NOMI08

2008/07123456789101112131415161718192021222324252627282930312008/09
 北京五輪水泳100M平、北島金メダル…に感化されたわけでもないが、朝から近所の市営のスポーツセンター内にあるプールでひと泳ぎ。昨夜、一応のトランクスと場内必須の水泳帽を買い込み、それはもう、何年ぶりのことか…いややっぱり感化されてるか(笑)。

 10年以上ぶりの泳ぎではなかったか。炎天下をチャリンコ、汗だくになってとにかく久々、無性に泳ぎたくって。というて、フランク永井…いや、長いブランク、果たして泳げるのや否やの不安もありましたが、やっぱり、子供のころに教えてもらったのは、それこそ三つ子の魂何とやらで、そこそこぜえぜえ言いながらでもゆっくり何とかクロールで500m。あと倍は泳ぎたかったものの、途中で足つりかけて、チョン…情けない話や。それにしても、腹ぼてで、もがき苦しみながら前進する様は、崖の上のポニョどころか、崖っぷちのボロボロの36歳。♪ボ〜ロボ〜ロボロ、年男!…である。

 けれども心地良い疲労感、よろしいなぁ。このままずっと、お魚になったわ・た・し…三東ルシアチックな昼下がりをば…とも思いましたが、犬の散歩も連れていかんならんし、植木に水もやらんならんし、洗濯物かて取り込まんならんし、洗い物もそこそこあるし…。自宅仕事人は何でもやりまっせ…いや、これからやりまひょかいなと再び炎天下をチャリンコで帰宅。まず、メールの確認なっとせんならんなぁとパソコンのスイッチ入れてみたら、オイオイ!

 月亭可朝容疑者、ストーカー容疑で逮捕

…て、どうですのン!!

 容疑の段階と、まま、一応の加害者、被害者、お互いの当事者のみぞ知る真意ゆえ、とやかく回りがパァパァ言うところの、加えて可朝ファンとしてはいささかフクザツではありますが、まぁまぁ、えらいこってという気持ちと、どこか笑けてしまう部分も正直なところでして…。ともかくインパクトあるニュース。このところ、「落語家・月亭可朝」としての活動もふたたび目立ち始めた矢先の、含めて、天満天神繁昌亭の昼席にもご出演であったりと嬉しい話題も多かっただけに、まさに、「ああそれなのに」!。これで一応、しばらく「可朝落語」が見られない状況となってしまう。えらい寂しい限りやおまへんか〜。今回の「事件」も被害者の方へは心中察するところも、可朝師…いや、可朝容疑者…もうこの言葉の響きだけでプッと吹き出しそう。何せ「まじめとちゃうちゃう」なおっ師匠さんだけにね…と感じるは、不謹慎かな?(笑)。けど、可朝ファンや、落語ファン、それに幕内の落語家さんのなかでも、「アハハ、可朝師匠、エエ歳して何してまんねん!」、「選挙カーに乗っといて、ポーカーの次、今度はストーカーでっか?」とか、「掛けるのは“電話”やなしに、“ゼニ”だけにしときなはれ!」などなど…。ま、そんなシャレが飛び出しかどうかは別として、それに近い雰囲気、あるのと違います?。それこそ、「罪を憎んで人を憎まず」というのがピッタリな可朝師。もちろん、罪にもよりけりで憎まれ続けなければならない輩ありけり、承知のうえであるが。

 今日の繁昌亭の楽屋の空気。どんなもんやったんかなぁ?出演者の皆さん、誰でも良いので明日からの寄席で、絶対ネタにしなきゃ損ですよ!

 それにしても可朝師匠、御歳70。古来稀なり、と古希にあられる。

 若輩ながら我が身に置き換えて、また昨日寿命を66歳と一応予測はしてみただけに、もしも70歳まで生きたとしたら、まさか、そんな…?考えただけでも、とても無理な人生地図。

 「人生の転機を境に往路、復路で寿命を予測」と我が持論をもってしてみれば可朝師匠…かなり長生きしはりそう…。長生きしていただいて、もっと色々楽しませていただきたいなぁ。
 享年66歳。何となくであるが、これ私めの寿命のような気がしての、最近このごろ。まぁこれまでさしたる大病を患ったことがないので、死因まではわからないが、まぁ何となくこんなもんかなぁと。いわゆる日本人男性の平均寿命からすれば、10歳程度も若く、したがって一般的には「若死に」と呼ばれるのであろうが、それはともかく、66歳。なぜこの年齢が浮かんだかといえば、単純に33歳のときに、転機、というほど大層なものではないが、ちょっとした心境の変化を来たしたように記憶する。つまり、この33歳を一応の片道、箱根駅伝風にいえば往路だと考えると、あとの33年が復路。物事の「帳尻」という意味でも、そういった感じがしないでもないからである。けれども、「心境の変化」が33歳といってしまうと、物心つくのが3〜4歳だと考えれば、ひょっとして、その半分の2年延ばしで、67〜8歳ということも考えられないこともないが、ま、心境が変わったといえるのが、33歳だといえる。

 どう変わったかと具体的には難しいけれども、要するに、物事の体裁や対人関係なんかも含めて、あまり動じなくなったというか、それまではどうも無理に取り繕うような節があって、これが30歳を過ぎたころから徐々に窮屈なものと感じ出して、それが確か、33歳で、「(今まで取り繕ってきた分)もう取り繕うのがイヤになった、そして、や〜めた!」と、ある意味開き直ったのである。というて、ここ一番は33歳を過ぎた今でも「取り繕うべき」場面はたびたび巡ってくるのだが、どこかで「もうイヤなもんはイヤ」という気持ちが、どこかで漏れ始めたのが、33歳…いや、34歳だったか?。いずれにせよ、漏れたら漏れたでもうダダ漏れで、最初はあらあら、漏れる穴を塞がなくてはと、それこそ取り繕ってしまったものの、もうすっかり最近は、ええいままよ。仕舞いには面と向って、「キミのこと、キライや」とまさか直球でないにせよ、それに近いイヤごとなども口に出てしまっているから、これはこれ、我がごとながらヒドイもんである。もちろん、その反面である、「エエなぁ!」「好きやわ〜」といった好み、志向もハッキリしてきたとも思うのだが。
 
 うん、確かその、いわゆる「白か黒か」の判断も含めた兆候が33歳だったと思う。いや、やっぱり34歳か。それからはとにかく、意図的なものも含めて、内外、変わった…ととも思う。だとしたら変化後を第二の人生と、考えるとその倍生きて66歳〜68歳か。4歳で物心ついた分のその半分で2年先…で、享年70歳かもしれない。だとしたらあと34年か。て、何やかや言うて、そこそこ生きるんやネ(笑)。

 で、何でこんなことを考え付いたかといえば、「人生は帳尻である」と、さる方に伺ってから考えるようにもなって、極端な話、「良いことがあれば、必ず悪いことが起きる」とか、「誰かに不幸があった分、自分が幸せになれる」とか、いわゆる「運」の分量は、幸運、不運ともにトントン…で帳尻だと、どこかしらで擦り込まれて来たがため。確かにそうだと思う。たまに大金が入ったときは、それこそ貯金しよう…というより、好きなもんが買いたいのになぁ、と思っていても、ふと回りの電化製品が壊れたりであるとか、どこか身体の調子が悪くなったりとか、そんなのが多々あった。だから、転機だったと思うのが34歳だと考えると、自ずと帳尻、あと34年が寿命なのだ。もちろん、この先まだまだ大きな転機が待っているかもしれないし、その場合は、予想享年…さらに伸びるやもしれぬが、けれども、大きく価値観みたいなものが入れ替わったのが、34歳だから、やっぱり68歳前後だ、とりあえずの妥当でしょう、きっと。

 そんなことを考えながら、例えば先日お亡くなりになったマンガ家の赤塚不二夫先生。享年72歳だったので、その半分の、36歳のころはどんな状況におられたのかすごく気にもなる。36歳というと、それこそ36年前…ということは、1972(昭和47)年…って、あ、私めの生まれた年だ。「1972年の赤塚不二夫」…どんな一年だったのだろう。もちろん、その36歳が赤塚先生の転機になったかどうかは分からないけど。有名人や著名人の、それぞれ生涯を半分の「往路」「復路」に分けて記された、何か書物みたいなのは無いものかしらん。有名人の生涯に限らず、たとえば日本も、大きく価値観の変わった、先の大戦後から63年。ということは、大戦63年前は一体、どんな世の中だったのかなどなど。2008年(平成20)年と、終戦の1945(昭和20)年よりさらに遡る63年前は、1882(明治14)年の世相がまったく真逆あれば、理屈でいうと、日本は今年限りでオシマイなのかもしれない。が、まぁ、これは人の人生に置き換えるのは難しいし、ややこしいわね。

 人生の「転機」から紐解く「寿命」論。色々調べてたりまとめてみても面白いのでは。何かそういう手立てはないかなぁ。明日から無駄に図書館に通ってみようかしらん。で、調べたら調べたで、「実は36歳の赤塚先生、ものすごい転機があったのよ!」なんてことにもなり、もっといえば、88歳で亡くなった誰それさんは、44歳のとき奥さんと死に別れてね、とか、59歳で亡くなった何それさんは、29〜30歳のときに実はねぇ…とか色々「転機」の具体例が出てくれば、ひょっとして今お元気なあなたの、自ずと寿命も予想出来たり…と、これは余計か(笑)。

 けれども、何が起こるか分からない、筋書きのないドラマよ、人生。以上のことをつらつら考えると、とにかく今年は、一応、その折り返し地点の夏であるとも考える。だとしたら、「復路」以降の人生。一体、どんな人生が待ち構えているのやら。また、寿命の帳尻とは別に、運不運の帳尻でいえば、残りの人生の見通しは…?て、やめとこ。そこまで考えるのは、今のところちょっと、シンドイ(笑)。 

 ま、こんなことも35歳にもなるから、ふとを考えてしまうのであって、これが例えば、今16歳の高校生が、「14歳が転機だったわね」と振り返ったとして、ならば寿命は「28歳」だと仮に予想してみる。で、28歳になったとき、「やっぱり14歳のときのアレはそうやなく、25歳ぐらいが一番の転機だったかもな」を訂正すれば「50歳が寿命」と訂正してみる。で、50歳になったときには、「いいや、38歳のときは物凄い転機やったなぁ」となれば、「78歳」まで這ってでも生きる(笑)…と、そんな具合に何度も何度も訂正出来ることが、結局一番充実した人生なのかもしれない。そうあれば、と思う。
habikino メインの木村充揮さん、大西ユカリさんのセッション目当てに。今回は、しっかりユカリさんの公式HPから、スケジュールを拝見しつつ万全。当初の出番予定は午後4時45分ごろからとあったのが、途中で同3時30分あたりに繰り上がるやもとあったので、それらも皆チェックの磐石で現場へ臨んだものの、結局、押し押しで、ご両人のご出番、当初の4時45分も、さらに押し押しでスタート。ま、それも野外ライブ、しかも無料であるがゆえに、文句も言える義理でもない。けれども、その待った分というか、まぁ、顔がヒリヒリ言うとりま。柄に無く日焼けしましたな。

 けれどもこの、4時45分というのが幸いで、だだっぴろい公園の特設ステージ。お日さんもやや沈みゆくなかの、吹く風も心地良かった。ご両人のステージが始まるまで、暑さのあまりへたり込んでいたベンチで、いつの間にかウトウト。気がつきゃ公園のベンチでごろ寝。これじゃ身体に…エエのである。たまには何も考えず、ボケ〜っと、こういう時間もエエもんやなぁ…。けれども我が近所、こういうひとときに見合った空間が、残念ながら無い。頼むで、市長!。頼むで、ノグサヘイジューロー!!(ウチの市長ではない。昨夜、ラジオでダウンタウン松本人志さんが、彼の少年時代の故郷の市長であったこの名前を久々に、やたら連呼していた。脳裏を離れないでいる)。

 ま、水分補給も何とかかんとか。木村さんとユカリさんの天王寺の義兄妹、セッションスタート。木村さん(含・憂歌団)やら大西ユカリと新世界やら、交互にナンバー自在。演奏は木村さんのバンドなので、ユカリさんにしてみれば、普段のキーと多少異なるようであるが、それでも、木村バンドに染まりつつ、ユカリ色もしっかり放ち続ける様は、さすが、職業歌手にして天性の歌姫。

 特に「おそうじおばちゃん」から始まって、「南部の女」「天王寺」「通天閣ブルース」「それから」の流れは、涼風も相俟って心地良く、「それから」でのサビの部分、『♪それから、それから…』のリフレインは、ベンチで寝転びながら天を仰いでポカンと眺めた、その雲の流れに身を委ねながら聴く。

 あの空に比べたらなんと小さいことでクヨクヨしているのか。ああ、あの雲に乗って、どこまでも遠くに流れてみたいなぁ…。何となくふとそんなことを考えながら、思わず携帯カメラでパチリ。何というわけでもない、構図からして中途ハンパな写真やのに(て、放っとけ! 笑)…けれども見上げた空が、あんなに大きかったとは。妙にというか、新鮮な感覚でした。

 「コーヒールンバ」「出稼ぎブルース」、アンコールに「いつか来た町」…♪いってみよう〜!…たっぷり約1時間。ホンマ、いつもいつも申し訳ないっすと頭が下がるばかりの、素晴らしいひとときでした。

 それにしても隔月でワンコイン、500円の落語会を仕掛けたり、年に一度、普段は平凡な市民公園をあんな素敵な野外フェス会場に仕立てたりと、それぞれ主催は違うのだろうが、ホンマ、よぉやってるよなぁ、羽曳野市。市長には敬意を表するばかり。

 さすが、ノグサヘイジューロー!!  …違うっちゅうねん!!!(笑)
 来週中盤あたりより世間はお盆モード突入だそうで。というて、こちとら世間のモードを関係なく暗闇這うようにノソノソコソコソしてきた身ィとしては、そんなもん関係あるかい…でございましたが今年はどうも、世間のモードに追随しそう。というのも来週一週間、なんとな〜く、ヒマなのである。

 こういうときこそのんびりするもよし、何か刺激を得るために街へ出掛けるもよしなのだろうが、どうにもこうにも何もする気が起こらないというか、どう過ごして良いものやら迷うというか、躊躇してしまっているというか、何というか…。

 とにかく、あまりにもヒマが続きそうなので、その穴を埋められないでいるジレンマやら、埋めるべくの趣味やら、そのための軍資金の少なさやらも含めて、非常に我ながら不甲斐ないというか情けないというか、やり場のないムカムカが心身を包み込み、おかげで一人ぐったりな、そんな2008年8月9日でした…。

 ま、オリンピック始まったからまだマシか。
 本日はお昼過ぎより梅田でちょっと打ち合わせ。絵の方。尼崎のほうで定食屋さんのようなお店を開店されるという知り合いの命を受けて、店で売り出す、持ち帰り用弁当をつつむ包装紙にその知り合いの似顔絵を載っけたいとのだと仰る。ま、こういうことながらメールだけでいくらでもやりとり、出来るのですが、色々こだわりおありなのか、「昼飯おごるさかいに」の誘い文句につい乗って、梅田へという按配。それにしても、梅田へはこれまでも数多く、色んな打ち合わせや仕事でも出掛けていきましたが、まさか、似顔絵の打ち合わせとは、我ながら何でもようやるな…というか、ようやらんと食うていけんので、しっかりやりましょ時間まで!。満足いただけるようにハリキリまっ!

 打ち合わせ後、そのままとんぼ帰りも何なので、炎天うだうだ徒歩で、天神橋の、落語グッズ専門店「らくご屋」さん、以前ジャケットを描かせてもらった林家染二師のDVDの売れ行き調査も含めて、冷やかし。お店はもとより、染二師の独演会や落語会での物販で売れ行きも良いのだとかで、何より何より。コレで少しはギャラも上がるかなと期待しつつも、いつ振り込まれるかも知れぬ今はまだその段階で…相変わらず地べたを這いずりまわりつつ、どうなる?

 「らくご屋」の店長さんは、私めも寄せてもらっている「新撰落語もぎた亭」の作家さんでもあり、また過去には、あの伝説の、「プレイガイドジャーナル」の映画担当記者兼編集人でもあられた方。その編集能力を生かして、シンコーミュージック社の下請けで、初期の「ヤンタンブック」(MBSヤングタウン番組本)などを制作されていたそうで、色々伺うお話も興味深い。にも関わらず、いきなり「沢尻エリカが好き〜!」と絶叫されたりもして、どうにも掴みどころが分からないウナギみたいな方ですが、けれども、ああして「らくご屋」の店長であられる分には、落語への愛情も人一倍。何せ接客業であるから、ある程度の知識と、またトーク力が求められるというから、余計に愛情、偽らざるものである。実はいつも伺うたびに、あまり客入りも芳しくなかった店内であるが、今日伺ってみたら、お客足がすこぶる伸びていたので正直、驚いた。また、ポイントカードなるものもきっちり作成していて、固定客もしっかり掴まえている。レジで勘定を済ませるたびに、「こちらのポイントカードは、1年でも2年でも、店が潰れるまで有効です」と嬉しそうに応対しているので、「(期限は)そしたら、年内いっぱいですがな」と冷やかすと、急にマジになって、「かもしれん」と頭を抱えるウナギ店長、であった。

 それにしても、「らくご屋」のお客さん。天神橋界隈、少なくとも天満天神繁昌亭帰りのお客さん、ほとんどが関西圏が多いのかと思いきや、圏外からもお見えの方多く、今日は岐阜のほうからお見えの方もいた。毎月1回は関西出張があり、その都度、寄りたくなるのだそうで。店長と一緒になって話を伺えば、関東方面にも落語会へ足を伸ばされるようで、先日も「川柳川柳師匠と、三遊亭円丈師匠が一緒に見られただけで、もう満足です」と嬉しそうに話されていた…こりゃ、相当濃密なマニアだわいと半分呆れていたら(笑)、「けど、まだ立川談志師匠の生の落語は見られてないんです」と、案外、初心者な部分も。「こりゃ、今のうち見といた方がイイですよ!」とお勧めし、店内は「談志礼賛大会」へと発展。「笑福亭松喬師匠の『らくだ』はお勧めですよ」と、CD売上にも協力させてもらった…何してるこっちゃら(笑)。

 ほかにも、繁昌亭常連のお客さん、年齢は70手前の男性二人組。片方は若いころよりも物凄い落語ファンで、「古今亭志ん生のナマを観てます」だとか、「襲名して間もない、今の桂春団治を、東京の寄席で観たときは感激したなぁ」など、垂涎のエピソードをいろいろ伺う。いやいや、こういうのが良いんです。こういうのを文化というんでしょう、こちらは実際生で観られてない「志ん生」を、「オレは生で観たんやぞ」…と自慢気でもないんでしょうが、だからこそ「羨ましいなぁ」と目を輝かせつつ、「志ん生、桂文楽は観てないけれど、古今亭志ん朝師匠は間に合いましたよ」などと話に加わると、「ああ!、志ん朝も良かったねぇ!」。何かを通じて幅広い年代がひとつになれる空間は、独特のものである。
 一方、そんな若きころより落語漬けのお連れさんはといえば、

「実は彼(落語漬けファン)とは学生時代からずっと一緒やけど、そのころワシは落語なんか興味もなかったし、また高校、大学を出てから彼は東京、ワシは名古屋を経て東京に就職したんやけど、そのころも落語は全然で。ところが、お互い定年を迎えて、さぁ何しよかなぁと思てたときに彼が、落語会を誘てくれて。それから落語の、いっぺんにトリコになってもうたわ!。ホンマ、彼にはエエ趣味を紹介してもろた思うわ」

 としみじみ語っていただいた。何か素晴らしいお話である。また、落語以外にも色々な趣味を教わったそうで、家庭菜園もそのひとつだとか。「今年もキュウリ、100本獲れたんやで!(笑)」

 結局、店には閉店時間までずっと立ち話でお邪魔しながら、その間、ほかにもお客さんがチラホラ。繁昌亭帰りの方も多く、「いやあ、今日の誰それ(落語家)の○○(演題)は良かったねぇ」など色々、感想も聞かせてもらった。

 些細ながら落語を含めた演芸にも関わらせていただいてる分、あの「らくご屋」さんは、ちょっとしたリサーチの場にもなりそうだ。一般のお客さんの意見や感想のなかにも何かと参考になる部分が大いにあったのが、キュウリ100本に負けず劣らずの、私め、本日、収穫、収穫〜。

 なお、9月6、7日の「彦八まつり」では、予定では、森乃福郎師が店長の『本屋の善さん』ブースを一部間借りして出張販売も行うそうで、福郎師所蔵の貴重本とともに、出張「らくご屋」、お宝探し…と冷やかしも多少、可(笑)…も含めて是非ともお出掛けください。