NOMI08

笑福亭仁鶴9・26に独演会開催!DVDなども販売


◆ ハイビジョン撮影は前代未聞の試み ◆

 落語家・笑福亭仁鶴(71)が、大阪・なんばグランド花月9月26日に独演会を開くことになり30日、大阪市中央区の吉本興業で会見した。

 2006年4月にスタートし今回が4回目。当日は「向う付け」「次の御用日」を披露する。

 過去3回分を収録したDVDとCDに、250ページ超の本がセットになった記念ボックス(税込み2万5200円)も独演会当日から発売。DVDは数台のハイビジョンカメラやクレーンを駆使する前代未聞の試みで撮影。仁鶴は「映像は申し分ない。ただ、なぜか新しい試みの、一番最初の実験を私がやらされるんですわ」と苦笑でPRした。

◆ 落語ファン必見 ◆

 本にはロングインタビューや秘蔵写真、92年末に収録された古今亭志ん朝さんとの対談など掲載。落語ファンにはたまらない作品となりそうだ。
 (スポーツニッポン大阪/2008年7月31日付)

nikaku04 いやぁ、過去3回見逃していただけに、これは是非もんで寄せていただきたい、恒例の独演会。それとようやくDVD、CDボックス発売の運び。スゴイなぁ、2万5200円…こりゃ髪の毛や内臓売ってでも、買いですなぁ(笑)、と記事を読み進めたら、豪華本でロングインタビュー…って、ああ、このことか!

 いやいや、実は笑福亭仁鶴師と、三代目古今亭志ん朝師の対談の部分を少しだけお手伝いさせていただきました。ボックスの特典本になるとは今回の記事で初めて知りました(笑)。

   ☆   ☆   ☆   ☆   ☆   


 何もない戦後の、上方落語自体が滅亡したとさえ言われた時代、明日をも知れぬ荒野にひたすら種を蒔き、水をやり続けてと、その礎を築いてこられたのが後の上方落語四天王。これらの尽力を受けて、今度はラジオ・テレビを通じて、全国区へ上方落語の存在を知らしめたのが仁鶴師。演芸界の勢力地図までも塗り替えてしまうという、八面六臂どころか十六面十二臂の大活躍ぶりは日本中のお笑いファンの、五臓六腑に沁み渡ることとなりました。1970年代初頭、空前の上方落語ブームです。
 ラジオやテレビで「どんなんかなあ」と叫んでおられたころは私め、まだ生まれる前後の話なので決してリアルタイムではありませんが、歴史の事実、このときの仁鶴師なくして後に続く世代の名人、看板の存在も無かった…といえば言い過ぎか。けれども天満天神繁昌亭のような定席の完成は、もっともっと時間がかかっていただろうと思います。

 四天王に続いたあのころ仁鶴師及びその世代の人気者、名人がさらに蒔いた種が、世紀をまたいだ今の時代、いかにあちこちで大輪の花を咲かせていることか。後も大後に、落語がこんなに面白く奥深いものと認識出来たのは、すべてはその恩恵、おかげです。

 笑福亭仁鶴…歴史を作って、数々の伝説も打ちたてて、なおかつ現役として落語のみならず演芸界全体を牽引し続ける圧倒的な存在感…。これらを十分に詰め込んだ今回の記念本。メインのロングインタビューに秘蔵写真やらと読みどころいっぱいの、全部で250ページ超と、もはや特典の域を超えた本格的な渾身の一冊!、まさしくファン必見必読の豪華版となることでしょう。

 独演会(『第四回なんばグランド花月 笑福亭仁鶴独演会』大阪・千日前〜なんばグランド花月/2008年9月26日)当日発売のDVD・CDボックス。落語を見ながら聴きながら、そして本を読みながらと五感いっぱいに「笑福亭仁鶴の世界」が満喫出来ます。

 まさに、「どんなんかなぁ?」と、どうぞ、お楽しみに!!。
 「わざする」…「わざ・する」(名詞+動詞)
 …古い大阪弁なのかもしれないが、「わざ」とは「害」という意味で、標準語で言うなれば、「害する」、もしくは「損する」という意味も含まれる。

 用例…芸人が、芸人以外のこと手ェ出したら、ホンマ、わざするだけや

 …と、いきなり国語辞典風なことを連ねてみたのだが、この用例通りの事件、というか、騒ぎ、というか。早い話が、好調にあったたむらけんじさんの焼肉屋さんの件。昨日昼間のテレビでたまたまその謝罪会見を拝見したが、まぁ、何とも出会い頭の事故というか、被害者の方も含めて、お気の毒としか言い様がない。事が起こった名古屋のお店はともかく、全店一応の休業で、絶好調のお商売、ひとまず小休止。同業の焼肉屋さんの頬が緩む姿が思わず目に浮かびそう…。対岸の火事、けれども明日は我が身で衛生管理引き締め一層、緩んでばかりもいられないのが、お商売の厳しい道である。

 会見で記者から思わず「絶好調の奢りがあったのでは」という厳しい意見も飛んでいたようだが、たむけんさんご当人はもちろん、「絶好調だからこそ謙虚な姿勢で」と改めて強調されたそうで、それは芸人さんとしての姿勢を見てもその思いはよく分かる。

 数年前、一度だけロケ先でそのお仕事ぶりを拝見させてもらったことがあるが、放送ではわずか1分も流れないロケにも関わらず、会場に集まった1000人以上の高校生をケンドー・コバヤシさんとの掛け合いで、40分以上、最後まで爆笑をさらっていた。さすがに先日の明石家さんま師ではないが、終演後のご両人、「調子に乗って、やってしまいました。」と心地の良い疲労感に包まれながら、「編集でお手数かけます(笑)」のスタッフへの気遣いもあって、最後までの心意気にさわやかな気持ちで、どうもお疲れ様でした、となった。忘れられない光景である。当時はまだ焼肉屋さんの片鱗すらなく、ただひたすらの芸道驀進。漫才コンビを解消し、しばらくの低迷を経て、ピン芸人として再出発から数年、ぼちぼちと東京の番組にも進出したりで、本業としては日の出の勢いにあったころではないだろうか。

 その勢いに乗って、あれよあれで、何時の間にか焼肉屋さん経営。テレビのなかで、周囲の芸人仲間にイジられながらお店の知名度は浸透し、あっという間に外食王たらん、経営者としての風格。同時に獅子舞芸という新境地で、笑いと商い、笑商両道、たむけん「たむら」ここにあり。

 両道はなかなか厳しい環境にあったと思われるが、それも才能のうち…と、ここまでは良かったのですが…と、ここからは個人的な感想で、

 1号店の成功を受けて2号店の、これまた成功があって、今度は3号店を名古屋で…と報じられた時点で、思わず「大丈夫?」。大阪、東京多忙のタレント活動のなか、拠点の大阪はまだ目が届くとしても、名古屋では、レギュラー番組をお持ちなのか。お持ちだとしても、大阪の2店舗のようにしょっちゅう直接、店にも伺う余裕はまぁ無いだろう、と勝手に想像したりもした…が、それでも合間を縫って電話連絡やらもちろん直接訪問やら、その目は届いていたようです。でも、ホンマに大丈夫?。

 まさか当人見ず知らずのところのしかも密かな胸騒ぎ。今さらこの後に及んで、余計な老婆心だと思われるだろうが、そうこうするうちに須磨海岸の「海の家」が夏季限定で開店する、それをまたテレビが追う。そうなるとタレントである以上に、副業王な趣で取り上げられる、勢いが加速する、完全に「芸人」よりも比重が「焼肉屋」になる、その期待を背負うようにますます商売にのめりこむ。またまたテレビが追う、周囲の芸人さんもなお一層イジりだす、それにもめげず「ちゃ〜」と笑いを取りつつ反撃してみせながら、「みんな、ありがとう!」みたいな空気までテレビで流れる、それ見た視聴者も「いっぺん食べに行きたいなぁ」という思いがなお一層募る。商売ますます繁盛する、「8月いっぱいで、全店舗売上目標5000万円や!」、行け行けドンドン経営才がさらに加速する…。

 要するに、特に「焼肉屋」の勢いが増すにつれ、余計ながら、芸人さんとして大丈夫?…という思いがますます募るところであった。というよりも、もちろん芸人らしいイジられ方ながらも、周囲の、まずテレビ番組やらが「焼肉屋成功タレント・たむらけんじ」を持ち上げるだけ持ち上げた、あんな御輿の担ぎ方。これ、何ぞあったとき「知らんで」みたいな、テレビで焼肉屋が紹介される、たむけんさんを見るにつけ、個人的、変な胸騒ぎしていたところだ。というて、別に今回の騒ぎを予見していたわけでもなく、また予見が当たりますように、という期待は毛頭ない。ただ、こういう勢いにあって、タレントさんの副業あれこれ紹介する番組も増えたりして、それらも含めて、まずはテレビ番組の作り方も、「何か安直やなぁ」である。こんな安直なムードにまさかタレントさん、飲み込まれはしないだろうか。

 最近そういえば、花畑牧場のキャラメルが当たった、田中義剛さんを紹介した番組を見ていたら、あの牧場のキャラメル製造の工程やら、経営者としての義剛さんの懇切真剣な想いやらが色々紹介されていて、まぁ、別段どうという思いを抱いたわけでもないのだが、番組のなかで、語った一言がズシリと響いた。

 「たむけんの焼肉屋みたいな成功例がありますが、義剛さんのキャラメルも、全国拡大の展開などは?」。司会のメッセンジャー黒田さんによる、確かこういう質問だったと思うが、これに対して義剛さんが例の口調で、ボソッと一言、

 「いやいや、拡大のときこそ、崩壊の始まりなんだって(笑)」

 これを受けて、「おい、たむけん聴いてるか!(笑)」と黒田さんもシャレておられたが。

 「拡大のときこそ、崩壊のはじまり」という言葉。そういえばこれまでの様々な企業崩壊の原因がまさしくほとんどがそうであった。それに比べ、まさか大企業ではないけれども、タレントとしての知名度に商品自体の拡大は、いくらでも可能であるはずだ…が、義剛さんはそれを拒むのである。また、あのキャラメル自体も、タレントとしての知名度どころか、まったくの「一牧場」のお土産から出発したもので、評判は徐々に浸透。その間際で今度は、同じ北海道名産の雄であった「白い恋人」の例の騒ぎを傍で眺めた。だからこそ、余計にその職人的思いは深まるのであったと、つい先日の番組だで紹介されていたことだ。

 とにかく、このたむけんさんの成功を受けて、タレントの副業ブームである。「ブームの一言で片付けるな」と真剣な思いのタレントさんもいらっしゃるだろう。実際に怒られたらもう謝るしかないのだが、それにしても、もし何ぞの事態が起こったときは、そのときは、タレントの顔で謝罪するのか。それとも経営者の顔として謝罪するのか。その一点にこちらの思いは尽きてしまう…が、今回かような騒ぎが、ブームの先駆者だからというわけでもない、真っ先にたむけんさんの下でまず実際のものとなってしまった。で、会見である。間違い無く、たむけんさんの顔は、「経営者」のお顔であった。誠心誠意の謝罪会見である。経営者としての顔の分、全店舗休業のお咎めである。

 さぁ、その一方で、タレントとしての顔。さっそく会見当日夜の番組で、「焼肉屋たむら」、獅子舞姿でちゃぁ〜っとコントのネタになっていた。もしもひょっとして、番組のなかで「この番組は○月×日に収録したものです」というテロップが流れたりしたら、それこそどうしたものかと危惧もしたが、それも無いところを見ると、どうやら、タレントとしてのお咎めはだけはさすがに免れたようにも…思う…が、今後の成り行き位間によっては、事と次第によると、という事態も考えられる。何せ、色んな意味での、この「ご時世」である。個人的にはもちろん、別個のもんだと思うので、是非ともこのままタレント業で邁進してもらいたいと願っている。

 それどころか、一通りの、騒ぎに区切りが付いたら、別段とりたてて、その必要もないのだが…心の底では、「ネタにして!」という思いがふつふつと、沸く。

 獅子舞の扮装、獅子頭を取れば、上半身裸の胸元、「カンタロバクター菌をぶっ飛ばせ!」とか書いてみたり。出囃子に合わせ、♪カンタロバクター、やっつけろ〜!…と陽気に歌いながら、頭をとれば、真面目な顔で「このたびはどうもすみませんでした」…緊張と緩和ならぬ、緩和から緊張と、新たなパターンの笑いでもある(そうでもないか?)。また店舗休業開け、原因となった生レバはとりあえず夏のあいだは自粛するだろうから、涼しい季節になれば胸元、「生レバ、はじめました」…とか。

 あと、一番タイムリーなのは、北京五輪にあやかって、「『たむら』で菌!」(笑)。

 一応、あくまでもシャレであるが、けれども、笑いというのはどこかで不謹慎な要素を、少なくともどこかで期待してしまう部分は正直、誰にでもある、はず。が、世の中はどこまでそれを許してくれるか、という問題もある(そのなかには、当然世間体の偽善も含まれている)。だとすれば、別にテレビでネタにしなくてよい、ライブ限定も構わないと思う。それに応えてこそ、芸人のしたたかさというものだ。

 芸人としての心意気が、まだ健在であるならば、今回のことは是非とも何らかの形で笑い飛ばして欲しいと思う。事態は事態であるが、芸人として失速してる場合ではない。

 さらに個人的に願わくばであるが、ある時期の「食中毒ネタ」の旬が済んだあたりで、そろそろ、焼肉屋、商売の旨みを取るか、それとも芸人さんとしての「オイシさ」を取るか。…もうどちらか一本に決めてしまっても良いのではないかとさえとも、思う。

 芸人が芸人以外のことしたら、ホンマ、わざするだけや。

 ちなみにこの言葉は、ある著書にて語られていた桂米朝師匠…人間国宝にして元祖「ちゃ〜」ちゃん(お弟子さんたちから敬愛を込めて『ちゃーちゃん』と呼ばれている)のお言葉である。
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 「FNS27時間テレビ!!みんな笑顔のひょうきん夢列島!!」(フジネットワーク27社/2008年7月26〜27日放送)。録画していたHDDからDVDへとダビングしながらもう一度大爆笑。また、出演者のラサール石井さんのブログを見付けて拝見してみたら、華麗なるエンディング後の打ち上げの模様がお写真で。明石家さんまビートたけし史上最強のご両人が、それぞれグラス片手に、しかもお疲れのところながらも立ち話で談笑しあう、もうこれ以上ないカッコイイ2ショットのお写真が掲載されております。

 お写真を見れば、あんなに照れ屋で有名なたけしさんが、久々の競演のさんまさんにもっと照れ臭がってもしまいそうなのに、しっかり目を見て喋ってる(風にも見える)。ということは、あれこれ笑いについて語り合いたいと盟友との願い。ほかの出演者も近付けない瞬間です。こういう形で名コンブ復活、叶って心底から喜んでおられるようにも伺えます。願わくば、番組真夜中『さんま・中居の今夜は眠れない』で語っておられた、ゆくゆくは2人で養老院でも入ろうな…是非とも実現して欲しいもの(笑)。

「年下やからて、なんで、アンタのシモの世話せなアカンの!」

ナンだよ、チキショー!そんときゃオイラ、デッカイ ウンコしてやる!!」

…イイなぁ(笑)
 
 そんな日本一の職人仕事を終えた、心地良い疲労感に包まれた笑いのヒーロー揃い踏み、最高のショットに加え、番組のなかで怪演が光った、ラサールさん、久々の「石井社長」「橋田スカ子」。それに新作「台場キッ兆の女将」のお写真もちゃんと見られますよ(笑)。

 あえてリンクは致しません。番組を楽しまれた方や心の底からお笑いが大好きな方は是非とも、ラサール石井さんのブログ、検索などで見つけて、どうぞご覧になってみてください。

 ああ、本当に、♪笑い〜って、素晴らしい〜。…しょうゆ〜こと!
egao 「FNS27時間テレビ!!みんな笑顔のひょうきん夢列島!!」(フジネットワーク27社/2008年7月26〜27日放送)。リアルタイムで見られなかった箇所や、もう一度見たい場面を後追いHDDで途中早送りしつつ、27時間分、なんとかかんとか。

 それにしても、明石家さんま師を筆頭にベテラン、中堅、若手までとまさに芸人総力戦。ビートたけし師の「タケちゃんマン」でのエンディング。それと総合ディレクターを務めた三宅恵介氏のあっと驚く「定年延長」というモノすごいオチ(笑)。一緒になって水まみれ、粉まみれと同時に、「ウィリアムテル序曲」…。鳥肌ものである。最高に笑えて、しかもカッコ良かった瞬間でした。

 「オレたちひょうきん族」に始まって、それを見て育った世代が今や看板芸人にと上り詰めるも、さらにその上を行く、さんま師やたけし師の大奮闘ぶりにはまだまだお手上げ状態。というよりも今回の場合は、出演者はもちろん、スタッフも含めての色んな意味でそれぞれの約20年間、走馬灯のまる1日ではなかったろうか。そんな 「オレたちひょうきん族」がスタートしたのが1981(昭和56)年と、今からもう27年も昔の話。1989(平成元)年に番組が終了してからもすでに19年の月日が流れていて確実に「ひょうきん」を知らない子供たち、当然増え続けてはいる。恐らく若い世代の視聴者は、何となくのお祭り的雰囲気は楽しめても、全体の細かい雰囲気をどこまで楽しめたのかはちょっと気にもなる。

 そんな「ひょうきん族」以来の、もっといえば、「ひょうきん」が始まる以前のお笑い番組を取り巻く状況ぶりを現場はもちろん、テレビの視聴者として眺めてきた、30代、おそらく後半以上の世代はお腹一杯に楽しめたはずで、かくいう自分もそう。

 今回の27時間は、その「オレたちひょうきん族」をフォーマットの基本としつつ、三宅ディレクターによれば、今回の27時間。実は昨年の「24時間テレビ愛は地球を救う」(日本テレビ)へのオマージュでもあったそうだ。先日、読売新聞に掲載されたインタビュー記事によれば、

「フジの24時間は日テレの感動路線の24時間、そのパロディとしてスタートしたものです。だからもう一度、フジでも笑いという原点に戻ろう。それと、去年の日テレでは、萩本欽一さんのマラソンがあった。あちらが欽ちゃんを看板に原点に戻ったなら、こちらももう一度、原点だ、と企画しました」(要約)
 欽ちゃんが日テレ24時間の原点であるのと同時に、三宅ディレクターにとっては、「萩本欽一」もまた、自身の原点であられるからだ。欽ちゃん全盛の「欽ちゃんのドンとやってみよう!」(フジテレビ/1975〜1980年)では下っ端ディレクターとして前説なども担当している。前説ながら収録会場のステージにも登ったのだから、「演者」としての心構えも懇々と仕込まれた、と別のインタビューでも三宅氏は語っておられた。そんな経験がトップディレクターとなって「オレたちひょうきん族」でも生かされた。「欽ドン!」でお馴染みとなった、CM前後、街の素人さんに番組名を叫ばせるコーナー。緊張してなかなか「欽ちゃんのドンとやってみよう!」と言えない失敗シーンを笑ったのは、その後の「空を見ろ、鳥だ、飛行機だ…あっ、タケちゃんマンだ!…これでイイの?」へと流用され、自身も「三宅デタガリ恵介」として、♪ひょうきんパラダイス〜と、ブラウン管へ躍り出た。土曜8時のお笑いの「伝統」がここに見てとれる。と、「伝統」といえば堅苦しいが、これはお笑いにとっては、ネタフリ、伏線だとも言い換えることも出来る。

 今回の27時間は、「オレたちひょうきん族」以降、27年のお笑い史が、まさにこの日に結実するためにあったといっても過言ではない。いわゆるフリが連綿と張巡らされ続けた歴史を27時間に凝縮させた内容だったとも言える。

 笑いのなかで、伏線やネタフリというものは、ある意味、ガマンの作業である。だとしたら、長いガマンやなぁ〜(笑)。けれども、そのガマンは、大事にオチに向っての大前提で必須条件。もちろんそのオチが受けるかどうかの確証はないのだけれど、これが見事、ド〜ン!とハマったときは、「ああ、ガマンして良かった!」。それはオチでウケた以上に、途中のガマンし甲斐を、自分で自分を誉めてあげたいと思える瞬間である。「笑いを計算する」というのは、ある意味、オチまで繋ぎ続ける、ネタフリの構成作業を言うのかもしれない。言葉や動きで笑わせつつも、実は数学的素養が多く求められるのが、笑いなのだと思う。

 たからといって番組では、その27年間ばかりを顧みても仕方が無い。「明石家さんま」という現在の基準を軸に、この先未来へと繋げていかなくてはならないからだ。そのひとつが、真夜中を中心とした若手コーナーであった。

 若手コーナーを見て気になったことがある。最近のお笑いは、あまりこういう数学的素養…見られないし聴かれない。特にテレビでは、そういうまどろっこしい作業をしてる合間に別のチャンネルに替えられてしまうから、すぐに答えを求められる。すぐに答えを出さなければならないということは、結局、難解な素因数分解の問題を解くよりも、簡単な足し算、引き算問題に限られることになる。その足し算、引き算こそが、いわゆる一発ギャグだと言い換えることも出来るのだろうが、なかには、そんな一発ギャグ…足す引くどころか、解答を、「答えられませんでした!」と平気で諦めるというか、逃げてしまう輩が何と多いことか。いわゆる、「あ、すべっちゃった!」とか「もう何もおもしろいボケが浮かびません!」という、人一倍な言い訳のことだ。ここ何年のお笑い番組、もうそんな言い訳ばかりで飽き飽きしそう。

 やっぱり、どの世界でも言い訳はよくないと思う。例えやるだけやったとしても、プロならちゃんと、ダメで元々でも良いから、答えぐらいは出すべきだ。いや、言い訳で笑いが取れればまだマシだ。言い訳よりも前に、「出来ませんでした」と最近は涙を流したバカタレがいた。だったらもう、テレビに出なくてイイと思う。泣いて許してもらえば、テレビどころか、それこそ警察もいらない。
 あと、さんま師とある若手芸人とのトークで、

「最近は1分ネタとか言うて、皆1分でようまとめてると思うわ。オレらの時代は15分で一本(のネタ)やからなぁ。みんなエライわ〜」

これにある若手芸人は、
「いえいえ、逆に私たち、15分のネタが作れませんから」

…大御所への謙遜もあろうが、その若手芸人の雰囲気には、何かしら妙な自慢気にも聞こえる。さんま師の「みんなエライわ〜」を真にでも受けているのだろうか。だとしたら、相当、頭が悪い。お笑い怪獣をなめてはいけない。
 笑いのネタは15分、ネタ、苦しんで苦しんで何とか完成させたら、あとはこれを30分にするのも案外楽で、5分、3分、いや1分に縮めるのは事に台本上では、もっと楽なのである。15分というのは、笑いの大体のパターンが積め込めて、30分に倍化させるのは、そのパターンを繰り返しながら、なかで一番ウケたネタを最後のオチに持って行けば良いのである。一方で縮める作業も、要はウケると思う場所を繋げれば、理屈としては簡単なこと。ただ、その作業は相当の、やはり時間を労するのだが、まず15分の完成したネタを持っていることは、何よりの財産である。それを、1分を前提にしてネタを作ると…。これを15個並べたからといって、15分のネタには、実はならないのである。やっぱり、15分持たせるには、それなりの山場やネタフリのガマンのしどころなど、何のかんのと構成作業が必要なのである。また、ガマンすればするほど、笑いの筋力も鍛えられるのに、それを放棄してるのか、「やらなくても良い」とハナから踏んでいるのか。しかも「作れません」と否定してしまうところは、プロとするならとても恥かしい行為だとも思う。ハッタリでもウソでも、プロなら毅然とした態度であれとさえ思う。

 とにもかくにも、その若手芸人に限らず、そんな考えや作り方のままでは、おそらく20年後に27時間テレビ…いや、30分の冠番組すら、任せられないとも思う。

 超絶バトルの27時間テレビ。さんま師もたけし師も島田紳助師も、笑福亭鶴瓶師も、ダウンタウンも、コサキン(小堺一機・関根勤)も、ラサール石井(コント赤信号)師も…皆さん、テレビというフィールドを目指しながら、劇場というライブのフィールドで15分という基本に積んでこられたばかり。お笑い総力戦ながら、テレビ育ちの若手とは違った、地肩の強さを見せつけられた。といって、若手の今回を切り捨てるのも簡単であるが、ここはやはり、今からでも遅くはない、「15分が基本」という環境をもう一度、見直さなくてはならないとも思う。

 「笑顔のまんま」…と未来永劫いつまでも続きますように。やっぱり屈託がなく笑える世の中が一番素敵です。

 その分、努力しましょうよ…ざんげで粉まみれになるエエ年こいたそれでいて、輝かしいオッサンたちの姿を見て、我が身にも改めて言い聞かせてみた次第。
 このライブに寄せてもらったのは、それはもうひょんな通りすがりから始まった。というのもこの日は昼過ぎから細かい細かい、実にみみちい商いの(笑)、打ち合わせのためにミナミに出掛けており、ああでもないこうでもない、ああしましょう、こうしましょう…と結局は半分以上うだ話に終始してしまったのだが、そのなかの一部からでも行く先の光明が見つかればなぁとひたすら喋り合った気がする。ま、そんな将来の光明もどうあれ、まずは目先のスケジュールとしては、その打ち合わせを終えて、実はナンバから南海電車、もしくはJRで天王寺まで出て近鉄電車。いずれの方法で河内長野まで足を伸ばして、河内家菊水丸社中の櫓見学をと算段。当地の櫓は南河内方面ではメッカと呼ばれるほど、毎年盛大な櫓だそうで、おまけに1時間たっぷり数席は伺えるというから、兼ねがね見たいなと踏んでいた。そんなこともあって、とにかく打ち合わせを行った喫茶店を飛び出し、さぁ勇んでと行きたいところ、あの気温、熱気に湿気である。

 うだるような空気に身を委ねつつ、道中でもらった団扇をフワフワ、パタパタ仰ぐも熱気には熱風である。もう仰ぐのがイヤにもなる。とにかく難波駅へ向おうと、千日前から南海通り、高島屋方面へトロトロ進んでいたところ、ちょうど二見のぶたまん屋も手前を通りかかったところで、右へ曲がればビックカメラの、その途中にある旧精華小学校の辺りから何やら賑やかな雰囲気が。ちょいと塀越しにでもと覗きに行くと、校庭には何軒も建つテントが、露店のようになっていて、ちょっとしたステージのようなものが組まれていたそこではイベントのようなものが行われていて、ああ、「お祭り」ね。そこそこに賑わっており、「暑いなかで大変やなぁ」と再び、難波駅を目指すと、精華小学校の校門(というより、現在の『精華小劇場』の出入り口)より、見覚えのあるご婦人の姿ありけり。

 思わず「何ですの、こんなところで」

と声かけさせていただくと、

 「いや〜ん、今日は観に来たン?。中でみんな待ってるよ」

 ご婦人とは、「大西ユカリと新世界」の追っかけでいらっしゃる「芋平のサイ」さん。みんなとは、同じく「〜新世界」ファンでいらっしゃるご常連さんご一同様。何やら意味が分からないので、もう一度、「何ですのん?」…で、話を聞けば、この小劇場で、大西ユカリと新世界に、なんとロック界の超御大・内田裕也氏までご出演されるという物凄い顔合わせのライブが開催されるという。この顔合わせで入場料を尋ねると、何と無料だというから、思わず座りションベンしてバカになりつつシェキナベイビナ!、ジュ、ジュリ〜…と内田夫人である樹木希林さんのように身悶えそうになったり、とにかく、「めっけた!」

 サイ夫人もご常連さんもさすがの情報網。帰宅後、大西ユカリさんの公式HPを調べてみたらちゃんとスケジュールの頁に情報が載っていた。いやいや、毎度毎度、ちゃんとブログも掲示板も拝見してるのになぁとよくよく考えてみたら、この「ブログ」と「掲示板」のみパソコンの「お気に入り」として登録してある。つまり、トップページから登録していれば、そこから「ブログ」や「掲示板」はもちろん、「スケジュール」も簡単に見ることが出来るのだが、いかんせん、このトップページが、拙パソコンからすれば、どうにもこうにも「重たい」のである。なかなか肝心のページに飛んでくれないという至極個人的なイライラもあって、それで「ブログ」と「掲示板」、直接登録というズボラなのだ。このように、本当に当日にまさかこんな夢のライブが…知らなかったのである。偶然に通りかかったミナミの真ん中で、偶然にお見かけしたサイ夫人のおかげで、当夜のライブ、である。河内長野が…一瞬、躊躇したが、目先のお宝、見過ごす手はない。何というても、シェキナベイビナの御大、生のお姿である。少し体調を崩されたというニュースは先日のこと。もちろんお元気に回復された御大ではあるが生のお姿をお見受けする機会は関西ではもう皆無に近いのではないか。御大のご健康面云々よりも音楽に疎い私めの、経済的な面も含めためぐり合わせの問題を含めた、「今観ておかねば!」

 サイ夫人にお目にかかって開演までの約1時間を涼しい場所でつなぎながら、午後6時30分の開場、開演。偶然にして念願のライブを見せてもらうことが出来た。

 前半の第1部は、「portable」(ポータブル)、「nao−shin」「ハイマーズ」と続く。最近また流行りのテクノポップス女の子3人組から、アコースティックデュオがあって、「ハイマーズ」はカントリーからロカビリーへと繋がって最後はGS、グループサウンズへとまるで戦後ポップス変遷史の趣。GSのパートでボーカルを務めた(各種ごとにボーカルが交替する)「トミー」さんによれば、GS末期まで当地に君臨した伝説のライブハウス「ナンバ一番」のステージを踏まれ、当夜のメニューはその再現でもあったというから、ああ、それで当夜のライブが「エビス一番」かと納得。また、当夜は、同じステージを踏んでいたという「トミー」さんのバンド仲間が昨年に60歳と若くして亡くなられ、その追悼ライブでもあったのだと。何せ生まれる前のライブハウス、勉強不足もあって、偲ばれた方がどのような方だったのか知る由なしではあるが、一生を捧げた音楽で、その仲間によって餞とされたことは不遜ながらも、羨ましい限りである。

 前半が終了し、えびすばし音楽祭、主催の戎橋筋商店街の何やかやの祝典ごとを挟んでいよいよ第2部は、待ってました「大西ユカリと新世界」。祝典ごとの最中には夢ミノル師匠が一足早めにステージへ。何やかやと、ドラムのセッティング(?)を施されているうちに、ベースの森扇背はじめ、メンバー皆さん続々登場で、会場の熱気も充満。爆発する演奏で、歌姫降臨と相成るのである。

 生を見せてもらうのは、今年の5月以来のご無沙汰ではあるが、改めて、ユカリさん。やっぱり歌、素晴らしいです。特にオリジナルを怒涛の粘膜アレンジでカバーした「サチコ」の歌声、その情念というか執念というか怨念の熱唱は鳥肌もの。あんなに「サチコ」が似合うのはそれこそニック・ニューサー氏とユカリさん。あと人生幸朗師匠ぐらいではないだろうか(相方で奥様が、生恵幸子氏)。
 また、個人的には生で聴くのが懐かしい、「新ミッチー音頭」も。ふんだんに「遊び」を散りばめながら客席との掛け合い、絶好調の最中、ユカリさん、思わずステージの袖のスタッフに向って「私らの持ち時間、あとどのくらいですか?…いやいや、マジであと何分?」とマジ相談。5分…いや、6分であると分かると、さぁ、このまま曲を続けて予定していた最後の曲をカット、MCで繋ごうかという判断も束の間、「新世界」の、おそらく森扇背の判断で演奏急遽停止。すかさず、「最後の曲はやっぱりこれで」と、お馴染み「恋のスマートボール」、大団円へ。

 今回は手拍子を送ることもなく、ましてや立ち上がって踊るてなことは持っての外で、それはもう腕組みしながらステージを、まるでメンチ切るがごとく、じっくり見入りながら聴き入った次第であるが、それでも視界には色んな風景が入って来て、なかでも一番面白かったのは、斜め前に並んで座るオッチャン同士が、ステージのユカリさんに倣うように一生懸命、踊っていた姿(笑)。いつまでもナウでヤングなオッチャンたちが、しかも並んでいるというのが熱気のなかに何ともシュールであった。また、客席を睨むようにステージ下両脇に居並ぶ警備員さん。特に下手の警備員さんが、両手を腰元で組みながら険しい顔付きで客席を凝視しつつ警備に当たりながらも、「〜スマートボール」では、踊る客席につられたのか、首元というか、腰の辺りで、職務との攻めぎあいに苛まれながら険しい顔で、つられて小刻みにリズムにとっていた(風にも見えた)のが、可笑しかった(笑)。

 都合40分のミニステージ。それでも無料ライブとしては大変な贅沢ぶりにおなかいっぱいとなりながら、後に控えるのは、何というても御大である。ついにこの瞬間が訪れた。いかなる出で立ちでお出ましか、その時を固唾を飲んで見守ると、場内に流れたのは、何故か郷ひろみのデビュー曲「男の子女の子」。ふ〜ん、昭和アイドル歌謡か何かのDJショーでステージ転換を繋ぐのかなぁと何の気になしに目をやると、何とその「男の子女の子」に乗せて、御大ご降臨!。金色のロングヘアに黒皮のロングコート。その内から覗く赤色のタートルシャツ。そして手にはステッキ。金、黒、赤と、それぞれがそれぞれ一本筋の通った色合い、コーディネート。それはそれは誠、神々しいお姿の、「男の子女の子」(笑)。曲に合わせて軽快にて多彩なステップ、刻みまくり。もっと重鎮然とした仰々しい、さらにいえば、一色即発のいつ流れ弾が飛んでくるやもしれぬ狂気は相変わらずであるが、これぞロックなという登場を想像していただけに、まさかまさかの意表であった。その軽やかな身のこなしは往年…と、往年というて「何を知ってるねん」と言われればそれまでであるが、御大のダンスは何かのVTR…確か、「第3回新春かくし芸大会」(フジテレビ/1966年1月3日放送)であったと思うが尾藤イサオ氏と怒涛のモンキーダンス合戦を繰り広げていたのを見た事がある(同合戦はこのあと、藤田まことクレージーキャッツ白木みのる世志凡太、それに青島幸男などなど、多彩な対決へと連なり、司会の高橋圭三ジャッジも下、まさに大合戦へと様相を呈する)。そんな当時と違わぬ洒脱にして、シャープで切れ味抜群のダンス、「男の子女の子」。…一瞬にして御大ペースに飲み込まれてしまい、座席を離れて会場最後尾の壁際で立ち見の…気が付けば一緒に踊ってしまってもいた(笑)。

 …が、御大、ところがである。意表をつかれたのはまさかの「出囃子」であるが、それよりもっと「?マーク」が脳裏をかすめたのは、当夜、御大は何とバンドを従えていなかったことである。MCもそこそこに早速の1曲目…は、何とカラオケなのであった。

 「ウソ?まさか?、エエ、マジで?」

 何度も何度も目を疑った。さらに言えば、カラオケに乗せて気を良く歌い上げるその姿をして、まさか「口パク?」とまで疑念を抱いてもしまっていた…が、三曲目であったか、「きめてやる今夜」である。…これには参った、シビレタ。口パクであろうが、何であろうが、まさに「ジュリ〜!」を歌う内田裕也、姿が目前にある。そうか、「男の子女の子」…郷ひろみと樹木希林で「林檎殺人事件」か。何気に何気だなと、ナマ御大にライブ処女、身を委ねていたら、

 「これら(カラオケ)にはちょっとした『一人芝居』の要素を取り入れてみました」
 と仰る。口パクに乗せた「お芝居」なのだと。最近のステージはどうやらそういう意図を持った演出を施されているのだと。もうそんなことはでも良い。もっとどうでも良くなったのが、このあといきなり、新御三家より西城秀樹「Y・M・C・A ヤングマン」へとなだれ込んで、エエ〜?。御大またまた踊りまくり、オォ〜!?。ついでに「バカじゃありませんよ(笑)」と断りながら、両手を真上にY・M・C・Aって、どぅ〜?…もう理解不能である(笑)。でも一緒に踊っていた…らステージには夢ミノルさん、森扇背、それにギターの三好ひろあきさん、キーボードのマンボ松本さんが再びお出ましで、ここで本格的、豪華なバックバンド体制に。驚愕の光景に思わず電流が走ったかとおもえば、ええいままよと、さらに管楽器部のボス河内さん、小松竜吉さんにあと一人、これが怒涛のサックス、リーゼント姿がやけにまぶしいなと凝視すれば、あ、STEVE WADA師匠〜!

 拙ブログにもたびたび、勝手に委託の解説委員として貴重なコメントを頂戴している、歩く音楽史、がなる半田健人、若き安田伸…て何や例えが分かりませんが(笑)、とにかくWADA師匠には、長らくと心安くしていただきながら、実を言えば初めて拝見した、演奏姿…とは我ながら何とも不躾な話である(笑)。とにかく3管揃い踏み、音色がやけに分厚い。さらにステージには大西ユカリさんも加わる、何が何やら最強セッション、濃厚コラボレーション。おそらく初競演(?)のはずも、あまりにも内田裕也御大とのお似合いぶりは思わずそのお姿、まるで樹木希林さんにも見えてしまったほど(顔の造詣が何となく似ていると思う)。
 とにかく1部を含めた全約3時間であった。そうでない方はそれなりに…なあっという間のシェキナベイビナ!であった。心地の良いヘトヘト感に包まれての家路であったがそれにしてもまったくの偶然が呼んでくれた夢の一夜である。

 うん、まだまだ運があるな、ツイてるな。けれどもこの幸運がこの後、とんでもない不運を呼び込みそうな、それはそれでその恐怖であるが、恐怖の向うにはきっとまた良いことが待っているはず。

 とにかく運というのは、こちらから出向かないと振り向いてはくれないとはよく言われ続けては来たが、改めてそうだと認識させられた一夜であった。
sanma07 今夜スタート、「FNS27時間テレビ!!みんな笑顔のひょうきん夢列島!!」。昨夜の前夜祭生放送では、メインパーソナリティの明石家さんまさんの21年分、名場面。何と言っても特筆は、やっぱり「タモリ・たけし・さんまBIG3」、伝説の車庫入れ(笑)。助六姿のビートたけし師やりたい放題でボコボコにされたさんま師の愛車。翌年リベンジとタモリ氏と共に意気込むさんま師がセメントブロックを持って、たけし師の愛車の到着を局舎の駐車場で待ち構えるも、当のたけし師、乗って来たのは何と自転車。そのまま、なぜかど真ん中に駐車してあったまたまたさんま師の愛車に一直線、激突(笑)。
 2年越しの台本なきハプニングながらの、たけし・さんま職人芸。その隙間でタモリさんはただ、笑ってるだけでしたな(笑)。

 歴代さんまキャラ復活の今年の27時間。タケちゃんマンも遠い星から帰って来てくれたらイイのになぁ…。
shokyo 今年の彦八まつり(『第18回上方はなし彦八まつり』大阪・谷町〜生国魂神社/2008年9月6・7日)、その実行委員長に笑福亭松喬師。古典落語の本格派による陣頭指揮、今年の上方落語ファン感謝デー。ラインナップを手元にチラシ、眺めてみると、今年から再来年にかけての上方落語四天王各派揃った襲名ラッシュ、その前祝いとして両日昼夜計4席の奉納落語会(奉納料…各会共2000円)、早速それぞれの「襲名プレ公演」として企画されている。

 ラインナップは次の通り。
 まず初日の9月6日は…

 ●昼の部「笑福亭小つる改メ六代目笑福亭枝鶴襲名プレ公演」(昼1時00分開演)
   笑福亭小つる、笑福亭松喬、笑福亭鶴志、笑福亭風喬(各落語と全員参加の座談会)

 ●夜の部「桂小米朝改メ五代目桂米團治襲名プレ公演」(夕方5時00分開演)
   桂小米朝、桂ざこば、桂団朝、桂吉の丞(同)

 2日目、9月7日は…

 ●昼の部「桂春菜改メ三代目桂春蝶襲名プレ公演」(昼1時00分開演)
   落語…桂春菜、桂春團治、桂梅団治、桂壱之輔
   座談会…以上の出演者+桂福團治、桂小春團治

 ●夜の部「桂つく枝改メ五代目桂文三襲名プレ公演」(夕方5時00分開演)
   落語…桂つく枝、桂文太、桂坊枝、桂ぽんぽ娘
   座談会…以上の出演者+桂文福、桂小枝 ほか(※以上、予定)

 襲名プレ公演と銘打ちながら、何気に一門会の様相を呈しており、お祝いムードのなかにも一門の威信をかけた競争ムードもピリピリ漂いそうな…?(笑)、いずれも見応えあり公演。会場には出演者以外にも色んな落語家さんがウロウロされているので、ひょっとすれば意外な飛び入り、サプライズも期待できそう。さて、どの会に並ぼうか…もちろん全部観られたら良いのだけれど、結局は財布との相談デスからな。は〜あ!(笑)。

 初日の夜には野外ステージで恒例の噺家バンド音楽ライブ。お馴染みの「ヒロポンズ・ハイ」「桂文福とワ!!つれもていこら〜ズ」、それに本年度初参加、桂しん吉さんらによる“元祖お囃子カントリー”「ぐんきち」の皆さんも。先日、NHK、テレビの生放送にて拝見しましたが、普段の三味や太鼓をアコースティックギターなどに持ちかえて、お馴染みのお囃子もあっという間にサボテンブラザーズでトリオ・ロス・パンチョスに。逆転も逆転、側転もバク転も大車輪まで見せまっせ的発想ながら、「ほっこりさせまっせ」的音の温かさを大事にされている。今年のちょっと、見物なバンドではないでしょうか。

 ほかにも、初日の朝からは笑福亭風喬さんの公開結婚式なんていうのもあって、アハハ、これは実行委員長、松喬師のゴリオシに逆らえなかったのか(笑)、とにかく、昨今の上方落語界を象徴するお祝いムードで彦八スタート、景気付けには打って付けのイベントのよう。

 さてさて、お祭り2日間、どの時間帯に行けそうかな。9月6日、7日を迎える前に、猛暑酷暑の8月ひと月を是が非でも生き延びなければお話になりませんが、はぁ〜あ、大丈夫かいな?

 我がことながら、どうも、その自信…おまへん!(笑)。どちらさまもお身体ご自愛くださいませ。
tsukushi 上方落語界、近年稀に見る慶事ラッシュが続いておりますが、またまた吉報は、桂つく枝さんの五代目桂文三(かつら・ぶんざ)襲名の発表。水面下では長らくその準備が進められていたようですが、先日の桂三枝上方落語協会会長以下、「第18回上方はなし彦八まつり」(大阪・谷町〜生国魂神社/2008年9月6・7日)、さらには桂かい枝さん一行による「ニューヨーク繁昌亭公演」の記者発表の席で、ようやく情報解禁。もっとも、後に所属の吉本興業からの発表をもって正式なものとなるのでしょうが、何はともあれおめでたい限り。これで、桂小米朝改メ五代目桂米團治桂春菜改メ三代目桂春蝶笑福亭小つる改メ六代目笑福亭枝鶴、そして今回のつく枝改メ文三で、桂米朝桂春團治六代目笑福亭松鶴五代目桂文枝…いわゆる上方落語四天王の各流派首尾良く一大イベントを抱えることとなり、また所属事務所別としても、米朝事務所松竹芸能、そして吉本興業とこれまたご祝儀興行、順当にその恩恵に預かることとなるはず。

 とにもかくにも、桂つく枝さん。このところ、実際の高座はあまり観られておりませんが、それでもラジオの「日曜落語なみはや亭」(ABCラジオ)を中心に、実に中堅どころの人気実力最右翼たらん高座を展開されており、見た目も華やか明るくて、それでいていかにも「落語家でござい」といった古臭さを漂わせることのない実に現代性を兼ね備えた、次代の名看板の期待も一層。
 落語「堪忍袋」の、亭主のやることなすことに業を煮やすおかみさん役など、女形のはんなりさは師匠の文枝師ゆずり。高座での明るさは楽屋裏でも何かしらの人望を得ているそうで、その人柄がパッと高座に映えるのでしょう。

 「桂文三」。「初代桂文三」(1844〜1916年)は、桂派の宗家である「初代桂文枝」門下にあって、同門にあったほかの三人の弟子とは「桂派四天王」などと称され、後に亡くなる師匠の名跡をかけて壮絶な切磋琢磨の末、「二代目桂文枝」襲名を勝ち取ったという、今や伝説のエピソード。この「二代目文枝」改め「桂文左衛門」の弟子として、「二代目桂文三」(1859〜1891年)。『提灯の文三』と称されるも32歳と、師匠よりも早世してしまうも、同じ門下の兄弟弟子が「三代目桂文三」(1858〜1917年)を。さらにその実子で弟子となった「桂小文吾」が、「四代目桂文三」(1886〜1921年)を名乗って以来、実に88年の空白を経て来年、五代目桂文三の名が甦ることに。
 ただ初代を除く二代から四代目の、いわゆる寿命は短命な家系のようで、のっけから申し訳ない物言いではありますが、その分、新文三となるつく枝さん、このところ体調管理の甲斐あって見事ダイエットにも成功されたそうで、そちらのほうの心配はまず考えられません(笑)。

 脂の乗った40代の落語家さんの大名跡襲名。しかも88年の空白がある分、よほどでない限り、先代と比べられることは少ないでしょう。つまりはファンにとっても未知なる、いわゆる21世紀の「文三像」が段々と確立されていく姿を、今のつく枝さんの50代、60代、70代と重ねて眺めていくことが出来るのは、これほど落語ファンにとっても幸せなことはありません。
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 「第50回記念 新撰落語もぎた亭」(大阪・北区〜天満天神繁昌亭/2008年7月23日水曜日午後6時00分開場、6時30分開演)
 出演…森乃福郎桂文福露の團四郎林家そめすけ…天神祭より一足早めの、本邦初公開オール新作落語まつりでございます。


当夜は50回記念口上、「もぎた亭の歴史」も一挙堂々大公開。こちらのチラシをプリントアウトにて持参いただくと、当日2500円も、前売料金2000円でご入場可です。



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  また、お早めに到着には、繁昌亭お隣の甘味処で涼しげなスィーツに、ご近所には落語グッズ専門ショップ「らくご屋」にて、お宝書籍やCD、DVD買いあさりツアーはいかがでしょうか。



「らくご屋」では、拙作のイラストがキラリと光る!?林家染二師渾身の大長講「地獄八景亡者戯」DVDも絶賛発売中でございます。



 万障お繰り合わせのうえ、大勢のお越しをお待ちしております〜♪。
 上方落語界、ここ数年は襲名披露の慶事尽くし。今秋の「桂小米朝改メ五代目桂米團治」を皮切りに、来年は「桂春菜改メ三代目桂春蝶」、再来年は「笑福亭小つる改メ六代目笑福亭枝鶴」襲名が控えており、このほかにも水面下ではさまざまな大名跡復活が噂されております。そんななかで、慶事は襲名に限らずで、先週末には、あの桂ざこば師の次女である女優でタレントの関口まいさんと、桂三枝師のお弟子さんである桂三若さんの結婚が発表。落語家の2世芸人は存在しても、他門同士が義理の父子になったのは、おそらく上方落語界、少なくとも戦後では初めてではないでしょうか。

 他門同士も然る事ながら、所属事務所もそれぞれバラバラ。呉越同舟ではないが、お互いスクラムを組みながら襲名披露興行ならぬ、結婚披露興行なんかを行っても面白いのではないか。何せ前代未聞のお祭り慶事。これまでにない、一般落語ファンにも祝ってもらえるようなイベントがあっても良いのではないかと。

kekkon ご両家によれば、挙式は8月。ということは、9月の「彦八まつり」、大勢のファンの前で記念落語会などいかがでしょうか、と余計ながら。ご両人の父君、師匠はもちろん、関口家は、ざこば師の奥様の妹さんの旦那さんが、これまた落語家の桂雀々師で、三若さんからすれば雀々師、義理の(さらに義理の)伯父さんとして親戚関係にもなる。さらにざこば師の師匠でもある桂米朝御大もお出ましとあらば、なおのことさら見応え十分の落語会、ってどんなもんじゃろ?

 本日のラジオ。ざこば師がレギュラー出演の「元気イチバン!芦沢誠です」(ABCラジオ)では、番組途中にしてようやく事態に触れながら、今のところは何とも「父親としてフクザツ」そうな、静観ともとれる構えにも伺えた。一方、これより早めに放送した、「こんちわコンちゃんお昼ですよ!」(MBSラジオ)には、月一ゲストとして桂雀々師が登場。

 「三枝師のことを芸界の父として崇めるのも当然ながら、義理の父親としてざこば師をより以上に崇めて欲しい」といった注文をつけながら、「それにしても、何でまた?」と驚きの様子。さらに、昨年春から一年間をかけて日本縦断落語武者修行を敢行した三若さんをして、

「アレは修行というよりも、ざこばさんから逃げとったんや!」(笑)。

 立ちはだかるざこば師という巨大な壁を突破するには三若さん、まずこの伯父から、サポートに付けてみると良い…って、またまた余計なことを(笑)。とにかくおめでたい限りでございますな。
kichiya 「トップランナー」(NHK総合/2008年7月21日深夜0時10分〜0時50分)、ゲストに桂吉弥さん。歌手や芸術家といった注目の才能数多いなか、落語家でゲストといえば、柳家花緑師以来ではないと記憶する。

 冒頭からミニライブと称して、師匠、桂吉朝師も得意だった古典落語「かぜうどん」を披露。冬のお話と季節はずれもエエところだが(笑)、この演目こそ、落語家なら必須の、「うどん」を食べる所作がふんだんにして見せ場。ここでいかに、お客さんに「ああ、うどんが食べたくなった」と言わしめるかどうか、腕の見せ所。ところが、時間の制約もあって、この見せ場に終始するあまり、肝心のサゲが決まったところにもかかわらず、スタジオのお客の反応はいまひとつであったように思えた。けれどもこれは別段、吉弥さんの責任ではなく、番組側も、まず落語家といえば「うどんを食べる場面でしょう」という意図があったはずで、もちろんお客側にも「うどん食べたくなった」とも唸らすことが出来ていたように思う。つまりこういう落語の見せ方を制作者、お客の両者の思惑が一致して納得している風なところを見ると、肝心の落語のストーリーよりも、まず所作やら、演者の着物姿やら、形の様式を楽しむ事がまず落語への導入ともなっているようである。

 落語家として物語性はもちろん、最も様式にこだわった究極は「八代目桂文楽」である。

 これに対する、いわゆる感覚派というか、生きるドキュメントタイプというか、過去の名人でいえば、例えば「古今亭志ん生」が究極であろう。「何だか分からないけど、何かエエねんなぁ」というやつだ。今こうと思わせる落語家で、その道標といえば誰だろう。思い当たるところ、「笑点」(日本テレビ)でお馴染みの、春風亭昇太師あたりか。マスコミでタレントとして活躍する落語家さんもこの範疇のタイプといえる。つまりこれまでの落語ブームは、このドキュメントで感覚派から火が点くパターンがほとんどであった。しかし、今回のブームは、この吉弥さんを代表とする様式派から、火が点いているのが今までにはなかった、印象である。東京でいえば、柳亭市馬師、柳家三三師、あと上方では桂春團治師を筆頭に、桂文我師や、桂よね吉さんに、桂吉坊さん、そして師匠の桂吉朝師も、その代表選手であった。

 一見地味だけど、それでもじっくり見れば端正で確かな芸の下地が決して押しつけがましくなく、気がつけばそこはかとない、それぞれの世界観に浸っていられる…。こういう落語の楽しみ方はある意味、芸事全般に対してマニアックな観方でもあるので、今までずっと、落語歴中級以上のリピーターによる楽しみ方と勝手に思い込んでいたが、「落語への入門編」としてもこんな様式が受け入れられているとは意外や意外であった。いや、いつかこういう時代が来るとは予想もしていたが、こんなに早くとは、という「意外」でもある。

 改めて思い起こすと、特に吉弥さんに関して言えば、長らく吉朝師などが蒔いて来た種が、弟子の代になって開花した、その代表選手といえる。そのキッカケにドラマ「ちりとてちん」があった。この作品では、落語という、芸の様式はもちろん、伝承の世界に生きる、落語家の様式も含めて、すべてを網羅して描かれたといっても過言ではない。吉弥落語も含めて、その師匠の吉朝師、そのまた師匠の桂米朝師。それらをひっくるめた落語の世界全体を包み込む様式の世界。それらの世界に、「現代性」などの付加価値は今のところ、そんなに求められていないようにも思うが、どうだろうか(こうなると、新作書きとしては、ややツライ面があるのだが 笑)。

 殺伐とした現代において、一種の浮世離れといおうか、ある意味でのファンタジーを落語の様式に求めているのかもしれない。

 
 ところで、ドラマ撮影秘話として、番組のなかで語られていた吉弥さんの言葉で印象的だったのは、

「ドラマのなかでも師匠(徒然亭草若=渡瀬恒彦・演)を失いましたが、あのシーンは吉朝以来のファンの方にも『実際とダブってしまい悲しかった』と仰っていただきました。でも、実際に師匠(吉朝)と交わした最後の言葉は、一緒にテレビを見ていて『これに出てる若手芸人、オモロないでんな』だったんですよ(笑)。まさかそれが最後の言葉になると思てませんでしたからね。だからドラマでの、台詞になっている、師匠との別れを演じていたら、『ああ、これで吉朝師匠と最後の言葉らしい言葉が交わせたかな』と思いました」…といった内容。

 そんな吉朝師が亡くなって約4年か。だとすれば、吉朝一門。意外と師匠早世の喪失感からの立ち直りも早かったのかもしれない。前向きな責任感、その起爆剤が吉弥さんであったといえる。もちろんほかのお弟子さん同士の競い合いも凄まじかったのではないか。だからこその吉朝路線ともいうべき、「様式美からの落語入門」という今のブームの傾向。案外の早期到来であったのだろう。

 桂吉弥さん。これまで以上に吉朝路線をひた走りつつ、吉弥風味を加味させての30代、40代…将来。どうかドラマをキッカケに落語ファンになった方々には、このままずっと一緒に伴走、追走して頂きたいもの。ドラマが終わったからといって、「やんぺ〜」では、いかにもモッタイナイ…と言わしめそうな吉弥落語は、まだまだこれからお楽しみ…でございます。
 一週間以上かけて探していたVHSテープがやっとこさ発見。約1000本の山ンなか、大抵のテープはそれでもスグ見つかるはずなのに、このテープ、というか、ある番組を収めたそれがなかなか、見つからなかったものを、何度も何度もあっちの棚、こっちのラック、そっちの箱、こっちの押し入れ…と探しに探しまくっていて、ならばここはどうじゃ!…と、ベッドの布団を裏返したら、

「へへへ、ここだっせ〜」

と言わんばかりのラベルなきテープが一本!

 一縷の望み、慌てて頭から再生してみると、あったあったあったあった!、コレ!コレ!コレ!こ〜れ〜石の地蔵さ〜ん…♪

 奇跡の発見である。所用の〆切間近、逆転満塁本塁打。そんなベッドの裏に隠れてたテープ…って、別にイカガワシイ内容のテープではなく(それはそれで、堂々と分かりやすい棚に…て何の話や?)は申し上げたように、とある所用の資料として必要な、落語番組のテープ。所用をご依頼いただいた先方からも、まずはテープの中身を今一度再確認してから、とそれはこちらの意見としても疎通してあったことなので、寸暇を惜しみつつ、是非もんで探し当てなければならなかった。なので、この十日間、両方でヤキモキし通しの、「もし見つからなかったらどうしましょう」と弱気なメールを送るほど。こちらとしても、そのテープが見つからなければ、挙句一本、パ〜にしてしまっていたところである。だとしたらつくづく、運のない人生。
 けれども今回の発見で、何とか首の皮一枚が繋がった。ほっと一息。これでようやく、別の用事も手掛けられるのなぁ、と安堵した束の間、何やら全身、カーっと熱を帯びたかと思えば、サーっと引いてきて、急に寒気がゾクゾク…。

 まさかと体温計、計れば38度て、エライこっちゃ。宵の口早々、突然の発熱…。そういやこの夜、自転車で20分もかからん会場で盆踊りであったのに。

 嗚呼、つくづく運のない、ワシャそーいう男ョ!(これを書いてる、明け方には熱も冷めました)。
 寝苦しい毎日が続いておりましてもはやバテ気味、食欲も進まず弾まずでヘロヘロながら今日は今日とて朝から、犬3匹を風呂場で洗い、内1匹はシーズー系のミックスのため、目を覆う周りの散髪。奴さんにしてみれば敏感な部分であるらしく、その毛を触ろうもんなら、歯茎剥き出しで容赦なくガブリ。こっちとてうかうかカブられてはならぬと、なだめすかし、時には逆に威嚇してみせて、とにかく湯気と蒸気の立ち篭もる風呂場の格闘、約1時間で、最後は爪まで切ってやりいたれりつくせりな、無免許トリマー。これだけやったらさすがに腹減り、けれども、ガッツリとはなかなか行かずに、マヨネーズとぽんずで和えたシーチキンのスパゲティをば少量、昼食後、生ぬるい扇風機に煽られながら、汗だくで頼まれ落書きやら、メールに返事やら、あれこれどれそれ。そうこうしながら、あっという間で夕方、今日も一日何やらズンベラボンに過ぎ行くのだなぁとただひたすらの無常感に打ちひしがれていたら、そうそう、あちこち調べて思い出した、今日は田原本で、河内家菊水丸社中、ご当地恒例の河内音頭ショー。これは暑気払いもかねていざ出陣と、表に出たら、相変わらずのドンヨリジワリなアジア的湿気、もうもうと渦巻くなり。おかげで頭がパーになりそうな、なったらなったで、これがホンマの、アジアパー(アジャパー)!…とにかくこんな程度のシャレしか浮かばぬ陽気に後押しされながら、揺さぶられながら、参ってきました、田原本・津島神社

 昨年もこちらへ寄せていただきましたが、何やら雰囲気、様子に違和感。盆踊りは盆踊りなのだが、こんなに人が居ったかいな、と改めて調べてみたら、ご当地での櫓は毎年2度あって、主催者も違うみたいで、昨年のそれは、今年のそれと別のお祭り…といえば、分かり難い??。とにかく、昨年は、盆踊り中心の、今年は地域の祇園祭、とかようなわけで、お客さんの層も若干異なってる様子。何にしても地域のお祭り、にぎやかなこと結構なこって、徒歩数分で会場の津島神社、到着すると、会場常設の野外ステージからは何やらやたらの大音量と照明ショー。思わず、客席(神社境内)のほうに回ると、ステージでは、小泉エリさんのイリュージョンショー。遠くの方からだったので、舞台で何が行われているのやら、ではあるが、大阪以外の、いわゆる地元でこんなショーが見られたのはめっけもん。このあとに、菊水丸社中かなと待ち侘びていたら、続くは続く、吉本興業勢、芸人さんの数々。

 このあと、アコーディオンの音曲とハリガネ細工の大道芸のコラボが楽しい夫婦漫才「おしどり」と、おぉ、「ザ・ぼんち」のご両人。ご両組とも、漫才番組の収録などで何度か舞台袖から本芸を拝見させてもらったことがあるが、こうして、野外のいわゆる営業、しかもたっぷり15分前後の持ち時間をじっくり見せてもらったのは久々。いや、「おしどり」に関してはまったくの初めてで、デビュー当時、まだケーエープロダクションに所属されていたころを存じ上げているが、何と色んなバリエーションのハリガネ細工のレパートリーに、その作業を繋ぐマコさんのおしゃべりとアコ演奏も達者になったものだと感心。吉本に移籍して、まず桂あやめ師が主宰する会などで色物で持て囃され、加えて、うめだ花月が今、落語の定席となり、そこでも貴重な戦力だと評判なほど(残念ながら、うめだ、未見のまま)、とにかく劇場で鍛えられはったんやなぁ、と。一方のぼんち師も、相変わらず熱演で、特におさむ師、「おさむちゃんで〜す!」などと絶叫していたら、口内に、小さな虫を吸い込まれたようで、思わず「ペッ!ペッ!」、野外ならではハプニング。
 とにかく、緩い雰囲気のなかで、それでも熱演尽くしとこういう舞台は滅多に見られないので、得したな…で、淀みなくステージには、トリの河内家菊水丸社中、ご登場。

 お馴染み「松づくし」もたっぷり。もう何度も聴かせてもらっているので、空んじてはまだ無理としても、ステージの歌声を聴きながらだと、何となく一緒に口ずさめる。和太鼓、勇壮な三条史郎師の見せ場があったかと思えば、負けじとギターは138万円、ご満悦・石田雄一先生。今回は約20分のステージショー。櫓ではない分、踊り子さんの姿はなく、いわば高座形式のそれは、待ってました、ご陽気に「石田雄一ヒットパレード」。お馴染みCMソングのあの曲、この曲を菊水丸師のMCで続々弾き語り。このときの菊水丸師は毎度毎度、それはもう嬉しそうな表情で、加えて、「どうでっか、皆さん。この人、ワタイの自慢の相三味ダ!」と何だか誇らしげにも見えて、こちらも楽しい。
 続く後半戦は、確か、「お茶々づくし」に入ったと記憶するが時間の都合で、短縮バージョンというか、結局、外題が思い出せず。それでも見せ場がそれぞれにあって、熱演熱唱お疲れ様でした。

bonyu ご挨拶がてらに、例の「お宝画像」(笑)、まだ携帯に残っていたので、特に目覚しい「発達」を遂げられた(笑)、石田先生にお見せすると、「ああ、それ、ブログで見た!びっくりしたわ〜。ウチの奥さんに、『アンタ(若いときは)、チェッカーズやってんな』」…冷やかされたそうで(笑)。不確定であった、もう一枚の和太鼓も、夢ミノル師匠だとこれまた確認がとれて、ともあれ、喜んでいただけた…かな?(勝手にそう思っているだけ)。

 社中の皆さん、お帰りが最寄駅の反対方向だったので、ご挨拶の後、駅で帰りの電車を待っていると、ガラガラゴロゴロガラガラゴロゴロ…おっ?、あっ、ギターを担いだ石田先生。途中まで同じ方向なので、まぁ何とも心安くウダウダ。大阪芸大、先日の菊水丸教授の講座、石田先生独演会…じゃなかった、特別講義についても色々。当初は20分程度の予定だったそうだが、いつの間やらスイッチが入って、結果、30〜40分は熱弁されたとのこと。「ああ、伺いたかった」とこちらが羨ましがれば、

「それでも、他にしゃべることあったのに、そのことが喋られへんかってん」

 どうやら、事前に繰ってたネタが時間内で講義出来なかったそうで、ネタ繰ってたてアハハ、やっぱり独演会ですやん!(笑)。そのネタをこれからも繰り続けてもらって、いつか今度、天満天神繁昌亭あたりで、ギター漫談として披露していただこう(笑)。

 その他、毎回恐縮することながら、いつもあのような拙作、落書きをお誉めに預かり、

「あの画は、タブレットか何か使てるのん?」

 タブレットとは、パソコンで画を描く人なら常識、必須の、ペン型マウスとそのボードのことなのですが、そんなもんとんでもない、それどころか「パソコンも、未だにWIN98です」とお話しすると、まるで信じられなご様子か、「ま、マジでっ!?」

 「それほどまでコッチ(懐)も苦しいんです」と、こっちもシャレで返すと、一瞬笑っていただきながら、

 「でもそうか…う〜ん…ウチの古いのン、あげよか?」

 あちらもシャレで返して頂いたので思わず、「ああ、ください!ください!」とせっつくと、「そうか…そしたら、また連絡先は…あのブログからもメール届くよなぁ」と本当に仰っていただいたので、「いやいや、そんなそんな!結構です」と恐縮すると、それでも「う〜ん」と眉間にシワを寄せながら、「でも、ウチのパソコンも、全部、自分で組み立てややつやからなぁ。それが(こちらに)合うかどうか…」

 真面目にお考えいただいたことにも驚きながら、パソコンを、要は日本橋の電気街などで売られている、各部品のパーツパーツを買って来て自身で組み立てておられたことに、むしろ仰天。何と器用なお方やと。なるほど、手作りのパソコンから、手作り風合の音楽、作品群…。

 結果的には、こちらにコメントいただいた通り、手製なために逆にこちらの作業に支障をきたすのでは、とご配慮いただき一応の落着でございましたが、まさかねぇ…数多くの名曲が生まれたパソコンを譲り受けたところで、こっちは駄作の雨あられでは、それこそ「オレを誰やと思てるねん!」とパソコン自体、煙吹きよるやら分かりません。それはそれで有難くお気持ちを頂戴しつつ、けれども最初にそう仰っていたいただいたときは、思わず胸のなかで口ずさましたよ、

♪あ〜、ホンマ!?。ええ、ホンマ?(茜丸CMより)。

 改めて御礼申し上げます。

 そうそう、石田先生。ただいま、「ありがとう浜村淳です」(MBSラジオ)「おはようパーソナリティ道上洋三です」(ABCラジオ)のなかで放送中の、大西ユカリさんとの共演、「NTTドコモ」のラジオCM…新展開があるとかないとか。あれば放送期間も延長だそうで、是非とも実現、楽しみです。
sanma09 「明石家マンション物語」(フジテレビ)より、明石家さんま師@『ダメダメボーイズ』「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)終了以来、すっかりコント番組から身を潜めてしまっていたさんま師が、いよいよコントステージに復活。お笑い番組を作るにあたってはもっとも信頼のおける「ひょうきん族」以来のスタッフをズラリと脇へ固め、ラサール石井関根勤といった同世代のベテラン勢はもちろん、当時初顔合わせに近かった、ココリコにぐっさんこと、山口智充さん。さらに「ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ)などダウンタウン一派の若頭にあった今田耕司東野幸治…Wコージのご両人も同番組終了を受けてフリーにあったところをさんま座長に乞われてと共演が実現したという、まったく異色の顔合わせでスタート。もっといえば、これらの前身特別番組として、「明石家さんまの9時から11時20分までスペシャル」(フジテレビ/1998年4月8日放送)では、以上の面々に加え、ナインティナインネプチューン爆笑問題らとのコント番組が存在。それらを整理する形でレギュラーに残ったのが、ラサールさんら以上の面々であった。

 最初のころはいささかギクシャクしながらの船出であったが、さんま座長による笑いの信念が行き渡ったか、回を追うほどに出演者同士の掛け合いもスムーズなものとなり、また、ネタの端々から次週以降に繋がる新たなネタが誕生するといった、まさに「笑いが笑いを生む」、ひょうきん族時代のテンションが21世紀を目前とした水曜夜10時台に復活した。

 視聴率面でもコント冬の時代、なかなかと明るい結果を生む事が出来ず。それでも「半年、1年はじっとガマン」の意気込みでナンとか踏ん張り、ようやく光明が見えた2年目だったかの改編で、企画一新、番組名も「明石家ウケんねん物語」(フジテレビ)となってしまい、耐えたコントコーナーを削って再び安定のトーク路線へ。これからだというときのこの企画変更は、「ひょうきん族」はもちろん、公開形式のコーナーではさらに遡る「欽ドン!」の要素も取り入れた、いわゆるフジテレビバラエティの伝統を踏襲しつつ上昇機運にあった「明石家マンション〜」、折角の番組ファンにとっても、ショックな事態であった。

 以降、さすがのフジっ子さんちゃん、ゴールデン番組、しかもコント番組より再び撤退するものの、「あっぱれさんま大先生」(フジテレビ/1988年〜)など、やはり「ひょうきん族」からのスタッフと共に、日曜お昼という時間帯を固守しつつ、次なる機会を伺っている。再び、さんま座長によるフジテレビ、ゴールデンタイムのコント番組。きっかけはフジテレビならぬ、きっかけは「FNS27時間テレビ!!」。やはり「ひょうきん」時代からの熟練スタッフによる返り咲きを、今は密かに期待している。
 今週から来週頭にかけて、どうしても探し出さねばならぬビデオテープを汗だくのなかで捜索中も、そのテープだけが見つからない。キチンとラベルも書いてあったはずなのに…一体どこ?。ひょっとして誰かに貸した?…誠に杜撰な己の管理体制ぶりを痛感した次第…トホホ。

 それでもその捜索、決して無駄にしないのがアタイのエエところ(また、誰も言うてくれないので自分で言う)。ラベルのないテープを一本一本再生しなおしていたら、あ〜ら、こんな番組め〜っけ!

 「今夜はねむれナイト」(関西テレビ)。放送年月日は記されておりませんが、おそらく1986(昭和61)年ごろ。今から22年前の番組。当時の人気漫才コンビ、太平サブロー・シローさんを中心に、当時の吉本興業ベテランから若手まで総出演。テープの収められた回、ゲスト出演者を列挙してみると、オール阪神・巨人今いくよ・くるよぼんちおさむチャンバラトリオ坂田利夫松本竜介間寛平木村進池乃めだか桑原和男井上竜夫末成由美泉ひろし島木譲二未知やすえ、まだまだ若手売り出し中だった、ダウンタウン(以上、敬称略)そして、我らが河内家菊水丸のおっ師匠はん!…超豪華メンバー勢揃いです。

 ある回ではエンディング、全員集合で、「We are the World」ならぬ「We are the YOSHIMOTO」を大熱唱されておりますが、なかでも菊水丸師は、番組内では『タイムスリップ・ザ・ベストテン』なるコーナーにもご出演。アトランダムに選ばれた過去のレコード売上、オリコンチャートをタレントさんで再現しようというもので、イメージすれば「オレたちひょうきん族」『ひょうきんベストテン』のようなもの。そこで、菊水丸師は1972(昭和47)年のランキングとして、よしだたくろう「旅の宿」を熱唱されておりますが、これがこれが(笑)。浴衣のキミはススキのかんざし〜…と来て、♪ヨォ〜ホ〜イホイ!…河内音頭に見事にアレンジ(笑)。脇をかためる社中と共に、♪エンヤコラセ〜ドッコイセ〜…ならぬ、

♪余興くれ、余興くれ、余興くれ〜!

 引いた画になり、社中全員映ったところで、深夜番組のためささやかなセットが移り込んでと、何ともいえぬ雰囲気のなか、社中それぞれアップになりましたところ、ほぅら、携帯で思わずパチリ。

kiku1986 元々の画像が悪けりゃ、携帯自体の画素数にも限界ありで少しわかりにくいかと思いますが、指名手配の逃走犯ではございませんョ(笑)!。
 解説いたしますと、上段右は、その「旅の宿」を歌う菊水丸師。そのお隣は、別の回で「奥村チヨ」に扮する菊水丸師(司会の太平シローさんには『八尾・東大阪で大人気の奥村チヨさんで〜す』と紹介されている 笑)。この奥村チヨを除いては(笑)、あまり今とお変わりない風にお見受けできますが、注目は下段!!

 もはやご説明申しますまい(笑)。石田雄一先生、何とお若い…というかオボコイこと!(笑)。このころ流行りのチェッカーズ仕様であられますね。さらにそのお隣の和太鼓は、おそらくですが、福原実さんこと櫓ネームは夢ミノル師匠〜!。トレードマークのヒゲがない分、いささか未確定ではありますが、多分ご本人であられると思います。

 長らくホコリがかぶっておりました、ビデオテープ。まさかまさかの大掃除で見つかったお宝映像…ご本人の許可なく大公開…って、大丈夫かいな??(笑)。

 この顔にピンと来たら、最寄の櫓、レッツゴーやで〜、ドッコイセ〜♪
 ここ数日、あれやこれや大小バタバタでまったく更新も行き届かずで、そのせいか、「ご来場者数」を調べてみれば、平均150超を誇った超人気ブログ(誰も呼んでくれないので自分で呼ぶ 笑)…もああ、何と、何ヵ月ぶりにとうとう100を割ってしまっておりました(そない変わらへんねんけど 笑)。「のみのみ!落書きアーカイブス」もはやこれまで!依って、大した記事も書けぬまま、どうしたら良いものかと壁に逆立ちして考えた末に総入れ歯…いや「そういえば!」と、ふとひらめいた、はっちゃけた!(あばれはっちゃく より)。

 実は前回こちらお届けした、「河内家菊水丸平成20年出陣式」の記事(2008年6月30日掲載分)が、あろうことか、菊水丸師のマネジャーでもあられた、「永遠のJガール」女史、何を思われたか、そのものをしっかりとご自身のブログへ「お借り」になってしまわれた。毎日楽しみな、Jガール女史の流麗な文章を拝読しようと思ったら、どこかで読んだような文章…何のことはない、どこかで読んだどころか、己で書いた、拙ブログ駄文でございまして。何の因果で余所様のブログであんな駄文に触れようとはで、恥かしいやら照れくさいやら、まったくイカレコレに「やっ、やられた〜!」…。

 というわけで、借したものは返してもらいましょう!

 目には目を、歯には歯を。こちとら生粋のイスラム教徒にして根っからのミナミの帝王・万田はんで南喜代子ファンと致しましては、あれから密かにいつかどのタイミングで「仕返し」(笑)を見計らっておりましたが、バタバタのこれ幸いと、今回、お借りすることといたしました(これ書いてるのは夜中なので、Jガール女史、次の日もしご覧であれば、ククク…。お主もワルじゃの〜 笑)。

 さて、今回、お借りするのは、この4月より大阪芸術大学、客員教授として就任された河内家菊水丸師の、3ヵ月限定で繰り広げられた、その最後の講義模様が綴られた記事。記録として貴重であることはもちろん、今回の講義では、菊水丸師の女房役にして、天保山界隈では愛妻家としてもつとに有名な、盟友、ギタリスト・石田雄一氏が、学生相手に語り尽くした、いかにして音楽の道を極められるに至ったのか。さらには、いかにして「全日本母乳党党首」にまで登り詰められたのか(これは語ってない? 笑)。そのあらまし詳細です。

 バタバタついで、猫の手も借りたいといえば、失礼ですが、猫のようにしなやかなJガール女史の鮮やかな指先からキーボードへと奏でられた名文にて、菊水丸教授の3ヵ月間の有終と、関西が誇る名音楽家・石田雄一さんの生涯を、偲んでみましょう…ってオイオイオイオイ!!(笑)。

 …というわけで前置きはこのくらいにして。では、お待ちかねの本編「永遠のJガール」(2008年7月15日掲載分)、いよいよ堂々のノーカット、大公開〜ッ!!↓
sanma08 「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)より、明石家さんま師、『アミダばばあ』1982(昭和57)年タケちゃんマンの好敵手、『ブラックデビル』が壮絶な最期を迎えたのは12月25日。白ならぬ惜別の黒い雪が降り積もったまさにブラッククリスマスのドラマチックな演出で暮れたその翌年、早々には、その息子である『ブラックデビルJr.』による復讐劇が開始される。 一進一退…というよりも、親父の代同様、タケちゃんマンに一方的やられっぱなしのブラデビJr.であるが、その秘策としてついにある必殺技を披露することになる。その必殺技とはズバリ、あみだくじ。

 ノスタルジックに♪アミダくじ〜…と呑気に始まるテーマソングには、現在大御所となったさんま師が標榜する「笑いとはキレや!」…まだその信念は垣間見ることは出来ない。が、そののどかさこそが敵のタケちゃんマンにしてみれば、思わず引き寄せられるとこであり、ブラックデビルJr.に近寄れば、死んでも知らんぞ…と、とんでもない目に遭ってしまう。耳たぶを内側に折り曲げられ、「ギョウザ」。頬っぺたの肉を、OKの指でつままれて「たこ焼き」。手の甲を差し出せば、その皮を引っ張り上げられて「富士山」。外傷とまでは及ばない物の、あまりのクダラナイ攻撃に付き合わされたタケちゃんマンにしてみれば、お笑い的には大怪我を被ってしまうのである。曰く「バカヤロー」と、さんま師…いや、デビルの首を締めてしまう。首を締められても、相手の大怪我ぶりに気をよくしたブラックデビルJrは、いよいよ『タケちゃんマン地獄のあみだくじゲーム』(1983年3月12日放送)で、攻撃の手綱、より一層に振り絞り、いよいよタケちゃんマンを危機へと追い込むかの一歩手前で、当時人気だった「ブッシュマン」ブームに飲み込まれる形でフェイドアウト。放送にしてたった1クールという短い寿命を迎えてしまう。しかしながら、最期の仇花として放った「あみだくじ」のスピリットは、次なる敵役像へと姿を変え、さらなる進化を遂げる。その進化こそ、まぎれもない「アミダばばあ」、その人であった(初登場…『タケちゃんマンに強烈アミダ婆さん登場』1983年4月9日放送)。

 その容貌は、それまで悪役然としたブラックデビル父子の対し、♪アミダくじ〜…と他愛のないメロディにシンクロするかのような、どこにでもいるお婆さん。ただ、その老け具合は怪しさプンプンであるが、あまりにも怪しすぎたのか、アミダくじという攻撃の地味さも手伝って、イマイチ子供人気には結びつかなかった。そんな容姿のアミダばばあ。今はこうなってしまったが、やはり過去には人並みの娘時代、恋に生きた青春時代を過ごしてはいた。そんな思い出が再び甦ることになったのは、初登場から半年、夏の盛りを過ぎた秋の入口、感傷的な季節のこと、『タケちゃんマンと時をかけるババア』(1983年9月17日放送)にて。初恋の、今はじいさんとなってしまった男性(ビートたけし)との再会で、思わず女性に目覚めた婆さんは、六本木デートと洒落込み、また、原宿の若者にまじってファッションデートと決め込んだ。ここに、アミダばばあ、番組的のコスチューム変更が施されることになる。そのデザインを手掛けたのは、世界のコシノ姉妹。コシノブランドへと身を包み、心身共に若返ったアミダばばあであるが、デートとしゃれた初恋の男性、実はタケちゃんマンがアミダばばあを油断させるための、変装であったことがバレてしまう。

 娘時代に継いでの二度目の失恋であった。しかし、このことがなお一層、ばばあの闘争心を点火させるハメになり、年末へかけてパワーアップ。初登場から約1年間の長きに渡り、「死んでもしらんぞ〜」…タケちゃんマンを脅かし続けていくのであった。

 …とたしか、こんな流れがざっと、アミダばばあ『一代記』、記憶に残るまま。

 それまでのブラックデビルとの攻防は、とにかくハチャメチャで子供受けも抜群で、なおかつ業界向けの内輪ネタも満載で、デビルにしてみれば0勝40敗ながらも、内容的には好勝負名勝負であった。そんな流れを受けてのアミダばばあ登場は、見る側の特に子供にしてみれば、変身対決はあっても、いささか地味にも伺えたが、今改めて見直してみると、ブラックデビル時代に掴んだ、まず業界の「お客さん」に一層の注目を浴びつつ、「ばばあ」の青春像をピックアップして見せたことで、ちょっとした女性ファンも掴んだのではないだろうか。案外とさんま師の女役には色気もあって、なおかつ、婆さん役というペーソスもあって、悪役にただようどこか悲しさ寂しさは今見てみるとキュンと来るものがある。時代的にも迎えつつあった「高齢化社会」を象徴するようなエピソードもチラホラ。そんな胸の内をちょいと覗かせるような歌詞とメロディによる、「アミダばばあの唄」は番組ファンで、さんま師とも親交のあった桑田圭祐氏によって誕生した。

 タケちゃんマンとアミダばばあ、ブルースなデュエットが泣かせる。唄となればシャウト気味にかすれ声のタケちゃんマン、またそれに応えるアミダばばあ、音痴であるはずしゃがれ声が、しっかりメロディにピタリとハマっているから不思議な名曲である。悪役も大変よ。けど正義の味方だって大変なんだから。もっといえば、「人を笑わす商売って、お互い大変だよね」と互いを労いあうかのように、このデュエット曲は、「タケちゃんマン」コーナーのエンディングとして流れるようになった。

 お笑いは大変だけども、このバカバカしさのが良いんだよな。ドカンと客を笑わせて好きなもん食って、好きなお姉ちゃんとイチャイチャ出来て、その分、世間は呆れ帰って、たまには怒られるかもしれないけど、だったらお前ら、やってみろよ…。大変だけどまた明日になれば、いつも通りにまたバカやるんだから、さまあみろ!

 芸人たけし・さんまの、斜に構えた胸の内が見え隠れする「アミダばばあの唄」。あれから25年、未だにその結末を知る由もない、芸人としての「アミダくじ」を延々ひたすらと歩み続けているのが、このご両人である。

 ♪忘れかけた路地にひとり、現れた思うたら、また消えて…

 50代、60代を迎え、あと10年後の、まさに忘れかけた将来、ホンモノのじじいとなったタケちゃんマンと、じじいが演じるリアルキャラとななっている、アミダばばあで、もう一度、このデュエット競演、見てみたい、聴いてみたい。
 在阪各局まんべんなく。

■毎日放送

 ●特選!!米朝落語全集
   「江州特集〜こぶ弁慶/亀佐」
   ご案内…桂小米〜大阪・北浜コスモ証券ホールより中継(1992年3月23日放送)

 ●爆笑スペシャル・がんばれ!間寛平
  島田洋七、坂田利夫、若井小づえ・みどり、桂きん枝、中田ボタン、
  池乃めだか、島木譲二、帯谷孝史、島田一の介、中川一美、塩野一平、
  未知やすえ、杉本美樹、和田元江、西川のりお・上