!(笑)
このテープが放送されたのは、明け方の5時過ぎ。にも関わらず、こちらの手は汗でグッショリ。ある意味で心地良い、疲労感でもある。こんなラジオは今、無い。深夜ラジオの先駆であると同時に、まさに「仁鶴の前に仁鶴なし、仁鶴のあとにも仁鶴なし。仁鶴は仁鶴で三角にあらず。顔見りゃ四角と誰ゾが言うた!」。
再生がひとしきり終わり、再び今のスタジオ。加藤アナも同じ喋り手としてやはり感動を覚えていたようだ。
「若さとね。それと一種のサービス精神ですわな。ディレクターさんにハガキを5枚ぐらい渡されて、
『これを15分間使って、オモシロオカシク読みなさい』と。これが読めなんだら、あとでムチで
叩かれますねん(笑)。とにかくそれぐらい必死になって、送ってきてくれた方の
意図以上のもんをコッチでこしらえようと思いましたわな」(要約)。
何度も言うが、頭から最後までのべつまくなしハイテンション。例え15分番組でも一週間ぶち抜きでしかも何年も続いたせいで、さらには人気が加速してテレビや舞台に走りまわるなかで、当時仁鶴師は、数えられないほどのポリープを患ったという。
そこまでして身を削りながら、今の吉本興業、そして落語界隆盛の基盤を築き上げた。書物などではその証が記録として残っていても、こうして実際に例えたった1本のテープながらも音源が残され、また今回のように公開されると、その証はさらに神々しく迫り来る。
「仁鶴頭のマッサージ」。演芸界の、ラジオ界の貴重でしかも大きな財産である。仁鶴師の若き日の、「素晴らしい仕事ぶり」を聴かせて…いや、見せていただいてとてもウレシカルカル〜。
それにしても、30代半ば…。ちょうど今の私めの年齢あたりか。いくら落語家ではないとはいえ、あのようなスピード感…今の自分にはまったく、持ち合わせてないと言っても良い。
何だかちょっと、悲しカルカル…(T_T)。
大阪万博に沸いた好景気を演芸界で支えた仁鶴師が、まさに牽引したといっても過言ではないラジオの深夜放送ブームもこのころ。なかでも同局で放送されていた「ABCヤングリクエスト」(ABCラジオ/1966〜1986年)は渦中の王座的番組にあり、そのなかのミニコーナー「仁鶴頭のマッサージ」は毎日の放送、留まるところを知らない投稿ハガキの数々を速射砲のように読み上げる仁鶴師をしゃべくりも相俟ってたちまち人気コーナーへと成長する。月曜から日曜日までの放送、当初は生放送で送るも、次第と仁鶴人気がヒートアップ。スケジュールの都合で後期は録音番組となるも、長らく変わらぬ支持を集め続けた…。
以上は、後の、物の著書などで知る限りの知識。リアルタイムには全然間に合わなかったのが、今までずっと惜しんでいた。
それはともかく、その朝日放送がこのたび元の大阪大学病院跡地に移転が決まり、新社屋もほぼ完成。折しも引越し作業中、何と当時の録音テープが1本、ディス・イズ・大発見やぁ〜!
この日の「〜楽書き帳」ではこれを記念して、当時の放送が何とフルサイズ・ノーカットで放送され、思わず耳を傾けた。
当時の雰囲気を醸すべく、「ヤンリク」同様、ディスクジョッキーのアナウンサーが別スタジオの仁鶴師を呼び出すところを再現。当時これを担当していたのが、現在の「おはようパーソナリティー・道上洋三です」…若き日の道上洋三アナウンサーら。今回は加藤アナがこれを再現し、「仁鶴さ〜ん」の掛け声でテープ、再生スタート。
当時「ヤンリク」は夜11時10分放送開始で、午前0時過ぎにこの「〜頭のマッサージ」は放送されていたそうな。今回の番組スタッフも、10分前後のコーナーかといざフタを開けてみれば、何と15分番組。何やたった5分の記憶違いかいなとさぁ、このテープを拝聴してみたところ、もう、これは…スゴイ。驚愕の一語に尽きる。
リスナーから送られてきたハガキは、「早口言葉」「珍漢和辞典」「替え歌コーナー」「折り込み道案内」などなど、今の大喜利の定番であるネタハガキ。「早口言葉」や「替え歌」は文字通りそのまま。「珍漢和〜」は、漢字の部首、例えば「月へん」に「うさぎ」と書いて「もちつき」…あ、なるほどネ!。「月へん」に「便所」と書いて「ウンのつき」…なんてぇことをネ!…といった具合に。また、「折り込み道案内」は「病院の行き方教えてください」とやって、「それはなかなか難しいて、胃炎(言えん)が、よう聞きや。この先を盲腸っと(もうちょっと)行ったらば…」などなど、行き先、この場合、病院なら、医療用語のダジャレをたくさん放り込んで、ひとつの会話に仕立て上げるといったコーナー。いわゆる「おやじギャグ」の先駆だ。そんな山のように送られてきたネタを、「ちゃんちゃこ」やら「なんてぇことをネ!」、「ウレシカルカル」などなど、若き日の仁鶴節をふんだんに盛り込みながら、それはもう微塵の淀みもなくまるで台本を読んでいるかのごとく流暢なフリージョッキーで次から次へ、しかもめいっぱいな声のボリューム、ハイテンションなままに急き立つように読み上げていく…。
噂に聞いたそのおしゃべりスタイル。当時30代半ばの快調ぶり。今回、初めて聴けて新鮮…というよりも感動を覚えてしまった。矢継ぎ早、見事なまでの、話芸の芸術である。
テープを聴きながら、ひょっとして、次は?次は?…。いわゆるいつ「言葉を噛む」かとハラハラしながらも、これがまた決して噛まない。例え噛んだとしても、その轍を振り返ることなく、「ジンギスカン!」や「ヘモグロビン!」といったワケのわからぬ単語を放り込みながらわき目も振らず猪突猛進。言葉の短距離走はさらに加速していく。あまりに加速しすぎて、当の仁鶴師も、
「舌がちりめんじゃこみたいになって真っ赤いけになりそうや!」
アハハ、「舌がちめんじゃこ」て!(笑)
このテープが放送されたのは、明け方の5時過ぎ。にも関わらず、こちらの手は汗でグッショリ。ある意味で心地良い、疲労感でもある。こんなラジオは今、無い。深夜ラジオの先駆であると同時に、まさに「仁鶴の前に仁鶴なし、仁鶴のあとにも仁鶴なし。仁鶴は仁鶴で三角にあらず。顔見りゃ四角と誰ゾが言うた!」。再生がひとしきり終わり、再び今のスタジオ。加藤アナも同じ喋り手としてやはり感動を覚えていたようだ。
「若さとね。それと一種のサービス精神ですわな。ディレクターさんにハガキを5枚ぐらい渡されて、
『これを15分間使って、オモシロオカシク読みなさい』と。これが読めなんだら、あとでムチで
叩かれますねん(笑)。とにかくそれぐらい必死になって、送ってきてくれた方の
意図以上のもんをコッチでこしらえようと思いましたわな」(要約)。
何度も言うが、頭から最後までのべつまくなしハイテンション。例え15分番組でも一週間ぶち抜きでしかも何年も続いたせいで、さらには人気が加速してテレビや舞台に走りまわるなかで、当時仁鶴師は、数えられないほどのポリープを患ったという。
そこまでして身を削りながら、今の吉本興業、そして落語界隆盛の基盤を築き上げた。書物などではその証が記録として残っていても、こうして実際に例えたった1本のテープながらも音源が残され、また今回のように公開されると、その証はさらに神々しく迫り来る。
「仁鶴頭のマッサージ」。演芸界の、ラジオ界の貴重でしかも大きな財産である。仁鶴師の若き日の、「素晴らしい仕事ぶり」を聴かせて…いや、見せていただいてとてもウレシカルカル〜。
それにしても、30代半ば…。ちょうど今の私めの年齢あたりか。いくら落語家ではないとはいえ、あのようなスピード感…今の自分にはまったく、持ち合わせてないと言っても良い。
何だかちょっと、悲しカルカル…(T_T)。
昨年10月より半年に渡って放送された、連続テレビ小説「ちりとてちん」(NHK総合ほか)がいよいよ本日最終回を迎えた。
女流落語家、立身出世物語、実在の落語家さんのエピソードやら上方落語の演目が放り込まれたこともあって、毎日HDDに録画しつつ見せてもらった。当座は「うんうん、あるある」とニンマリしながら、「そうそう、コレコレ!」と張巡らされたドラマの伏線も相俟って、落語ファンとしてはグッと迫るものもあったが、どうも途中からは、「コレはアヤシイぞ??」。
アヤシイというか、以前にもここで書いた通り、「あ、ズッコイなぁ〜」…・
要するに実在のエピソードのオイシイとこどり、上手く物語にまぶしたところの、もちろん絶妙ながらも、事実は小説より奇なり。あくまでも作り物として楽しもうと決め込んでいたにも関わらず、生々しさの方が勝ってしまった。物語でいえばどのあたりか。恐らく、主人公たちの師匠である、徒然亭草若(渡瀬恒彦)が亡くなってしまう、前後か。
かつて公演を行った主人公・喜代美(貫地谷しほり)の故郷でもある福井県、小浜。そのときの公演に感化された喜代美の父・小太郎(松重豊)が、割り箸職人であった祖父(米倉斉加年)の下へ弟子入りを決意させ、また、その模様を録音したテープ(古典落語の『愛宕山』)がキッカケとなり、後年、喜代美が落語家を志すという物語の、いわば主人公と落語を結びつける重要な設定の場。そんな小浜に草若が数十年ぶりに公演に訪れ、喜代美こと愛弟子・徒然亭若狭の実家に訪れて…というエピソードは、物語の折り返し地点でもあった。
喜代美(若狭)の実家。懐かしい小浜の空気を吸いながら草若、喜代美の母・糸子(和久井映見)を相手にとつとつと、若狭を含めた5人の愛弟子について述懐する。ただそれだけで一週(6日間の放送)を費やしたのが、その回。けれども、師匠の弟子への愛情が滲み出ていて、その様子はたった一人のお客(糸子)相手に名人芸を聴かせる「草若噺」といったところか。何とも噺家らしい場面。また糸子としても、故郷と大阪、「喜代美」と落語家「若狭」を繋げるべく物語の重要なキーマン(女性なのに『キーウーマン』か?)役が決定付けられるシーンでもある。個人的には一番気に入っている。
その週の最終日では、草若が体調を崩す気配を見せ、それに気付いた糸子。翌週の放送では、帰阪後ついに入院の事態を迎え、若狭ら弟子らと共に看病に務めて…というエピソードへと繋がる。
死期を予見した草若。まさに満身創痍の状態で弟子たちに、結果的には最後の稽古を付けることになったのが、一時間を越える長講「地獄八景亡者戯(ぢごくばっけいもうじゃのたわむれ)」。死期が近づき「地獄」という連想、しかも大ネタでこの噺となったのだろう。
ところが正直言ってこの流れは見ていて、どうも納得出来なかった。
なぜなら、例え大ネタであろうが、地獄であろうが、この演目に関しては、何もそのような段階で弟子に伝える演目ではないからである。どちらかというと、内容自体も、「人生訓」であるとか、メッセージ性といった物がまるで薄く、実在の演者さんもコレを演じるときのマクラで、
「どこから聴いていただいても結構です。もうこれはアホらしい…タダ単に長いだけの噺ですので」。
実際に聴いていただければ分かるが、長いだけの噺に、古典の世界ながらそれを演じた時期の時事ネタがどれだけ放り込めるかがこの作品の勝負どころ。もちろん多くの場面を要することから、それぞれの場面の登場人物、所作や演じ分けもまた重要な部分を占める。そもそも戦後になってからは桂米朝師がそれらのパターンを少しずつ構築させ続け、今の形として若い世代に伝わっているのが、この「地獄〜」。そんな米朝師自身も、
「そういうセンスやスタミナはもうワシにはないので、コレからは若い人なりのやり方で演じていって欲しい…」
と仰る。
つまりは長講ゆえ長年の経験はもちろん、若さととにかく万全の体調である時期に、朗々と演じられるのがこの「地獄八景〜」。なので、死にかけのときに何も改まって納まり返って…という演目ではない。にも関わらず、草若がそんな時期に物語のなかに放り込んでしまった。もちろん、この演目を取り上げることによって、米朝師という、上方落語の象徴的存在を物語の裏側で押さえておく、という制作側の意図もあったのだろう。しかしそれは、無理矢理過ぎた…。そんな無理に、作り手側の自己満足が見えてしまった…とは深入りし過ぎの、言い過ぎだろうか…。
前半戦で作りこまれた物語の世界観は、後半以降、より一層の伏線を帯び、なおかつ「師匠亡き後、悲願の定席完成へ…」とやはり実在の「天満天神繁昌亭」をモデルとしたエピソードへと加速して行く。
この間、三番弟子の徒然亭小草若(茂山宗彦)は、亡き師匠でありまた実の父親でもあったことから名跡襲名を含めた様々な重圧に耐え兼ねて失踪してしまったり、また、喜代美(若狭)の両親の夫婦喧嘩騒動があったり、周辺人物のゴタゴタワチャワチャ色々。しかしそれでも、前半戦で見られた過去のエピソードが上手い具合に伏線として絡まり、何とか解決へと導くこととなる。言葉悪く言えば後半戦は「前半戦のオマケ」というか、前半戦が無ければよほど成立しないエピソードが続いた。また、回想シーンも多く盛り込まれた。それも時に有効ながらも、度が過ぎた時には物語の進行を、引き延ばすために薄く「埋めた」感も否めないが、まぁそれはそれで別にしておこう。
逆に言えば、前半で見せた、よほど練り込まれたキャラクター設定が何とか物語のエンタテイメント性を保ち続けたのは、このドラマの感服すべきところでもある。
そんななかで女流落語家として成長を見せた主人公・若狭。そして彼女を含めた上方落語家悲願の定席「ひぐらし亭」、完成を迎えた放送25週目、そして今週の26週目=最終週。
亡き師匠の勧めによって創作落語へ身を転じ(ここらあたりは桂あやめ師がモデルとなっているが、ドラマのなかでの身の転じ方は、やはりちょっと無理があった)、夫である兄弟子・徒然亭草々(青木崇高)には弟子も育ち、また二人の間には子供も授かった。若狭は完成後の定席出演、初めての高座では創作ではなく、入門のキッカケとなった古典落語『愛宕山』を演じて見事、天国の師匠へのレクイエムを果たす。これもう手放しに良かったなぁで、若狭に対してもさらなる飛躍を期待された…その矢先に、
「ええ、皆さんどうもありがとうございました」
素直と高座を降りない若狭。満席の客席には両親や家族、馴染みの登場人物オールスター、思わず息を呑むなか、
「この演目を持ちまして、私にとってのコレが最後の高座にしたいと思います」
このときまだ、若狭のお腹には子供を宿した状態にあり、産休ならまだしも、何と、引退宣言をのたまいよった。うん、確かにのたまいよったのである。これはもうドラマの視聴者というよりも、その寄席の客であり落語ファンとして呆れて、モノ言うてます(何やかや言いつつもそこまで引き込まれていた 笑)
ドラマのなかでも兄弟子ら周囲の人間は何もそこまで…と引止めにかかるが、当人の腹、出っ張りながらも、「座ってる」ようだ。曰く、
「愛してきた落語界、草々のお弟子さんや産まれて来るこの子のお母さん、おかみさんになりたい」
これには参った。女芸人、所詮最後は結婚、子が出来たらシマイなんかい…と。同時に、子供が出来ても芸人として頑張っている、いや実際の落語家さんもたくさん居られる。それだけならまだしも、当人に言わせれば、
「私を産んでくれた、お母ちゃん(糸子)みたいになりたいの!」
元来、喜代美という女の子は、同姓同名で周囲に華やかに持て囃された「清海(きよみ)」(佐藤めぐみ)の対極にあり、清海は「A子」、喜代美は「B子」というあだ名がついて、以来、文字通り「B面人生」を歩む事となり、その劣等感を打破すべく、落語家へ志した…という設定だ。以来、何かにつけて挫折したときは、地元の友人(順子)の助言に頼りながらなど、何かにつけて自分以外の動向への依存人生でもあった。
B面人生…「お母さんちゃんみたいな平凡な人生はイヤやの!」と飛び出して落語家、そして花開いた最終が、
「お母ちゃんみたいになりたいの!」
あまりにもあまりだ。それまでは絶妙であった物語の伏線も最後はとんでもないところに「張り付いた」という印象。呆気に取られた。
人生色々、人の価値観や幸福感もいろいろ。ましてや男と女、その違いは大いにそれぞれ。それでもこうして落語を題材にしたドラマ。実在のエピソードを盛り込みつつ、どんなサゲが待ってるかと期待していたら、
「あ、今までのはみんな、夢でした」
まるで夢オチだ。夢オチというのは、中身で散々練られたネタが行きつくところまで行きついて爆笑をさらうようなネタでも、結局メッセージ性や物語のテーマが伝えきれずに、何とか無理矢理締めなければならない段になったときの、苦肉の策と言っても良い。なので、あからさまにそんなネタを演じるときは、大概、
「ワーワー言うとりますうちに、お時間です」
と下りる場合が多い。
「こないだこんなことがあってな。それにこんなこともあって、あんなこともあって、それからなぁ…」
聴く方も次はどうなると期待しながら聴いていたら、
「…という夢を見てン。今までのは皆、夢の話やがな」
とやられたらガッカリ来るでしょ?。ソレである。
主人公の夢中なまでの落語家としての半生が、一瞬にして否定されてしまったような。散々、「愛宕山」やら「はてなの茶碗」がどうした、やれ「古典や創作や」、やれ「襲名問題」がモメたどうした、「定席」やわ何やわと、落語界のことを触れておきながら、最後はソレかい。何も「女性としての幸せ」を否定しているのではない。でもそれをキッカケに「最後の高座」はないやろうて。ましてや「お弟子さんのための、おかみさんにもなりたい」。おかみさんとは、妙な「未練」を。どうせならスッパリ落語とは縁を切りさらせィ!、とも言いたくなる。
そんな外野の嘆きも既に終えられた撮影。最終回ラストシーンは、我が子を出産したところ、喜代美の安堵の表情。
腑に落ちんまま、それでも上沼恵美子さんのナレーションは物語の続編が伺えるようなフシもあった。上沼さんのナレーションは、数年後の主人公喜代美本人。若き日の様子を俯瞰で捉えている口調なので…て、ん?…まさか!…そうか!?
その上沼さんも落語ではないが、漫才コンビ「海原千里・万里」という輝かしい足跡を残しながら結婚、出産で一旦引退。その後再び芸界へ復帰された。ということは、そうか、これは続編、絶対あるな!
よぉし、分かった。ナレーション起用にまでそこまでヤルのなるなら、こうなったらトコトン勝負や。続編でキッチリ、カタ付けてもらおやないかい!。
ワーワー言うとります…と落語ではそれも許されても、ドラマではそれは許されまへんで。そやないと、この半年間が無駄に終わってしまう。
「ようこそのお付き合い」…何やら長いお付き合いになりそうな…。今作の変な納得と、続編への妙な期待感を、抱かずにはおられないのですが…は・て・な??
女流落語家、立身出世物語、実在の落語家さんのエピソードやら上方落語の演目が放り込まれたこともあって、毎日HDDに録画しつつ見せてもらった。当座は「うんうん、あるある」とニンマリしながら、「そうそう、コレコレ!」と張巡らされたドラマの伏線も相俟って、落語ファンとしてはグッと迫るものもあったが、どうも途中からは、「コレはアヤシイぞ??」。
アヤシイというか、以前にもここで書いた通り、「あ、ズッコイなぁ〜」…・
要するに実在のエピソードのオイシイとこどり、上手く物語にまぶしたところの、もちろん絶妙ながらも、事実は小説より奇なり。あくまでも作り物として楽しもうと決め込んでいたにも関わらず、生々しさの方が勝ってしまった。物語でいえばどのあたりか。恐らく、主人公たちの師匠である、徒然亭草若(渡瀬恒彦)が亡くなってしまう、前後か。
かつて公演を行った主人公・喜代美(貫地谷しほり)の故郷でもある福井県、小浜。そのときの公演に感化された喜代美の父・小太郎(松重豊)が、割り箸職人であった祖父(米倉斉加年)の下へ弟子入りを決意させ、また、その模様を録音したテープ(古典落語の『愛宕山』)がキッカケとなり、後年、喜代美が落語家を志すという物語の、いわば主人公と落語を結びつける重要な設定の場。そんな小浜に草若が数十年ぶりに公演に訪れ、喜代美こと愛弟子・徒然亭若狭の実家に訪れて…というエピソードは、物語の折り返し地点でもあった。
喜代美(若狭)の実家。懐かしい小浜の空気を吸いながら草若、喜代美の母・糸子(和久井映見)を相手にとつとつと、若狭を含めた5人の愛弟子について述懐する。ただそれだけで一週(6日間の放送)を費やしたのが、その回。けれども、師匠の弟子への愛情が滲み出ていて、その様子はたった一人のお客(糸子)相手に名人芸を聴かせる「草若噺」といったところか。何とも噺家らしい場面。また糸子としても、故郷と大阪、「喜代美」と落語家「若狭」を繋げるべく物語の重要なキーマン(女性なのに『キーウーマン』か?)役が決定付けられるシーンでもある。個人的には一番気に入っている。
その週の最終日では、草若が体調を崩す気配を見せ、それに気付いた糸子。翌週の放送では、帰阪後ついに入院の事態を迎え、若狭ら弟子らと共に看病に務めて…というエピソードへと繋がる。
死期を予見した草若。まさに満身創痍の状態で弟子たちに、結果的には最後の稽古を付けることになったのが、一時間を越える長講「地獄八景亡者戯(ぢごくばっけいもうじゃのたわむれ)」。死期が近づき「地獄」という連想、しかも大ネタでこの噺となったのだろう。
ところが正直言ってこの流れは見ていて、どうも納得出来なかった。
なぜなら、例え大ネタであろうが、地獄であろうが、この演目に関しては、何もそのような段階で弟子に伝える演目ではないからである。どちらかというと、内容自体も、「人生訓」であるとか、メッセージ性といった物がまるで薄く、実在の演者さんもコレを演じるときのマクラで、
「どこから聴いていただいても結構です。もうこれはアホらしい…タダ単に長いだけの噺ですので」。
実際に聴いていただければ分かるが、長いだけの噺に、古典の世界ながらそれを演じた時期の時事ネタがどれだけ放り込めるかがこの作品の勝負どころ。もちろん多くの場面を要することから、それぞれの場面の登場人物、所作や演じ分けもまた重要な部分を占める。そもそも戦後になってからは桂米朝師がそれらのパターンを少しずつ構築させ続け、今の形として若い世代に伝わっているのが、この「地獄〜」。そんな米朝師自身も、
「そういうセンスやスタミナはもうワシにはないので、コレからは若い人なりのやり方で演じていって欲しい…」
と仰る。
つまりは長講ゆえ長年の経験はもちろん、若さととにかく万全の体調である時期に、朗々と演じられるのがこの「地獄八景〜」。なので、死にかけのときに何も改まって納まり返って…という演目ではない。にも関わらず、草若がそんな時期に物語のなかに放り込んでしまった。もちろん、この演目を取り上げることによって、米朝師という、上方落語の象徴的存在を物語の裏側で押さえておく、という制作側の意図もあったのだろう。しかしそれは、無理矢理過ぎた…。そんな無理に、作り手側の自己満足が見えてしまった…とは深入りし過ぎの、言い過ぎだろうか…。
前半戦で作りこまれた物語の世界観は、後半以降、より一層の伏線を帯び、なおかつ「師匠亡き後、悲願の定席完成へ…」とやはり実在の「天満天神繁昌亭」をモデルとしたエピソードへと加速して行く。
この間、三番弟子の徒然亭小草若(茂山宗彦)は、亡き師匠でありまた実の父親でもあったことから名跡襲名を含めた様々な重圧に耐え兼ねて失踪してしまったり、また、喜代美(若狭)の両親の夫婦喧嘩騒動があったり、周辺人物のゴタゴタワチャワチャ色々。しかしそれでも、前半戦で見られた過去のエピソードが上手い具合に伏線として絡まり、何とか解決へと導くこととなる。言葉悪く言えば後半戦は「前半戦のオマケ」というか、前半戦が無ければよほど成立しないエピソードが続いた。また、回想シーンも多く盛り込まれた。それも時に有効ながらも、度が過ぎた時には物語の進行を、引き延ばすために薄く「埋めた」感も否めないが、まぁそれはそれで別にしておこう。
逆に言えば、前半で見せた、よほど練り込まれたキャラクター設定が何とか物語のエンタテイメント性を保ち続けたのは、このドラマの感服すべきところでもある。
そんななかで女流落語家として成長を見せた主人公・若狭。そして彼女を含めた上方落語家悲願の定席「ひぐらし亭」、完成を迎えた放送25週目、そして今週の26週目=最終週。
亡き師匠の勧めによって創作落語へ身を転じ(ここらあたりは桂あやめ師がモデルとなっているが、ドラマのなかでの身の転じ方は、やはりちょっと無理があった)、夫である兄弟子・徒然亭草々(青木崇高)には弟子も育ち、また二人の間には子供も授かった。若狭は完成後の定席出演、初めての高座では創作ではなく、入門のキッカケとなった古典落語『愛宕山』を演じて見事、天国の師匠へのレクイエムを果たす。これもう手放しに良かったなぁで、若狭に対してもさらなる飛躍を期待された…その矢先に、
「ええ、皆さんどうもありがとうございました」
素直と高座を降りない若狭。満席の客席には両親や家族、馴染みの登場人物オールスター、思わず息を呑むなか、
「この演目を持ちまして、私にとってのコレが最後の高座にしたいと思います」
このときまだ、若狭のお腹には子供を宿した状態にあり、産休ならまだしも、何と、引退宣言をのたまいよった。うん、確かにのたまいよったのである。これはもうドラマの視聴者というよりも、その寄席の客であり落語ファンとして呆れて、モノ言うてます(何やかや言いつつもそこまで引き込まれていた 笑)
ドラマのなかでも兄弟子ら周囲の人間は何もそこまで…と引止めにかかるが、当人の腹、出っ張りながらも、「座ってる」ようだ。曰く、
「愛してきた落語界、草々のお弟子さんや産まれて来るこの子のお母さん、おかみさんになりたい」
これには参った。女芸人、所詮最後は結婚、子が出来たらシマイなんかい…と。同時に、子供が出来ても芸人として頑張っている、いや実際の落語家さんもたくさん居られる。それだけならまだしも、当人に言わせれば、
「私を産んでくれた、お母ちゃん(糸子)みたいになりたいの!」
元来、喜代美という女の子は、同姓同名で周囲に華やかに持て囃された「清海(きよみ)」(佐藤めぐみ)の対極にあり、清海は「A子」、喜代美は「B子」というあだ名がついて、以来、文字通り「B面人生」を歩む事となり、その劣等感を打破すべく、落語家へ志した…という設定だ。以来、何かにつけて挫折したときは、地元の友人(順子)の助言に頼りながらなど、何かにつけて自分以外の動向への依存人生でもあった。
B面人生…「お母さんちゃんみたいな平凡な人生はイヤやの!」と飛び出して落語家、そして花開いた最終が、
「お母ちゃんみたいになりたいの!」
あまりにもあまりだ。それまでは絶妙であった物語の伏線も最後はとんでもないところに「張り付いた」という印象。呆気に取られた。
人生色々、人の価値観や幸福感もいろいろ。ましてや男と女、その違いは大いにそれぞれ。それでもこうして落語を題材にしたドラマ。実在のエピソードを盛り込みつつ、どんなサゲが待ってるかと期待していたら、
「あ、今までのはみんな、夢でした」
まるで夢オチだ。夢オチというのは、中身で散々練られたネタが行きつくところまで行きついて爆笑をさらうようなネタでも、結局メッセージ性や物語のテーマが伝えきれずに、何とか無理矢理締めなければならない段になったときの、苦肉の策と言っても良い。なので、あからさまにそんなネタを演じるときは、大概、
「ワーワー言うとりますうちに、お時間です」
と下りる場合が多い。
「こないだこんなことがあってな。それにこんなこともあって、あんなこともあって、それからなぁ…」
聴く方も次はどうなると期待しながら聴いていたら、
「…という夢を見てン。今までのは皆、夢の話やがな」
とやられたらガッカリ来るでしょ?。ソレである。
主人公の夢中なまでの落語家としての半生が、一瞬にして否定されてしまったような。散々、「愛宕山」やら「はてなの茶碗」がどうした、やれ「古典や創作や」、やれ「襲名問題」がモメたどうした、「定席」やわ何やわと、落語界のことを触れておきながら、最後はソレかい。何も「女性としての幸せ」を否定しているのではない。でもそれをキッカケに「最後の高座」はないやろうて。ましてや「お弟子さんのための、おかみさんにもなりたい」。おかみさんとは、妙な「未練」を。どうせならスッパリ落語とは縁を切りさらせィ!、とも言いたくなる。
そんな外野の嘆きも既に終えられた撮影。最終回ラストシーンは、我が子を出産したところ、喜代美の安堵の表情。
腑に落ちんまま、それでも上沼恵美子さんのナレーションは物語の続編が伺えるようなフシもあった。上沼さんのナレーションは、数年後の主人公喜代美本人。若き日の様子を俯瞰で捉えている口調なので…て、ん?…まさか!…そうか!?
その上沼さんも落語ではないが、漫才コンビ「海原千里・万里」という輝かしい足跡を残しながら結婚、出産で一旦引退。その後再び芸界へ復帰された。ということは、そうか、これは続編、絶対あるな!
よぉし、分かった。ナレーション起用にまでそこまでヤルのなるなら、こうなったらトコトン勝負や。続編でキッチリ、カタ付けてもらおやないかい!。
ワーワー言うとります…と落語ではそれも許されても、ドラマではそれは許されまへんで。そやないと、この半年間が無駄に終わってしまう。
「ようこそのお付き合い」…何やら長いお付き合いになりそうな…。今作の変な納得と、続編への妙な期待感を、抱かずにはおられないのですが…は・て・な??
数日前からテレビで流れ出したコマーシャル。ちょっと気になる。というか大いに今やお気に入りの一編は、森三中・村上知子さんが出演するサントリー野菜飲料「野菜カロリー計画」。
新婦の友人として披露宴に出席、振袖姿の村上さんが、友人のためにはなむけの歌を披露。
♪あのね、
野菜ジュースのカロリーは
意外に高い〜、高いよ〜
びっくらこいた〜 びっくらこいたぁ〜
思わず新婦、「この歌、好き」と感激したところで次のカット、会場そばの公園では披露宴出席の女性たち、全員野菜ジュースを飲んでいて、村上さんは振袖を着たまま、電線のスズメのように公園の鉄棒に掴まりながら遠くを見つめ、「いい(羨ましい)なぁ〜」。
登場の人物相関やら女性陣の心情やら、そして何より商品のキャッチコピーがこれまた実にわかりやすいCMソングにと、15秒のなかに伝えたいメッセージがすべて納まっていて見事な出来映え、作品だと思います。
そのなかでも、村上さんのCMソングがすごく、良い。メロディも詞も、そして歌声も。以来、頭のなかで何度も何度も、
♪びっくらこいた、びっくらこいたぁ〜(笑)
膨大な量のCMソング数あれど、最近は、単純に商品名を連呼するだけの、連呼だけならまだしも、それを歌ってるやつらの歌がヘッタクソで(笑)、逆にヘッタクソだからこそマネしやすいのか摺り込まれるのか、とにかく頭のなかでループしてしまう…そのたびに、
「くわぁ〜、この歌、キライやのに、離れへ〜ん!」
…ひどく、落ち込む(笑)。
そんななかで、この♪びっくらこいたぁ〜…。キャラクターと相俟って、妙に和む。
あ、びっくらこいた、びっくらこいたぁ〜…とやっていたら、当の村上さん、本日、電撃入籍発表。
びっくらこいた、びっくらこいたぁ〜♪
訊けばお相手とは出会ってたった3週間の猛スピードゴールインとかで、これまた、
びっくらこいた、びっくらこいたぁ〜♪
ついでに言えば、その3週間のエピソードをキチンとまとめ、たまたまチャンネルがあったテレビ番組ではしっかり再現ドラマにまで仕上げていて、これまた猛チャージぶりにも驚かされた。ちなみに再現ドラマ内で村上役は、同じ森三中の黒沢かずこさん。そのドラマを見ながら、途端に一番号泣する大島美幸さんのアノ顔、笑った〜。
この数日前から流れていたCM。イイなぁと注目していたところに、この急展開。まさに明日のことは誰も分からない。
番組のなかでは村上さん、番組で共演中の女性芸人たちを個別に呼んでは、「私、結婚しました」。それを訊いた女性芸人の、まぁ、慌てようやら、驚きようやら…(笑)。
CMでは友人に羨望の眼差し一方も、私生活でこんなに早くも立場が逆転、浴びる形になろうとは。勝ち誇ってましたなぁ(笑)。けれども、そうなればなったで折角のCM、まさか「起用イメージ、覆された!」とサントリーからクレームが上がらないか心配な…。たった3週間での入籍。撮影の際は、微塵にもそんな匂い…当然なかったはず(笑)。
何から何まで、♪びっくらこいた、びっくらこいたぁ〜…。
別の意味で信憑性を帯びるフレーズですが、果たしてサントリーの動向は?。いずれにしてもオイシイのはオイシイはず。ま、何にしても飲料会社なので、何でもオイシイに越したことはない。
ちなみに、このCMには30秒バージョン。つまり歌詞には2番もあって、その歌詞…
♪でもね、
野菜ジュースの栄養は 意外に捨てられて〜いた〜
びっくらこいた〜泣きたくなったぁ〜
泣きたくなった…となるのがイイ。今までの野菜飲料のイメージに対する「裏切られた感」が何とも切ないこの一言で突いてます。加えて、ひたむきな前向きさもある。今までのことをリセットして、私頑張るワ、といった村上さんの“撮影時点における”キャラにもピッタリ(現に、実際も結婚という、『前進』を果たした)。とにかくもう、この歌詞書いた方、天才!(笑)。
この曲のメロディにプラスαして、詞も婚期ギリギリキワキワの女性の心情なんかを綴った内容に変えて(そのときは最初の『びっくらこいた』は生かしといてね)、村上さんの歌声のままにひとつの楽曲に仕上げたら、ちょっとヒットしそうな気配。いやもう、その準備はしかけてるかもしれませんな。
とにかく気になるCMに、おめでたい話題が続いて何より何より。
この結婚ネタでトーク番組などではしばらく森三中景気が続くはず。もちろんそれはそれで慶賀の至り。けれどもこのCMで聴かせた村上さんの歌声、それに黒沢さんの十八番でもある無茶ポップス&ダンス(?)。いずれも相当な達者芸。これに女芸人最強のキャラを秘めた大島さんとくれば、女芸人界、向うところ敵無し。
トークも含めたうえで、3人のキャラクターと達者さを生かした、歌ありコントあり、ショウ形式の冠バラエティ番組なんかが出来れば、きっとオモシロイと思うなぁ…。
新婦の友人として披露宴に出席、振袖姿の村上さんが、友人のためにはなむけの歌を披露。
♪あのね、野菜ジュースのカロリーは
意外に高い〜、高いよ〜
びっくらこいた〜 びっくらこいたぁ〜
思わず新婦、「この歌、好き」と感激したところで次のカット、会場そばの公園では披露宴出席の女性たち、全員野菜ジュースを飲んでいて、村上さんは振袖を着たまま、電線のスズメのように公園の鉄棒に掴まりながら遠くを見つめ、「いい(羨ましい)なぁ〜」。
登場の人物相関やら女性陣の心情やら、そして何より商品のキャッチコピーがこれまた実にわかりやすいCMソングにと、15秒のなかに伝えたいメッセージがすべて納まっていて見事な出来映え、作品だと思います。
そのなかでも、村上さんのCMソングがすごく、良い。メロディも詞も、そして歌声も。以来、頭のなかで何度も何度も、
♪びっくらこいた、びっくらこいたぁ〜(笑)
膨大な量のCMソング数あれど、最近は、単純に商品名を連呼するだけの、連呼だけならまだしも、それを歌ってるやつらの歌がヘッタクソで(笑)、逆にヘッタクソだからこそマネしやすいのか摺り込まれるのか、とにかく頭のなかでループしてしまう…そのたびに、
「くわぁ〜、この歌、キライやのに、離れへ〜ん!」
…ひどく、落ち込む(笑)。
そんななかで、この♪びっくらこいたぁ〜…。キャラクターと相俟って、妙に和む。
あ、びっくらこいた、びっくらこいたぁ〜…とやっていたら、当の村上さん、本日、電撃入籍発表。
びっくらこいた、びっくらこいたぁ〜♪
訊けばお相手とは出会ってたった3週間の猛スピードゴールインとかで、これまた、
びっくらこいた、びっくらこいたぁ〜♪
ついでに言えば、その3週間のエピソードをキチンとまとめ、たまたまチャンネルがあったテレビ番組ではしっかり再現ドラマにまで仕上げていて、これまた猛チャージぶりにも驚かされた。ちなみに再現ドラマ内で村上役は、同じ森三中の黒沢かずこさん。そのドラマを見ながら、途端に一番号泣する大島美幸さんのアノ顔、笑った〜。
この数日前から流れていたCM。イイなぁと注目していたところに、この急展開。まさに明日のことは誰も分からない。
番組のなかでは村上さん、番組で共演中の女性芸人たちを個別に呼んでは、「私、結婚しました」。それを訊いた女性芸人の、まぁ、慌てようやら、驚きようやら…(笑)。
CMでは友人に羨望の眼差し一方も、私生活でこんなに早くも立場が逆転、浴びる形になろうとは。勝ち誇ってましたなぁ(笑)。けれども、そうなればなったで折角のCM、まさか「起用イメージ、覆された!」とサントリーからクレームが上がらないか心配な…。たった3週間での入籍。撮影の際は、微塵にもそんな匂い…当然なかったはず(笑)。
何から何まで、♪びっくらこいた、びっくらこいたぁ〜…。
別の意味で信憑性を帯びるフレーズですが、果たしてサントリーの動向は?。いずれにしてもオイシイのはオイシイはず。ま、何にしても飲料会社なので、何でもオイシイに越したことはない。
ちなみに、このCMには30秒バージョン。つまり歌詞には2番もあって、その歌詞…
♪でもね、
野菜ジュースの栄養は 意外に捨てられて〜いた〜
びっくらこいた〜泣きたくなったぁ〜
泣きたくなった…となるのがイイ。今までの野菜飲料のイメージに対する「裏切られた感」が何とも切ないこの一言で突いてます。加えて、ひたむきな前向きさもある。今までのことをリセットして、私頑張るワ、といった村上さんの“撮影時点における”キャラにもピッタリ(現に、実際も結婚という、『前進』を果たした)。とにかくもう、この歌詞書いた方、天才!(笑)。
この曲のメロディにプラスαして、詞も婚期ギリギリキワキワの女性の心情なんかを綴った内容に変えて(そのときは最初の『びっくらこいた』は生かしといてね)、村上さんの歌声のままにひとつの楽曲に仕上げたら、ちょっとヒットしそうな気配。いやもう、その準備はしかけてるかもしれませんな。
とにかく気になるCMに、おめでたい話題が続いて何より何より。
この結婚ネタでトーク番組などではしばらく森三中景気が続くはず。もちろんそれはそれで慶賀の至り。けれどもこのCMで聴かせた村上さんの歌声、それに黒沢さんの十八番でもある無茶ポップス&ダンス(?)。いずれも相当な達者芸。これに女芸人最強のキャラを秘めた大島さんとくれば、女芸人界、向うところ敵無し。
トークも含めたうえで、3人のキャラクターと達者さを生かした、歌ありコントあり、ショウ形式の冠バラエティ番組なんかが出来れば、きっとオモシロイと思うなぁ…。
こんな新刊がおまんねや。
お亡くなりになって6年半。未だにこの古今亭志ん朝師に関する追悼本や、落語に関する検証本、またお弟子さんや仲間の皆さんによって語られるエピソード集といった書物が続々と書店を賑わすなかで、とうとう出た、ついに出た。フラリで立ち寄る書店の落語コーナーめっけもん!という感じの新刊。江戸落語の至宝でありながら、志ん朝師が愛して止まなかった上方でのエピソード満載。タイトルもそのものズバリ、「志ん朝と上方」。
お亡くなりになったのは秋、10月なので季節的に偲ぶのはやや時期ハズレなのかもしれませんが、陽春5月になると毎年、来阪で名人芸を聴かせてくれた志ん朝師。ミナミのトリイホールから神戸の東西名人会、さらには河内長野の方でも、桂春団治、笑福亭仁鶴、林家染丸、月亭八方ら各師との二人会も恒例で、浪花の春に欠かせなかったのが志ん朝師。なので、この時期にこういう新刊が並ぶと思わず嬉しく、懐かしく、そして寂しくもある。何せ、ある年の5月は、以上の上方での会すべて、志ん朝師を追っかけた、追っかけた。ラジオで初めて聴いた、何ともリズミカルで心地良いメロディ、そしてアノ、口跡サッパリ江戸前の、とにかく上方落語には無い薄味なのに、上方以上にサービス精神も満点。色んな人の「落語は志ん朝だよ」という評判も手伝って、実際にナマでその姿(河内長野・ラブリーホールでしたっけか)を見たときはゾッコン。まさに「朝サマ」、「神様」。江戸のみならず全落語界、随一の宝がありました。
そんな思い出も過る今回の著書では、志ん朝師ゆかりの上方落語家陣がインタビュー形式でエピソード披露。二人会で競演した春団治師、仁鶴師はもちろん、毎年8月の東京・浅草演芸ホールの恒例行事、志ん朝師が主宰した『住吉踊り』に上方から最初に合流した露の五郎兵衛師に、志ん朝師上方の会ではほとんどその下座を務めた、お囃子で女道楽の、内海英華師、以上の皆さん。ほかにも、「志ん朝」を語りたい上方の落語家さんは山ほどおられる中で、磐石の人選、絶妙のベストチョイス。
春団治師は、お互いに落語家の倅同士の苦楽や、もちろん落語に関する芸談から心構えを。仁鶴師はお互い「仁鶴やん」「師匠」と呼び合うも、志ん朝師は「友人の仁鶴君です」と呼んでくれたことに恐縮しながらも嬉しそうに。また、マスコミで名を売った互いの比較や、春団治師の章でも語られた、上方での懇意の入口をつけてくれた、六代目笑福亭松鶴師との交流などなど。五郎兵衛師もまた、あまり会話を交わすことはなかったそうで、ながらも「住吉踊り」合流のキッカケや、ウケの多い上方落語のなかで「人情噺」をじっくり聴かせる姿勢など刺激を受けたこと数々のエピソードで。さらに英華師は、下座から覗く高座はもちろん、舞台がハネた後の打ち上げにおける貴重な様子なども、まるで少女のような視線で嬉々と偲ばれているのもファン視線で嬉しい限り。
とにかく、「古今亭志ん朝」というフィルターを通じて、師匠方の芸論も浮き彫りとなりまさに「名人、名人を知る」。また芸論ばかりだと理屈が先立ちイヤミになりそうなその程好いところで、今度は「古今亭志ん朝」という人となりが大きく大きく、しかもふんわりと際立つ…インタビューはこの繰り返し、バランス良し。インタビュアでもある著者の構成力か。師匠方のお人柄か。いや、いずれも含めて最後はやっぱり志ん朝師の人徳がこのような一冊を生み出したのです。
これまでのインタビュー集でも色んな視線から見た志ん朝師の「人となり」が紹介されてきましたが、「人となり」…内面に根強くある「人」と、「成り」…つまり外面の見栄えも含めて満開の華。両方備わっていたからこそ、信奉者も多く、こうしていつまでも語り継がれるのでしょうね。
「志ん朝君がな…」、「志ん朝師匠がねぇ」、「志ん朝師匠はね」。
今著、いずれのインタビューからも、亡き人を偲ぶ意味では寂しいながらも、「志ん朝」と言葉にするのがとにかく嬉しそう。「志ん朝」と聴いて、また文字を見て、誰しもが思い浮かべる華やかでキラキラ輝く瑞々しい高座、そして懐かしいあの笑顔…。そう、この帯にあるこの最高の笑顔ですよ。それが桜の季節に甦ったというのがとても、嬉しい。
ナマの高座に触れられてつくづく幸福でした。惜しくも志ん朝落語に間に合わなかった方でも、思わずご飯にかけて、食べたくなるでしょ、「錦松梅」(笑)。
桜も「錦松梅」も日本人に欠かせない、つくづく日本に生まれて良かったと感じさせてくれたのが、古今亭志ん朝師、存在そのものでした。
また、志ん朝師を失って危機感を抱いた、後に続く世代の奔走によって、現在のいわゆる「ブーム」へと繋がったことも見逃せない、これも事実。
『神様』と呼ばれる所以です。
![]() | 志ん朝と上方 (2008/03/26) 岡本 和明 商品詳細を見る |
お亡くなりになって6年半。未だにこの古今亭志ん朝師に関する追悼本や、落語に関する検証本、またお弟子さんや仲間の皆さんによって語られるエピソード集といった書物が続々と書店を賑わすなかで、とうとう出た、ついに出た。フラリで立ち寄る書店の落語コーナーめっけもん!という感じの新刊。江戸落語の至宝でありながら、志ん朝師が愛して止まなかった上方でのエピソード満載。タイトルもそのものズバリ、「志ん朝と上方」。
お亡くなりになったのは秋、10月なので季節的に偲ぶのはやや時期ハズレなのかもしれませんが、陽春5月になると毎年、来阪で名人芸を聴かせてくれた志ん朝師。ミナミのトリイホールから神戸の東西名人会、さらには河内長野の方でも、桂春団治、笑福亭仁鶴、林家染丸、月亭八方ら各師との二人会も恒例で、浪花の春に欠かせなかったのが志ん朝師。なので、この時期にこういう新刊が並ぶと思わず嬉しく、懐かしく、そして寂しくもある。何せ、ある年の5月は、以上の上方での会すべて、志ん朝師を追っかけた、追っかけた。ラジオで初めて聴いた、何ともリズミカルで心地良いメロディ、そしてアノ、口跡サッパリ江戸前の、とにかく上方落語には無い薄味なのに、上方以上にサービス精神も満点。色んな人の「落語は志ん朝だよ」という評判も手伝って、実際にナマでその姿(河内長野・ラブリーホールでしたっけか)を見たときはゾッコン。まさに「朝サマ」、「神様」。江戸のみならず全落語界、随一の宝がありました。
そんな思い出も過る今回の著書では、志ん朝師ゆかりの上方落語家陣がインタビュー形式でエピソード披露。二人会で競演した春団治師、仁鶴師はもちろん、毎年8月の東京・浅草演芸ホールの恒例行事、志ん朝師が主宰した『住吉踊り』に上方から最初に合流した露の五郎兵衛師に、志ん朝師上方の会ではほとんどその下座を務めた、お囃子で女道楽の、内海英華師、以上の皆さん。ほかにも、「志ん朝」を語りたい上方の落語家さんは山ほどおられる中で、磐石の人選、絶妙のベストチョイス。
春団治師は、お互いに落語家の倅同士の苦楽や、もちろん落語に関する芸談から心構えを。仁鶴師はお互い「仁鶴やん」「師匠」と呼び合うも、志ん朝師は「友人の仁鶴君です」と呼んでくれたことに恐縮しながらも嬉しそうに。また、マスコミで名を売った互いの比較や、春団治師の章でも語られた、上方での懇意の入口をつけてくれた、六代目笑福亭松鶴師との交流などなど。五郎兵衛師もまた、あまり会話を交わすことはなかったそうで、ながらも「住吉踊り」合流のキッカケや、ウケの多い上方落語のなかで「人情噺」をじっくり聴かせる姿勢など刺激を受けたこと数々のエピソードで。さらに英華師は、下座から覗く高座はもちろん、舞台がハネた後の打ち上げにおける貴重な様子なども、まるで少女のような視線で嬉々と偲ばれているのもファン視線で嬉しい限り。
とにかく、「古今亭志ん朝」というフィルターを通じて、師匠方の芸論も浮き彫りとなりまさに「名人、名人を知る」。また芸論ばかりだと理屈が先立ちイヤミになりそうなその程好いところで、今度は「古今亭志ん朝」という人となりが大きく大きく、しかもふんわりと際立つ…インタビューはこの繰り返し、バランス良し。インタビュアでもある著者の構成力か。師匠方のお人柄か。いや、いずれも含めて最後はやっぱり志ん朝師の人徳がこのような一冊を生み出したのです。
これまでのインタビュー集でも色んな視線から見た志ん朝師の「人となり」が紹介されてきましたが、「人となり」…内面に根強くある「人」と、「成り」…つまり外面の見栄えも含めて満開の華。両方備わっていたからこそ、信奉者も多く、こうしていつまでも語り継がれるのでしょうね。
「志ん朝君がな…」、「志ん朝師匠がねぇ」、「志ん朝師匠はね」。
今著、いずれのインタビューからも、亡き人を偲ぶ意味では寂しいながらも、「志ん朝」と言葉にするのがとにかく嬉しそう。「志ん朝」と聴いて、また文字を見て、誰しもが思い浮かべる華やかでキラキラ輝く瑞々しい高座、そして懐かしいあの笑顔…。そう、この帯にあるこの最高の笑顔ですよ。それが桜の季節に甦ったというのがとても、嬉しい。
ナマの高座に触れられてつくづく幸福でした。惜しくも志ん朝落語に間に合わなかった方でも、思わずご飯にかけて、食べたくなるでしょ、「錦松梅」(笑)。
桜も「錦松梅」も日本人に欠かせない、つくづく日本に生まれて良かったと感じさせてくれたのが、古今亭志ん朝師、存在そのものでした。
また、志ん朝師を失って危機感を抱いた、後に続く世代の奔走によって、現在のいわゆる「ブーム」へと繋がったことも見逃せない、これも事実。
『神様』と呼ばれる所以です。
カスペ!「志村けんのだいじょうぶだぁ笑い一番!春一番!!スペシャル」(フジテレビ/2008年3月25日放送)。
久々、ゴールデンタイムで志村けん渾身の新作コントオンパレード。何やかんや言ってもやっぱり職人肌。大いに笑わせていただきました。じっくり作り込んだお馴染みコント。親子コントでは父親に扮した志村さん、新聞を読みながら
「また、クイズ番組か…。テレビは楽ばっかりし過ぎだな!」
とアドリブを放り込んでいて大笑い。確かにこの春から、ウンザリするほどクイズ番組が並びますが、一番ウケていたのはスタジオのスタッフ。志村番として長らく仕えた今や、日本で唯一コントが撮れるスタッフ陣ではないでしょうか。笑いに塗したなかに、職人コント師の思わず嘆き節。さぁ、どう聞く?
色んなコント数あれど、なかでも一番話題となったのは冒頭の「志村・優香結婚披露宴!?」。いしのようこ、渡辺美奈代に続く現在の女房役が優香さん。まったく公私混同な(?)、これもコント。招待客にはコロッケ、中山秀征、ダチョウ倶楽部といった、お馴染み「志村ファミリー」が、実際の披露宴よろしく挨拶に余興芸を披露。まぁ、それは良しとして、なかでもやはり光ったのが、志村けん長年のゴールデンコンビ・相棒、加藤茶…加トちゃん!。これまたお馴染みのハゲオヤジ、紋付袴姿のほろ酔い加減で、同じテーブルの夏川純に絡んだり、チョッカイを出したり、名人芸のくしゃみが飛び出したりやりたい放題。最後は挨拶を任され、フラフラと出ていったは良いが泥酔、テーブルは引っくり返すわ、コケるわ、挙句はマイクのそばにあったウェディングケーキに突っ込むわ、とうとう、顔面クリームまみれ。思わず“新郎・志村”「ダメだこりゃ!」と、長さん踏襲、次行ってみよう!(笑)
とにかく、加トちゃんの酔っ払い芸、何度見ても秀逸国宝級。久々の「加トケンコント」に堪能。
加トケンコンビといえば、「8時だョ!全員集合」(TBS/1969〜1985年)。見始めたころは、ちょうど『東村山音頭』で頭角を表し、以降はヒットギャグ連発。志村けん絶頂期。それまでトップスターだった加トちゃんは二番手に甘んじていた。やがてこのツートップに絞り込んだのが、後番組、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ!!」(TBS/1986〜1992年)。また同年には志村けん単独で「志村けんのバカ殿様」(フジテレビ)をスタート。さらにそのスタッフで翌年には「志村けんのだいじょうぶだぁ」(フジテレビ/1987〜1993年)も開始。しっかりと座付きのスタッフを手中に収め、磐石の体制で、この20年以上はコント番組においては志村けん一人勝ち状態。数年前からは一座としてまとめ、座長公演で舞台進出。
一方、加トちゃんも一時は、ものまね四天王として伸してきたころのビジーフォーと組んで「加トちゃん・ビジーフォーの何がナンでも笑っちゃおう!」(フジテレビ)というメインのバラエティも放送されて。盟友・仲本工事も参加。新旧のコミックバンド同士、音楽ギャグをふんだんに取り入れたコントがドリフ風味の濃厚で、志村番組とは違った意味で楽めた番組でしたが、特番形式で数本放送されたっきりでいつの間にかフェードアウト。あのまま「加トちゃん番」なスタッフを取り込めなかったのが惜しい、勿体無い。
もう一度、加トちゃんメインでコント番組、作ってくれないかなぁ…。久々に見たハゲオヤジの間というかリズム感が、懐かしくも、志村慣れしたせい(?)…とにかく新鮮に映りました。ヤッタぜ加トちゃん、やっぱり加トちゃん。
披露宴コントといえば、同じく主賓には吉幾三さんも。志村さんが吉さんの「酒よ」や「雪国」の大ファンで、その縁あって、今回“出席”。ところが吉さん、その「雪国」を、何と新郎新婦の夫婦生活になぞらえた替え歌、下ネタアレンジで披露し会場大爆笑、挙句に上島竜兵さんにまでベロベロ〜とワケの分からぬツッコミ(笑)に遭いお口直し。今度は「酒よ」をしっかりたっぷり、しんみりと渋いのどを聴かせてくれた…と思ったら、新郎新婦に向って、途中の歌詞から
「♪別れちゃえ!、別れちゃえ!」…また、替え歌(笑)。キッチリ爆笑を挟みつつ最後はちゃんと、
♪わかるよな〜、酒よ〜〜!。熱唱、万来の拍手喝采!
天下の志村けん相手に、名曲、しかも自作を「切り売り」してまで笑いに走る姿は捨て身の心意気、まさに芸人魂そのもの。見せて聴かせる、真骨頂。
加トちゃんと共に、この日の吉幾三さんもすごくカッコ良かった!。列席者は、新郎新婦以外にこのお二人にもご祝儀、弾むべき!(笑)
久々、ゴールデンタイムで志村けん渾身の新作コントオンパレード。何やかんや言ってもやっぱり職人肌。大いに笑わせていただきました。じっくり作り込んだお馴染みコント。親子コントでは父親に扮した志村さん、新聞を読みながら
「また、クイズ番組か…。テレビは楽ばっかりし過ぎだな!」
とアドリブを放り込んでいて大笑い。確かにこの春から、ウンザリするほどクイズ番組が並びますが、一番ウケていたのはスタジオのスタッフ。志村番として長らく仕えた今や、日本で唯一コントが撮れるスタッフ陣ではないでしょうか。笑いに塗したなかに、職人コント師の思わず嘆き節。さぁ、どう聞く?
色んなコント数あれど、なかでも一番話題となったのは冒頭の「志村・優香結婚披露宴!?」。いしのようこ、渡辺美奈代に続く現在の女房役が優香さん。まったく公私混同な(?)、これもコント。招待客にはコロッケ、中山秀征、ダチョウ倶楽部といった、お馴染み「志村ファミリー」が、実際の披露宴よろしく挨拶に余興芸を披露。まぁ、それは良しとして、なかでもやはり光ったのが、志村けん長年のゴールデンコンビ・相棒、加藤茶…加トちゃん!。これまたお馴染みのハゲオヤジ、紋付袴姿のほろ酔い加減で、同じテーブルの夏川純に絡んだり、チョッカイを出したり、名人芸のくしゃみが飛び出したりやりたい放題。最後は挨拶を任され、フラフラと出ていったは良いが泥酔、テーブルは引っくり返すわ、コケるわ、挙句はマイクのそばにあったウェディングケーキに突っ込むわ、とうとう、顔面クリームまみれ。思わず“新郎・志村”「ダメだこりゃ!」と、長さん踏襲、次行ってみよう!(笑)とにかく、加トちゃんの酔っ払い芸、何度見ても秀逸国宝級。久々の「加トケンコント」に堪能。
加トケンコンビといえば、「8時だョ!全員集合」(TBS/1969〜1985年)。見始めたころは、ちょうど『東村山音頭』で頭角を表し、以降はヒットギャグ連発。志村けん絶頂期。それまでトップスターだった加トちゃんは二番手に甘んじていた。やがてこのツートップに絞り込んだのが、後番組、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ!!」(TBS/1986〜1992年)。また同年には志村けん単独で「志村けんのバカ殿様」(フジテレビ)をスタート。さらにそのスタッフで翌年には「志村けんのだいじょうぶだぁ」(フジテレビ/1987〜1993年)も開始。しっかりと座付きのスタッフを手中に収め、磐石の体制で、この20年以上はコント番組においては志村けん一人勝ち状態。数年前からは一座としてまとめ、座長公演で舞台進出。
一方、加トちゃんも一時は、ものまね四天王として伸してきたころのビジーフォーと組んで「加トちゃん・ビジーフォーの何がナンでも笑っちゃおう!」(フジテレビ)というメインのバラエティも放送されて。盟友・仲本工事も参加。新旧のコミックバンド同士、音楽ギャグをふんだんに取り入れたコントがドリフ風味の濃厚で、志村番組とは違った意味で楽めた番組でしたが、特番形式で数本放送されたっきりでいつの間にかフェードアウト。あのまま「加トちゃん番」なスタッフを取り込めなかったのが惜しい、勿体無い。
もう一度、加トちゃんメインでコント番組、作ってくれないかなぁ…。久々に見たハゲオヤジの間というかリズム感が、懐かしくも、志村慣れしたせい(?)…とにかく新鮮に映りました。ヤッタぜ加トちゃん、やっぱり加トちゃん。
披露宴コントといえば、同じく主賓には吉幾三さんも。志村さんが吉さんの「酒よ」や「雪国」の大ファンで、その縁あって、今回“出席”。ところが吉さん、その「雪国」を、何と新郎新婦の夫婦生活になぞらえた替え歌、下ネタアレンジで披露し会場大爆笑、挙句に上島竜兵さんにまでベロベロ〜とワケの分からぬツッコミ(笑)に遭いお口直し。今度は「酒よ」をしっかりたっぷり、しんみりと渋いのどを聴かせてくれた…と思ったら、新郎新婦に向って、途中の歌詞から
「♪別れちゃえ!、別れちゃえ!」…また、替え歌(笑)。キッチリ爆笑を挟みつつ最後はちゃんと、
♪わかるよな〜、酒よ〜〜!。熱唱、万来の拍手喝采!
天下の志村けん相手に、名曲、しかも自作を「切り売り」してまで笑いに走る姿は捨て身の心意気、まさに芸人魂そのもの。見せて聴かせる、真骨頂。
加トちゃんと共に、この日の吉幾三さんもすごくカッコ良かった!。列席者は、新郎新婦以外にこのお二人にもご祝儀、弾むべき!(笑)
しばらくといやぁ、しばらくでしたが、まさかこんなに早くやる気になるとは。我が事ながらアホらしいやら恥かしいやら情けないやら。これも陽気のせいかね、どうも。
ぼちぼちペースでまた、しばらく始めてみようと思います。といいながら、明後日にはまたヤメる言うてるかもしれませんが。いずれにしても人間、明日の事は分からない。
明日は明日の、彼がイク…ん、コレも陽気のせい!?
ぼちぼちペースでまた、しばらく始めてみようと思います。といいながら、明後日にはまたヤメる言うてるかもしれませんが。いずれにしても人間、明日の事は分からない。
明日は明日の、彼がイク…ん、コレも陽気のせい!?
ラテ欄に(終)のマークがチラホラ、そんな季節。始まりがあれば終りがある、形あるものはいつか崩れる、盛者必衰世のならい、あ〜こりゃこりゃ。いずれの形にせよ、まぁ、そんな具合で月日は流れる。
本日で「ナニワ音楽ショウ・大西ユカリの新世界」最終回。実に長く続いた番組だったと思う。月曜から木曜の横並びになってから5年ほど?。その前にナイターオフシーズン、夕方枠で放送されていて、火・水曜は「〜新世界」、木・金曜は「中嶋慶子の一世風靡」。このうち、「〜新世界」が残り、しばらく単独で放送されていたのが、各曜拡大、今の形となった。そういう意味ではナニワ音楽ショウ、「〜新世界」こそ元祖オリジナル。この前枠に放送されていた深夜ラジオの金字塔「MBSヤングタウン」でいえば、「斎藤努・桂三枝」のようなもの。そういう意味では、ナイターオフ時代から含めて、終始一貫その暖簾を貫いてきたのは称賛に値する。
今は午後9時05分から約3時間の長丁場。正直にいえば、この長丁場になってから、聴けたり聴けなかったり…多かった。特に時間を埋めるべく、色んな企画モノコーナーが生まれ出してからは、ちょっとそういうのが煩わしいなとも感じていたものだが、ユカリさんと、番組としては最後の相方となってしまった笑福亭鉄瓶さんの掛け合いは、お互いの利というか、ユカリさんに元々あった演芸色と、鉄瓶さんの音楽趣向が合間って、特にこの半年は非常にしっくりお似合いの名コンビだったと思う。お互い、手探り状態から、ようやく打ち溶け合った矢先でもあったろうに。それを思えば勿体無い。
けれども「ナニワ〜」といえば、やはりナイターオフの、90分枠時代が時間的にもちょうど良かった。今のような企画コーナーは皆無で、ひたすら、懐かしい歌謡曲と、曲にまつわるウンチクも取り混ぜつつも、どこか無駄口にも近かった(笑)、とにかく時間を埋めるべくまくしたてるユカリさんの一人喋り、その懸命さがひしひしと伝わっていたのが良かった。それは言葉悪く言えば、素人に近い喋り。けれどもそれを補うべく必死感が漂う、良い意味での綱渡り的な壮絶な生放送だったと思う(笑)。とにかく思いきった起用であったことは間違いない。
CM前の、「ダイヤルはそのままで」というべきところも、いつも「チャンネルは、チャンネルは…」。何度「ダイヤルや!」とラジオの前からツッコませてもらったことか(笑)。それと、「この番組は1179khz MBSラジオからお送りしております」とキメるべきところも、一度二度、「この番組は1800云々カンヌン」、ワケのわからぬ周波数を口にし、当人大笑い。喋り手自身が混信してしまったわけである(笑)。
そんなこんなも含めて、オモロイ喋り手が出てきたなぁ。例えるなら「オンナ横山プリン」いった感じか、まいど!おいど!。もっとも、それより以前に、後藤ひろひとさんの舞台に出演する、「女優・大西ユカリ」を目撃しており、劇中ではアカペラのソウルナンバーを熱唱。度肝を抜かれて歌手としての存在は知っていた。が、「大西ユカリと新世界」というバンドを生で見たのは、ラジオのまだ後。そういう意味では、ミュージシャンというより「ラジオパーソナリティ」という印象が強かった。
それと、連射砲なお喋りのなかに情も光った。光ったと過去形になると今はどうやねんとなるが、今は上手い。上手さのなかに番組自体もカッチリとした構成が加わっているので、当時の綱渡り的な隙間からキラリと輝くおしゃべりの光が、今は発見しにくい。馴染んでしまったというのもあるが、そのちがいを例えるなら、空気の澄んだな田舎で見る満天の夜空と、ネオン輝く都会の夜空…といったところか。とにかくナイターオフといえば、冬場の放送。エンディング間、
「今晩は寒なる言うてますので、お布団ぬくぬくしてお休み下さいね」
この「お布団ぬくぬく」がちょっと、それまで聴いてきたラジオからしても新鮮なフレーズに聞こえた。しかも「自分のおしゃべり」から出たフレーズなのが物凄く良かった。ユカリさんが自身に持ち合わせる優しさが、語感に温かさを伴う。聴いてる者の耳にも当たり良く届く。テレビや、ひょっとしてライブとも違う、お客さん(リスナー)とのマンツーマンが特徴的なラジオならではの温もりである。以来、ライブに通うになっても、歌い手さんなのだけれども、未だに「ラジオパーソナリティ」、という印象でいつも眺めさせてもらっている。
その「パーソナリティ」としての拠点が、この「ナニワ音楽ショウ」であった。一方、ABCラジオでも「大西ユカリのハッスル歌謡曲」という番組を担当されていたが、こちらはそれこそナイターオフ限定であった。なので、通年放送、しかも長らく続いた「ナニワ〜」こそ、ホームグランドの名に相応しい。
さらに言えば私的にも、「大西ユカリ」という逸材の「発見」をもたらしてくれたこの番組だった。リスナーとしても笑って泣いて、時には参加してと、ある意味、故郷にも等しい番組だった。
番組のなかでは「悩み相談」のような、端で聞いてる分には照れ臭いような、けれどもラジオならではの王道コーナーもあった。これとて、ユカリさん、体当たりであったし、だからこそ癒されたリスナーも多かったはず。それと、「春一番コンサート」存続や否やで揺れていたころは、自身の音楽感を大いに語ってくれたし、また、これは少々辛い話題だが、阪神淡路大震災、10年目のきっしょを迎えた日の放送などは、人生感のようなものところまで語ってくれて、これは迫るものがあった。オモシロオカシクも良いけれど、こういうのも含めて、ミュージシャンというかアーティストとしての、もうひとつの表現の場でもあったのだ。
願わくばまた「ナニワ〜」の看板で再開してほしいし、もっと無理をいえば、一番最初に聴いたころのスタイルで、復活欲しい。
さらに言えば、「大西ユカリ」という存在の発見を初めてもたらしてくれた、あの日に帰りたい…とこれは無理もエエとこか。
では、最終回、オンエア曲目リストをば…
「ナニワ音楽ショウ・大西ユカリの新世界〜最終回〜」(MBSラジオ/2008年3月24日放送)
1.南部の女/大西ユカリと新世界
2.恋のスマートボール/大西ユカリと新世界
(リクエスト候補でした。ライブの〆めはコレよ!)
3.キーハントー/大西ユカリと新世界
(桜の花びらが歩道をピンクに染める〜…春ですね)
4.情/志賀勝
(けったいソング、懐かしい!
戦前は女優さんだった志賀さんのお母様にお目にかかりましたっけ
お母様とは、戦前のお話なのに、また話が弾んだ、弾んだ! 笑)
5.オモカゲ(シングル・ヴァージョン)/大西ユカリと新世界
6.涙のかわくまで/西田佐知子
(このカバーを歌ってる『〜新世界』ナンバーが続いたなかに
ここでポンとオリジナルをかけたところは、心憎いねぇ!)
☆『恋の話のコーナー』
7.旅立ちの唄/Mr.Children
8.マリン・ブルー/大西ユカリと新世界
(最近あまりライブに寄せてもらってないので、ライブではあまり聴けていない。
禁断症状。納まっていたのにああ、ウズウズ)
9.お世話になりました/井上順
10.また逢う日まで/尾崎紀世彦
(最終回に聴くと妙に落ち着くお別れソング2曲。尾崎紀世彦さん、
おっと、テレビで只今、ご出演の『釣りバカ日誌16』放送中 笑)
☆『A-MUSIC』
11.春風LOVER SONG/CHERRYBLOSSOM
12.アンコール/大西ユカリと新世界
(リクエストしました!読まれなかったけど、もう一度…の願いを込めて。
こんなにじんわり響いたのは初めてかもなぁ…。)
好きだった色んなラジオ番組の、それぞれ最終回を思い出しました…。
…長らくの放送、ご苦労さまでございました。
本日で「ナニワ音楽ショウ・大西ユカリの新世界」最終回。実に長く続いた番組だったと思う。月曜から木曜の横並びになってから5年ほど?。その前にナイターオフシーズン、夕方枠で放送されていて、火・水曜は「〜新世界」、木・金曜は「中嶋慶子の一世風靡」。このうち、「〜新世界」が残り、しばらく単独で放送されていたのが、各曜拡大、今の形となった。そういう意味ではナニワ音楽ショウ、「〜新世界」こそ元祖オリジナル。この前枠に放送されていた深夜ラジオの金字塔「MBSヤングタウン」でいえば、「斎藤努・桂三枝」のようなもの。そういう意味では、ナイターオフ時代から含めて、終始一貫その暖簾を貫いてきたのは称賛に値する。
今は午後9時05分から約3時間の長丁場。正直にいえば、この長丁場になってから、聴けたり聴けなかったり…多かった。特に時間を埋めるべく、色んな企画モノコーナーが生まれ出してからは、ちょっとそういうのが煩わしいなとも感じていたものだが、ユカリさんと、番組としては最後の相方となってしまった笑福亭鉄瓶さんの掛け合いは、お互いの利というか、ユカリさんに元々あった演芸色と、鉄瓶さんの音楽趣向が合間って、特にこの半年は非常にしっくりお似合いの名コンビだったと思う。お互い、手探り状態から、ようやく打ち溶け合った矢先でもあったろうに。それを思えば勿体無い。
けれども「ナニワ〜」といえば、やはりナイターオフの、90分枠時代が時間的にもちょうど良かった。今のような企画コーナーは皆無で、ひたすら、懐かしい歌謡曲と、曲にまつわるウンチクも取り混ぜつつも、どこか無駄口にも近かった(笑)、とにかく時間を埋めるべくまくしたてるユカリさんの一人喋り、その懸命さがひしひしと伝わっていたのが良かった。それは言葉悪く言えば、素人に近い喋り。けれどもそれを補うべく必死感が漂う、良い意味での綱渡り的な壮絶な生放送だったと思う(笑)。とにかく思いきった起用であったことは間違いない。
CM前の、「ダイヤルはそのままで」というべきところも、いつも「チャンネルは、チャンネルは…」。何度「ダイヤルや!」とラジオの前からツッコませてもらったことか(笑)。それと、「この番組は1179khz MBSラジオからお送りしております」とキメるべきところも、一度二度、「この番組は1800云々カンヌン」、ワケのわからぬ周波数を口にし、当人大笑い。喋り手自身が混信してしまったわけである(笑)。
そんなこんなも含めて、オモロイ喋り手が出てきたなぁ。例えるなら「オンナ横山プリン」いった感じか、まいど!おいど!。もっとも、それより以前に、後藤ひろひとさんの舞台に出演する、「女優・大西ユカリ」を目撃しており、劇中ではアカペラのソウルナンバーを熱唱。度肝を抜かれて歌手としての存在は知っていた。が、「大西ユカリと新世界」というバンドを生で見たのは、ラジオのまだ後。そういう意味では、ミュージシャンというより「ラジオパーソナリティ」という印象が強かった。
それと、連射砲なお喋りのなかに情も光った。光ったと過去形になると今はどうやねんとなるが、今は上手い。上手さのなかに番組自体もカッチリとした構成が加わっているので、当時の綱渡り的な隙間からキラリと輝くおしゃべりの光が、今は発見しにくい。馴染んでしまったというのもあるが、そのちがいを例えるなら、空気の澄んだな田舎で見る満天の夜空と、ネオン輝く都会の夜空…といったところか。とにかくナイターオフといえば、冬場の放送。エンディング間、
「今晩は寒なる言うてますので、お布団ぬくぬくしてお休み下さいね」
この「お布団ぬくぬく」がちょっと、それまで聴いてきたラジオからしても新鮮なフレーズに聞こえた。しかも「自分のおしゃべり」から出たフレーズなのが物凄く良かった。ユカリさんが自身に持ち合わせる優しさが、語感に温かさを伴う。聴いてる者の耳にも当たり良く届く。テレビや、ひょっとしてライブとも違う、お客さん(リスナー)とのマンツーマンが特徴的なラジオならではの温もりである。以来、ライブに通うになっても、歌い手さんなのだけれども、未だに「ラジオパーソナリティ」、という印象でいつも眺めさせてもらっている。
その「パーソナリティ」としての拠点が、この「ナニワ音楽ショウ」であった。一方、ABCラジオでも「大西ユカリのハッスル歌謡曲」という番組を担当されていたが、こちらはそれこそナイターオフ限定であった。なので、通年放送、しかも長らく続いた「ナニワ〜」こそ、ホームグランドの名に相応しい。
さらに言えば私的にも、「大西ユカリ」という逸材の「発見」をもたらしてくれたこの番組だった。リスナーとしても笑って泣いて、時には参加してと、ある意味、故郷にも等しい番組だった。
番組のなかでは「悩み相談」のような、端で聞いてる分には照れ臭いような、けれどもラジオならではの王道コーナーもあった。これとて、ユカリさん、体当たりであったし、だからこそ癒されたリスナーも多かったはず。それと、「春一番コンサート」存続や否やで揺れていたころは、自身の音楽感を大いに語ってくれたし、また、これは少々辛い話題だが、阪神淡路大震災、10年目のきっしょを迎えた日の放送などは、人生感のようなものところまで語ってくれて、これは迫るものがあった。オモシロオカシクも良いけれど、こういうのも含めて、ミュージシャンというかアーティストとしての、もうひとつの表現の場でもあったのだ。願わくばまた「ナニワ〜」の看板で再開してほしいし、もっと無理をいえば、一番最初に聴いたころのスタイルで、復活欲しい。
さらに言えば、「大西ユカリ」という存在の発見を初めてもたらしてくれた、あの日に帰りたい…とこれは無理もエエとこか。
では、最終回、オンエア曲目リストをば…
「ナニワ音楽ショウ・大西ユカリの新世界〜最終回〜」(MBSラジオ/2008年3月24日放送)
1.南部の女/大西ユカリと新世界
2.恋のスマートボール/大西ユカリと新世界
(リクエスト候補でした。ライブの〆めはコレよ!)
3.キーハントー/大西ユカリと新世界
(桜の花びらが歩道をピンクに染める〜…春ですね)
4.情/志賀勝
(けったいソング、懐かしい!
戦前は女優さんだった志賀さんのお母様にお目にかかりましたっけ
お母様とは、戦前のお話なのに、また話が弾んだ、弾んだ! 笑)
5.オモカゲ(シングル・ヴァージョン)/大西ユカリと新世界
6.涙のかわくまで/西田佐知子
(このカバーを歌ってる『〜新世界』ナンバーが続いたなかに
ここでポンとオリジナルをかけたところは、心憎いねぇ!)
☆『恋の話のコーナー』
7.旅立ちの唄/Mr.Children
8.マリン・ブルー/大西ユカリと新世界
(最近あまりライブに寄せてもらってないので、ライブではあまり聴けていない。
禁断症状。納まっていたのにああ、ウズウズ)
9.お世話になりました/井上順
10.また逢う日まで/尾崎紀世彦
(最終回に聴くと妙に落ち着くお別れソング2曲。尾崎紀世彦さん、
おっと、テレビで只今、ご出演の『釣りバカ日誌16』放送中 笑)
☆『A-MUSIC』
11.春風LOVER SONG/CHERRYBLOSSOM
12.アンコール/大西ユカリと新世界
(リクエストしました!読まれなかったけど、もう一度…の願いを込めて。
こんなにじんわり響いたのは初めてかもなぁ…。)
好きだった色んなラジオ番組の、それぞれ最終回を思い出しました…。
…長らくの放送、ご苦労さまでございました。
ゲストは、桂米朝師にとっては孫弟子にあたる、桂吉朝門下、桂吉弥さん。というよりももっぱら今は連続テレビ小説「ちりとてちん」(NHK総合ほか)の、『徒然亭草原』。
やはり、「ちりとてちん」バブルだ、と当の吉弥さん。高座でも「桂吉弥でございまして、またの名を徒然亭草原」とやると、まずの拍手を受けて後の高座がやりやすい…その反面、このままコレに甘えていてもエエのかなぁ、の不安もチラホラ。
しかし、現にドラマを見たお客さん、「ドラマで扱っていたアノ落語の、本物(の落語)が見たい」と寄席に足を運ぶ方も多く、これはこれでドラマがもたらした影響力や効果は絶大。
「とりあえず、毎回『ちりとてちん』はかけてしまいますね」と吉弥さん。
2本以上演じるときは、なるべくコレを含めたネタのラインナップに終始してしまうとのこと。ただ、そういう時に思い浮かぶ言葉が、亡くなった古今亭志ん朝師による、
「ウケるネタだけやっちゃダメだよ」
巡業中の移動の最中に声をかけられ、同席していた米朝師からも、
「コレは皆、志ん朝君からエエ言葉聴いたな」
若いころから色んなネタを掘り起こしてきた米朝師ならではの納得ぶり。ちなみにドラマで演じられる落語はすべて「米朝型」をお手本としているそうだ。
「米朝型」といえば、先日放送された「上方演芸ホール特別編〜ちりとてちんの落語を聴こう」、第5夜に放送されたのは、今から23年前の映像、米朝師、58歳の口演『はてなの茶碗』。
吉弥さんはもちろん、「〜よもやま噺」の聴き手でABCラジオの市川寿憲プロデューサーも、
「若いときは、演出から所作から派手ですね」
これは単純に若いなと懐かしんでいるのではなく、市川氏曰く、
「これは踊りの方が仰っていたことですが、『若いからこそ動けるうちに派手に振る舞うんです。
振る舞って、振る舞って、50代、60代、やがて身体が動かなくなったとしても、若いころに与えた
イメージが、今なお派手に動いてる風に見せることが出来るんです。これが芸の力なんです』と。
これは米朝師匠も仰っていたと思うんですがね」
当の米朝師はさぁ、はぁ〜?…照れておられるのか(笑)。しかし、コレには吉弥さんも刺激を受けていたようだ。同業の師匠(大師匠)はもちろん、いわゆる第三者である市川氏も
「吉弥さんも今だからこそ派手に動くべきだ」
とハッキリ提言されていたのが印象的。
この第三者の意見は、例え踊りの師匠や米朝師からの聞き伝えだったとしても、さらにマスコミに乗っていく吉弥さんにとっては大きな言葉のはず。こういう助言なり提言を、与える方の素養も含め、受ける方も大変、励ましとなることは間違いない。お互いの素養がもたらす信頼がそこにある。
それを思えば、話は逸れるが、特にテレビの、やたらと芸人を集めては短いギャグの羅列番組しか作れない、程度の低さは何なのだろう。特に昨夜の「お笑いメリーゴーランド」(TBS)はヒドかった。「爆笑レッドカーペット」(フジテレビ)にちょっとややこしいルールを付けた、まさに毛の生えたような程度のアレンジ。昨年暮れにも同局は「お笑いダイナマイト」というやはりこの類の番組を放送していて、そのときには芸人のハケ方にもっと連続性、「〜レッドカーペット」のように横の流れをと感じていたら、今回は「メリーゴーランド」、見事横の流れが採用されてたのには、あまりにも小手先過ぎて大笑い。にしても、「芸人押さえろ押さえろ、出せ出せ、やれやれ!」。盛り上がりに描ける並列な構成、まさに羅列で退屈な。とにかくクオリティというか、作り手の志があまりにも低過ぎる。例え、短いギャグ無機質に連発させる意図なりイメージがあったとしても、無機質ななかにも、いや無機質だからこそもっと笑いに対して愛情を注ぐべきだ。そんな愛情を最も削いでいたのが、ギャグに乗っけた字幕スーパー…。想像力に委ねるところが大きい笑いにおいて、演出とはいえ、もっとも野暮な行為。制作者は笑いに関するある種の「保険」としてスーパーを乗っけている。ということは、視聴者が持つ想像力をまるで信用していない。さらにいえば一発ギャグを披露する芸人の創造性をもどこかで否定している。ハッキリ言えば、制作者の信用するべきところは視聴率という、結局のところ数字でしかないのである。実に虚しい…。
芸人側もそんな流れに反発するぐらいの志気が望まれるも、その選択、『出入り業者』の辛さも分かるだけに、余計気の毒。いや、裏を返せばお互いが妥協しあって、ある種のなぁなぁの状態にあるのか。だとしたらとても情けない。そういえば当夜の番組、今のブーム、当然出演していなければならないはずの芸人の何組かが出ていなかった。スケジュールの都合もあったろうが、逆に言えば、ラッキーだったと思う。あの程度の番組で消耗されてはそれこそ悲惨だ。
このあと、続けて「エンタの神様」(日本テレビ)のスペシャル版が放送されていたが、何やかんやあれど、まだこちらには志を感じる事が出来た。
今の演者さんにとって、救いの存在とも言うべき、果たして信頼の置ける制作者がどのぐらい存在するのだろう。
話戻して「〜よもやま噺」。
マスコミにも乗った、当然寄席にも出た、さらにキャバレーの巡業ような荒れた現場の経験もある、加えてそんな多忙を極めた際にも合間を縫って、埋もれた噺を発掘し、またそれを後世に残すべくレコーディングを果たした、また執筆で著書にも残した米朝師を改めて吉弥さん、
「ホンマ、スーパーマンですね」と吉弥さん。
芸の派手論に関しても、
「実は私、東京の柳家三三(やなぎけ・さんざ)さんと二人会をやらせてもらってるんですけど、
三三さんは柳家小三治師匠のお弟子さんで、僕は吉朝の弟子。
けれども、いざ、吉朝に稽古をつけてもらったときに、第一声が
『声が小さい!』
三三さんも僕も、それぞれ小三治師匠と吉朝の、訥々とした高座を真似したくて
弟子入りしたのに、先日の米朝師匠のVTRを拝見しながら、
…やっぱりどこか納まってるんですかねぇ」
ドラマの勢いで番組主催の落語イベントを行ったところ大勢のお客さんが集まり、後方には立ち見のお客さん。これに気遣って吉弥さん、座布団に座る前に、スタンディングで高座を務めていたら後で前列のお客さんからアンケート用紙に、
「後のお客ばかり気遣って。前に座ってる者も(整理券や予約席がない状況で)早くから順番を並んだんですよ」
コレにはさすがの吉弥さんも反省させられたようで、同時に、米朝師がマクラなどで客イジリをやらないのは、若いときにこういう経験があったのではないかとも推測したのだとかなどなど、何かと今、若いころの米朝師に我が身をダブらせたうえでの吉弥さん、「スーパーマンですね」。
マスコミで顔が売れた、その狭間の色んな悩みも生じてくるのも当然だ。ただ、個人的に思ったのは、このときの「後方のお客への気遣い」、スタンディングは大いに評価するべきところではないかと。前列のお客さんの意見もわかるが、会場の状況に応じた判断というか、そういう思いに駆られたまずは演者の心意気、大きく言えば人間性が出たうえでのスタンディング。一瞬の判断とはいえ、一瞬だからこそのライブ。そこを推測しながら尊重すべきもお客側の度量。度量と度量のぶつかり合いもまたライブの醍醐味ではないのか。
そして何よりも、「納まってたんですかねぇ」といった、今の状況を何とか打破しようという姿勢が、まずそのスタンディングだったとすれば、それはもう大きな一歩、進歩。評価はこの点に尽きる。
また、ドラマのなかでテーマとなった落語の演目に関しても、
「『算段の平兵衛』にしても『鴻池の犬』にしても僕、演ってませんからね。
けれども、(徒然亭一門の)筆頭弟子やから弟弟子に(ドラマのなかで)稽古つけてるんです。
だから嫁はんにも言われたんです。
『とりあえずアンタ、ドラマに出てきた噺だけは自分のモノにしいや』」
とにかく、ドラマ「ちりとてちん」は吉弥さんにとって何やら色々、変化をもたしている。本人自身が、また周囲からの良し悪しさまざまな反響なり反応も、そこには含まれる。今回の「〜よもやま噺」。落語家としてその変化の一端を、しかもラジオ番組で垣間見る出来たのが非常に嬉しい。特定の落語家さんがこういう風に表立って注目されるのは何年ぶりか。下手すれば、師匠である吉朝師以上の広範囲な注目度かもしれない。グレート師匠、愛弟子の活躍、天空からの眺めはいかばかりの思いか…。
とにかく、この機運に乗って、これが一人、二人と注目されればなお嬉しい。
そんな期待を抱きつつ番組をワクワクしながら聴けて高揚感たっぷり。その勢いのまかせ、ここに記させていただきました。
やはり、「ちりとてちん」バブルだ、と当の吉弥さん。高座でも「桂吉弥でございまして、またの名を徒然亭草原」とやると、まずの拍手を受けて後の高座がやりやすい…その反面、このままコレに甘えていてもエエのかなぁ、の不安もチラホラ。
しかし、現にドラマを見たお客さん、「ドラマで扱っていたアノ落語の、本物(の落語)が見たい」と寄席に足を運ぶ方も多く、これはこれでドラマがもたらした影響力や効果は絶大。
「とりあえず、毎回『ちりとてちん』はかけてしまいますね」と吉弥さん。
2本以上演じるときは、なるべくコレを含めたネタのラインナップに終始してしまうとのこと。ただ、そういう時に思い浮かぶ言葉が、亡くなった古今亭志ん朝師による、
「ウケるネタだけやっちゃダメだよ」
巡業中の移動の最中に声をかけられ、同席していた米朝師からも、
「コレは皆、志ん朝君からエエ言葉聴いたな」
若いころから色んなネタを掘り起こしてきた米朝師ならではの納得ぶり。ちなみにドラマで演じられる落語はすべて「米朝型」をお手本としているそうだ。
「米朝型」といえば、先日放送された「上方演芸ホール特別編〜ちりとてちんの落語を聴こう」、第5夜に放送されたのは、今から23年前の映像、米朝師、58歳の口演『はてなの茶碗』。
吉弥さんはもちろん、「〜よもやま噺」の聴き手でABCラジオの市川寿憲プロデューサーも、
「若いときは、演出から所作から派手ですね」
これは単純に若いなと懐かしんでいるのではなく、市川氏曰く、
「これは踊りの方が仰っていたことですが、『若いからこそ動けるうちに派手に振る舞うんです。
振る舞って、振る舞って、50代、60代、やがて身体が動かなくなったとしても、若いころに与えた
イメージが、今なお派手に動いてる風に見せることが出来るんです。これが芸の力なんです』と。
これは米朝師匠も仰っていたと思うんですがね」
当の米朝師はさぁ、はぁ〜?…照れておられるのか(笑)。しかし、コレには吉弥さんも刺激を受けていたようだ。同業の師匠(大師匠)はもちろん、いわゆる第三者である市川氏も
「吉弥さんも今だからこそ派手に動くべきだ」
とハッキリ提言されていたのが印象的。
この第三者の意見は、例え踊りの師匠や米朝師からの聞き伝えだったとしても、さらにマスコミに乗っていく吉弥さんにとっては大きな言葉のはず。こういう助言なり提言を、与える方の素養も含め、受ける方も大変、励ましとなることは間違いない。お互いの素養がもたらす信頼がそこにある。
それを思えば、話は逸れるが、特にテレビの、やたらと芸人を集めては短いギャグの羅列番組しか作れない、程度の低さは何なのだろう。特に昨夜の「お笑いメリーゴーランド」(TBS)はヒドかった。「爆笑レッドカーペット」(フジテレビ)にちょっとややこしいルールを付けた、まさに毛の生えたような程度のアレンジ。昨年暮れにも同局は「お笑いダイナマイト」というやはりこの類の番組を放送していて、そのときには芸人のハケ方にもっと連続性、「〜レッドカーペット」のように横の流れをと感じていたら、今回は「メリーゴーランド」、見事横の流れが採用されてたのには、あまりにも小手先過ぎて大笑い。にしても、「芸人押さえろ押さえろ、出せ出せ、やれやれ!」。盛り上がりに描ける並列な構成、まさに羅列で退屈な。とにかくクオリティというか、作り手の志があまりにも低過ぎる。例え、短いギャグ無機質に連発させる意図なりイメージがあったとしても、無機質ななかにも、いや無機質だからこそもっと笑いに対して愛情を注ぐべきだ。そんな愛情を最も削いでいたのが、ギャグに乗っけた字幕スーパー…。想像力に委ねるところが大きい笑いにおいて、演出とはいえ、もっとも野暮な行為。制作者は笑いに関するある種の「保険」としてスーパーを乗っけている。ということは、視聴者が持つ想像力をまるで信用していない。さらにいえば一発ギャグを披露する芸人の創造性をもどこかで否定している。ハッキリ言えば、制作者の信用するべきところは視聴率という、結局のところ数字でしかないのである。実に虚しい…。
芸人側もそんな流れに反発するぐらいの志気が望まれるも、その選択、『出入り業者』の辛さも分かるだけに、余計気の毒。いや、裏を返せばお互いが妥協しあって、ある種のなぁなぁの状態にあるのか。だとしたらとても情けない。そういえば当夜の番組、今のブーム、当然出演していなければならないはずの芸人の何組かが出ていなかった。スケジュールの都合もあったろうが、逆に言えば、ラッキーだったと思う。あの程度の番組で消耗されてはそれこそ悲惨だ。
このあと、続けて「エンタの神様」(日本テレビ)のスペシャル版が放送されていたが、何やかんやあれど、まだこちらには志を感じる事が出来た。
今の演者さんにとって、救いの存在とも言うべき、果たして信頼の置ける制作者がどのぐらい存在するのだろう。
話戻して「〜よもやま噺」。
マスコミにも乗った、当然寄席にも出た、さらにキャバレーの巡業ような荒れた現場の経験もある、加えてそんな多忙を極めた際にも合間を縫って、埋もれた噺を発掘し、またそれを後世に残すべくレコーディングを果たした、また執筆で著書にも残した米朝師を改めて吉弥さん、
「ホンマ、スーパーマンですね」と吉弥さん。
芸の派手論に関しても、
「実は私、東京の柳家三三(やなぎけ・さんざ)さんと二人会をやらせてもらってるんですけど、
三三さんは柳家小三治師匠のお弟子さんで、僕は吉朝の弟子。
けれども、いざ、吉朝に稽古をつけてもらったときに、第一声が
『声が小さい!』
三三さんも僕も、それぞれ小三治師匠と吉朝の、訥々とした高座を真似したくて
弟子入りしたのに、先日の米朝師匠のVTRを拝見しながら、
…やっぱりどこか納まってるんですかねぇ」
ドラマの勢いで番組主催の落語イベントを行ったところ大勢のお客さんが集まり、後方には立ち見のお客さん。これに気遣って吉弥さん、座布団に座る前に、スタンディングで高座を務めていたら後で前列のお客さんからアンケート用紙に、
「後のお客ばかり気遣って。前に座ってる者も(整理券や予約席がない状況で)早くから順番を並んだんですよ」
コレにはさすがの吉弥さんも反省させられたようで、同時に、米朝師がマクラなどで客イジリをやらないのは、若いときにこういう経験があったのではないかとも推測したのだとかなどなど、何かと今、若いころの米朝師に我が身をダブらせたうえでの吉弥さん、「スーパーマンですね」。
マスコミで顔が売れた、その狭間の色んな悩みも生じてくるのも当然だ。ただ、個人的に思ったのは、このときの「後方のお客への気遣い」、スタンディングは大いに評価するべきところではないかと。前列のお客さんの意見もわかるが、会場の状況に応じた判断というか、そういう思いに駆られたまずは演者の心意気、大きく言えば人間性が出たうえでのスタンディング。一瞬の判断とはいえ、一瞬だからこそのライブ。そこを推測しながら尊重すべきもお客側の度量。度量と度量のぶつかり合いもまたライブの醍醐味ではないのか。
そして何よりも、「納まってたんですかねぇ」といった、今の状況を何とか打破しようという姿勢が、まずそのスタンディングだったとすれば、それはもう大きな一歩、進歩。評価はこの点に尽きる。
また、ドラマのなかでテーマとなった落語の演目に関しても、
「『算段の平兵衛』にしても『鴻池の犬』にしても僕、演ってませんからね。
けれども、(徒然亭一門の)筆頭弟子やから弟弟子に(ドラマのなかで)稽古つけてるんです。
だから嫁はんにも言われたんです。
『とりあえずアンタ、ドラマに出てきた噺だけは自分のモノにしいや』」
とにかく、ドラマ「ちりとてちん」は吉弥さんにとって何やら色々、変化をもたしている。本人自身が、また周囲からの良し悪しさまざまな反響なり反応も、そこには含まれる。今回の「〜よもやま噺」。落語家としてその変化の一端を、しかもラジオ番組で垣間見る出来たのが非常に嬉しい。特定の落語家さんがこういう風に表立って注目されるのは何年ぶりか。下手すれば、師匠である吉朝師以上の広範囲な注目度かもしれない。グレート師匠、愛弟子の活躍、天空からの眺めはいかばかりの思いか…。
とにかく、この機運に乗って、これが一人、二人と注目されればなお嬉しい。
そんな期待を抱きつつ番組をワクワクしながら聴けて高揚感たっぷり。その勢いのまかせ、ここに記させていただきました。
平素より拙ブログ、ご愛読賜わりまして心より厚く御礼申し上げます。
さて、誠に勝手ではございますが、またまたしばらくお暇のほど頂戴したいと思います。
いわゆる、春休みでございます。春眠暁を覚えずと申しますが、心身共々何が何やら、何が何して何とやら、暁どころかどうにもこうにも夜も日も覚えぬこの始末を我が事ながら非常に憂う諸事情の下にてございます。
何に致しましても、再びお目にかかれる日を願いまして祈りまして目指しまして、その日が来るまでひとまず御免候御座候満月ポンで笑ってポン…かようにご機嫌麗しゅうにと申し上げます。
さて、誠に勝手ではございますが、またまたしばらくお暇のほど頂戴したいと思います。
いわゆる、春休みでございます。春眠暁を覚えずと申しますが、心身共々何が何やら、何が何して何とやら、暁どころかどうにもこうにも夜も日も覚えぬこの始末を我が事ながら非常に憂う諸事情の下にてございます。
何に致しましても、再びお目にかかれる日を願いまして祈りまして目指しまして、その日が来るまでひとまず御免候御座候満月ポンで笑ってポン…かようにご機嫌麗しゅうにと申し上げます。
向いの家からレコードの、やたらと大音量、佐良直美。
迷惑だけどちょっと聞き入ってしまう、「世界は二人のために」。
ケッタイなところにケッタイな人間が住んでます。
また明日から、しっかりやります。
それにしても眠たい。
迷惑だけどちょっと聞き入ってしまう、「世界は二人のために」。
ケッタイなところにケッタイな人間が住んでます。
また明日から、しっかりやります。
それにしても眠たい。
大阪府、橋下知事体制でいわゆるハコモノ、大揺れ。そのうちのひとつが「ワッハ上方」で、この存続を巡って、ついにワッハ陣営、喜味こいし先生を先頭に立てての直談判、今言うぞう(イマイ ユウゾウ、様!…様て何や!? by夢路いとし・喜味こいし)。府庁に談判、言うた後は同所で会見、その模様が夕方、各局ニュース番組で。
「笑いの本場は大阪で、大阪の笑いが生まれたのが(ワッハのある)千日前。
ここでやるからこそ意味がありますねん。」
会見では両脇に、作家の難波利三氏、そして同館館長を従えて、存続への強い思いを語る姿は、まさに水戸黄門のよう。
「この紋所が目に入らぬか!」
まさに紋所。上方漫才の象徴にような、こいし先生。ただ、これ、演芸界をひとつの家族と例えたなら、おじいちゃんはのんびりさしたったらエエのに、まだ頼らなアカンのかいな。息子も孫も何をしとんねんな…。
もちろん、息子や孫にひ孫も皆、それなりに動いているのですが、その動きがあまり表立って見えて来ない、伝わらない…もどかしい。若い方、この事態をどう捉えているのでしょうか。
演芸資料館というからには、中で展示されているのは、昭和はもちろん、大正、明治にまで遡る名人たちの「足跡」。資料館に限っていえば、いざとなったらモノ言えるのは、やはりこいし先生のような御大にご登場乞うのが一番。ところが、中にある『小演芸場』や、階上のメインホール、さらにその上の『レッスンルーム』などは大御所はもちろん、中堅や若手芸人が出演することが多い。もっと言えば、メインホールと『レッスンルーム』は5階と7階、その間の6階は事務局があって、その隣はフリースペース。若手コンビがネタ合わせに使ったり、打ち合わせなどを兼ねたサロンとして利用しています。
ということは、あの場から生まれた「笑い」も数知れず。例え規模が小さくても、少ない知恵をしぼって、何とか生み出したネタがあとあとになって、大きな花を咲かせることもあるのです。…なかにはワッハで台本デビュー、生まれたは良いがいつまで経っても芽がもう腐りかけのホン書きがココに居てますねンけどね…て放っとけ、放っとけ!(笑)。
先日たまたま、全国ネットのゴールデン番組を見ていたら、それに出演していた藤崎マーケット。元々ピン芸人だった者同士の彼らの、それぞれデビュー当時の映像が流れていました。よく見ると、その映像はテレビ番組ではなく、彼らが出演したイベントの資料映像。画質も粗い。しかしその映像こそまさしく、「キタイ花ん」、ワッハ上方、演芸ホールで定期的に行われていた若手イベントのもので、つまりは藤崎Mがあの場所で揉まれて育ち、やっとの思いで全国区、ライラライ…その記録であり、証なのです。
baseよしもとやB1角座といった常打ち劇場はもちろん、ワッハ上方からも、こんな例はたくさんあります。また、明日のスターを夢見て、これからもこの後にきっと続くことでしょう。
こいし先生が仰る通り、確かに千日前こそ、笑いが生まれる場所、名所。過去を重んじることも大事ですが、未来に賭ける場所でもあってほしいと、ペーペー孫世代から個人的なエールを。
弁がたって、達者な軽口が叩けた茶髪の弁護士として、お手盛りなバラエティ番組にチョチョイとやってきた知事には、はてさて、いかほどまでこの思いが届くことか。
ワッハ上方、まさに…運命の別れ道。
「笑いの本場は大阪で、大阪の笑いが生まれたのが(ワッハのある)千日前。
ここでやるからこそ意味がありますねん。」
会見では両脇に、作家の難波利三氏、そして同館館長を従えて、存続への強い思いを語る姿は、まさに水戸黄門のよう。
「この紋所が目に入らぬか!」
まさに紋所。上方漫才の象徴にような、こいし先生。ただ、これ、演芸界をひとつの家族と例えたなら、おじいちゃんはのんびりさしたったらエエのに、まだ頼らなアカンのかいな。息子も孫も何をしとんねんな…。
もちろん、息子や孫にひ孫も皆、それなりに動いているのですが、その動きがあまり表立って見えて来ない、伝わらない…もどかしい。若い方、この事態をどう捉えているのでしょうか。
演芸資料館というからには、中で展示されているのは、昭和はもちろん、大正、明治にまで遡る名人たちの「足跡」。資料館に限っていえば、いざとなったらモノ言えるのは、やはりこいし先生のような御大にご登場乞うのが一番。ところが、中にある『小演芸場』や、階上のメインホール、さらにその上の『レッスンルーム』などは大御所はもちろん、中堅や若手芸人が出演することが多い。もっと言えば、メインホールと『レッスンルーム』は5階と7階、その間の6階は事務局があって、その隣はフリースペース。若手コンビがネタ合わせに使ったり、打ち合わせなどを兼ねたサロンとして利用しています。
ということは、あの場から生まれた「笑い」も数知れず。例え規模が小さくても、少ない知恵をしぼって、何とか生み出したネタがあとあとになって、大きな花を咲かせることもあるのです。…なかにはワッハで台本デビュー、生まれたは良いがいつまで経っても芽がもう腐りかけのホン書きがココに居てますねンけどね…て放っとけ、放っとけ!(笑)。
先日たまたま、全国ネットのゴールデン番組を見ていたら、それに出演していた藤崎マーケット。元々ピン芸人だった者同士の彼らの、それぞれデビュー当時の映像が流れていました。よく見ると、その映像はテレビ番組ではなく、彼らが出演したイベントの資料映像。画質も粗い。しかしその映像こそまさしく、「キタイ花ん」、ワッハ上方、演芸ホールで定期的に行われていた若手イベントのもので、つまりは藤崎Mがあの場所で揉まれて育ち、やっとの思いで全国区、ライラライ…その記録であり、証なのです。
baseよしもとやB1角座といった常打ち劇場はもちろん、ワッハ上方からも、こんな例はたくさんあります。また、明日のスターを夢見て、これからもこの後にきっと続くことでしょう。
こいし先生が仰る通り、確かに千日前こそ、笑いが生まれる場所、名所。過去を重んじることも大事ですが、未来に賭ける場所でもあってほしいと、ペーペー孫世代から個人的なエールを。
弁がたって、達者な軽口が叩けた茶髪の弁護士として、お手盛りなバラエティ番組にチョチョイとやってきた知事には、はてさて、いかほどまでこの思いが届くことか。
ワッハ上方、まさに…運命の別れ道。
1月に続いてワンコイン寄席、寄せていただきました。前回は雪もちらつき寒さが身がしみたことを思えば、あれから2ヶ月、今回のサブタイトルにあるように、まことに春爛漫な落語日和(笑)。最寄駅から会場への足取りも当然、軽い軽い。
そんなこんなでお昼2時開演。プログラムと感想メモはこちら。
第16回りっくぷち寄席〜上方落語春爛漫〜(大阪・羽曳野市〜LICはびきのホールM/2008年3月16日)
●「時うどん」林家染太
落語ファンならずともお馴染みの「ひとつ、ふたつ、みっつ(中略)…今何時や?」。元気良くトップバッターで登場、落語界のアンパンマンは、その身体に合わせて、うどんを食べる…というよりも『食らう』様は、数多の名人上手が演じるそれとは違った、まるでフードバトルな趣(笑)。しかしこれが、オチに向う後半の、男の間抜けさ、アホさが際立ってひとつの『染太版』に。
このあとの対談では、「入門当時70kgで、師匠のお宅で修業中に100kgになりましてん」…厳しい生活、弟子修業なら痩せていくのが普通なのに、染丸夫人の手料理やらご馳走がよほど美味かったそうで、相当平らげたそうな(笑)。
食べ物を扱った演目も数多い。ジャイアント白田ならぬジャイアント染太、豪快な食いっぷり…いや、高座をまた聴いてみたいものです。
●「金明竹」 露の都
待ってました、都姉さん!。今回も冴えに冴えた、『みやこ噺』(マクラ)は、元祖「ちりとちてちん」秘話満載。女流噺家、東西を通じても第一号は「上方落語彦八まつり」(毎年9月第一週末開催)ではお囃子方を含めた、女流陣を従えて水着姿で踊る、踊る(笑)。数年前にまず踊ろう、となった段で早速水着を買いに行くも、数年ぶりに買うその値段の高さに気が引けた。そこへ、「姉さん、実はウチの兄貴が水着メーカーに勤めてますねん」と救いの声は、後輩の林家花丸さん。早速、水着が数十着送られて、あれもこれもと試着して早速、踊りの練習に興じるも、そばにいた後輩女流陣、
「姉さん、揺れてます、揺れてます。胸と違てお腹の肉が!」(笑)
そのあとたぐるだけたぐったお肉を結局ガムテープで括りつけたら、
「あら、くびれが出た!」
その分、背中に「肉の塊」も出来たという(笑)。
お客の特にご婦人、共感の大爆笑連発『みやこ噺』。このおしゃべりは、特にAMラジオ、放っておいてはいけません。週一でも良いので、お昼あたりに2時間枠ぐらいで、是非「露の都ショー」的な番組が出来るのを期待します。
おっと本題の「金明竹」。商家の丁稚、定吉の『ボケ可愛さ』満載。御寮さんも出て来ます、番頭さんも出て来ます。都師が演じればどれと取っても存在感あるキャラクターに。可愛くて華やかで、締まるところは締まって笑わせて。その様はまるで「ディズニーランド」にも匹敵です。
●対談・露の都、林家染太
女流落語家第一号、入門秘話。都師18歳、1973(昭和48)年当時は圧倒的な「笑福亭仁鶴ブーム」。テレビやラジオで大暴れする姿に羨望のまなざし、その勢いで出演したのが「素人名人会」(毎日放送)。演芸部門の審査は後に五代目桂文枝師が長らく務められるのですが、当時は後の人間国宝、桂米朝師。なので、
「ああ、このオッチャンの私は弟子になるのかな」、ぼんやりと。とにかく憧れた落語界、なんとか当時の名人にお近づきの意味もあって、いざ出演したところ、たまたまその日は代打で、露の五郎(現・露の五郎兵衛)師。これが縁で翌年に入門を果たすも、未だに五郎兵衛師…、
「アノ時は仁鶴ちゃんに憧れてたんやな。ワシはたまたまやったんやなぁ」
何度も何度もチクリとやられるので、都師、今では開き直って、「そうですわ、ええ、ええ!」(笑)。
微笑ましい、師弟。分かってて何度も刺しまくる、五郎兵衛師もお茶目です。
それと一番笑ったのは、現在一緒に「元祖大阪名物あほの会」を主宰する笑福亭仁福師とのエピソード。先輩『仁福兄さん』と懇意になったキッカケは、たまたま都邸で落語家仲間、わいわい飲む機会。酔っ払った『仁福兄さん』、泊めてえなと一晩泊まったは良いが、明くる朝、都師が目覚めていると既に兄さんの姿は無く…。
「あれぇ?仁福兄さん、もう帰ったんかいな?」と布団を畳んでいたら、何やら湿り気が。お宅では愛犬を買っているので、粗相したなと疑うも、当夜は別の部屋に隔離しておいたン。よく見ると『地図』の色も愛犬のその色でもない。むしろ、濃い色(笑)。まさか!はやがて、やっぱり!!に。
当時、仁福師、53歳…
「それ以来、仁福師匠と仲良しになったんですか?」
「まぁ言うたら、犬が縄張り作る、マーキングと一緒ですわ!」(笑)
〜仲入〜
●「延陽伯」桂阿か枝
五代目文枝門下、直弟子20番目の末弟子。ちなみに芸名は「明石出身」で「阿か枝」…さすがに20番目で師匠も「ほな、それでエエやないか」(笑)。そんな具合に師匠とは末弟子で一番歴史も浅いはずなのに、よくよく、特に声を聴けば、何とも文枝師、彷彿。特に今回のような、気品ある女性(延陽伯)が登場する演目は、どんどん自身のものへとますます吸収されるはず。
先日、テレビで文枝師の「立ち切れ線香」の再放送が流れていましたが、阿か枝さん…演るのかなぁ?。聴いてみたいです。
ちなみに阿か枝さん。占いが得意の都師に、「今が運気や、アンタ今すぐ結婚せな、しばらくこの先ないで!」。相手もいなかった阿か枝さんにハッパをかけるだけかけて、その運気はいつまでかと訊けば、
「今から、2ヵ月以内!」…て、出来るかぁ!。次の運気を待ち望んでいるらしい(笑)。
●「天王寺詣り」林家小染
若いころより浪花風味満載。師匠が先代、四代目林家小染師で、小染師が売り出した「ザ・パンダ」に倣って、嘉門達夫・野沢直子が司会の「気分はじゃまいか!」(読売テレビ)という番組では、月亭八方師のお弟子さん、月亭かなめ(現在廃業)、桂きん枝師のお弟子さんの桂きん太郎さん、桂文珍師のお弟子さんの桂楽珍さんらと「パンダ2世」…「DCブランド」という名のユニットを結成。本物のファッションが流行ったころなので、もう20年以上も前か。DCは「弟子」からひっかけ、またダウンタウンらに代表される師匠なしのいわゆる「ノ―ブランド芸人」という言葉が流行ったので、それにもひっかけて「DCブランド」。
小染師の役回りは、先代ゆずりの『もっちゃり』担当。ところがこれが師匠以上の『もっちゃり』ぶり、嘉門・野沢ファンで見ていた番組、「なんと、あか抜けン!」と勝手な当時中高生の私(笑)。
また、若者番組なのに、「ザ・パンダ」2世と言われても、肝心の視聴者層、当時すでに初代を知らない世代。あえなく結果、ユニットは番組ともども空中分解してしまいました。
あれから20年。やっぱり、落語家という帰るべき場所があるのは素敵なことで、年齢に、従来の味がちゃんと落語の世界で追いついて来たのが素晴らしい。体型も若干精悍になられて、先代とも違った浪花っ子の気風も醸し出されたように思います。
今日の演目も、春のお噺、天王寺(四天王寺)さん、お彼岸のお祭り境内の描写は、今でも四天王寺さんで見られることもあり頭ンなかでも画が描きやすく、また、小染師が子供のころに通った郷愁の情景を折り込まれるなど、実に雰囲気が木目細かい。
特に良かったのが、「何言うてるのか分からんのやけど」、喉をしぼりながらゴチャゴチャ売り声を放つ、「おもちゃ売り」。四天王寺ならずとも、近所の夏祭り、ああいうオッサン、おったおった(笑)。そんな情景も、懐かしい年頃になったのか、だから最近、つくづく、落語が面白うてしゃあない。
現在30〜40代で、生の高座未体験な方には、郷愁の小染落語、是非ともオススメです。
最後は全員登場、「お楽しみ抽選会」でお開き。次回は5月11日(日曜日、14時開演)、桂九雀、林家花丸、林家染左、林家市楼…以上の皆さん。やはりお値段、ワンコイン、500円(前売)。よぉ、やってくれてるなぁ…。
そんなこんなでお昼2時開演。プログラムと感想メモはこちら。
第16回りっくぷち寄席〜上方落語春爛漫〜(大阪・羽曳野市〜LICはびきのホールM/2008年3月16日)
●「時うどん」林家染太
落語ファンならずともお馴染みの「ひとつ、ふたつ、みっつ(中略)…今何時や?」。元気良くトップバッターで登場、落語界のアンパンマンは、その身体に合わせて、うどんを食べる…というよりも『食らう』様は、数多の名人上手が演じるそれとは違った、まるでフードバトルな趣(笑)。しかしこれが、オチに向う後半の、男の間抜けさ、アホさが際立ってひとつの『染太版』に。
このあとの対談では、「入門当時70kgで、師匠のお宅で修業中に100kgになりましてん」…厳しい生活、弟子修業なら痩せていくのが普通なのに、染丸夫人の手料理やらご馳走がよほど美味かったそうで、相当平らげたそうな(笑)。
食べ物を扱った演目も数多い。ジャイアント白田ならぬジャイアント染太、豪快な食いっぷり…いや、高座をまた聴いてみたいものです。
●「金明竹」 露の都
待ってました、都姉さん!。今回も冴えに冴えた、『みやこ噺』(マクラ)は、元祖「ちりとちてちん」秘話満載。女流噺家、東西を通じても第一号は「上方落語彦八まつり」(毎年9月第一週末開催)ではお囃子方を含めた、女流陣を従えて水着姿で踊る、踊る(笑)。数年前にまず踊ろう、となった段で早速水着を買いに行くも、数年ぶりに買うその値段の高さに気が引けた。そこへ、「姉さん、実はウチの兄貴が水着メーカーに勤めてますねん」と救いの声は、後輩の林家花丸さん。早速、水着が数十着送られて、あれもこれもと試着して早速、踊りの練習に興じるも、そばにいた後輩女流陣、
「姉さん、揺れてます、揺れてます。胸と違てお腹の肉が!」(笑)
そのあとたぐるだけたぐったお肉を結局ガムテープで括りつけたら、
「あら、くびれが出た!」
その分、背中に「肉の塊」も出来たという(笑)。
お客の特にご婦人、共感の大爆笑連発『みやこ噺』。このおしゃべりは、特にAMラジオ、放っておいてはいけません。週一でも良いので、お昼あたりに2時間枠ぐらいで、是非「露の都ショー」的な番組が出来るのを期待します。
おっと本題の「金明竹」。商家の丁稚、定吉の『ボケ可愛さ』満載。御寮さんも出て来ます、番頭さんも出て来ます。都師が演じればどれと取っても存在感あるキャラクターに。可愛くて華やかで、締まるところは締まって笑わせて。その様はまるで「ディズニーランド」にも匹敵です。
●対談・露の都、林家染太
女流落語家第一号、入門秘話。都師18歳、1973(昭和48)年当時は圧倒的な「笑福亭仁鶴ブーム」。テレビやラジオで大暴れする姿に羨望のまなざし、その勢いで出演したのが「素人名人会」(毎日放送)。演芸部門の審査は後に五代目桂文枝師が長らく務められるのですが、当時は後の人間国宝、桂米朝師。なので、
「ああ、このオッチャンの私は弟子になるのかな」、ぼんやりと。とにかく憧れた落語界、なんとか当時の名人にお近づきの意味もあって、いざ出演したところ、たまたまその日は代打で、露の五郎(現・露の五郎兵衛)師。これが縁で翌年に入門を果たすも、未だに五郎兵衛師…、
「アノ時は仁鶴ちゃんに憧れてたんやな。ワシはたまたまやったんやなぁ」
何度も何度もチクリとやられるので、都師、今では開き直って、「そうですわ、ええ、ええ!」(笑)。
微笑ましい、師弟。分かってて何度も刺しまくる、五郎兵衛師もお茶目です。
それと一番笑ったのは、現在一緒に「元祖大阪名物あほの会」を主宰する笑福亭仁福師とのエピソード。先輩『仁福兄さん』と懇意になったキッカケは、たまたま都邸で落語家仲間、わいわい飲む機会。酔っ払った『仁福兄さん』、泊めてえなと一晩泊まったは良いが、明くる朝、都師が目覚めていると既に兄さんの姿は無く…。
「あれぇ?仁福兄さん、もう帰ったんかいな?」と布団を畳んでいたら、何やら湿り気が。お宅では愛犬を買っているので、粗相したなと疑うも、当夜は別の部屋に隔離しておいたン。よく見ると『地図』の色も愛犬のその色でもない。むしろ、濃い色(笑)。まさか!はやがて、やっぱり!!に。
当時、仁福師、53歳…
「それ以来、仁福師匠と仲良しになったんですか?」
「まぁ言うたら、犬が縄張り作る、マーキングと一緒ですわ!」(笑)
●「延陽伯」桂阿か枝
五代目文枝門下、直弟子20番目の末弟子。ちなみに芸名は「明石出身」で「阿か枝」…さすがに20番目で師匠も「ほな、それでエエやないか」(笑)。そんな具合に師匠とは末弟子で一番歴史も浅いはずなのに、よくよく、特に声を聴けば、何とも文枝師、彷彿。特に今回のような、気品ある女性(延陽伯)が登場する演目は、どんどん自身のものへとますます吸収されるはず。
先日、テレビで文枝師の「立ち切れ線香」の再放送が流れていましたが、阿か枝さん…演るのかなぁ?。聴いてみたいです。
ちなみに阿か枝さん。占いが得意の都師に、「今が運気や、アンタ今すぐ結婚せな、しばらくこの先ないで!」。相手もいなかった阿か枝さんにハッパをかけるだけかけて、その運気はいつまでかと訊けば、
「今から、2ヵ月以内!」…て、出来るかぁ!。次の運気を待ち望んでいるらしい(笑)。
●「天王寺詣り」林家小染
若いころより浪花風味満載。師匠が先代、四代目林家小染師で、小染師が売り出した「ザ・パンダ」に倣って、嘉門達夫・野沢直子が司会の「気分はじゃまいか!」(読売テレビ)という番組では、月亭八方師のお弟子さん、月亭かなめ(現在廃業)、桂きん枝師のお弟子さんの桂きん太郎さん、桂文珍師のお弟子さんの桂楽珍さんらと「パンダ2世」…「DCブランド」という名のユニットを結成。本物のファッションが流行ったころなので、もう20年以上も前か。DCは「弟子」からひっかけ、またダウンタウンらに代表される師匠なしのいわゆる「ノ―ブランド芸人」という言葉が流行ったので、それにもひっかけて「DCブランド」。
小染師の役回りは、先代ゆずりの『もっちゃり』担当。ところがこれが師匠以上の『もっちゃり』ぶり、嘉門・野沢ファンで見ていた番組、「なんと、あか抜けン!」と勝手な当時中高生の私(笑)。
また、若者番組なのに、「ザ・パンダ」2世と言われても、肝心の視聴者層、当時すでに初代を知らない世代。あえなく結果、ユニットは番組ともども空中分解してしまいました。
あれから20年。やっぱり、落語家という帰るべき場所があるのは素敵なことで、年齢に、従来の味がちゃんと落語の世界で追いついて来たのが素晴らしい。体型も若干精悍になられて、先代とも違った浪花っ子の気風も醸し出されたように思います。
今日の演目も、春のお噺、天王寺(四天王寺)さん、お彼岸のお祭り境内の描写は、今でも四天王寺さんで見られることもあり頭ンなかでも画が描きやすく、また、小染師が子供のころに通った郷愁の情景を折り込まれるなど、実に雰囲気が木目細かい。
特に良かったのが、「何言うてるのか分からんのやけど」、喉をしぼりながらゴチャゴチャ売り声を放つ、「おもちゃ売り」。四天王寺ならずとも、近所の夏祭り、ああいうオッサン、おったおった(笑)。そんな情景も、懐かしい年頃になったのか、だから最近、つくづく、落語が面白うてしゃあない。
現在30〜40代で、生の高座未体験な方には、郷愁の小染落語、是非ともオススメです。
最後は全員登場、「お楽しみ抽選会」でお開き。次回は5月11日(日曜日、14時開演)、桂九雀、林家花丸、林家染左、林家市楼…以上の皆さん。やはりお値段、ワンコイン、500円(前売)。よぉ、やってくれてるなぁ…。
毎日新聞朝刊2008(平成20)年3月18日付の「河内家菊水丸の墓標慕情」は、初代桂春団治(1878〜1934年)が眠る、大阪・池田市、受楽寺にて。記事にもある通り、菊水丸師にとっては同じ吉本の大先輩。戦前の吉本興行(当時表記)の大スターを慕ってのお墓参り。同じく記事をクリック拡大でご覧いただきますと、文章の最後には現在の三代目桂春団治師とのちょっとしたエピソード。身を削るオチ(笑)。音頭師が落語家さんについて記されているので、載せてみました。
一方で逆に落語家さんが河内音頭について記したのがこちらの記事。桂文福師責任編集によります、「桂文福いちもん新聞」(2008年1月 第67号)。新聞といってもこちらは通常の販売新聞ではなく、文福師をはじめ、五代目桂文枝一門方々の落語会や、天満天神繁昌亭などで配布されている、いわばパンフレット。こちらに載せる際にレイアウトを変更させていただきましたが、実際は折り込み1枚、A4サイズ4ページ分にも及ぶ渾身編集。一門皆さんの近況コラムなどなど充実の内容。そのなかで、編集長・文福師のコラム『文福のおいやんストーリー』では、今年のお正月に放送された「大笑点スペシャル」(日本テレビ/2008年1月1日放送)へ出演されたいきさつ、エピソードが。
やはりクリック拡大でお読みいただきたいのですが、出演決定打となったのが特に赤ライン部分にある、文福師自慢ののど、河内音頭。これが興じて、本番では林家木久扇師の「いやんばか〜ん」、夢のコラボレーション実現は記憶に新しいところで、私めもDVDに残して永久保存に(笑)。
ではなぜ文福師が河内音頭を手掛けられるようになったかというと、もちろん元々好きだったことも加えて、落語家としては、肝心のおしゃべりが元々吃音気味だったところを自ら嬌声する意味もあったそうで、また、河内音頭に乗せると不思議に流暢に語れるのが何よりの要因だった、と伺ったことがあります。
音頭は古典や新聞詠みともまた違う、オリジナルの歌詞に乗せたお祝いソングへと仕立て上げ、方々のパーティーでは待ってましたの、宴会ティナーに。また、1984(昭和59)年には、自らの企画で24時間河内音頭に挑戦。これをABCラジオが乗って、今の大淀社屋、大阪タワー前に特設櫓を組んでその模様は、各ラジオ番組で随時中継。見事記録達成して周囲もやれやれお疲れ様と労っていたら、
「ま、まだこのあと余興(営業)で歌いまんねん!」(笑)。
結局24時間以上もエンヤコラセ〜、唸りに唸り捲くったといいます。また、24時間音頭。付かず離れず終始一貫、バックでギター演奏していたのが、今の河内家菊水丸師だったそうで、当時の思い出を語ってくれた文福師曰く、
「菊ちゃんも、『兄さん、僕、指、腱鞘炎になりそうです〜(笑)』言いながら、ようやってくれたと思いますわ。よう出来た男でっせ、ホンマに」と今も感謝でいっぱいだと、こちらも嬉しく伺いました。
文福師は花月の舞台でも菊水丸師とは「河内音頭」で共演した仲。そういえば今から約20年前、改装前の「うめだ花月」で西川のりお師のプロデュースイベントでも、やはり共演の音頭を。このときの模様を毎日放送が中継し、確かその番組を録画保存しておいたはずですが、さぁ、それが…毎度雑多のあちらこちらのどこへやら…。
その直後に、文福師は吉本を離れられます。当時、特に上方の落語家さんといえばどこかの事務所に所属されていて、ましてや大吉本を抜けた文福師の行く末も周囲には大変危惧されたそうですが、どこ吹く風。持ち前のご陽気ぶり、相撲甚句と河内音頭で見事乗りきり、まさに芸は身をたすく。
今年で独立20周年を迎えられ、以来、フリーで活躍される落語家さんも増えました。ある意味、落語界におけるひとつの先鞭をきったのが、文福師だったといえるでしょう。
文福師と菊水丸師。文福師が吉本を離れられてから、高座での競演は少なくなってしまいました。折角の河内音頭の義兄弟、見応えのある競演なのに勿体無い…。
実はかねがねの夢として、ご両師には大変お世話様いただきますゆえ、余計なお世話かと思いますが、いつか、「文福・菊水丸二人会」のような会が出来たらな、と希望を抱いておるのですが、どうなりますことやら…。当然、楽しい会となること間違いなし。
最近やたらとスパム系統なコメントにトラックバック、にぎやか。別ににぎやかなのは結構なんですが、中身が中身、無関係なだけに迷惑なん!
従いまして、お寄せいただきますコメント等は一旦、承認後のうえ公開にと、システムを変更いただきました。せっかくのテンポが崩れてしまい大変残念ですが、ご了承のほどお願い致します。
それにしてもエロサイトめ。エロは嫌いとはいわん。むしろ大好きなン(笑)。けれどもエロにも流儀っちゅうのがあるやろが。土足であちこちウロウロしやがって、場所ワキマエんかい、ホンマ!。
しまいに、はったおっそォ!ワ〜レ〜!!
…はぁ、すっとした。
さっ、ほな、芋食うて屁ぇこいて、漫画エロトピア読んで、寝よ(笑)
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それにしてもエロサイトめ。エロは嫌いとはいわん。むしろ大好きなン(笑)。けれどもエロにも流儀っちゅうのがあるやろが。土足であちこちウロウロしやがって、場所ワキマエんかい、ホンマ!。
しまいに、はったおっそォ!ワ〜レ〜!!
…はぁ、すっとした。
さっ、ほな、芋食うて屁ぇこいて、漫画エロトピア読んで、寝よ(笑)





